あとがき大全14

金原瑞人

           
         
         
         
         
         
         
    

一 『エルフ・ギフト』(上下巻)ついに出版
 考えてみれば、去年はどちらかというと子ども向けの本が多かった。たとえば、「レイチェル・シリーズ」(クリフ・マクニクル著)一巻と二巻(今年の秋に第三巻が出る予定)、「マインド・スパイラル」(キャロル・マタス&ペリー・ノーデルマン著)の一巻と二巻(そろそろ第三巻が出て、今年中には第四巻も出る予定)、どちらも子ども向けのファンタジーだ。「レイチェル」のほうは「ハリー・ポッター」に触発された形で書かれたもので、もちろんその影響大。ただしスケールが飛び抜けて大きく、ゲーム感覚が前面に押し出されている。
 「マインド・スパイラル」のほうは「ハリー・ポッター」よりも先に出ていたものだが、「ハリー・ポッター」がブームになったので日本でも出たという形。「レイチェル」も「マインド・スパイラル」も、「ハリー・ポッター」のおかげをおおいに被っている。ありがたい。
 じつは今年の三月末に「ライトノベル・フェスティヴァル」というのがあって、そこでSF翻訳家・評論家の大森望さんと対談をした(その内容をまとめたものが、夏のコミックマーケットで冊子の形になって売り出されるらしい)。ちなみに「ライトノベル」というのは、朝日ソノラマやスニーカー文庫や電撃文庫から出ているような作品を指していうらしい。対談のタイトルは「ライトノベル作文術」。うちの創作ゼミの卒業生がふたり電撃文庫で活躍しているので、その話を中心にしたもの。ちなみにそのふたりというのは、『ブラック・ロッド』で電撃大賞を受賞して華やかに登場した古橋秀之と、『E・Gコンバット』や『猫の地球儀』で注目されている秋山瑞人(卒業するとき、彼に「先生、名前ちょっともらっていいっすか?」ときかれて、まあ、せいぜい一字だろうと思って軽くOKを出したら、二文字持っていかれてしまった)。
 その対談の終わりあたりで会場から「ハリー・ポッター」についてどう思うかというふうな内容の質問がでた。ぼくは「ありがたいですねぇ」と答えた。もしかしたら質問した人は、「いや、ああいうお子様ランチ風のファンタジーはちょっとねえ……」という答えを期待していたのかもしれない。しかし以前にもここで書いたけど、ぼくはそう嫌いじゃないし、やっぱりよくできていると思う。ファンタジー入門編としては、とても優れている。だからもちろん、海千山千のファンタジー通にとって、食い足りないのは当然。しかし「ありがたい」。というのも、「ハリー・ポッター」が子ども向けファンタジーの一大ブームを作ってくれたおかげで、本屋はうるおうし、本屋にファンタジーの棚はできるし、柳の下のドジョウをねらって、新しい作家がどんどん新しいファンタジーを書くようになったし、出版社が続々とファンタジーを出すようになった……めでたい! なにしろ、「ハリー・ポッター」が出る前は、出版社に要約を持っていっても、「ファンタジーは売れないからなあ」といわれて、ほとんど没になっていたんだから。それからそれから、なんといっても、子どもたちが本を読むようになってくれたのがうれしい。たとえば「レイチェル」のシリーズについている読者カードを出版社に送ってくれた人は、ほとんどが10歳から15歳!
 おそらくこのブームがなかったら、「レイチェル・シリーズ」が書かれることはなかっただろうし、「マインド・スパイラル・シリーズ」が日本で出版されることはなかっただろう。
 そしてなにより、スーザン・プライスの『エルフ・ギフト』が翻訳されることもなかったかもしれない。この作品、ぼくにとってはファンタジーのなかのファンタジーであり、個人的な思い入れは、「レイチェル」よりも「スパイラル・マインド」よりもはるかに深い……前回書いたように、『神の創り忘れたビースト』とか『満たされぬ道』とか『イヴの物語』といった、訳しながらとことんのめりこんでしまうような作品のひとつ。
 というわけで、まずその上下巻のあとがきを。

二 あとがきふたつ
   訳者あとがき
 いま第一線で活躍しているイギリスのファンタジー作家のなかでだれがいちばん好きかときかれたら、迷わず「スーザン・プライス」と答える。
 カーネギー賞を受賞した『ゴースト・ドラム』(一九八七年)を訳したときに、まずその確かな手ごたえを感じ、あとがきで次のように書いた。

物語のたのしさ、視点のおもしろさ、快い驚き、あざやかなレトリック、どこまでもどこまでも広がってゆくイメージの躍動……ここには、ファンタジーのエッセンスがそのままつめこまれています。スーザン・プライスの体にはきっと、ロード・ダンセイニやマーヴィン・ピークといったイギリスの傑出したファンタジー作家の血が熱く流れているのでしょう。このような作家が、なにげなく登場するところをみると、イギリスのファンタジーもまだまだ期待できそうです(この引用の部分、一字下げ)

 あるアメリカの書評で「子どものための大人の物語」と紹介された『ゴースト・ドラム』を読んだときには、体が震えるような感動があった。それはまったく新しいファンタジーに出会った衝撃といってもいいかもしれない。
 しかし『エルフギフト』を読んだときには、全身が凍りつくような戦慄が走った。それはファンタジーの途方もない可能性が、うなりをあげて頭上に迫ってくるような恐怖といってもいいかもしれない。
 スーザン・プライスはいつの間にか、鋭利な短剣を、蛇紋の走るオーディンの剣に持ちかえて振りかざしていたのだ。
 そう、オーディンの剣はいったん抜くと、血を吸わせるまでは鞘におさめてはならない。
 さて、この作品、時代はおよそ一千年ほど前のブリテン島。ゲルマンの神々を信仰する人々と、キリスト教を信じる人々との対立に、政治的な思惑がからみ、大小様々の戦いの火花が散っていた。そのきな臭い火薬庫のような状況のなかで、ひとりの王が死を前に寝台に横たわっている。あとを継ぐのはゲルマンの多神教を信じる弟か、それともキリスト教を信じる息子たちか。しかし瀕死の王は、自分とエルフとのあいだに生まれた息子エルフギフトを跡継ぎにと言い置いて息をひきとる。
 こうして、血と欲望と裏切り、愛と死と再生の、ダーク・ファンタジーの幕が開く。
 ゲルマンの神々を信じる貴族たちを味方につけて国をわがものにしようとする王の弟、新興宗教であるキリスト教を旗頭に王の座をねらう三人の兄弟、そのどちらにとっても邪魔なエルフギフト、エルフギフトを心から慕うが決してかえりみてもらえないエバ、エルフギフトを異境へ誘い戦士に育て上げるワルキューレ、そういった人物が入り乱れて、壮大な物語を織りなしていく。
 読者の目を釘付けにする流れるような文体、読者の想像力を思い切りゆさぶる力強いイメージ、読者の期待を鮮やかに、そして快く裏切るストーリー。二一世紀のファンタジーは、これからスタートするといってもいい。

 ひとつ、「千二百貴族」について作者の説明を紹介しておこう。
 千二百というのは、イギリス人でも知っている人はそう多くないのだが、銀千二百オンス(一オンスは三十グラム弱)のことで、貴族や王族を殺したときの賠償金の多寡を示している。いってみれば命の値段といってもいいだろう。当時、だれかを殺した場合、賠償金(ブラッド・マネー)を払えば、殺された人間の親族の復讐を免れることができた。そしてその額は殺された人間の地位によって様々であった。たとえば奴隷の場合はかなり低く、その賠償金をもらうのは主人だった。したがってその額が銀千二百オンスというのは、とても高い身分の人間ということになる。

 さて最後になりましたが、編集の浦野由美子さん、翻訳協力者の杉田七重さんと西本かおるさん、そして作者のスーザン・プライスさんに心からの感謝を!二00二年 六月三日(金原瑞人)


   訳者あとがき
 王の逝去から、一気に混乱に陥った王国を受け継ぐことになったエルフギフト。下巻では、数々の試練に出会うことになる。キリスト教徒の国に避難していて復讐の機をねらっている異母兄アンウィン(これに荷担する、多神教を信じるイングヴァルドとイングヴァイ兄弟)、兄アンウィンと兄エルフギフトへの愛に揺れるウルフウィアード、アンウィンに捨てられた妻のケンドリーダ、ケンドリーダの長男(父アンウィンに憧れエルフギフトに憎悪を燃やす)、エルフギフトに復讐を誓うエバ、そしてワルキューレとオーディン。
 この下巻は、こういった登場人物がもつれあいからみあう、愛と復讐と運命の地獄絵巻といっていいだろう。これを、スーザン・プライスは驚くほど力強く、あざやかに描いていく。それまるで、非情な運命の女神が織り上げるタペストリーそのものだ。ここにはセンチメンタルな要素はまったくない。運命に支配され、運命に突き動かされ、それでも必死に運命にあらがう人々の姿が、心憎いまでに巧みに写し取られていく。
 しかしスーザン・プライスの特徴は、「予想もつかない展開」だろう。『ゴースト・ドラム』を読んだ方はもうご存じかと思うが、スーザン・プライスというのは常人離れした想像力の持ち主で、読者を軽々とあらぬ方向へ放り投げてしまう。そのうえ常人離れした筆力の持ち主で、それを読者にやすやすと納得させてしまう。
 ほとんどの読者にとって、この下巻は想像もつかない方向へ突き進んでいって、想像もつかないエンディングを迎えるはずだ。
 こういう作品を読んでいると、スーザン・プライスがまるで神々のなかのひとりであるかのような気がしてくる。
 そしてこの作品はすでにファンタジーを越えている。

 『ハリー・ポッター』をはじめとするファンタジーの対極にそびえると同時に、もうファンタジーというジャンルを越えて、現代の神話に近いところにまで迫っているのではないか。
 この本を読み返すたびに、そんな気がしてならない。
 この作品は「ファンタジー」というジャンルのなかに入れられているが、ある意味、サルマン・ラシュディやベン・オクリといった作家の作品に近いところがある。想像力ではちきれそうな世界を、すさまじい筆力でねじふせて、凝縮してみせているような感じがするのだ。
 『ハリー・ポッター』でにぎわっているファンタジー・ブームのなかに、爆弾を放りこむつもりで、この作品を訳してみた。
 もしトールキンがこの作品を読んだら、なんといっただろう。もしかしたら、手放しで絶賛したかもしれないし、もしかしたら、こんなに想像力に満ちた作品はファンタジーじゃないと即座に否定したかもしれない。
 ともあれ、このなまぬるいファンタジー・ブームの海にぽかんと浮かぶ巨大な氷山のような作品、どうか、存分に楽しんでいただきたい。
 なお、スーザン・プライスの The Sterkarm Handshake というSFファンタジーも、今年中に東京創元社から出る予定。

 作者はこの作品のなかに古代のルーン文字による詩をいたるところにちりばめているが、作中の詩にもそれぞれ元の詩がある。作者のあとがきにしたがって、簡単にまとめておこう。
・ウドゥがエルフギフトを墓地で縛りつけるルーン詩と、エバの'Ing-Rune Poem' は両方とも、'Anglo-Saxon Rune Poem' をもとにしている。
・片目の男がエルフギフトをよみがえらせるときに歌う長い十八編のルーンの歌は、北欧神話の研究資料『古エッダ』のなかの 'The Words of the High One' をもとにしている。またこの章の終わりのほうでエルフギフトが片目の男から受けるいくつかの質問は、同じく『古エッダ』におさめられている 'The Lay of Vafthrudnir(バフスルーズニルの歌)' を参考にしている。
・第十一章でウルフウィアードが思い起こす歌は、アングロサクソン詩 'Deor' がもとになっている。
・エルフギフトとウルフウィアードが死者の眠りをさますために歌う歌は、イングランドの古謡『ジョン・バーリーコーン』をアレンジしたもの。
・第九章で、ウドゥが竪琴をひいて衛兵を眠らせる歌の一節は 'Jack Orion' または 'Glasgerion' のタイトルで知られている古謡を参考にした

さて、最後になりましたが、編集の浦野由美子さん、翻訳協力者の杉田七重さんと西本かおるさん、いろんな質問に答えて下さった作者に、心からの感謝を!
二00二年六月十二日(金原瑞人)

三 スーザン・プライスのほかの作品の紹介
 はっきりいって、こんなふうに妙に力の入ったあとがきというのは、あとで読んでみると十分に恥ずかしいし、読者もひくだろうなと思う。もう少しスマートにまとめればよかったと大いに反省……は、いつもするものの、なかなか直らない。いれこんだ作品を訳し終えて、校正を終えたときというのは、気持ちがたかぶっているから、ついついこんなふうになってしまう。
 『エルフギフト』あとがきでも紹介したが、今年はスーザン・プライスの作品がもうひとつ出る予定だ。The Sterkarm Handshake という近未来SFで、出版社は東京創元社。編集の山村さんが要約を読んですぐに、「いいですね!」という返事をくれた作品。ガーディアン賞を受賞したこの作品も、『エルフギフト』におとらず、圧倒的な迫力でせまってくる。乞うご期待!
 ところで、ほかの作品も簡単に紹介しておこう。
 まずは、『ゴースト・ドラム』の続巻が二冊でている。タイトルは『ゴースト・ソング』と『ゴースト・ダンス』。手元に昔作った要約があるので、その途中までを。

『GHOST SONG』 スーザン・プライス
faber and faber  1992年 出版  148ページ
(主な登場人物)
クズマ・シロクマの毛皮を身にまとった魔法使い。
アンブロシ・皇帝に仕える猟師の息子。だがクズマの従弟となる運命をもって生まれる。
マリュータ・アンブロシの父。
フォックス・トナカイのいくところへと移動しながら生活する、トナカイ民族のひとり。

(概要)
 200年ものあいだ、自分の従弟を待ち続けたクズマ。だがようやく生まれた従弟、アンブロシは拒み続ける。この争いはたくさんの人々を悲劇の世界へと巻き込み、ついにアンブロシは死の世界の門をくぐった。

(あらすじ)
 この冬もマリュータはひとりで過ごした。風が悲しい声をあげ、氷の粒を顔に吹き付ける中、スキー板をはめた足が、雪の上を一歩一歩進んでいく。愛する妻を村にのこし、雪の世界へとやってきた。皇帝に毛皮をささげるために。それが奴隷であるマリュータの使命なのだ。そんなある日、自分の仕掛けたわなにクロテンがかかっていた。雪に映える黒い毛、その白い雪はあふれ出る血で真っ赤に染まる。息子がほしい。マリュータはふいに思った。このクロテンの毛のように黒い髪、雪のように白い肌、白い歯、そしてこの白い雪を染める血のように赤い唇の息子が……。そして念願かなって、その年の夏には、マリュータも息子の父親となる。
 6月24日、ミッドサマーデー(夏至)がやってきた瞬間に、その子は生まれた。人々は祝いにかけつけ、マリュータは幸せの絶頂だった。祝宴につかれ人々が寝静まっても、マリュータはとても寝付かれずに、息子の未来を思いめぐらしていた。そのとき、何かがものすごい勢いで戸にぶつかる音がした。ナイフを手にマリュータはそっと戸をあけた。照り輝く太陽のまぶしさに、一瞬目がくらむ。そこには大男が立っていた。そしてずかずかと家の中へはいってくる。魔法使い……。男が床におろした太鼓をみて、マリュータは一瞬息をのんだ。ゴースト・ドラム。魔法使いの太鼓だ。やせこけ、しわだらけの顔をしたその大男。この夏の盛りに、まるで真冬のような格好をしている。シロクマの、少し黄色がかった毛皮をまとい、その首を肩からぶらさげている。そしてブーツに大きなてぶくろ。男はいった。その子は自分の従弟だから、死の世界へつれてかえる、と。だがマリュータは首をふった。この子はおれの子だ。渡すわけにはいかない。何物にもかえられない、大切な息子なんだ。その男、クズマのほうも、なかなかひこうとはせず、ふたりのやりとりは延々とつづいた。しかしミッドサマーデーがおわると、クズマは再びゴースト・ドラムを肩から下げて、いってしまった。アンブロシ……不死の人。マリュータは息子にそう名付け、眠りへとおちていった。
 クズマはいったいどこへいったのだろうか……。
 黒い空が重々しくのしかかる雪原。トナカイが群れをなし、寒さに震えている。その群れのすぐそばには、小さなテントがいくつも張られている。つねにトナカイの後について生活する人々、トナカイ族のテントだ。寒い冬のあいだでも、テントの中はいつも暖かかった。それはトナカイ族のリーダー的存在である、ボーン・フックという男とその家族が住むテントでのできこと。ある日、人々の前に、突然、大きなシロクマが姿をあらわした。人々が驚くなか、シロクマがいきなり頭をはずす。クズマだ。だがボーン・フックはなにも言わない。かわりに息子であるフォックスが丁寧にあいさつをする。人々は次々と食べ物を運んだ。そしてすっかり機嫌をよくしたクズマは、お礼にと、物語をはなしてきかせる。はじめて死の世界の門をくぐった男、バルダーと、はじめての魔法使いで、兄弟であるバルダーを殺したロキの物語。はなしが終わるころには、人々はすっかり物語の世界へと入り込み、涙が頬をつたった。感激した人々は、再びクズマに食べ物を運んだ。フォックスも声を震わせながら、言葉をかける。しかし、そんななごやかな雰囲気も一変した。自分の素性をさぐられるような質問をされたクズマが顔色を変え、不機嫌なようすでこんなことをいいだしたのだ。自分の従弟が生まれてくるのを200年もの間待ち続け、ようやく生まれてきたかと思えば、従弟になることを拒絶された。だから代わりに、この中から子供をひとり選びだし、死の世界へとつれていく、と。フォックスがクズマに食ってかかった。そしてあげくのはてには、ナイフをとりだす。ボーン・フックがあわてて息子の腕をおさえたが、もう遅い。クズマは呪文を唱えはじめた。するとみるみるうちに、人々は狼に変身していく。どんなに泣き叫んでも無駄だった。とうとうそこにいたみんなが、狼に姿を変えた。そしてクズマは闇の中へと消えていった。
 この呪は永遠にとかれることはない。アンブロシが死の世界の門をくぐらない限り……。

 『ゴースト・ドラム』を読んだ方ならもうおわかりと思うが、これは『ゴースト・ドラム』でチンギスと対決することになる前のクズマの物語。このあと、この話は一転して思いがけない展開になる。さて、次は『ゴースト・ドラム』の前半部を。

『GHOST DANCE』 スーザン・プライス
faber and faber  1994年 出版(ペーパーバック版 1995年)
217 ページ

(主な登場人物)
シンギビス・魔法使いの弟子。
皇帝・この北の国をおさめる皇帝。
ジェンキンズ・皇帝の側近。自らを魔法使いと称す。
クリスチャン・ジェンキンズのしもべ。

(概要)
 死にかけた北部の森を救おうと、皇帝のもとへむかったシンギビス。だが結局ちから及ばず、完全な魔法使いになるために、ひとり、死の世界へとむかう。はたして、森を蘇らせることはできるのだろうか……。

(あらすじ)
 真っ白なシロハヤブサが、空高く円を描き、雪におおわれた世界を見下ろす。岩や木々が黒くしみのようになっている。徐々に下りていくにつれ、枝や葉、そして動物や魚たちの様子が確認できた。だがその数も、以前と比べるとかなり減っている。シロハヤブサは鋭い鳴き声をあげた。そしてついに、魔法使いを探す男たちの一行をみつける。みな腹をすかせながらも、黙々と雪のうえを歩いている。シロハヤブサに姿をかえていたシンギビスは、もとの姿にもどり、男たちの前にあらわれると、魔法使いの老人が待つ家へと案内した。皇帝の猟師たちが次々に木々をきりたおし、動物たちをわなにかけ、殺していく。死にかけている北部の森を助けてほしい。これが、男たちが魔法使いをさがしていた理由だ。だが魔法使いは断わった。世界が変わっていくのは当然のことなのだ、と。それに助けるにはあまりに歳をとりすぎていた。死の世界へいくときがきたのだ。肩をおとし、男たちがその家をあとにすると、魔法使いはシンギビスに、死の世界へ旅立つための準備をさせる。お別れのときがきた。決して皇帝のところへいってはいけない。東にいる妹のもとへいき、魔法使いになる修行をするのだ。魔法使いは悲しむシンギビスにそういい残すと、死の世界へと旅立っていった。だがひとり残されたシンギビスは、スキーと弓矢、そして食べ物を用意すると、森を救うため、皇帝のいる宮殿をめざす。
 皇帝の宮殿をかこむ町はとにかく広く、教会やきれいな店、そして立派な家々がたち並ぶ、裕福な町だった。そしてそれらは何もかも、木でつくられていた。猟師によって切り倒された、何千、いや何万という北部の森の木で。その町の中心には、また別の町がある。石造りの高い塀で囲まれた町。そう、それが皇帝のいる宮殿だ。墓地もあれば教会もあり、また皇帝の護衛の兵舎や庭師のアパートもある。宮殿じたいが、ひとつの活気づいた町になっているのだ。だがドアをくぐれば、そこはいつでも暗く、しーんと静まりかえっている。その暗い宮殿のなかの、ずっとずっと奥にある広い部屋で、ふたりの男が何やらひそひそと話している。ひとりはジェンキンズという名の男で、自分は魔法使いであるといつわっている。だが自分自身は、魔法なんてこれっぽっちも信じていない。そしてもう一方はその男のしもべ、クリスチャン。悪魔の衣装を身にまとっている。これから皇帝の目の前で悪魔を呼び出し、皇帝のほしがっている不老不死の薬の作り方をききだす芝居をうとうというのだ。そこへ皇帝が兵士たちをひきつれてやってきた。皆が見守るなか、ジェンキンズは呪文を唱えはじめる。すると煙がたちこめ、激しい鈴の音がきこえたかと思うと、悪魔があらわれた。震え上がる兵士たち。結局、不老不死の薬の作り方はいわずに、悪魔は姿をけしてしまうが、皇帝や兵士たちは、すっかり演技にだまされた様子で、部屋をあとにする。大満足のジェンキンズ。しかし、ふいに不安がよぎった。皇帝がこの嘘に気付きはしないだろうか、もし気付いたら、自分はどうなるのだろうか……。
 ようやく、シンギビスが皇帝の町へとたどりついた。そして宮殿の中へとはいったところで、ちょうど、さきほどのふたりの芝居を見抜き、ジェンキンズを嘘つきよばわりした男が、処刑される場面に出くわす。たまらず、熊の姿となって飛び出すシンギビス。人々は驚き、逃げ惑う。そして男とシンギビスのみが、その場に残された。だがくさりはといてやったものの、男は結局その場にたおれる。シンギビスは男を死の世界へとおくりだしてやると、皇帝のいる建物へとむかった。
 裁判が行われる部屋に皇帝はいた。大きな椅子にすわり、判決をくだしている。だれもかれも有罪にしてしまう皇帝の耳元で、シンギビスがささやく。すると皇帝は判決を変え、罪はかるくなった。次々に判決はくだされたが、みな罪はかるかった。だがシンギビスのささやきは最終的には皇帝をいらいらさせる結果となり判決も、再び厳しいものになっていく。裁判は延々とつづいた。そして人々はその場で眠りはじめ、皇帝は部屋へもどっていった。シンギビスもあとについて部屋へとしのびこむ。これでようやく皇帝を殺し、森を救うことができる。しかし、涙をながす皇帝の姿をみたシンギビスは、考えをかえ、皇帝の耳元で子守歌をうたいはじめる。皇帝は眠りについた。そのまま朝まで眠り続け、ようやく目を覚ました皇帝は、何かが自分のすぐそばに座っているのに気付く。幽霊? いや、悪魔だろうか。だが、シンギビスが微笑んだ瞬間、皇帝は天使だときめつけた。そしてそれがジェンキンズの魔力などではなく、自分に子守歌をきかせるためにきてくれたのだとわかると、すっかりうれしくなり、シンギビスの手をとって廊下をかけおり、広いきれいな部屋へとつれていった。
「さあ、これから魔法使いに会わせてやろう」
 そのころ、ジェンキンズとクリスチャンのふたりは、それぞれの寝床でくつろいでいた。例の熊騒動のとき、ふたりは何がおきたのかわからないまま、一目散にこの部屋へと逃げ込んできた。一時は暴動がおきたのかとおもいおびえていたが、騒ぎはおさまり、皇帝が無事だったという報告をうけると、すっかり安心し、そして眠りについたのだった。そのとき、突然、皇帝からの使いがやってきて、ふたりは皇帝の待つ部屋へと案内される。顔をみるなり、あれから悪魔と話をしたのかときかれ、一瞬うそがばれたのかと思いあわてたが、そうではなかった。天使を紹介されたのだ。だが、皇帝が不老不死の薬の話をすると、皇帝の天使、シンギビスは、永遠の命なんてありえないという。魔法使いだって300年しか生きられないのだから、と。皇帝はすっかり腹をたて、ジェンキンズたちを部屋からおいだした。悪魔がうそをついたのだ、となんとか言い訳はしたものの、クリスチャンはこの国から逃げるよう、ジェンキンズに説得するが、ジェンキンズはまったく聞く耳をもたない。そしてまた何やら悪知恵を働かせている様子。不安になるクリスチャン。
 シンギビスが来てからというもの、皇帝はすっかり人が変わった。まわりの人々が突然、自分の敵にまわり、寝ている間に襲われるのではないか、と、いつでもおびえ、以前は眠ることすらろくにできなかったのだが、今ではいつでも天使が子守歌をささやいてくれるおかげで、ゆっくりと眠れるようになった。その皇帝の夢の中で、シンギビスは北部の森の様子を描き出し、「このままでは森が死んでしまう」と語りかけていた。が、皇帝はそのことについて考えるどころか、天使が自分のそばにいてくれるという安心感からか、さらに冷酷な人間になっていく。人々には重い罰をあたえ、そして森は以前にも増して、急速に破壊されていく。自分の力不足に、シンギビスは肩をおとした。そして考える。完全な魔法使いになれば、なんとかできるかもしれない、と。次の瞬間、シンギビスの魂は体をぬけて浮き上がった。死の世界へとむかって……

 と、ここまでが全体の半分弱。
 「ゴースト・シリーズ」の特徴と雰囲気、わかっていただけただろうか。
 次は最新作『王の首』の紹介を。

The King's Head
【出版社】Scholastic
【頁数】130頁(プルーフ)/224頁(予定)
【概要】
 小王国が争覇を繰り返したイギリス七王国時代(6〜9世紀)(設定より推定)。死体の折り重なる戦場へ、生存者を探しにきた修道士がみつけたものは、しゃべる首だった。首は戦いに敗れた側の王に寵愛されていた語り部で、王に会わせてほしいと修道士に懇願する。そして、王のもとへたどりつくために、さまざまな人の前で物語を語りつづける。
 昔話の暗さとユーモアをたたえながら、「物語の力」を語るファンタジー。

【登場人物】
首(グリムセン):ペンダ王付きの語り部
ペンダ王    :戦いに敗れた王(*)
エドガー王   :戦いに勝った王(*)
ドミニク修道士 :エドガー王の国の修道士
オーディ    :首の恋人
アボット神父  :ドミニク修道士のいる修道院の神父
オーシス    :エドガー王の国の領主の娘
女王      :エドガー王の母

*ペンダ王もエドガー王も歴史上、実在している(作中ではペンダ王はペンダ・ワートルースの名で出てくるが、ワートルースが実在かまでは不明)。ただし、実在のペンダ王は600年代、エドガー王は900年代の人物だ。しかし、ペンダ王はノーサンブリアと絶えず交戦したマーシアの王、エドガー王はノーサンブリアとマーシアものちに治めたイングランドの王。作者は本書では事実と虚構をうまくまぜているようだ。なお、首は自分が語る物語の中で、マーシアの王をさりげなく主人公にしている(※1)。

【あらすじ】
 ドミニク修道士は、無言で涙を流しつづけた。まだ生きている者がいれば助けようと思い、戦場にやってきたものの、一面血の海で、どちらをむいても折り重なった死体がつづくばかりだった。そのとき、声がした。「助けてください!」声のするほうをみたが、青い目に赤い髪と髭の首があるだけだ。首の横には切り離された胴体が転がっている。「助けてください!」首が叫び、まばたきをした。ドミニク修道士は心臓が止まりそうになった。「教えてください。ペンダ王はご無事ですか?」首がたずねた。ペンダ王――わが君主、エドガー王の敵で、この戦いでは敗れた王の名だ。「ペンダ王なら、ひどい傷を負い、捕虜になっている」「わたしをペンダ王のもとに連れていってください」首は、自分がペンダ王付きの語り部、グリムセンであること、王との約束を果たすまでは、首を切られようが死ねないことを語った。――グリムセンといえば、その名を知らぬ者がいないほど有名な語り部。それに、このような奇跡はぜひ、わが王におみせしたほうがよい――ドミニク修道士は、首をエドガー王のいる野営の場所に連れ帰った。
 テーブルにおかれた首がしゃべっるのをみて、若いエドガー王は仰天した。首はペンダ王のもとへ連れていってほしいと懇願した。戦いの前夜、ペンダ王になにか話をしてほしいと頼まれたとき、断ってしまい、戦いが終わったら、好きなだけ話をすると約束したのだという。「そんなささいな約束のために、首と胴を切り離されても生きているというのか!」「わたしはペンダ王から大きな贈り物『ハートシーズ』をいただいておりますから」野性のパンジーのことです、とドミニク修道士が王に説明した。首は、ハートシーズの物語を語ると言い出した。そして、物語のほうびにペンダ王に会わせてほしい、とも。「約束はせん。だが、話すがよい」エドガー王がいった。

 わたしはオークニー諸島の出身で、両親を子どものころに亡くし、兄と農場の仕事をしながら暮らしていました。しかし、成長するにつれ、詩の才能が開花し、詩人として評判になり、ついにはオークニーの王のもとへ出入りするまでになりました。わたしは野心を燃やしました。そして、恋人のオーディと兄を置いて、イギリスへ渡ったのです。わたしは成功し、ペンダ王の宮廷にたどりつきました。王とはすぐに意気投合、友情が芽生えます。しばらくして、兄が様子をみに、訪れてきました。兄は宮廷になじめず、「あと数か月でもどる」という、わたしからオーディへの伝言を携えて、すぐに帰っていきました。けっきょく、わたしが故郷へ戻ったのは、一年半後のことでした。ところが、もどってみると、オーディと兄が結婚しているではありませんか。わたしはペンダ王の宮廷にもどりました。王は、ふさぎこむわたしから理由をききだすと、わたしを慰めるために、なんでもほしいものをやろうといってくださいました。「ほしいものはありません。ただ、わたしの話をきいてくださいますか?」その日から、わたしは毎日、オーディと兄への怒り、ねたみ、未練を語りつづけました。王は我慢強くきいてくださいました。そして、とうとう話すことがなくなったのです。そのとき初めてわたしは、オーディは戻ってこないという事実に向かうことができました。わたしはペンダ王に詩を捧げました。「あなたは土地をくださいませんでした。裕福な妻も。船も。金も銀も。ですが、心のやすらぎ(ルビ ハートシーズ)をくださいました。わたしはあなたにお仕えします」

「さあ、約束をはたしてください」首がいうと、エドガー王が答えた。「わたしは約束などしておらぬぞ。ドミニク、しばらくこの首を、修道院で預かってくれ。丁重にな」そこで、ドミニク修道士は首を修道院へ持ち帰った。修道院では、アボット神父がしゃべる首をみて、なにか仕掛けがあるにちがいないと思った。半信半疑のアボット神父に、首が聖人の物語を語りましょうと言い出した。

 マーシア(注 イングランド中南部のアングル族の古王国)に、7歳で王位についたケネルムという王様がいました。幼いケネルムの仕事は、養父と年の離れた姉が助けていました。ところがこのふたり、実は恋人同士で、王位を狙っていたのです。あるとき、ついに養父はケネルムを狩りに誘いだし、密かに首を切り落として死体をサンザシの木の根もとに埋めてしまいました。その後、王の代行となった養父のもとに、白い鳥が巻紙をくわえて飛んできました。巻紙には詩が書かれていましたた。「牛の牧草地の下 サンザシの木の根もと 王の血筋ケネルムが横たわる 首を刈られて」養父は素知らぬ顔で「神のお告げにちがいない」といい、王の探索のため、修道士たちを各地の牧草地へ送りました。ある牧草地で、修道士たちは、牛飼いの老婆に出会いました。老婆は、一頭の牛がここ数週間、サンザシの木の下から一歩も動かなくなったのに、乳の出はこれまでにないくらいよくなった、と話しました。修道士たちがその木の根もとを掘り返すと、そこにはケネルム王の死体がありました。そして首と胴を合わせると、王は生き返ったのです。その後、つぎつぎと奇跡が起こりました。養父はパンを喉に詰まらせて死に、姉は目玉が飛び出ました。王の埋められていた場所には泉が湧き、その水を飲んだものは、様々な病が治りました。泉は「聖ケネルムの泉」として広く知られるようになったとのことです。(※1)

 この『王の首』、発想もおもしろいし、それぞれの物語も楽しい。ちょっとグロテスクで暗い感じもあるが、『エルフギフト』や「ゴースト・シリーズ」のような圧倒的な重苦しさはない。

五 終わりに
 今回は『エルフギフト』を中心に、スーザン・プライスの作品の紹介でまとめてしまった。
 今年の夏は『エルフギフト』を!……と薦めたいところだが、この暑さで体力と気力に自信のない方は、秋にでもごゆっくり。