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1 固有名詞はむつかしい・アゲイン 以前一度、固有名詞はむつかしいという話を書いたことがあるのだが、再び、それを痛感してしまった。いまちょうどウォルター・ディーン・マイヤーズの『145番通り』という短編集の校正をしているところなのだが、それでちょっと大変だった。145番通りというのはニューヨークはマンハッタンの北のほうにある通りで、黒人やヒスパニックの住んでいるスラム街。だからヒスパニックの名前がしょっちゅう出てくる。問題は、これをどう訳すか……だ。つまり英語読みするのか、スペイン語読みするのか。テリーザなのかテレサなのか、ファーナンドなのかフェルナンドなのか、マライアなのかマリアなのか……ということ。そこで作者にたずねたら、「スペイン語の発音にしてくれ」とのことだった。 しかしこのなかに「アンジェラの目」というとてもいい短編があるのだが、これもスペイン語の発音にすると「アンヘラの目」になってしまう。さてさて、アンジェラだけは英語読みにしたいような気もするのだが……どうなるか……気になる方は12月に出るこの本をめくってみてほしい(ちなみに、これは宮坂さんとの共訳で小峰書店から) 2 ケアレスミスについて とにかく、ケアレスミスをするな、少しでも不安があったら必ず調べろ……と、いつも自分にいいきかせているのに、なぜかケアレスミスはなくならない。それもあとで考えれば、「なんであのとき!」と後悔するようなばかばかしいミスばかりが続く。後悔先に立たず……後悔役に立たず……だと思う。 先日、TBSブリタニカの「PEN」という雑誌をめくっていて、ふと気になったコラムがあった。ベジタリアン(菜食主義)という言葉はベジタブル(野菜)という言葉から派生したのではないという内容のものだった。へえ、そうなんだ、と思って、辞書をあれこれ調べたら、やはりベジタリアンはベジタブルから派生しているらしいことがわかった。今までその手の間違いについて出版社に手紙を書いたのは二度ある。一度は草思社から出ている鮨屋さんの書いたエッセイの帯で、「流れに棹さす」という言葉の意味が間違っていたときと、あともう一度は、辞書の間違いだった。草思社からはなんの返事もなかったけど、すぐに帯の文句は変わった。もうひとつの辞書の間違いについては、すぐに出版社から手紙が届いた。 いままでに二度しかないということでもわかると思うが、こういう面倒なことはそもそも面倒で、まずは放っておくのだが、今回、「PEN」はたまに買う、好きな雑誌なので、手紙を書いてみることにしたた。そもそも、ベジタリアンの語源を多くの人々に間違って覚えてもらっては困るなあ……という気持ちもあったし。 面白いので、手紙の一部を紹介しておこう。 ……「笑う食卓」のなかの次のような部分です。 「ベジタリアンは、野菜のベジタブルから派生した言葉だと思っていたけど、違うんだね。ラテン語の『VEGETUS』から来てるとなんかの本で読んだことがある。生命力にあふれた、という意味の言葉らしい」 定番の「オクスフォード・イングリッシュ・ディクショナリー」で「vegetarian」をひきますと最初に、次のようにあります。 「vegetarian: The general use of the word appears to have been largely due to the formation of the Vegetarian Society at Ramsgate in 1847」 この菜食者協会についてはネットなどで簡単に調べることができます。 というわけで、やはりvegetarianはvegetableから派生した言葉なのです。 おそらく立石氏は、vegetableの語源と混同なさったのだと思います。 いっしょにお送りしたコピーは研究社の「大英和」からのものですが、このvegetableのところをみますと、その語源が「活性化させる、元気にさせる」という意味のvegetareであることがわかります…… というふうな内容。この「笑う食卓」のエッセイの場合、やはりまずいのは「なんかの本で読んだことがある」というくだりだろう。大学院で論文を書くときに、必ずいわれるのは「第一資料にあたれ」ということ。つまり、引用の孫引きをするな……ということだ。これは翻訳でもいえることで、孫引き、また聞きは必ず、原典にあたって調べ直すことが必要。最近ネットでの調べ物がとても便利になって、翻訳者に限らず、多くの人々がその恩恵をこうむっているが、これについてもひとつ注意を促しておきたい。ネットで調べがついたからといって、それをそのまま鵜呑みにしてはいけない。もちろん、ちゃんとした資料がそのまま載っている場合や、政府刊行物などの場合は、それなりの信憑性はあるが、その他の個人的なサイトで調べたことを、はいはいとそのまま信じてはいけない。ネットというのは、ある意味、とても恐い。 なんにしろ、個人の発する情報が(とても無責任で乱暴なものもふくめ)とんでもなく広く早く伝わる現在、それを受け取る側もかなり慎重にならなくてはならないと思う。 たとえば、ここで次のようなことを書いたとしよう。「『笑う食卓』というエッセイで読んだんだけどさあ、ベジタリアンって、ベジタブル(野菜)から派生した言葉じゃないんだって……」 するとかなりの人が、へえ、と思って、次の日にはほかの人に話しているかもしれない。 そもそも、十五年以上も大学で教えてきたわけだが、ずいぶんと嘘を教えてきた。アメリカではアイス・コーヒーを飲まない、とか。今でも信じてる学生、かなりいるんだろうな。あと、南半球では水の渦の巻き方も北半球と逆、台風の渦も逆、それに太陽は西から昇る……これはほんの冗談でいったつもりだったんだけど、どうやら本気にしている学生がいて、学年最後のレポートに「南半球では太陽が西から昇るとは知りませんでした。目から鱗が落ちた思いです」と書いてきた。もう授業ないし、大学の掲示板に、「あれは、冗談です」と出すわけにもいかず、そのままになってしまった。もしかしたら、あの女子大生、今ごろはいいお母さんになっていて、子どもにそう教えてるのかなあ…… しかしそれにしても、気になるのは、ベジタブルの語源がなぜ「活性化する、元気にする」という意味のラテン語(?)からきてるんだろう? どなたか、ご存じのかたがいらっしゃったら、ぜひ、お教え下さい。野菜は体にいいという意味ではないと思う。 3 さて、差別用語 今回は前回でおしらせした通り、キプリングの『ジャングル・ブック』のなかから「白いオットセイ」の翻訳がメイン。が、このなかでひとつ、'killing-grounds'という英語がぴったりの日本語にならず、困ってしまった。人間がオットセイを群れから追い立てていって、まとめて殺す場所のことなのだが、いい訳語がない。昔なら、「屠殺場」ですんだのだが、いまでは差別用語で使えなくなってしまった。かわりに「畜殺場」とか「屠場」という言葉があるけど、あまり使いたくない。しかしどちらかを使う以外ないんだろうな。 そういえば、『ブッチャー・ボーイ』というとてもいい映画があるんだけど、映画館での上映はなく、ビデオで出たまま。もっと悲惨なのは、この原作。アイルランドを舞台にした傑作で、教え子の冨永さんがぜひ訳したいといってたけど、内容的に無理らしい。というのも、この作品、じつは扶桑社が一度版権をとって、翻訳もあがっていたらしいのだが、かなり差別的な部分があって、結局、出版されないままになっている。興味のある方は、ビデオでみるか、原書で読んでみるといい。お勧めです。 しかしそれにしても、翻訳をしていていつも不思議なのは、日本だけが異様に差別表現にうるさいことだ。たとえば、英語の場合、'dumb, blind, crazy, cripple, deaf, etc'どれも普通に使っている。もちろん、かなり差別的な意味で使われていることが多いわけで、それを差別表現なしで訳さなくてはならないというのは、かなり悩ましい問題ではある。 4 「白いオットセイ」 白いオットセイ さあ、夜がすぐそこまでやってきた。おねむり、ぼうや 緑に輝いていた海も、今は黒い。 波がうねるその上で、月はこちらをみおろすよ さあさあ、波間でひとやすみ。 寄りあう波は、おまえのやわらかい枕 かわいいぼうや、つかれたら、すきなように体をまげて。 あらしもおまえをおこしはしない、サメもおまえを食ベたりしない、 ゆっくりおやすみ 、ゆっくりゆれる海の腕にいだかれて。 オットセイの子もり歌 これから話すことはすベて何年かまえに、セントポール島のノヴァストシュナ、つまり北東岬でおこったことだ。セントポール島は、はるかベーリング海のかなたにある。この話はミソサザイのリマーシンが教えてくれた。リマーシンは風にふきとばされて、日本行きの船の帆網にぶつかってしまったのだ。わたしはリマーシンを船室につれていき、あたたかくしてやって食ベ物をやった。二日ほどするとリマーシンはまたセントポール島にとんでいけるようになった。こいつがまたとても奇妙な小鳥なのだが、ほんとうのことを話すこつをこころえているんだ。 ノヴァストシュナにやってくるのは用のあるものだけだ。そして、いつもきまって用があるのはオットセイだ。オットセイは夏の数カ月のあいだ、何百万頭と群れをなして冷たい灰色の海からここにあがってくる。というのはこの季節、オットセイにとってノヴァストシュナほどくらしいい場所は世界中どこをさがしてもないからなのだ。 シーキャッチはそのことを知っていて、毎年春になるとどこにいようが、まるで魚雷艇のようにまっすぐノヴァストシュナめざして泳いでくる。そしてひと月ほど、ほかのオットセイと戦いながらすごし、少しでも海に近い岩場を確保しようとする。シーキャッチは一五歳の大きな灰色オットセイで、両肩にはかたい毛がたてがみのようにはえていて、長くおそろしげな牙をもっている。まえびれで体をささえてのびあがるときには、頭は地上から一メートル五十センチほどもちあがり、その体重は、もしそれを計る勇気をもっている者がいるとすればだが、三百キロを軽くこすにちがいない。シーキャッチの体には、はげしい戦いの傷あとがいたるところにあった。だがいつだって、もう一戦いどむだけの気力をもっていた。シーキャッチは、相手の顔をまともにみるのがこわいとでもいうように、頭をかしげてみせ、それから稲妻のように頭からつっこんでいくのだ。その大きな牙で首をぐさりとやられたら、相手はもう逃げるしかない。が、シーキャッチは相手をたすけたりはしない。 しかし負けたオットセイを追いかけることもない。それは海辺のおきてで禁じられている。シーキャッチはただ海のそばで子どもを育てる場所を確保しようとしているだけなのだ。しかし春になるといつも、四、五万頭のオットセイが同じことを考えるので、海岸でははげしく息をはく音と、ほえたりうなったりする声と、オットセイがぶつかりあう音がいりまじって、おそろしい響きになる。 ハッチンソンの丘からは、五キロ四方の海岸せましとけんかをしているオットセイがみえる。そして打ち寄せる波のいたるところにオットセイの頭が点々とみえる。みんな早く陸にあがって、戦いに加わろうといそいでいるのだ。オットセイたちはくだける波のなかで戦い、砂浜で戦い、子どもを育てるのにもってこいのなめらかな岩の上で戦っている。 オットセイというのは人間と同じようにおろかで、いっしょになかよくくらすことを知らないのだ。春さきにやってくるのは雄のオットセイだけで、雌は五月のおわりか六月のはじめにならないとやってこない。雌のオットセイたちは体を傷だらけにされるのはごめんだからだ。そして二歳、三歳、四歳といった、まだ家族をもたないオットセイたちは、いくえにもなってけんかをしている大人のオットセイのあいだを通って、海岸から一キロほどはなれた砂地にいき、みんなであそぶ。そのせいでそこにはえている木や草は一本のこらず、こすりとられてなくなってしまうのだった。こういったおさないオットセイはハラスチッキー、つまりひとりもののオットセイと呼ばれている。ハラスチッキーは、このノヴァストシュナだけで三十万頭はいるだろう。 春になってシーキャッチが四十五回くらいの戦いをこなしたころ、やわらかくしなやかな体で、やさしい目をした妻のマトカーが海からすがたをあらわした。シーキャッチはマトカーのえり首をかんでもちあげ、まもってきた場所にどんとおろし、ふきげんな声でいった。「おまえはいつもおそいな、いったいどこにいってたんだ?」 シーキャッチは海辺にいる四カ月のあいだはなにも食ベないことにしているので、たいていはきげんが悪いのだ。マトカーはいいかえしたりするほどばかではなかった。マトカーはあたりをみまわして、うれしそうな声をあげた。「あなたって、ほんとうにやさしいわね。いつもと同じ場所をとっておいてくださるなんて」 「まあな」シーキャッチがいった。「この体をみろ!」 シーキャッチの体には血の流れている傷が二十ほどもあり、かたほうの目はほとんどみえないくらいにはれあがり、わき腹はずたずたになっている。 「男ときたら、ほんとうにもう!」マトカーは後ろびれで体をあおぎながらいった。「もう少し分別というものを身につけて、自分の場所でしずかにしていればいいものを。あなた、まるでシャチと戦ってきたようじゃありませんか」 「わしは五月のなかば以来、けんかに明け暮れてきた。今年の海岸ときたら、うんざりするほどこんでいてな。ルカナン海岸から泳いでくるとちゅうで、少なくとも百頭のオットセイにであった。みんなすみかをさがしにきているんだ。どうして、どいつもこいつも自分の分というやつをこころえていないのかな」 「こんなにこんだところじゃなくて、カワウソ島にでもいけばずっと幸せなくらしができるんじゃないかって、よく思います」マトカーがいった。 「ばかもの! カワウソ島にいったりするのはハラスチッキーくらいのもんだ。あんなところにいってみろ、いいわらいぐさだ。いいか、わしらには体面というものがあるんだからな」 シーキャッチはがっしりした肩のあいだに頭をひっこめて、 ちょっとねむるようなふりをした。だが、いつもするどく目を光らせて戦いにそなえているのだ。 雄のオットセイとその妻たちが全員集まると、そのさわぎは何キロも沖の海まできこえる。それはどんなに強い風がふいていようが同じだ。そして海岸には少ないときでも百万頭以上のオットセイがいた。大人のオットセイ、母親のオットセイ、オットセイの赤ん坊、ハラスチッキーたちが、けんかをしたり、とっくみあいをしたり、大声でほえたり、はいまわったり、あそんだりしながら、いっしょになって海岸までおりてきて海にとびこんでは、またいくつかの群れにわかれて海からあがってきて、ねころぶ。そうなるとみわたすかぎりオットセイでうまってしまい、それからまた霧のなかでそれぞれ群れに分かれ、こぜりあいがはじまる。ノヴァストシュナではほとんどいつも霧がかかっている。霧がはれるのは太陽が顔をだすときだけで、そのときには、ほんのわずかな時間だが、日光をうけてすベてが真珠色に、虹色に輝くのだ。 そんなさわぎのまっさいちゅうにマトカーの子どもコウティックが生まれた。オットセイの赤ん坊というのはだいたいそうなのだが、生まれたときは頭と肩だけがばかに大きく、うるんだような薄い青色の目をしていた。だがその毛皮がちょっと変わっていて、マトカーは目を丸くしてみつめた。 「ねえ、あなた」マトカーがようやく口を開いた。「うちの赤ちゃん、体が白っぽいわよ」 「からっぽのハマグリ、ひからびた海藻!」シーキャッチがばかにしていった。「いままでこの世に白いオットセイなぞ生まれたためしはない」 「そんなこといっても、しようがないでしょう」マトカーがいった。「いま生まれたんですから」 マトカーは小さな声で低くオットセイの歌をうたった。それは母親のオットセイがかならず赤ん坊にうたってやる歌だった。 生まれて六週間たつまでは、泳いではいけません。 ひっくりかえってしまうから。 それから夏のあらしとシャチは 赤ん坊オットセイにはとても危険。 いいかい、とてもとても危険だからね、 とってもとっても危険だよ。 でも水をきって、たくましくおなり、 そうすれば、もうだいじょうぶ。 大海原の子どもたち。 もちろん赤ん坊にはなにをうたっているのかわかるはずはない。ただ母親のそばで、ひれをばたばたさせて、よたよたしているだけだ。そして父親がほかのオットセイとけんかになって、ほえ声をあげながら、つるつるすべる岩の上をくんずほぐれつの戦いをはじめると、じゃまにならないようにあわてて逃げることをおぼえるのだった。マトカーはよく海に食ベ物をとりにいった。赤ん坊は二日に一度くらいしか食ベ物をもらえなかった。しかし食ベられるものはなんでも食ベて、大きくなっていった。 コウティックが最初にしたことは、陸のほうにはっていくことだった。そこには一万頭ほどのおない年の赤ん坊がいた。赤ん坊たちは子犬のようにいっしょにあそび、きれいな砂の上でねむっては、またあそんだ。海岸にいる大人のオットセイたちは、赤ん坊たちには目もくれず、ハラスチッキーたちは自分たちの居場所からはなれることはなく、赤ん坊たちは楽しくあそんですごすことができた。 マトカーは海深くで魚をあさってもどってくると、まっすぐに赤ん坊たちのあそんでいるところにいって、母ヒツジが子ヒツジを呼ぶような声をあげた。そのうちコウティックがへんじをするのがきこえると、それこそ一直線にそちらにむかっていくのだ。まえびれで、赤ん坊のオットセイたちを右に左にはねのけ、後ろびれでけとばしながら進んでいく。あそび場ではいつも数百頭の母オットセイが自分の子どもをさがしていて、赤ん坊たちははしゃぎまわっている。 だがマトカーはコウティックにこういうのだった。「どろ水でねころんで、ひふ病にかからないかぎり、切り傷やすり傷に大きな砂をすりこまないかぎり、あれた海で泳がないかぎり、おまえは安全だからね」 おさないオットセイは、人間の子どもと同じでほとんど泳げない。そして泳ぎをおぼえるまでは、どうもおちつかない。最初に海にはいったとき、コウティックは波にさらわれて背のたたないところまでつれていかれた。母親から歌で注意されたとおり、大きな頭が水にもぐり、小さな後ろびれが空をきった。もし次の波がおしもどしてくれなかったら、おぼれていたところだろう。 そのことがあってから、コウティックは、軽く波をかぶるくらいの潮だまりにいて、波がきたら体をうかせてひれを動かすことにした。だが、大きな波にはいつも気をつけていた。ひれの使いかたをおぼえるまでに二週間かかった。その二週間というものずっと、コウティックは海にはいってはもがきながらでてきて、せきをしたりうなったりしながら浜辺をよじのぼり、砂の上でうたたねをしてはまた、おりていくのだった。 そしてようやく全身が海になじむようになった。 まあ、コウティックがなかまとあそんでいるところを想像してみてほしい。大きな波の下にもぐっては、波頭に顔をだして、そのまま海岸をどこまでもかけあがってくる波にのり、水しぶきとともに砂にぶつかってみたり、おとなのオットセイみたいに、尻尾でたちあがってひれで頭をかいてみたり、海面に顔をのぞかしている海藻におおわれたつるつるすベる岩の上で「お山の大将」になってみたり、といった調子だ。 ときどき大きなサメのひれににた、細いひれがふらふらと海岸に近づいてくることがある。コウティックにはそれがシャチのひれだということがわかっていた。子どものオットセイをつかまえて食ベるつもりなのだ。コウティックはそれをみると矢のように海岸に逃げ帰ることにしていた。すると細いひれはゆっくり輪をかきながら、ベつに用はなかったんだといったようすで、沖のほうにいってしまうのだった。 十月もおわりになるとオットセイたちは家族や親戚でかたまってセントポール島をはなれ、深い海をめざしていく。そうなるともう縄張りあらそいはなくなり、ハラスチッキーたちはどこでも好きなところであそベるようになる。「来年には」マトカーがコウティックにいった。「おまえもハラスチッキーのなかまいりだね。でも今年は魚のつかまえかたをおぼえなくちゃいけないよ」 オットセイたちはそろって大平洋を泳いでいく。マトカーはコウティックに海でのねむりかたを教えてやった。オットセイはひれをわきにくっつけて、あおむけになり、小さな鼻を水面にのぞかせてねむるのだ。太平洋の大きくゆるやかな波ほど気持ちのいいゆりかごはない。コウティックは体じゅうがむずむずするのを感じた。マトカーはそれをみて「おまえも海を感じるようになったんだね」といった。「むずむず、ぴくぴくするのは、あらしがくるのを体が感じとっているんだよ。そういうときには、いちもくさんに逃げなくちゃいけない」 「そのうち」マトカーは続けた。「どこに逃げればいいかわかるだろうけど、今はイルカについていくことにしましょう。イルカというのはとてもかしこいからね」 イルカの群れが海にもぐっては水を切るように進んでいた。まだおさないコウティックは必死にその群れについていった。「どこにいけばいいか、どうしてわかるの?」コウティックがあえぎながらたずねた。群れの先頭のイルカはあきれたように白い目を見開き、海にもぐった。 「この尻尾がむずむずするんじゃよ」イルカがこたえた。「ということは、あらしがうしろからきとるということじゃ。さあ、いそげ! だが『熱い水』(イルカの言葉で赤道のこと)の南にいるときに尻尾がむずむずしたら、あらしはまえからきているということじゃ。そういうときには、北に逃げなくちゃいかん。さあ、いそげ! 海があれてきたぞ 」 これはコウティックがおぼえたたくさんのことの、ほんのひとつだった。コウティックにはいつだっておぼえることがあった。マトカーからいろんなことを教わった。海底の州でタラやカレイをとる方法や、海藻にかくれた穴にひそむイタチダラをひっぱりだす方法。水深百ひろの海底に横たわる難破船のまわりをまわっては、魚のように、ライフルの弾丸みたいに速く窓につっこんでいっては窓からでてくるときの心得。空をクモの巣のように稲妻が走っているときに、波の上でおどるにはどうするか。尾羽の短いアホウ鳥やグンカン鳥が風にのっておりてくるときには、礼儀正しくひれをふってあいさつすること。イルカみたいに海面から一メートルから一メートル五十センチの高さまでジャンプするには、ひれをぴったり体につけて尻尾を曲げること。トビウオは骨ばかりなので、食べないこと。水深十ひろあたりでタラをみたら、全速力で近づいてその肩にかみつくこと。泳ぐのをやめて船をみたりしてはならない、とくに手こぎのボートには気をつけること。コウティックは六カ月目のおわりごろには、海での漁にかんして必要なことはすベておぼえてしまった。そしてそのあいだ、ひれをかわいた地面に置くことは一度もなかった。 そんなある日のこと、コウティックは南太平洋のファンフェルナンデス諸島の沖のあたりの温かい水のなかでうとうとしていた。全身がだるくて、ねむくてしょうがない。人間も春めいてくるとそんなふうに感じる。それと同じだ。コウティックは、一万一千キロもはなれているノヴァストシュナの岩だらけの海岸をなつかしく思い出した。なかまといっしょにしたあそびや、海藻のにおいや、オットセイのほえる声や、けんかのことを。次の瞬間、コウティックはくるりと北をむき、元気に泳ぎはじめた。とちゅうで何十頭ものなかまにあった。目的地はみな同じだった。「やあ、コウティックじゃないか! ことしはぼくたちもハラスチッキーだな。ルカナン沖の波頭で『炎のおどり』をおどったり、新しい草の上であそんだりできるんだ。でも、きみはどこでそんな毛皮を手にいれたの?」 そのころコウティックの毛皮はほとんどまっ白になっていた。コウティックはそれがじまんだったが、ただこう答えただけだった。「いそいで、いこう! あの島にいきたくて、骨がうずいてしようがないんだ」 こうしてオットセイたちは全員、生まれた海岸にもどってきた。自分たちの父親やほかのおとなのオットセイが、波のようにうねる霧のなかでけんかをしている声がきこえた。 その日の夕方、コウティックはほかの一歳のなかまといっしょに「炎のおどり」をおどった。夏の夕方にはノヴァストシュナからルカナン海岸にいたる海は一面まっ赤に燃えあがる。海を泳ぐと、そのあとに燃えあがる油のすじができ、ジャンプすると、赤い火花がとびちり、波がくずれるときには無数の赤いしま模様とうずができるのだった。 そのあとでコウティックたちは陸にあがって、ハラスチッキーの場所にいった。そして新しく生えた野生のムギのなかでころげまわり、大海原でなにをしてきたか話した。男の子たちが木の実をひろった森の話をするように、オットセイたちは太平洋の話をした。もしオットセイの言葉がわかる人がいたら、そこにいってオットセイたちの話をきいてみるといい。いままでなかったような海図ができあがることだろう。 三歳や四歳のハラスチッキーがハッチンソンの丘からおりてきてけたたましくさけんだ。「どけ、どけ。がきはどいてろ! 海は深いぞ。おまえたちはまだ海になにがあるかわかっちゃいない。ホーン岬をまわるまでは、でかい顔するんじゃない。おい、おまえ、どこでその白い毛皮を手にいれたんだ?」 「手にいれたんじゃない」コウティックがいった。「ぼくのが白くなったんだい」 コウティックが相手をひっくりかえしてやろうとしたとき、黒い髪ののっぺりした赤ら顔の人間がふたり、砂丘のむこうからやってきた。それまで人間をみたことのなかったコウティックはせきばらいをしておじぎをした。ハラスチッキーたちはそろって数メートルうしろにさがると、ぽかんとそちらをみつめた。この男たちは、この島のオットセイ狩りの頭ケリック・ブーテリンとその息子のパタラモンだった。ふたりはオットセイが子どもを育てる島から一キロもはなれていない小さな村からやってきた。オットセイをかこいに追いこんで殺し、その皮でジャケットを作るつもりだった 。オットセイはヒツジと同じで簡単に追いこむことができるのだ。 「父さん!」パタラモンがいった。「みて、白いオットセイがいる!」 ケリック・ブーテリンの油とすすでよごれた顔から血の気がすっとひいた。ケリック・ブーテリンたちはアレウト族のひとりだった。アレウト族はあまり顔をあらうことがない。ケリック・ブーテリンはお祈りをつぶやきはじめた。 「パタラモン、あれにふれてはいかんぞ 。わしは白いオットセイなど一度もみたことがない……生まれてこのかたな。あれはザハロフの生まれかわりかもしれん。去年の大あらしで死んだザハロフのな」 「そばによりたくもないよ」パタラモンがいった。「不吉だもの、ほんとうにザハロフじいさんの生まれかわりかなあ。ぼく、じいさんからカモメの卵をいくつかもらったままで、まだおかえしをしてないんだ 」 「みるんじゃない」ケリックがいった。「あの四歳のオットセイの群れを追っていくことにしよう。きょう村の連中は二百頭ほど皮をはぐつもりでいるが、なあに、まだ季節もはじまったばかりで、連中だってまだ仕事になれちゃいない。百頭ぐらいでいいだろう。さあ、いそげ!」 パタラモンはハラスチッキーの群れのまえで、オットセイの肩の骨をふたつあわせたものを鳴らした。ハラスチッキーたちははっと動くのをやめて、あらい息をした。そしてパタラモンが近づいていくと、オットセイたちは動きはじめ、それをケリックが海岸からはなれたところに先導していった。オットセイたちはけっしてなかまのところにもどろうとはしなかった。何十万頭ものオットセイが、その群れが追いたてられていくのを目にしたが、みんなそれまでと同じようにあそび続けている。それをみて不思議に思ったのはコウティックだけだった。なかまはだれも、なんの説明もできず、ただ人間たちは毎年いつも六週間から二カ月くらいのあいだ、ああやってオットセイを追いたてていくのだというだけだった。 「ついていってみるよ」コウティックは目を顔からとびださんばかりにして、その群れのあとをばたばたと追っていった。 「白いオットセイがうしろをついてくる!」パタラモンがさけんだ。「オットセイが一頭 だけで、屠場にやってくるなんてはじめてのことだよ」 「うるさい! うしろをみるな」ケリックがいった。「あれはまちがいなく、ザハロフの 生まれかわりだ! 村の坊さんに話さなくては」 屠場までは五百メートルそこらだったが、つくまでに一時間かかった。というのはあまりいそがせるとオットセイたちは興奮してしまって、皮をはぐころにはあちこちすりむけてしまうからだ。そんなわけでオットセイたちはゆっくりと「アシカの首」のまえを通り、「ウェブスターの家」のまえを通り、ようやく「塩の家」についた。そこはちょうど海岸にいるオットセイからはみえないようになっている。コウティックは首をかしげ、心臓をどきどきさせながらついていった。もう世界の果てにいるのではないかと思ったが、うしろでは海岸のオットセイたちのほえ声が、まるでトンネルのなかを走る汽車のごう音のように響いている。 ケリックはコケの上に腰をおろして、重い錫の懐中時計をとりだし、群れをおちつかせるために三十分ほどまった。コウティックの耳には、霧が水滴になってケリックの帽子のつばから落ちる音がきこえた。それから十数人の男がそれぞれ、鉄の板をまいた一メートルくらいのこん棒をもってやってきた。ケリックが、群れのなかでなかまにかまれたり、興奮しすぎているオットセイを一、二頭、指さした。男たちはセイウチののどの毛皮で作ったごつい長ぐつで、そのオットセイをけって、わきに追いやった。 「さあ、はじめようか!」ケリックが声をかけた。 男たちは手ばやくオットセイの頭をこん棒でなぐっていった。 十分後、コウティックのなかまはすべて変わりはてたすがたになっていた。みんな鼻の頭から後ろびれまでくるりと皮をはがれて、地面の上にほうり投げられ、小さな山になっていた。 コウティックはもうたえられなかった。背をむけると、海にむかってかけだした。ほんの少しのあいだなら、オットセイはとても速くかけることができた。コウティックの生えたばかりの短いヒゲは、おそろしさでさかだっている。波うちぎわに大きなアシカがすわっている「アシカの首」までくると、コウティックは冷たい水に頭からとびこんだ。そして海のなかでゆらゆらゆれながら、悲しそうにあえいだ。 「そこにいるのは、なにものだ?」一頭のアシカがぶっきらぼうにいった。アシカのすむところに、ほかのものがはいるのは禁じられていた。 「スクークニー! オーチェン・スクークニー!(悲しいよう、ぼくは悲しいよう)」コウティックがいった。「あいつらは海岸にいるハラスチッキーをみんな殺すつもりなんだ!」 アシカは陸のほうをむいていった。「ばかばかしい! おまえのなかまたちときたら、いつもうるさくてかなわん。おまえはケリックがオットセイの群れを殺すのをみたにちがいない。ケリックはもう三十年もあれをやっているのだ」 「ぞっとしちゃった」コウティックはいった。 そのとき波がおそいかかってきてコウティックをのみこんた。コウティックは波にさからって、スクリューのようにひれを動かした。ぎざぎざの岩のはしから十センチほどのところで、コウティックの体は頭を上にしてとまった。 「ほう、わかぞうにしてはじょうできだ!」アシカがいった。アシカは、泳ぎのうまいへたをみわけるしっかりした目をもっていた。「さっきの話だが、たしかにおまえにしてみればおそろしい光景だっただろう。だがおまえたちオットセイが毎年ここにやってくれば、それはとうぜん人間の知るところになる。だからおまえたちが人間のけっしてやってこないような島をみつけないかぎりは、いつも追われて殺されてしまうだろう」 「そんな島はないの?」コウティックがたずねた。 「わしもオオヒラメをおいかけて二十年になるが、いまだにそんな島はみたことがない。だが、おまえは目上の者と話すのが好きそうだから、どうだ、セイウチ島にいってシーヴィッチと話してみろ。やつらならなにか知っているかもしれん。ほら、そんなふうにせわしく泳いではいかん。十キロはあるからな。わしならまず陸にあがって、昼寝をしてからにするだろうよ」 コウティックはそのとおりだと思い、泳いでオットセイの海岸にいき、陸にあがって、オットセイがよくするように、あちこちねがえりをうちながらねむった。それからまっしぐらにセイウチ島にむかった。セイウチ島は岩でできている低く平らな島で、ノヴァストシュナの北東に位置し、あるものといえは岩棚とカモメの巣だけだった。そしてこの島にセイウチが群れをなして住んでいるのだ。 コウティックは年よりのシーヴィッチのすぐそばにあがった。シーヴィッチは北太平洋に住むセイウチで、大きくて、みにくく、ずんぐりしていて、あちこちにできものができていて、首は太く、長い牙をもっていた。そしてねているとき以外は礼儀もなにもあったものではない。コウティックがやってきたときは、後ろびれを打ちよせる波に半分ほどつけて、ねむっているところだった。 「おきてよ!」コウティックが大声でいった。というのはカモメたちがうるさくてしようがなかったからだ。 「ほっ、ほう! ふっ、ふむ! なーんだ?」シーヴィッチはそういうと、となりのセイウチを牙でなぐっておこした。となりのセイウチはそのとなりのセイウチをなぐり、そのまたとなりがとなりをなぐっていって、ついに全員が目をさまし、あらゆる方向に目をやったが、だれもが見当ちがいのほうばかりみていた。 「ほら、こっちだよ!」波のなかで泳ぎまわるコウティックは、小さな白いナメクジみたいにみえた。 「ほう、こりゃおどろいた。皮をはがされちまったくらいにおどろいたぞ!」シーヴィッチがいった。セイウチたちはみんなじろじろコウティックをみている。ねむそうな年よりばかりの酒場で男の子をみるような感じだ。 コウティックはそのとき、これ以上皮をはぐなんて言葉をききたくなかった。もういやというほどみせつけられたのだから。そこでコウティックは大声で呼びかけた。「オットセイのいけるところで、人間のこない場所はないんですか?」 「まあ、さがしてみるがいい」シーヴイッチは目を閉じた。「さ、いけいけ! わしらはいそがしいんだ」 コウティックはイルカのようにジャンプして空中にとびあがり、声をかぎりにさけんだ。「貝あさり! 貝あさり!」コウティックにはわかっていた。セイウチは一生のうち一度だって魚をつかまえることはなく、いつも貝や海藻をあさっているくせに、かっこうだけはすごくこわそうにみせかけようとしているのだ。いつもさわぎの種をさがしているたくさんの海鳥たちがコウティックのさけび声を耳にして、それとばかりにはやしたてた。それは……リマーシンがわたしに語ったところによると……そのあとも五分くらい、セイウチ島でライフルを撃ってもその音がきこえないくらいのさわがしさだったらしい。島に住んでいるあらゆる鳥たちが声をかぎりにさけび続けた。「貝あさり! おいぼれ!」 シーヴィッチは右に左に体をゆらしながら、せきばらいをして、ふきげんな声をあげた。 「さあ、話してくれる?」コウティックは息をきらせながらたずねた。 「シーカウにききにいけ」シーヴィッチがいった。「あいつがまだ生きているとしたら、教えてくれるかもしれん」 「シーカウにあっても、ぼくにはわからないよ」コウティックはむきをかえていった。 「世界中でシーヴィッチよりもみにくい生き物がシーカウだ」一羽の海鳥がシーヴィッチの鼻の下でくるっとまわりながらいった。「もっとみにくくて、もっと礼儀知らずだ!」 コウティックは、海鳥たちをさけぶにまかせて、ノヴァストシュナにもどった。しかしオットセイのためのやすらぎの場所をみつけようというコウティックの考えに賛成してくれるものは一頭もいなかった。みんながいうには、人間というのはいつもハラスチッキーを追いたてていくものだし……それは毎日の日課みたいなもので……もしいまわしいものをみたくないのなら屠場にいかなければそれでいいのだ、というのだ。といってもオットセイのなかで、なかまが殺されるところをみたことのあるものはコウティックだけだった。コウティックとほかのなかまとのちがいはそこにあった。それにコウティックは白いオットセイだった。 「おまえの義務はだな」シーキャッチが、息子の冒険話をきいて、いいきかせた。「 大きくなって、わしみたいにでっかいオットセイになって、海岸に子どもを育てる場所を確保することだ。そうすれば人間どもも、もうおまえにはかまわないでいてくれる。 あと五年もすれば堂々と戦える立派なオットセイになってなくてはいかんのだぞ」 やさしい母のマトカーでさえ、こういった。「人間に殺されるのをとめるのはおまえに は無理よ。海にいってあそんできなさい、コウティック」 コウティックは重い小さな心をかかえて、その場をさり、炎のおどりをおどった。 その年の秋、コウティックはできるだけ早くひとりで島をでていった。コウティックの小さな丸い頭のなかにはひとつの考えがあった。もしそんな生き物がいればの話だが、シーカウをみつけにいって、オットセイが住めるようないい海岸のあるやすらぎの島を、人間がぼくたちをつかまえにこられない島をさがすんだ、コウティックはそう決心していた。そして太平洋を北から南までくまなく探検してまわり、昼も夜も泳ぎ続け、五百キロ近くも泳いでいった。コウティックの冒険の話はここでは語りきれない。ウバザメやマダラザメやシュモクザメにつかまりそうになって、間一髪で逃げたこともあったし、あちこちの海をうろついている信用のならない乱暴者にはすベてお目にかかったし、目方のある礼儀正しい魚や、ひとところに何百年もいて、それをとても自慢にしている赤いはん点のあるホタテ貝にも会った。しかしシーカウにだけは会えなかった。そして夢にえがいている島をみつけることもできなかった。 しっかりしたいい海岸があって、その後ろにオットセイのあそび場にもってこいの斜面が続く島があっても、そういうときにはきまって水平線に捕鯨船が浮かび、クジラの脂を煮る煙がみえるのだった。コウティックはそれがどういうことなのかわかっていた。また、一度オットセイか住んでいたが、殺されて絶滅させられた島をみたこともあった。人間は一度きたところには、またやってくるということはわかっていた。 コウティックは、短い尾羽をした年よりのアホウ鳥と知りあいになった。 そしてそのアホウ鳥がいうには、インド洋の南にあるケルゲレン諸島こそ平和と安らぎの島だというのだ。コウティックはそこにいってみた。黒々とそそりたった岩の崖にたたきつけられて、体がばらばらになるかと思った。雷鳴と稲妻とひょうのいりまじったすさまじいあらしにまきこまれたのだ。だがそのはげしい風からぬけでたとき、その島にもオットセイが子どもを育てたあとがあるのがわかった。そしてコウティックがおとずれたほかの島もみんなそうだった。 リマーシンはコウティックがおとずれたたくさんの島の名前をあげた。コウティックは五年のあいださがし続けたのだ。そしてやすむのは毎年四カ月、ノヴァストシュナにもどるときで、ノヴァストシュナではみんなから、ありもしない島をさがしているといわれてからかわれた。コウティックはガラパゴス島にもいった。それは赤道直下のおそろしく乾燥した島で、あやうく焼け死んでしまうところだった。それからジョージア諸島や、サウスオークニー諸島や、エメラルド島や、リトルナイチンゲール島や、ゴフ島や、ブーヴエット島や、クロセット諸島、そして喜望峰の南の点のように小さな島にまでいってみた。しかしどこにいっても、海に住む動物たちはおなじことをいった。かつてオットセイがきたことがあったが、人間たちにみんな殺されてしまったと。太平洋をはなれて何千キロも泳いでコリエンテス岬と呼ばれるところにいったとき、これはちょうどゴフ島からもどるときだったのだが、コウティックはその岩の上に毛むくじゃらのオットセイが二、三百頭いるのをみつけた。だがそのオットセイたちも、人間がきたことがあるといった。 これをきいてコウティックの胸はもうはりさけんばかりだった。コウティックはホーン岬をまわってノヴァストシュナにもどることにした。そして北にむかうとちゅう、緑の木におおわれた島にあがってみた。そこにはとても年をとって死にかけたオットセイが一頭いた。コウティックは魚ををとってやり、自分の悲しみをぜんぶうちあけてみた。「そしていま、ノヴァストシュナにもどるところなんです。もしほかのハラスチッキーといっしょに屠場に追いたてられていっても、もうかまいません」 年よりのオットセイはいった、「もう一度やってみないか。わしはこのマサフエラ島のオットセイの最後の生きのこりだ。人間たちがわしらを何万、何十万頭と殺していたころ、海岸にこんないいつたえがあった。いつの日か白いオットセイが北からやってきて、オットセイをやすらぎの島につれていってくれるといういいつたえがな。わしはもう年だから、その日まで生きてはおれんだろうが、ほかのオットセイはだいじょうぶだ。なあ、もう一度やってみないか」 コウティックはきれいなヒゲをまげていった。「あの海岸で生まれたオットセイのなかで白いのは、ぼくだけです。そして黒いオットセイであれ、白いオットセイであれ、新しい島をみつけようとしているのは、ぼくしかいません」 コウティックは腹の底から力がわいてきた。 その夏ノヴァストシュナにもどってくると、母のマトカーが、どうか結婚して子どもを作ってくれといった。「おまえはもうハラスチッキーじゃないのよ。白い巻き毛を肩に生やした大人のオットセイなのよ。おとうさんと同じように体が大きくてがっしりして、気性のあらいオットセイなんだからね」 「もう一年だけまってよ」コウティックがいった。「おかあさんだって知ってるでしょう。海岸をいちばん遠くまでやってくる波は七番目の波っていうじゃない」 おもしろいことに、来年まで結婚をのばそうと考えていた雌のオットセイが一頭いた。最後の探検にでるまえの夕方、コウティックはそのオットセイと炎のおどりをおどりながら、ルカナン海岸をはしからはしまで泳いでいった。 今度はコウティックは西にむかった。それはオオヒラメの大群をみつけたからだった。体の調子をよくしておくためには、少なくとも一日に魚を五十キロは食ベる必要があった。コウティックはくたくたになるまでオオヒラメの大群を追っていき、それから体をまるめて、コパー島のほうへ流れていく大きな波と波とのあいだでねむった。コウティックはコパー島の海岸はすみからすみまでよく知っていた。そして真夜中、壁のように海藻がびっしりはえているところにぶつかった。「へえ、今夜の潮の流れは速いなあ」コウティックはそういうと、ゆっくりと目を開けてもぐっていき、のびをした。そのとたん、ネコのようにぱっとジャンプした。なにか大きなものが何頭か浅瀬をゆっくり動いているのがみえたのだ。分厚い海藻のはしをかじっている。 「マゼラン海峡の大波にかけて!」コウティックはヒゲをふるわせながらいった。「下にいるこの連中はいったい、なにものなんだろう?」 セイウチやアシカやオットセイや白クマやクジラやサメや魚やイカやホタテガイなど、コウティックはいろんなものにであったが、この生き物はそのどれにもにていなかった。体長は一メートル五十センチくらいで、後ろびれはなく、シャベルのような形の尾びれはぬれた皮を切りぬいて作ったようにみえた。そしてその頭はコウティックの知っているどんな生き物よりもまがぬけてみえた。海藻を食ベていないときは、尾びれでバランスをとりながら深いところを泳ぎ、たがいにおもむろにうなずきながら、太った人間が手をふるように前びれをふるのだった。 コウティックはせきばらいをした。「みなさん、ごちそうの味はいかがですか?」大きな生き物たちは『不思議の国のアリス』にでてくるカエル男みたいに、うなずいてひれをふった。それからまた海藻を食ベはじめた。そのときコウティックは、その上くちびるがふたつにわれているのに気がついた。上くちびるを三十センチほどめくるように開けて、そのあいだに大量の海藻をはさんでは閉じ、それから口におしこんでくちゃくちゃかんでいるのだ。「きたならしい食ベかただなあ」コウティックがいった。連中はまたうなずいてひれをふった。コウティックはむかっとした。「前びれによぶんな関節があるからって、そんなにみせびらかさなくてもいいよ。たしかに、そのおじぎも風流だけどさ、そんなことより、名前を教えてよ」 われた上くちびるが動いてめくれ、緑のガラスのような目がコウティックをじろっとみたが、連中はなにもいわない。 「なんだい、なんだい!」コウティックがいった。「ぼくがあった生き物のなかでセイウチよりみにくくて、セイウチより礼儀知らずなのは、おまえたちくらいのものだぞ!」 そのときコウティックははっとした。まだ幼かったころ海鳥がセイウチ島で教えてくれたことを思い出したのだ。コウティックはあわててもぐっていった。ついにシーカウをみつけたのだ。 シーカウたちは集まって海藻をかじっては、くちゃくちゃかんでいる。コウティックは旅のあちこちでおぼえた言葉全部でたずねてみた。海の生き物は人間と同じくらいたくさんの言葉をもっているのだ。だがシーカウはこたえなかった。シーカウはそもそもしゃベることができないのだ。ほんらいなら七本あるベき首の骨が一本たりなくて、海に住むものたちがいうには、そのせいでなかまとも話ができないということだった。だがシーカウには前びれにひとつよぶんな関節があって、ひれを上下、左右にふって音をたて、ある種のぎこちない信号を送ることができた。 日がのぼるころには、コウティックは肩の毛をさかだて、もういらいらして、いても立ってもいられない気持ちだった。そのときようやくシーカウたちがゆっくりと北のほうへ泳ぎはじめた。そしてときどき泳ぐのをやめては、集まってきて、おかしなおじぎをした。コウティックは追っていきながら、ひとりごとをいった。「こんなににぶい連中が殺されずに生き残っているのは、きっと安全な島を知っているからにちがいない。シーカウが安心して住めるところなら、オットセイだって安心して住めるぞ。それにしても、もう少し急いでくれないかなあ」 コウティックはついていきながら、うんざりしてきた。シーカウは一日にせいぜい六十から八十キロ進めばいいほうで、夜になると泳ぐのをやめて食事をするのだった。そして海岸からはなれることは一度もなかった。コウティックがシーカウのまわりや上や下を泳ぎまわって急がせても、一キロもいくとまたスピードがおちた。シーカウはさらに北に進みながら二、三時間おきに集まってはおじぎをくりかえした。コウティックがいらいらして自分のヒゲをかみ切ってしまいそうになったころ、シーカウたちは暖流にのって移動していることがわかって、尊敬の気持ちがわいてきた。 そしてある夜のことシーカウたちが、まるで岩が沈むように、いっせいにもぐりはじめた。コウティックはそれまでシーカウがこれほど速く泳げるとは思ってもなかった。コウティックは追いかけながら、その速さにおどろいてしまった。シーカウが泳ぎがうまいなどとは夢にも考えたことがなかったのだ。シーカウはもぐりながら、海岸の崖にむかっていった。それは深い海底からそそり立っていた。シーカウたちは、その崖の下のところにある暗い穴にとびこんでいった。それは海面から二十ひろくらいの深さのところにあった。シーカウはいつまでも泳ぎ続け、コウティックはそれを追っていった。しかしその暗い穴をぬけてしまわないうちに、息をつぎたくてたまらなくなった。 「なんて長いんだ!」コウティックはいった。そして反対側の穴からでて海面にあがり、あえぎながら息をした。「長いこと泳いだけど、そのかいはあったぞ」 シーカウはちりぢりになって、海岸のほうに泳いでいき、ものうげにおじぎをしている。コウティックの目にうつったのは、それまでみたこともないような美しい海岸だった。何キロにもわたって、なめらかな岩の海岸が続いていて、オットセイが子どもを育てるにはもってこいの場所だ。海岸のむこうには、あそび場にぴったりの乾いた砂の斜面が広がっている。オットセイがおどるのに絶好の波が打ちよせ、陸には気持ちよくころがりまわれそうなたけの高い草が生えていて、そのうえ、のぼったりおりたりできる砂丘が続いている。そしてなによりもいいことは、人間が足をふみいれていないということだ。それは海の水の感じでわかった。しっかりした大人のオットセイは、けっして水にあざむかれたりはしない。 コウティックは手はじめに、魚が十分にいるかどうかをたしかめた。それから海岸にそって泳いでいって、美しくうずまく霧に半分かくれている島の数をかぞえた。それはみな砂地が多くて住みやすそうな低い島々だった。その北の沖には、海面のすぐ下に岩礁が一本の線のように横にのびていて、船は海岸から十キロ以内には近づけないようになっている。そして島と本土とのあいだには深い海が横たわり、むこう岸は切りたった崖になっている。その崖のどこかに、ここに通じる穴があるのだ。 「ノヴァストシュナそっくりだ。いや、ノヴァストシュナより十倍もすばらしいぞ」コウティックはいった。「シーカウはぼくが思っていたよりも頭がいいにちがいない。もし人間がいたとしても、あの崖をおりてくることはできないだろう。それに船がやってきても沖の岩礁にぶつかってこなごなになってしまう。この大海原に安全なところがあるとしたら、それはここをおいてはない」 コウティックはノヴァストシュナに残っているオットセイのことを考えはじめた。急いでもどりたいのはやまやまだったが、いろんな質問に答えられるように、この新しい場所 をじっくり探検することにした。 そしてもぐって、穴の位置をたしかめてから、南にむかってそれをぬけた。シーカウかオットセイでもないかぎりそんな場所があるとは夢にも思わないだろう。コウティック自 身ふりかえって崖をみたとき、あの下をくぐってきたとは信じられなかった。 ゆっくり泳いだわけではないが、ノヴァストシュナにもどるのに六日もかかってしまった。コウティックが「アシカの首」のすぐ上のところにあがってきてはじめて会ったのは、コウティックをまっていた雌のオットセイだった。そのオットセイは相手の目の表情をみて、コウティックがついにさがしもとめていた島をみつけたことを知った。 だがハラスチッキーも、父観のシーキャッチも、ほかのオットセイたちも、コウティックがみつけた島の話をきくとわらいだした。そしてコウティックと同じくらいの若いオットセイはこういった。「コウティック、またけっこうな話をしてくれるじゃないか。しかし、だれも知らないところからもどってきて、そんなふうに命令したって、そりゃ無理というもんだ。いいか、ぼくたちは子どもを育てる場所を確保しようと戦ってきたんだぞ。おまえはちっともそんな苦労をしていない。海のなかを泳ぎまわるのがよっぽど好きなんだろうな」 ほかのオットセイたちはわらい、その若いオットセイは頭を左右にかしげた。そのオットセイは今年結婚したばかりで、うれしくておおさわぎしていたのだ。 「ぼくは子どもを育てる場所を戦ってとろうなんてつもりはない」コウティックがいっ た。「きみたちみんなに安全な場所を教えてやりたいだけだ。戦ってなんになる?」 「おまえがひきさがるというのなら、ベつに文句はないよ」若いオットセイがいやらしいわらい声をたてた。 「ぼくが勝ったらいっしょにくるか?」コウティックがいった。その目が緑色にきらりと光った。こんなことで戦わなくてはならないことが、腹だたしくてしようがなかったのだ。 「いいだろう」若いオットセイが口をすベらせた。「もし、万が一、おまえが勝ったら、いっしょにいくよ」 それをとりけすひまもなかった。コウティックが頭から突進していって、若いオットセイの太い首に牙をつきたてたのだ。そして一度すわると、それから相手を海岸まで引きずっていって、ひっくりかえした。コウティックはオットセイたちにむかって大声でどなった。「いままで五年もかけて、ぼくはきみたちのために全力をつくしてきたんだ。そしてみんなが安全にくらせる島をみつけた。それなのに、そのおろかな頭を首から引きちぎられないかぎり信じないというのか。それなら思い知らせてやる。さあ、かくごしろ!」 リマーシンはこう語った。毎年、一万頭もの大きなオットセイが戦うのをみてきたが、短いとはいえそれまでの自分の人生で、コウティックが海岸に突進していったときの姿ほどおそろしいものはみたことがないと。コウティックは目にはいったなかで、いちばん大きい大人のオットセイにとびかかっていき、そののどもとにかみついて、のどをしめあげた。それから、ぶつかったり、なぐったりして、ついに相手がねをあげて負けをみとめると、次の相手にむかっていった。大人のオットセイはコウティックとちがって、例年どおり四カ月のあいだはなにも食ベていなかったが、コウティックは深い海を泳いで旅してきたせいで体調は万全だった。そしてなにより、まだ一度も戦っていなかったのだ。コウティックは怒りで肩の白い毛をさかだて、目を炎のようにいからせ、大きな牙をぎらつかせた。それは、みるからにいさましい姿だった。 父親のシーキャッチは、目のまえで息子が大人のオットセイをまるでオオヒラメかなにかのように引きずっていったり、ひとりものの若いオットセイを追いちらすのをみていた。そして大声でさけんだ。「あいつはひょっとするとばかなのかもしれんが、戦いにかけてはこの海岸で右にでるものはいない。おいコウティック、父親につっかかってこないでくれよ。わしはおまえのみかたをしてやる!」 コウティックは大声をあげてそれにこたえた。シーキャッチはヒゲをぴんと立て、蒸気機関車のように鼻息をたてながら、のっそりのっそり戦いのなかにはいっていった。妻のマトカーと、コウティックと結婚することになっている雌のオットセイは身をすくませながらも、自分の相手をほれぼれとみつめている。 すさまじい戦いだった。コウティックと父親は、頭をあげるオットセイがいなくなるまで戦い続け、そのあとでならんでほえ声をあげながら堂々とあたりを歩きまわった。 夕方になり、霧のむこうに北の光がちらちらするようになると、コウティックはつるつるした岩の上にあがって、海岸のあちこちをみおろし、傷をおって血を流しているオットセイをみていった。「さあ、思いしったか!」 「なんともはや」シーキャッチが、やっとのことで体をしっかりおこしていった。シーキャッチはひどい傷をうけていたのだ。「あのクジラ殺しといわれるシャチでも、これほどまでにオットセイをいためつけることはできんだろう。おいコウティック、わしは鼻が高いぞ。それから、わしはおまえのいうその島にいくことにする。もし、そんな場所があればの話だが」 「さあ、海のブタども、ぼくといっしょにシーカウの穴にくるか? さあ、こたえろ、さもないと、もう一度いたいめをみせてやるぞ」コウティックが大声でいった。 海岸のあちこちからさざ波のようなつぶやきがきこえた。「いくよ、いくよ」何千もの声が疲れた声でいった。「さあ、白いオットセイ、コウティックについていこう」 コウティックは両肩のあいだに首をすくめて、うっとりと目をとじた。コウティックはもう白いオットセイではなかった。頭から尻尾までまっ赤だった。だが体の傷をみたり、傷にさわったりするのは、こけんにかかわると思っていた。 一週間後、コウティックとその仲間、ハラスチッキーと大人のオットセイあわせて約一万頭が、シーカウの穴をめざして南にむかった。先頭はコウティックだった。ノヴァストシュナに残ったオットセイたちはコウティックといっしょにいった連中をばかにした。だが次の年の春、太平洋の漁場でみんなが再会したとき、コウティックといっしょにいった連中がシーカウの穴のむこうの新しい海岸の話をした。それをきいて、さらにたくさんのオットセイたちがノヴァストシュナをさった。 もちろんその移動が一度になされたわけではない。オットセイはあれこれ考えるのに長い時間がいるのだから。しかし毎年毎年、オットセイたちはノヴァストシュナやルカナンやほかの子育ての海岸をさって、まわりをかこまれたやすらぎの海岸にいくようになった。夏中ずっとコウティックはその海岸にすわり、毎年太ってたくましくなっていった。そしてハラスチッキーはコウティックのまわりであそびまわり、まわりの海に人間のくることはけっしてなかった。(了) |
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