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一 『ジャングル・ブック』 前回お知らせした通り、今回はラドヤード・キプリングの『ジャングル・ブック』のなかから、「リッキ・ティッキ・ダヴィ」を。 キプリングに関しては大英帝国主義のにおいがどうのといわれることが多いが、ともあれ、その物語作りのうまさを味わってほしい。 そういえば、もう二十年近くまえのこと、インドの大学で文学を教えいているインド人の教授に会う機会があった。イギリス文学やインド文学について、いろんな話をきいたのだが、そのなかでこんなことをいっていた。 「キプリングはほんとうにインドをよく知っている。彼の作品にはインドが見事に描かれている。それにくらべると、E・M・フォースターのインドはずいぶん概念的だ」 二 「リッキ・ティッキ・ダヴィ」 リッキ・ティッキ・タヴィ 蛇がはいった穴のまえ マングースが呼びかけた。 さあさあ、マングースはこういった。 「ナグよ、でてきて死とおどれ!」 目と目をあわせ、頭と頭を突き合わせ、 (ナグよ、拍子をはずすなよ) ひとりが死ねば、おどりはおわる。 (ナグよ、いつでもいいぞ) くるりとまわれば、くるりとまわり、体をねじれば、体をねじる…… (ナグよ、かけてにげるがいい) おやおや、頭巾かぶった「死神」がしくじった。 (ナグよ、なんじにわざわいあれ!) これはすさまじい戦いの物語。リッキ・ティッキ・タヴィが自分だけをたのみに、シゴウリ野営地のバンガローの風呂場で戦ったときの話だ。サイホウ鳥のダージーが加勢をした。部屋のまんなかにはぜったいにでてこないで、いつも壁にそって歩くジャコウネズミのチュウチャンドラが知恵をかした。しかし実際に戦ったのはリッキ・ティッキ・タヴィだった。 リッキ・ティッキというのはマングース。尻尾と毛皮は子ネコみたいだが、頭の形と習性はイタチそっくりだ。目と、せわしなく動く鼻の先はピンク。体のどこでもかきたいだけかくことができる。まえ足でもうしろ足でも、好きなほうを思うままに使うことができるのだ。尻尾の毛をさかだてて、棒だわしのようにすることができた。そしてたけの高い草のなかをちょこちょこ走りまわりながらあげる戦いの声はこうだ。「リキ・ティキ・ティキ・ティキ・ティック!」 ある夏の日、大洪水になり、リッキ・ティッキは両親といっしょに巣から押し流されてしまった。リッキ・ティッキは足をばたばた動かしてなきさけびながら、道ばたのみぞのなかをおし流されていった。そしてみぞのなかに草の小さなかたまりがうかんでいるのをみつけてしがみつき、そのまま意識を失ってしまった。気がつくと熱い日ざしに照らされて庭の小道のまんなかにどろだらけになってたおれていた。ひとりの少年がこんなことをいっていた。「あっ、マングースが死んでる。うめてやろうよ」 「いいえ」おかあさんがいった。「家のなかにつれていって、ふいてやりましょう。まだ生きているかもしれないから」 ふたりはリッキ・ティッキを家のなかにはこんでいった。すると大きな男がリッキ・ティッキを人さし指と親指でつまんで、こいつは死んではいないよ、ちょっとのどがつまっているだけだ、といった。そこでふたりはリッキ・ティッキを綿につつんであたためてやった。リッキ・ティッキは目をあけて、くしゃみをした。 「さあ」大きな男がいった。男はちょっとまえにこのバンガローにひっこしてきたイギリス人だった。「こわがらせないようにして、どうするかみることにしよう」 マングースをこわがらせるというのは世界中でいちばんむつかしいことだ。とにかくマングースというのは、鼻のさきから尻尾のさきまで好奇心のかたまりなのだから。あらゆるマングースの家族のモットーは「走りまわってさがしだせ」。そしてリッキ・ティッキはマングースのなかのマングースだった。リッキ・ティッキは綿をみて、まずそうだと判断するとテーブルの上をかけまわり、体をおこして毛づくろいをした。それから体をかくと、少年の肩に飛びのった。 「テディ、こわがらないでいい」おとうさんがいった。「マングースが友だちを作るときはそうするんだ」 「わっ! ぼくのあごの下をくすぐってるよ」テディがいった。 リッキ・ティッキはテディのえりと首とのあいだをのぞきこんで、耳のにおいをかぎ、床にかけおりると、すわって鼻をこすった。 「まあ、かわいいこと」おかあさんがいった。「ほんとうに野生の動物なのかしらね。わたしたちがやさしくしてやったから、こんなになついたのかしら」 「マングースってのはどいつもこんなもんさ」おとうさんがいった。「もしテディが尻尾をつまんだり、かごにとじこめたりしないかぎり、こいつは一日中うちのなかや外をかけまわるだろうよ。まあ、食べるものをやったらどうだい」 リッキ・ティッキは生肉の小さなかたまりをもらった。大好物だ。リッキ・ティッキは食ベおわるとベランダにでていって日ざしのなかにすわった。そして毛をさかだてて、つけねまでかわかすと、気持ちがよくなった。 「このうちのなかには、めずらしいものがたくさんあるぞ」リッキ・ティッキはひとりごとをいった。「ぼくの家族が一生かかってもお目にかかれないくらいたくさんある。よし、ここにいてかたっぱしからみてやろう」 リッキ・ティッキは一日中、家のなかを歩きまわった。風呂おけのなかでおぼれかかったり、机の上にあったインクびんに鼻をつっこんだり、大きな男の葉巻のさきにさわってやけどをしたり。やけどをしたのは、どうやって文字を書くのだろうと大きな男のひざにかけあがったときのことだった。夕がたになると、テディの子ども部屋に走っていって、灯油ランプにはどうやって火をつけるのかじっとみていた。そしてテディがベッドにはいるとリッキ・ティッキもいっしょにベッドによじのぼった。だがいっしょに寝るにはリッキ・ティッキはうるさすぎた。というのも夜のあいだずっと、なにか音がすると、かならずおきあがって耳をすまし、音の正体をつきとめなくては気がすまないのだから。 おかあさんとおとうさんがテディをみにやってきた。それは一日の最後の仕事だった。リッキ・ティッキは目をさましたまま、枕の上にいた。 「いやだわ」おかあさんがいった。「テディにかみつかないかしら」 「かみついたりするわけがない」おとうさんがいった。「あれがいてくれれば、番犬を飼うよりも安全だ。この部屋にへビがはいってきたって……」 だがテディのおかあさんは、そんなおそろしいことは考えたくもなかった。 次の日の朝、リッキ・ティッキは朝食を食べようとテディの肩にのってベランダにやってきた。みんながバナナやゆで卵をだしてくれたので、リッキ・ティッキは三人のひざにかわるがわるすわることにした。育ちのいいマングースというのはいつも、人間に飼われて、走りまわれる部屋がほしいと思うものなのだ。リッキ・ティッキも母親から白人にあったときにはどうすればいいかよく教えられていた。リッキ・ティッキの母親はむかしシゴウリの将校の家に住んでいたのだった。 朝食がおわると、リッキ・ティッキは庭に出てあれこれ見てまわった。庭は大きく、半分くらいしか手入れがしてない。あずまやくらいの広さの黄色のバラのしげみがあり、ライムやオレンジの木があり、竹やぶがあり、たけの高い草のしげっているところがあった。リッキ・ティッキはくちびるをなめた。「ここは狩りをするのに絶好の場所だぞ」 そう思うと尻尾の毛がさかだって棒だわしのようになった。リッキ・ティッキは庭をちょこちょこかけまわっては、あちこちのにおいをかいだ。すると、イバラのしげみのなかから、とても悲しげな声がきこえてきた。 それはサイホウ鳥のダージーとそのおくさんだった。ふたりは二枚の大きな葉をはりあわせて、ふちを草の糸でぬいあわせ、なかに綿とやわらかい羽毛をつめてきれいな巣を作っていた。二羽がそのふちにとまってなげくたびに、巣はゆらゆらゆれるのだった。 「どうしたんだよ?」リッキ・ティッキがたずねた。 「とても、とても悲しいんです」ダージーがいった。「きのう、うちのひなが一羽、巣からおっこちて、ナグに食ベられてしまったんです」 「ううーん!」リッキ・ティッキがいった。「それは悲しいことだね。だけどぼくは、このあたりのことはよく知らないんだ。そのナグっていうのはなにものなの?」 ダージーとおくさんはこたえずに巣のなかにひっこんだ。木立ちの根元の草むらのなかから、空気のもれるような音が低く響いてきたのだ。そのぞっとするような冷たい音に、リッキ・ティッキは五十センチほど飛びすさってしまった。それから一センチ、また一センチとナグの頭と頭巾が草の上にあらわれてきた。それは大きな黒いコブラで、舌のさきから尻尾のさきまで一メートル五十センチほどあった。ナグは体の三分の一ほどを地面からもちあげ、ちょうど風にゆれるタンポポの綿帽子のようにゆらゆらと頭をゆらした。それからヘビ独特のいやらしい目でリッキ・ティッキをみつめた。へビはなにを考えていても目の表情を変えることはないのだ。 「ナグってなにものか、だと?」コブラがいった。「おれさまがナグだ。いだいなる神ブラームがわれわれにこの印をつけてくださった。それは偉大なる神ブラームがおやすみになったのをみて、最初のコブラがこの頭巾をひろげて日の光をさえぎってさしあげたときのことだ。さあ、よくみるがいい。おそろしいか!」 ナグはもっと頭巾をひろげた。その内側にはみるからにおそろしい印がついていた。それは大きな鉤フックの、ふたつ並んだ受け穴のようだった。リッキ・ティッキは一瞬、すくみあがってしまった。しかしマングースがすくんだままじっとしていることはない。リッキ・ティッキはそれまで生きているコブラにあったことはなかったが、おかあさんから死んだコブラを食ベさせてもらったことは何度もあった。そしてマングースはおとなになったら、へビをやっつけて食ベるのが一生の仕事になるのだということもわかっていた。ナグもそのことは知っていた。だから心のそこではおそれてもいたのだった。 「ふうん」リッキ・ティッキはまた毛をさかだてはじめた。「印があったって、なくったって、それがなんだ。巣から落ちたひなを食べるのがいいことだと思ってるのか?」 ナグは考えをめぐらせながら、リッキ・ティッキのうしろの草がかすかに動くのをみつめた。庭にマングースがいるということは、おそかれ早かれ自分も家族も殺されてしまうということだ。ナグはリッキ・ティッキをゆだんさせようと、頭を少したれてみせた。 「話せばわかるだろう」ナグがいった。「おまえだって卵を食ベるだろう。どうしておれさまが鳥を食ベてはいかんのだ?」 「あぶない! うしろ!」ダージーがさけんだ。 リッキ・ティッキはふりむいて時間を無駄にするようなまねはしなかった。全身をばねにして空中高く飛びあがった。そのすぐ下をナゲイナの頭が横ぎった。ナグのずるがしこい妻だ。リッキ・ティッキがしゃべっているあいだに、うしろにしのびよって殺してしまうつもりだったのだ。リッキ・ティッキは、ナゲイナが失敗してシュッとおそろしい声をあげるのをきいた。リッキ・ティッキはナゲイナの背中の上に飛びおりたが、もしおとなのマングースだったら、その瞬間こそナゲイナの背骨をかみくだくときだということを知っていただろう。しかしリッキ・ティッキはナゲイナがおそろしい勢いで、するどく反撃してくるのが心配だった。だからかみつきはしたが、すぐにはなして、そのすばやく動く尻尾から飛びのいた。ナゲイナは傷を負ってかんかんにおこっている。 「ダージーめ、よくもじゃまをしてくれたな!」ナグはイバラの木の巣をめがけて、けんめいにのびあがった。だがダージーは、ヘビのとどかないところに巣を作っておいたので、ただ巣がゆらゆらゆれただけだった。 リッキ・ティッキは目が赤く熱くなってくるのを感じた。マングースの目が赤くなるのはおこっている証拠だ。リッキ・ティッキはうしろ足と尻尾に体重をかけて、カンルーのように立った。そしてあたりをみまわしながら、おこってさけんだ。しかしナグとナゲイナは草むらのなかにすがたをけしてしまっていた。へビは獲物をしとめそこなうと、次になにをするつもりだったのかけどられないように、なにもいわないものなのだ。 リッキ・ティッキは二匹を追いかけるつもりはなかった。さすがに一度に二匹を相手にする自信はなかった。そこで家のそばの砂利道までかけていくと、すわって考えこんだ。これは重要な間題だった。 古い自然科学の本には、マングースはへビと戦ってかまれると、逃げて薬草を食ベて傷をなおすと書かれていることがあるが、これはまちがいだ。するどい目くばりと足のはやさだけで勝負が決まってしまう。へビのすばやいつっこみと、マングースのジャンプ力との戦いなのだ。へビが飛びかかっていくときの頭の動きは人間の目にとまるものではない。それを考えれば、このマングースの戦いのほうが魔法の薬草などよりずっと不思議なものだということがわかるだろう。リッキ・ティッキは自分がまだ子どもだということはわかっていた。だからいっそう、うしろからのヘビの攻撃をかわせたことがうれしかった。このことでリッキ・ティッキは自信をもった。そこにテディが道をかけてくるのがみえたので、かわいがってもらおうと思った。 ところがテディが体をかがめた、ちょうどそのとき、土にまみれた小さなものがぴくりと動いて、小さな声が響いた。「気をつけろ。おれは死神だ」それはキャレイトだった。キャレイトは土色をした小さなヘビで、このんでほこりっぽい土の上にいる。キャレイトの牙はコブラの牙と同じくらい危険なのだが、体があんまり小さいので、だれも気にとめることがない。そのせいでコブラにやられるよりキャレイトにやられる人間のほうが多いくらいだった。 リッキ・ティッキの目がまた赤くなった。リッキ・ティッキはおどるような動きでキャレイトに近づいていった。その体をゆらす独特の動きは一族からうけついだものだ。見た目には奇妙な動きだが、かんぺきにバランスのとれた足どりで、すきな方向へ飛びだしていける。ヘビを相手にするときには、これは有利だった。もしリッキ・ティッキがもっと経験をつんでいたら、ナグなどよりはるかに危険な相手と戦っていることがわかっていただろう。キャレイトはとても小さいので一瞬のうちにむきを変えることができ、もしリッキ・ティッキがうまく頭のうしろにかみつかなければ、目かくちびるに反撃をくらうことになるのだ。だがリッキ・ティッキはそんなことは知らなかった。目をまっ赤にして、体を前後にゆらしながら、どこにかみつこうかと考えていた。キャレイトが飛びかかってきた。リッキ・ティッキは横に飛びのき、つっこんでいこうとした瞬間、灰色がかった土色の小さな頭がいやらしくまわりこんで肩にかみつこうとした。リッキ・ティッキはしかたなくキャレイトの体を飛びこした。小さな頭がリッキ・ティッキのうしろ足のすぐあとを追った。 テディが家のほうにさけんだ。「きて! きて! うちのマングースがへビを殺そうとしてるよ」リッキ・ティッキの耳にテディのおかあさんの悲鳴がきこえた。おとうさんがステッキをもって飛びだしてきた。しかしおとうさんがかけつけるまえに、一度キャレイトが深くつっこみすぎた。リッキ・ティッキはすかさず飛びあがり、二本のまえ足のあいだに頭をはさむようにして、キャレイトの背中におどりかかった。そしてできるだけ頭に近いところにかみついて地面をころがった。そのひとかみで、キャレイトの体はしびれてしまった。リッキ・ティッキは家族の食事の習慣にしたがって、へビを尻尾から食べようとした。だがそのときリッキ・ティッキは思い出した。腹いっぱいに食ベると動きがにぶくなる。もてるだけの力とすばやさを自分のものにしておきたければ、やせたままでいなくてはならない。 リッキ・ティッキはトウゴマの木の下にいって砂あびをした。テディのおとうさんはキャレイトの死骸をステッキでなぐっている。「いまさらなにをしてるんだろう?」リッキ・ティッキは考えた。「ぼくがもう、けりをつけてしまったのに」テディのおかあさんがリッキ・ティッキを地面からかかえあげてだきしめた。そしてなみだをうかベて、おまえはテディの命の恩人だわといった。テディのおとうさんは、このマングースは神様がつかわしてくださったにちがいないといった。テディはおびえた表情で目を大きくみひらいている。リッキ・ティッキはこのさわぎをみて、いったいなにをしているんだろうと、ちょっとおかしくなってしまった。そしてテディも砂あびをして遊ベば同じように、おかあさんにかわいがってもらえるのだろうかと思った。リッキ・ティッキはうれしくてたまらなかった。 その日のタ食のとき、リッキ・ティッキはテーブルの上のワイングラスのあいだを歩きまわっていた。いつもの三倍はおいしいものをおなかにつめこむことだってできたが、ナグとナゲイナのことが頭にあった。テディのおかあさんに軽くたたかれたりなでられたりするのも、テディの肩にすわるのもとても気持ちよかった。しかしときどき目を赤くいからせて、「リッキ・ティッキ・ティッキ。ティッキ。ティック!」と戦いの声をあげた。 テディはリッキ・ティッキをベッドにつれていって、ぼくのあごの下で寝るんだよといいきかせた。リッキ・ティッキは育ちがよかったので、かんだりひっかいたりすることはなかった。しかしテディが眠りこむとすぐに、家のなかを夜の散歩にでかけた。すると、暗がりのなかでチューチャンドラにでくわした。ジャコウネズミのチューチャンドラは壁ぎわをちょろちょろしているところだった。チューチャンドラというのはかわいそうな生き物で、部屋のまんなかに飛びだそう、飛びだそうと思いながら、決心がつかず、夜のあいだずっと、めそめそ泣きながらあわれな声をあげている。 「わたしを殺さないでください」チューチャンドラがいまにも泣きだしそうな顔でいった。「リッキ・ティッキさん、殺さないでくださいね」 「ぼくはへビのしまつ屋だぜ、ジャコウネズミなんか殺すもんか」リッキ・ティッキがばかにしたようにいった。 「へビを殺すものはへビに殺されるともうします」チューチャンドラがいよいよ悲しそうな顔をした。「それに暗い夜、ナグがあなたとわたしをみまちがえないともかぎりますまい」 「そんな心配はないよ」リッキ・ティッキがいった。「ナグは庭にいるんだし、きみは庭にでたりしないじゃないか」 「いとこのチュアがいってましたけど……」チューチャンドラはそういうと、はっと口をつぐんだ。 「なにをいったんだい?」 「しっ! リッキ・ティッキさん、ナグはどこにでもあらわれます。あなたも庭でチュアと話をしてくればよかったのに」 「ぼくはチュアと話したことはないんだ。だから、話してくれよ。早く早く! 早くしないとかみつくぞ!」 チューチャンドラはすわりこんで泣きだした。なみだがヒゲをつたって落ちた。「わたしはなんてあわれな生き物なんでしよう」チューチャンドラがすすり泣いた。「どうしても部屋のまんなかにかけだしていく勇気がでないんです。しっ! なにもお話しできないんですよ。ほら、きこえませんか?」 リッキ・ティッキは耳をすました。家のなかはしんとしずまりかえっている。しかし、世界中でそれほどかすかな音はないだろうというくらいかすかな、なにかがこすれるような音がきこえたような気がした。窓ガラスの上をハチが歩くくらいのかすかな音だ。それはへビのうろこがれんがをこするかわいた音だった。 「ナグかナゲイナだな」リッキ・ティッキはつぶやいた。「風呂場の流し口からでていくところだ。チューチャンドラ、きみのいったとおりだ。チュアと話しておけばよかったよ」 リッキ・ティッキはテディの風呂場にいってみたが、なにもいなかった。そこでおかあさんの風呂場にいってみた。しっくいをぬったなめらかな壁の下のれんががひとつぬいてあって、そこが風呂の水を流す穴になっている。風呂おけが置いてあるふち石にそってはいっていくと、ナグとナゲイナが小声で話しあっているのがきこえた。二匹は外の月の光のなかにいた。 「このうちから人間がいなくなったら」ナゲイナが夫のナグにしゃべっている。「あいつだってここからでていくでしょう。そうなればまえのように、この庭はあたしたちだけのものになるじゃないの。こっそりはいっていくの。いいこと、キャレイトを殺したあの大きな男に最初にかみつくのよ。そうしたらでてきて、あたしに報告してちょうだい。 ふたりでリッキ・ティッキを追いだせばいい」 「だが、人間を殺してなにかいいことがあるのか?」ナグがいった。 「おおありですよ。このバンガローに人がいなかったとき、庭にマングースがいまして? このバンガローに人がいないかぎり、あたしたちが庭の王様とお妃様。それに、あと少しでウリ畑のあたしたちの卵がかえるんですからね。あしたかもしれないわよ。そうなれば、もっと広くて静かな場所がいるわ」 「そいつは考えなかったな」ナグがいった。「よし、いってこよう。だが、リッキ・ティッキを追いはらう必要はないだろう。おれが大きな男と、その妻と、できれば子どもも殺して、こっそりもどってくる。そうすればバンガローに人間はいなくなって、リッキ・ティッキもいなくなるだろうからな」 リッキ・ティッキはこれをきいて、怒りと憎しみで体がふるえてきた。ナグの頭が、水を流す穴からのぞいた。そのうしろから一メートル五十センチの冷たい体がついてきた。リッキ・ティッキは腹がたってしようがなかったが、その大きなコブラをみると、ぞっとしてしまった。ナグはとぐろをまいて頭をもたげ、暗い風呂場のなかに目をこらした。リッキ・ティッキにはその目がきらりと光るのがみえた。 「もしここでナグを殺したら、ナゲイナに気づかれてしまう。といってなにもない床の上でナグと戦うのは、こちらが不利だ。どうしたらいいんだろう」リッキ・ティッキは考えた。 ナグが頭を前後にゆらした。リッキ・ティッキの耳に、ナグがいちばん大きな水がめから水をのむ音がきこえてきた。それは風呂の水をためておくかめだった。「ふう、うまい」ナグがいった。「さてと、キャレイトが殺されたとき、あの大きな男はステッキをもっていたな。いまだってもっているかもしれん。だが朝、風呂にはいるときにはもってこないだろう。よし、くるまでここでまつことにしよう。おいナゲイナ、おれの声がきこえるか? おれは夜があけるまで、このすずしいところでまつことにするぞ」 外から返事はなかった。ナゲイナはいってしまったらしい。ナグはひとまき、ひとまきと体を水がめの底のふくらみにまきつけていった。リッキ・ティッキは死んだようにじっとしていた。一時間ほどしてリッキ・ティッキは筋肉をひとつずつ動かしながら水がめのほうに近づいていった。ナグは眠っていた。リッキ・ティッキはその大きな背中をみながら、どこにかみつけばいいのか考えあぐねた。「もし最初の一発で、こいつの背骨をかみくだいてしまわないと」リッキ・ティッキは自分にいいきかせた。「こいつは反撃してくる。そしてもしこいつが飛びかかってきたら……これはたいへんだ!」リッキ・ティッキは頭巾の下の太い首をみた。ここは手におえない。それに尻尾の近くにかみつくのは、ナグをおこらせるだけだ。 「頭しかないな」リッキ・ティッキは結局そう考えた。「頭巾の上のところだ。そして一度かみついたら、なにがあってもはなさないぞ」 リッキ・ティッキは飛びだした。ナグの頭は水がめのふくらみの下からちょっとはなれたところにあった。リッキ・ティッキはおもいきりかみつくと、赤い水がめに背中をくっつけて、ナグの頭を床におしつけた。ほんの一瞬のあいだだったが、リッキ・ティッキはそれを最大限に利用した。そのあとはもう犬にくわえられたネズミみたいに、あっちこっちに体をぶつけられた。右へ左へふりまわされ、上になったり下になったりしながら、床の上をぐるぐる大きくまわった。だがリッキ・ティッキは目をまっ赤にして、しっかりかみついたままだった。馬を打つむちのように床の上をころげまわり、ブリキのひしゃくや、せっけんをいれる皿や、体をこするブラシをひっくりかえし、ブリキの風呂おけに音をたててぶつかった。リッキ・ティッキはかみついたまま、いよいよ強く歯をくいしめた。たたきつけられて死んでしまうにちがいないとかくごしていた。そしてどうせ死ぬのなら、一族の名誉にかけても、かみついたまま死にたいと思っていたのだ。頭がくらくらして、あちこちがいたかった。そして体がばらばらになりそうな気がしたとき、うしろでかみなりのような大きな音が響いた。そしてはげしい熱風をうけてなにもわからなくなってしまった。赤い火が毛皮をこがした。物音で目をさましたおとうさんがライフルをもってきて、ナグの頭巾のすぐ下のところに二発うちこんだのだった。 リッキ・ティッキはかみついて目をとじたままだった。自分はもう死んだものと思っていた。だがナグの頭は動かなかった。テディのおとうさんがリッキ・ティッキをつまみあげていった。「アリス、またマングースにたすけられたよ。このちびは、わしたち全員の命の恩人ということだな」テディのおかあさんがまっ青な顔をしてやってきて、ナグの死骸をみた。リッキ・ティッキは体をひきずるようにしてテディの寝室にいき、夜があけるまで体をそっと動かして、戦いのとき想像したように骨がばらばらになっていないかどうかたしかめてみた。 朝、体はがちがちにこわばっていたが、リッキ・ティッキはナグをやっつけたことで大満足だった 。「次は、ナゲイナをどうにかしなくちゃ。だけどナゲイナはナグを五匹たしたよりも危険だからなあ。それにきのう話してた卵がいつかえるかわかったもんじゃない。よし! ダージーにあいにいってみよう」 リッキ・ティッキは朝食をまたずに、イバラのしげみにかけていった。ダージーが声をはりあげて勝利の歌をうたっている。ナグが死んだという知らせはもう庭中に知れわたっていた。掃除番がナグの死体をごみの山の上にすてたのだ。 「なにやってんだよ。まぬけの羽根かざり!」リッキ・ティッキがおこっていった。「歌なんかうたってるときじゃないだろう!」 「ナグは死んだ、死んだ、死んだ、死んだ!」ダージーがうたっている。「ゆうかんなリッキ・ティッキは首にかみつき、はなさない。大きな男がかみなり棒をもってやってくる。ナグはまっぷたつ。うちのひなはもう安全」 「それはほんとうだけどさ、ねえ、ナゲイナはどこにいる?」リッキ・ティッキはしんちょうにあたりをみまわした。 「ナゲイナは風呂場の穴からやってきて、ナグの名前を呼ぶ」ダージーが続けた。「ナグはでてくる、棒のさきにぶらさがって。掃除番はナグを棒のさきにぶらさげて、ほうりなげるよ、ごみの上。さあ、ともにたたえよリッキ・ティッキを。赤目の勇者リッキ・ティッキを!」ダージーは、たからかにうたった。 「ぼくがその巣までのぼっていけたら、おまえのひなをぜんぶはたきおとしてやるところだ!」リッキ・ティッキがいった。「いまなにをするベきか、ちっともわかってないんだから。おまえは巣にいれば安全かもしれないけど、ぼくは下で戦わなくちゃいけないんだぞ。いますぐに、歌をやめろ、ダージー」 「ゆうかんにして美しきリッキ・ティッキのために、うたうのをやめましょう」ダージーがいった。「いったいなんだというのですか、おそろしきナグをしとめた勇者よ」 「もう三度目だぞ、『ナゲイナはどこにいるんだ!』」 「うまやのそばのごみだめのそばでナグの死をいたんでいますよ、白き歯のリッキ・ティッキは偉大なるかな」 「ぼくの自い歯のことなんか、ほっといてくれよ! ナゲイナがどこに卵をかくしているか知らないか?」 「ウリ畑ですよ。へいにいちばん近いところにあります。あそこは一日中、日があたりますからね。何週間かまえからそこにかくしてありますよ」 「それをどうして話してくれなかったんだよ。話す必要がないとでも思ってたのか。へいのすぐそばだっていったね?」 「リッキ・ティッキさん、ナゲイナの卵を食ベにいくんじゃないでしょうね」 「いや、食ベるわけじゃないよ。ねえダージー、もしきみに米つぶほどでも脳みそがあるのなら、うまやまでとんでいって、翼がおれたふりをしてくれないか。そしてナゲイナをこのしげみまでおびきよせてくれ。ぼくはウリ畑にいかなくちゃいけないんだ。もしこのままいけばナゲイナにみつかってしまう」 ダージーは頭がからっぽで、一度にひとつのことしか考えられなかった。ダージーはこう考えた。ナゲイナの子どもも自分の子どもと同じように、卵からかえるのだから、それを殺すというのはよくない、と。しかしダージーのおくさんはのみこみがよく、コブラの卵はやがてコブラの子どもになるということがわかっていた。そこで巣から飛びたった。ダージーはあとにのこって、ひなをあたたかくしてやりながらナグの死をうたった。ダージーは、いくつかの点では、人間の男にとてもよくにている。 ダージーのおくさんは、ごみの山のそばにいるナゲイナの目のまえで、翼をばたばたさせながら大声でいった。「ああ、翼がおれてしまった! ここのうちの男の子が石を投げて、この翼をおってしまった」そういうとダージーのおくさんは、必死に翼をばたばたさせた。 ナゲイナが頭をもたげて空気のもれるような音をたてた。「あたしがリッキ・ティッキを殺そうとしたとき、あいつに声をかけたのはおまえだったね。とんだところで翼をおったものだ」 ナゲイナは地面の上をすベりながら、ダージーのおくさんのほうに近づいていった。 「あの子の石で、翼がおれてしまった!」ダージーのおくさんは悲鳴をあげた。 「そうかい、そうかい。じゃあ死ぬまえにいいことを教えてやろう。あたしがおまえのかたきをとってやる。今朝はナグがごみの山に横たわっているけど、夜になるまえに、あの子も同じように横たわることだろうよ。ほらほら、逃げてもむだだ。つかまるのはわかってるだろうに。ばかだねえ、ほらほら、こちらをみてごらん!」 ダージーのおくさんはそんなことをするほどばかではなかった。へビの目をみた鳥はすくみあがって動けなくなってしまうことくらいわかっていた。そこで翼をばたつかせながら、悲しげに鳴き声をあげ、地面の上をころがっていった。ナゲイナは動きを早めた。 リッキ・ティッキは、ナゲイナたちがうまやからはなれていく音をきくと、へいぎわのウリ畑のはしへ急いでいった。ウリのまわりのあたたかいわらのなかに、二十五個の卵がうまくかくされていた。それほチャボの卵くらいの大きさだったが、からではなくて白っぽいまくでつつまれている。 「あぶないところだった」白っぽいまくのなかでコブラの赤ん坊が体をくねらせているのがみえた。リッキ・ティッキには、コブラは卵からかえった瞬間から人間やマングースを殺すことができるということがわかっていた。 リッキ・ティッキはすばやく卵の頭をかじっては、なかのコブラをかみくだいていった。そしてみのがしてはいないかと、ときどきわらをひっくりかえしてみた。そうしてやっとあと三個になった。リッキ・ティッキはにやっとわらった。そのときダージーのおくさんのさけび声がきこえた。 「リッキ・ティッキ、ナゲイナを家のほうにおびきよせたんだけど、ナゲイナはそのままベランダにはいっていって……早く、早くきてちょうだい……殺すつもりよ!」 リッキ・ティッキは卵をふたつかみくだいた。そして三個目の卵を口にくわえて、ウリ畑をころげるように走っていき、必死に地面をけりながらベランダめざしてかけていった。テディは両親といっしょに早い朝食に集まっていた。だが三人はなにも食べていない。まっ青な顔をして、石のようにじっとしている。ナゲイナがテディのいすのそばのカーぺットの上でとぐろをまいている。やすやすとテディのむきだしの足にかみつくことのできる距離だ。ナゲイナは頭をゆらしなから、勝利の歌をうたっている。 「ナグを殺した男の息子よ」ナゲイナが空気のもれるような声でいった。「じっとしておいで、あたしはまだ準備ができてない。もうちょっとまっとくれ。三人とも、ぴくりとも動くんじゃないよ。動けば、かみつくからね。そう、動かなくても、かみつくよ。 おまえたちはほんとにばかだ。よくも、あたしのナグを殺してくれたね!」 テディの目はおとうさんにくぎづけになっている。おとうさんにできるのは「じっとすわってるんだぞ、テディ。動くんじゃない。じっとしてるんだ、テディ」といいきかせるくらいだった。 そのときリッキ・ティッキが飛びこんできてさけんだ。「こっちをむけ、ナゲイナ。かかってこい!」 「そのうちにね」ナゲイナはそちらをみもしないでいった。「すぐにおまえの相手をしてやろう。ほらリッキ・ティッキ、おまえの友だちをみるがいい。みうごきひとつできずに青くなってるよ。こわいんだろうねえ。ほら、動けやしない。おまえが一歩でも近づいたら、かみついてやるからね」 「おまえの卵をみてくるがいい」リッキ・ティッキがいった。「へいのそばのウリ畑にあるやつを。みてこいよ、ナゲイナ」 大きなコブラは半分ふりむいた。べランダに卵がひとつころがっている。「ああっ、かえして!」ナゲイナがさけんだ。 リッキ・ティッキはまえ足で卵をはさんだ。その目がまっ赤になっている。「へビの卵のねうちはどのくらいかな。コブラの赤ん坊のねうちは? キングコブラの赤ん坊のねうちは? 最後の……赤ん坊たちの最後の一匹のねうちは? ウリ畑にあるほかの卵は、いまごろアリのえさになってるよ」 ナゲイナはくるりとふりかえった。最後の卵のことしか頭になかった。おとうさんは大きな手をのばしてテディの肩をつかみ、ティーカップのならぶテーブルの反対側に、ナゲイナの牙のとどかない安全なところにうつした。 「やあ、ひっかかったな! リッキ・ティック・ティック!」リッキ・ティッキが声をあげてわらった。「あの人間の子はもうだいじょうぶだ。それから、あれはぼくがやったんだよ。きのうの晩に風呂場でナグの頭巾の上にかみついたのはぼくなんだ」そういうとリッキ・ティッキは四本の足をそろえて、頭を床に近づけたまま飛びはねた。「ナグはぼくをふりまわしたけど、ふりほどくことはできなかった。あいつは、うたれてまっぷたつになるまえに、もう死んでいたんだ。ぼくがやったんだ。リッキ・ティック・ティック! さあ、ナゲイナ、かかってこい。ぼくと戦え。すぐにナグのところにいかせてやるぞ」 ナゲイナはテディを殺すチャンスをのがしてしまったことに気がついた。そして卵はリッキ・ティッキのそばにある。「リッキ・ティッキ、どうかその卵をかえしておくれ。あたしの最後の卵をかえしておくれ。そうすれば遠くにいって二度ともどってこないから」ナゲイナは頭をさげていった。 「そうさ、遠くにいってもらうよ。二度ともどってこられないところにね。おまえはナグといっしょにごみの山にいくんだ。さあ、かかってこい! 大きな男はライフルをとりにいったぞ! かかってこい!」 リッキ・ティッキはナゲイナの飛びかかってこられないところを、ぐるぐるはねまわった。その小さな目はまっ赤におこった炭のようだ。ナゲイナは体をちぢめたかとおもうと、ぱっと飛びかかった。リッキ・ティッキは飛びすさった。ナゲイナが飛びかかる。一度、二度、三度。そのたびにナゲイナの頭はベランダのカーぺットの上に落ちて音をたてた。それからナゲイナは腕時計のぜんまいのようにとぐろを巻いた。リッキ・ティッキは円を描くようにはねまわりながら、ナゲイナのうしろをねらった。ナゲイナは目をはなすまいと、すばやくふりむく。ナゲイナの尻尾がカーぺットをこすり、風にふかれて地面をはう枯れ葉のような音をたてた。 リッキ・ティッキは卵のことをわすれてしまっていた。卵はベランダの上にのったままだ。ナゲイナは少しずつそちらに近づき、ついに、リッキ・ティッキが息をついているときに、卵を口にくわえた。そしてくるりとむきをかえてベランダの階段にむかい、矢のように小道を逃げていった。リッキ・ティッキがあとを追った。命がけで逃げるナゲイナは、馬の首にあたるむちのようにするどく、すばやかった。 ナゲイナをつかまえなければ、また同じことのくり返しだ。ナゲイナはまっすぐ、イバラのしげみのわきのたけの高い草むらにむかった。リッキ・ティッキは走った。ダージーは、まだあのばかげた勝利の歌をうたっている。だがダージーのおくさんはりこうだった。ナゲイナがやってくるのをみて、巣から飛びだしてきた。そしてナゲイナの頭のまわりで大きくはばたいた。もしダージーもかせいにきていれば、ナゲイナのむきを変えることができたかもしれないが、ナゲイナはただ頭をさげて、そのまま進んでいった。だがその一瞬のおくれのおかげで、リッキ・ティッキは追いついた。ナゲイナがナグといっしょに住んでいたネズミの穴に飛びこんだとき、リッキ・ティッキの白い歯がその尻尾をとらえた。リッキ・ティッキはいっしょに穴にかけこんでいった。どんなにかしこく知恵のあるマングースであっても、穴のなかまでコブラを追いかけていこうとするものはほとんどいない。穴のなかはまっ暗だった。いつ、穴が広がっているところでナゲイナがむきをかえて、飛びかかってくるかわかったものではない。リッキ・ティッキは死にものぐるいで尻尾にかみついたまま、熱く湿った暗い坂道に足をつっぱって、ナゲイナをとめようとした。 穴の入り口のわきでゆれていた草が動かなくなった。それをみてダージーがいった。「リッキ・ティッキは死んでしまった! リッキ・ティッキの死をいたむ歌をうたわなくちゃいけない。勇者リッキ・ティッキは死んでしまった! ナゲイナは地下でリッキ・ティッキを殺してしまった」 ダージーは即興でとても悲しい歌を作ってうたった。そしてちょうどいちばん心をうつところをうたいかけたとき、また草がゆれた。そして土まみれのリッキ・ティッキが顔をだし、足を一本ずつひっぱりだし、それからヒゲをなめた。ダージーは歌をやめて、短いさけび声をあげた。リッキ・ティッキは毛皮からいくらか土をふりはらって、くしゃみをした 。「これですベて終わった」リッキ・ティッキがいった。「ナゲイナは二度とすがたをあらわすことはないだろう」草のくきのあいだにすんでいる赤アリたちが、リッキ・ティッキのいったことがほんとうかどうかたしかめに、群をなしてぞろそろ穴のなかにはいっていった。 リッキ・ティッキは草のしげみで体を丸くして、そのまま眠りこみ、夕がた近くまで目をさまさなかった。とにかくたいへんな一日だった。 「さあ」リッキ・ティッキは目をさますといった。「家にもどろう。やあダージー『銅なべたたき』にナゲイナが死んだといっておいてくれよ。そうすれば庭中に知らせてくれるから」 ナベタタキ鳥というのは、銅のなべを小さな金づちでたたく音そっくりの声で鳴く。どうしてそんな声でなくのかというと、この鳥はインドのあらゆる庭でふれてまわるのが役目だからだ。そして、ききたい相手にはだれにでも、あらゆるできごとを知らせてやるのだった。リッキ・ティッキが庭の小道をかけていると、銅なベたたきの「きけ、きけ、きけ、きけ、みんな、きけ」という声がした。タ食の時間を知らせる鐘の音のようだった。それからしっかりした声が続いた。「かん、かん、かん! ナグが死んだ……かーん! ナゲイナが死んだ! かん、かん、かん!」それをきいて庭中の鳥がいっせいにうたいだし、カエルまでがしゃがれた声でうたいはじめた。ナグとナゲイナは鳥だけでなく、カエルも食べることがあったのだ。 家につくと、テディとおかあさんとおとうさんがでてきて、リッキ・ティッキをみてなきださんばかりだった。おかあさんは気を失っていたせいで、まだ青白い顔をしている。そしてその晩、リッキ・ティッキはだされたものを全部、満腹になるまで食ベてからテディの肩にのって寝室にいった。夜おそく、おかあさんがテディの寝室をのぞいてみると、リッキ・ティッキはそのままテディの肩の上で眠っていた。 「うちのマングースはわたしたちとテディの命の恩人ね」おかあさんはおとうさんにいった。「ほんとうに、あのマングースのおかげね!」 リッキ・ティッキははっと飛びおきた。マングースは深く眠ることはないのだ。 「なんだ、おかあさんたちか」リッキ・ティッキがいった。「なにを心配してるのかなあ。コブラはみんな死んじゃったし、もしいたって、ぼくがついてるからだいじょうぶだよ」 リッキ・ティッキが自慢するのもとうぜんだった。だがうぬぼれることはなかった。そしてマングースらしく、するどい歯でかみつき、たくましい足で飛びかかって、庭をまもった。へいのなかに頭をつっこむコブラは一匹もいなかった。 ダージーの歌 (リッキ・ティッキ・タヴィをたたえて) わたしは、歌がとくい、ぬい物がとくい…… だから喜びも二倍…… 空をかける喜びの歌がじまんで、 じょうずに縫った巣もじまん…… 上でも下でも、歌をつむぎ……上でも下でも、巣を縫いあわせ。 ひな鳥に歌ってあげよう、もう一度 母鳥も、頭をあげて! われらを苦しめた者は殺され、 庭の「死神」は死んでしまった。 バラのしげみの恐怖はさった……ごみの上で死んでいる。 われらをすくったのはだれ、いったいだれだろう? その巣と、その名を教えよう。 心正しき勇者リッキ、 炎の目をもつティッキ、 象牙の歯をもつ、炎の目の狩人、リッキ・ティッキ・ティッキだ。 すベての小鳥よ感謝をささげよ、 尾羽根をひろげて、頭をさげよ! ナイチンゲールの言葉でほめたたえよ…… いや、わたしがほめたたえよう。 さあ、きけ! こん棒みたいな尻尾をもつ、赤目のリッキをたたえる歌をうたおう! (ここでリッキ・ティッキがじゃまをしたので、あとは不明。) 三 次回予告 ええ、今回に引き続き、『ジャングル・ブック』の動物編のなかより、もうひとつ。 ☆それでは次号で! |
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