あとがき大全(27)

【児童文学評論】 No.68     2003.08.25日号

           
         
         
         
         
         
         
    
1 『サハラに舞う羽根』(『不思議を売る男』)→大久保先生→カート・ヴォネガット・ジュニアの幻の卒論→スタッズ・ターケルの『死について』
 おもしろいことに、このところ立て続けに出た本には金原のあとがきがない。
 『宇宙のかたすみ』(アンドリュース・クリエイティヴ)のあとがきは中村さんが書いているし、『キットの法』(青山出版社)のあとがきは大谷さんが書いている。そして『コラライン』『サハラに舞う羽根』(角川書店)『ジェニファーと不思議なカエル』『ジェレミーとドラゴンの卵』(講談社)には、そもそもあとがきがない。
 というわけで、今回はネタ切れである。
 そこでひとつ『サハラに舞う羽根』について書いてみよう。じつは、この作品、角川書店の安田さんから話がきた。安田さんは、『わたしが私になる方法』を訳すときにお世話になった編集者だが、今年の秋、A・E・W・メイスンの1902年の作品『サハラに舞う羽根』(原題 The Four Feathers)の映画が日本で公開になるというので、その翻訳を昨年、大久保博さんに依頼した。大久保博さん、というか、大久保先生は法政大学のぼくの恩師でもある。安田さんが大久保先生に翻訳の話を持って行ったところ、先生は「いやあ、ぼくはちょっと……金原君ががんばっているようだし、頼んでみたらどうだろう」とおっしゃったらしい。というわけで、安田さんがぼくを知っていたこともあり、この本の翻訳がぼくのところにやってきた。
 じつはこの大久保先生、ある意味でぼくの人生を大きく左右した人物のひとりである。大久保先生は法政大学の第二教養部で英語および米文学を教えていらっしゃったが、翻訳家としても有名で、マーク・トウェインをはじめ数々のアメリカ文学、さらにブルフィンチなどの作品も訳していらっしゃる。ぼくが学部の三年生のとき、先生の授業をとっていて、それがとてもおもしろくて(先生は漱石、百閧ニいった日本の作家にも造詣が深く、いろんなことを教わった。「いやあ、漱石の『猫』よりも、百閧フ『贋作』のほうがずっと出来がいいよねえ」という言葉は今でもよく覚えている)、学期の終わり頃に「先生、来年の卒論、みていただけませんか?」とお願いしてみた。すると先生は「なにをやるんだね?」とおたずねになったので、「カート・ヴォネガット・ジュニアとマーク・トウェインの比較で卒論を書こうと思っているんです」と答えた。すると、「ほう、それはおもしろそうだね。ぼくもヴォネガットは一度ちゃんと読んでみたいと思っているから、引き受けましょう」とのご返事。よし、やった! と思って、次の年の4月、授業登録に行って驚いた。なんと大久保先生は病気のため、一年間いらっしゃらないとのこと。
 えーーーっ!……という感じだが、どうしようもない。あわてて履修要項を読み直して、改めて卒論を何にするか考えてみた。すると、それまで一度も授業を取ったことのない犬飼先生がル・グインなどのファンタジーを教えていらっしゃることがわかり、すっとんでいって、「ル・グインの作品とトルキンの『指輪物語』の比較とか、ル・グインの初期のSFなんかで卒論を書きたいんですけど」といってみたところ(金原のいいかげんな性格は、こんなエピソードからも十分にうかがえる)、「それはおもしろそうだね」といって引き受けてくださった。それからのことについては以前に書いたので省略するが、大久保先生が病気にならず、そのままぼくの卒論の指導教官になってくださっていたら、大学院にいくこともなく、いまの翻訳家・金原はいなくて、『サハラに舞う羽根』の翻訳が回ってくることもなかったのかもしれない。
 そんなことを思いつつ、『サハラに舞う羽根』を引き受けたのだった。
 そしてこの作品の最初の部分を読んだとき、思わず「!」と心のなかで叫んでしまった。ジェラルディン・マコーリアンの『不思議を売る男』のなかでぼくのいちばん好きな「鉛の兵隊」という短編のモチーフがそのまま、ここにあったのだ。マコーリアンは『サハラに舞う羽根』の最初の部分を読んで、「鉛の兵隊」を思いついたにちがいない。もしマコーリアンに会うことがあったら、ぜひこれはきいてみたい。興味のある方はぜひ読み比べてみてほしい。
 さて、この作品、19世紀末のアフリカ(エジプト、スーダンなど)が舞台で、臆病者の烙印を押され、友人からも恋人からも絶交を言い渡されたイギリス軍の青年将校ハリー・フェバシャムが、その汚名をそそぐべく、ひとり戦地に向かうという物語。壮大なスケールの戦争ロマンスである。20世紀初めの作品ながら、かっちりした文体と、細かい心理描写はまさに19世紀的で、いかにもイギリス的な近代小説の好きな人にはには魅力的だと思う。また、いかにもイギリス人好みの作品で、これまでに何度も映画化され、今回が七度目らしい。原書もペンギンのペーパーバックで手に入る。
 さて、『サハラに舞う羽根』の七度目の映画(たぶん、9月か10月にロードショー)についてもひとつだけ触れておきたい。
 砂漠が舞台の戦争ロマンスというと、『アラビアのロレンス』を連想する人も多いだろう(もちろん、こちらはパレスチナの砂漠)。しかし、これら二本の映画の大きな違いは戦いのシーンだと思う。『ロレンス』における砂漠の戦闘シーンはある意味、鮮やかで美しい。ピーター・オトゥールの青い目も美しい。しかし『サハラ』の戦闘シーンは凄惨で痛々しい。モロッコ砂漠でイギリス軍が惨敗するところは非常に泥臭く、いや砂臭く、リアルで、思わず身を引いてしまうような迫力がある。この場面だけでも、この映画はみる価値があると思う。19世紀的なロマンス小説にこの戦闘シーンをぶつけたところに、シェカール・カブール監督の現代的なセンスがうかがえる。
 ついでにいっておくと、敵の攻撃にさらされた軍隊はよく「方陣を組む」のだが、この方陣がどんなものなのか、この映画をみるとよくわかる。本当にきっちり、方陣を組むのだ。敵に囲まれたときにはこの陣形はかなりの防御力が高いこともわかる。
 そんなこんなで、『サハラ』は思い出に残る一冊になった。
 ところで、少し前にもどって、カート・ヴォネガット・ジュニアについて書いておこう。(現在は「カート・ヴォネガット」だが、当時はまだ「ジュニア」がついていた。英語の人名で最後に「ジュニア」がつくことがたまにある。この「ジュニア」というのは名前ではない。お父さんと同じ名前の場合にこれがつくことになっている。つまり、父親と息子が同姓同名の場合、区別するための手段である。なんでそんなややこしい名前をつけるのかはわからないが、欧米ではたまにある。したがって、父親が亡くなると、息子の「ジュニア」が落ちる。ちなみに、父親と同名のとき、いちばんいやなのは、自分にきた手紙を親に開けられてしまうことだ……と、だれかが書いていた。ヴォネガットだったかどうかは覚えていないが。おじいさんと孫が同姓同名の場合も、孫のほうに「ジュニア」をつけることがある……ような気がするが、そんな例をみたことはない。それから母親と娘の場合には、「ミス」と「ミセス」で区別できるので、あまり問題になることはないと思う……が、このへん、あくまでも推測なので、詳しくご存じの方がいらっしゃったら、どうぞ教えてください)
 さて、大学時代には卒論に取り上げたいと思ったくらい好きだったカート・ヴォネガット(・ジュニア)の言葉を訳すことになった。小説ではない、彼の言葉である。
 じつは昨年の初め、原書房から一冊、翻訳を頼まれた。スタッズ・ターケルの Will the Circle Be Unbroken? (邦訳のタイトルは『死について』になる予定。二段組みで560頁という大作)というインタビュー集である。ターケルといえば、ピューリッツァー賞も受賞しているノンフィクション・ライターで、日本でも分厚い『仕事!』とか『戦争』などが晶文社から出ている。この『死について』のなかに、カート・ヴォネガットのインタビューがある。
 なんか変な縁だ。『サハラに舞う羽根』→大久保先生→カート・ヴォネガット・ジュニアの幻の卒論→スタッズ・ターケルの『死について』。
『サハラ』の出版が8月末、『死について』の出版が9月初め。
 というわけで、昨日書き上げたばかりの『死について』のあとがきを載せておきたい。まだ決定稿ではなく、出版時には、直しが入ると思う。

   訳者あとがき

 原書房に呼ばれていって、スタッズ・ターケルの『死について』(Will the Circle Be Unbroken?)の原書をみせられ、訳しませんかとたずねられたときは、ちょっと言葉が出なかった。
 おそらくぼくと同年代、あるいはその上の年代の人びとにとって、スタッズ・ターケルという名前は強烈に頭に焼きついているのではないだろうか。『仕事!』『よい戦争』『アメリカの分裂』『人種問題』などの分厚いインタビュー集は、アメリカのみならず、この極東の日本にまで非常に大きな影響を与えている。これらは、ある意味ただのインタビュー集でありながら、ありきたりのノンフィクションとは一線を画している。驚くほど強烈なノンフィクションであり、驚くほど現代と未来を見通した啓蒙書であり、驚くほど鮮やかな歴史なのだ。驚くほど様々な人びとによって語られた歴史(oral history)がそこに生きている。ターケルが試みたのは、「書かれた歴史」ではなく、「語られた歴史」、それも多種多様なベクトルをもった歴史がそこには浮き彫りにされている。そして、どのベクトルも、切実で誠実で生々しい肉声に支えられている。
 ターケルは、「時代の良心」ではない。「時代」そのものなのだ、そんな気がする。
 そのターケルが八十八歳にして、この本を出した。すごい、素晴らしいと、拍手する以外ないだろう。おそらく、最後にして最大の仕事であり、いままでの仕事の集大成といっていい。「仕事」でもなく「戦争」でもなく「アメリカ」でもなく「人種」でもなく、「死」である。
 翻訳家としてターケルと真っこうから向かい合うというのは、「自称、脂ののりきった金原」としては相手に不足はない、というか、願ってもないことで、早速一読。最初から最後まで、圧倒されっぱなしだった。どこまでも読み手の心に突き刺さってくる言葉、言葉、言葉! 人の話す言葉というのは、これほどまでに強烈で、苛烈で、鮮烈で、感動的で、切ないなものだったのかという感を新たにした。
 元消防士、元警察官、外科医、元ギャング、元死刑冤罪者、ヴェトナム戦争退役軍人、母親、牧師、神父、ラビ、作家、詩人、フォークシンガー、元公民権運動家、元麻薬常習者、HIV感染者などなど、そういった人びとが、「仕事」でもなく「戦争」でもなく「アメリカ」でもなく「人種」でもなく、「死」を語り「生」を語っている。
 たとえば原爆被爆者でアメリカに渡ったヒデコ・タムラ・スナイダーは、ほかの人たちが死んだのに自分は生きのびたという後ろめたい気持に長いこととらわれていたが、他人を救うことによってそれから救われる過程を語っている。彼女の言葉はとても初々しく新鮮で美しい。とくに子どもを連れて、故郷ヒロシマの原爆記念館を訪れたときの印象を語る言葉は鋭く心に迫ってくる。
「そこで、あるものを初めて目にしました。中央の円形大広間の大きなスクリーンに、実物大のエノラ・ゲイ(広島に原爆を投下したB29爆撃機)が白黒で映し出されていたのです。わたしは思わず、両手を前に突き出して、エノラ・ゲイの動きを止めようとしていました。そして思い出したのです。原爆が投下されるまえは、みんな飢えてはいたものの、どんなに無邪気で元気だったかを。すると、涙がこみあげてきました。泣いて泣いて、しゃくりあげるほど泣いて、『やめて、お願い、やめて』とつぶやいていました。かなわぬ願いだと、エノラ・ゲイは動き続けるのだとわかっていながら……やがて、はっと思い当たりました。ある意味で、エノラ・ゲイはまだ上空にいるのだと……」
 あるいは、知能にも身体にも障害のある息子ボビー(家族の人気者だった)を本当に家族の一員として三十三歳まで育てたゴーダループ・レイズは、致命的な発作を起こしたボビーをみて、「もう逝かせてやるべきだ」と思い、つらい決断をする。そして彼女はこんなふうに語る。
「死んだら、ボビーと一緒になれるわね。あの子が死んで二、三か月たった頃、夢をみたのよ……あたしが、『ボビー、あたしのところにもどってきて』というと、『それはだめなんだ、ママ。ちょっと会いにきただけだから、もう帰らなくちゃ』と答えて歩きだす。でもまたもどってきて、あたしをきつく抱きしめて、『ママ、ぼくはもう行くけど、ママのことずっとみてるからね』というの。あたしも、『わかったわ、ボビー』って……あの子は大笑いするのが好きだったからねぇ。いまでもきこえるようよ。あの子が笑いながら路地を歩いてきて、ドアをたたいて押し開けて入ってきて、『やあ、ママ』という声がね」 TVドラマによく出てきそうなありきたりなせりふが、有無を言わせず心臓をわしづかみにするような力を持つことがある。ターケルの作品を読んでいると、そういうごくありふれた言葉の持つ力を身にしみて感じることが多い。ノンフィクションの魅力は、そのへんにあるのかもしれない。
 もともとフィクション偏重の金原は、総じてノンフィクションが嫌いである、というか、あまり興味をそそられない。しかしこのターケルの総決算には、見事にやられてしまった。
 フィクション、ノンフィクションといったジャンルを遙かに超えて、この本は素晴らしい。どうか、その感動を味わってほしい。とくに、若い人びとに! この本は「死」についてのインタビュー集だが、死について語ることは生について語ることにほかならない。これはまさに、「生について」の本なのだ。ヤングアダルトのための理想的な本といってもいい。これほど生を切実に、いとおしく、リアルに語った本はそうあるものではない。読んだ次の日、世界をみる目が変わっているかもしれない。

 共訳の過程に関して、あれこれ説明することは普通ないのだが、この本に関しては、少しだけ書かせていただきたい。この本は、まず野沢さんがすべて訳し、それを築地さんが多くの資料をあたりながら原文とつきあわせ、最後に金原がまとめるという形をとった。いってみれば、翻訳作業の半分を野沢さんが、残りの三分の二を築地さんが、残りを金原が担当したという形になっている。が、文責はすべて金原が負っている。
 また、この本を訳すにあたっては、多くの資料、多くのインターネットのHPを利用させたいただき、なるべくわかりやすいようにと訳注をつけてみた。いうまでもなく言葉の足りないものもあれば、もしかしたら間違っているものもあるかもしれない。どうかその点、御寛恕いただき、お気づきの方はぜひ、編集部にご連絡いただきたい。

 なお、最後になりましたが、この本を紹介してくださり、細部にわたってチェックを入れてくださった編集の中村剛さんに心からの感謝を!

   二00三年八月二0日                金原瑞人


2 金の星社から出た三冊
 『スウィート・メモリーズ』『ルーム・ルーム』『カナリーズ・ソング』、どれも大好きな小品だが、なにより表紙と挿絵がいい。この三冊を並べてながめていると、とても幸せな気分になれる。それぞれ担当は、ささめやゆき、長崎訓子、朝倉めぐみのお三方。どれも原書よりずっといい。
 そんなわけで、三冊のあとがきを並べてみよう。

   『スィート・メモリーズ』訳者あとがき
 ときどき「あとがき」を書きたくない本っていうのがあって、この『スィート・メモリーズ』なんか、ほんとに書きたくない。なぜ書きたくないかというと、どう書いたって、この本のすばらしいところを説明できそうにないから。とってもすてきな本だから、とにかく読んでみてよ、といいたくなってしまう。
 どんな話かというと、引っこみ思案の女の子が、しばらくおばあちゃんと暮らすことになって、最初はぶつかったり、むっとしたりするんだけど、そのうちわかりあえるようになって、少しずつ変わっていく……そんな話。なんてことない話なんだけど、読みだすとぐいぐい引きこまれて最後までいっきに読んでしまうし、読んだあとできっと、やさしい気持ちになれる。ようしがんばるぞ、という気持ちがわいてくる。
 そしていつまでも心に残る。そうそう、題名の『スィート・メモリーズ』というのは「美しいすてきな思い出」という意味です。
 それから、この本のなかで、おばあちゃんが口にする「あなたの”光”をともしなさい」ということば……説明しようかなと思ったんだけど、やっぱりやめときます。うまく説明できそうにないから。どうぞ、考えてみてください。
 この本を訳しながら、ふと昔に訳した本を思い出しました。パトリシア・マクラクランの『のっぽのサラ』(ベネッセコーポレーション刊)という本です。これも、なにもいわずに、大好きにそっとさしだしたい本でした。

 最後になりましたが、この本を訳すのを手伝ってくださった代田亜香子さん、橋本知香さんに心からの感謝を! 一九九九年十一月
金原瑞人


   『ルーム・ルーム』訳者あとがき

 リビィはお母さんの大学時代の友だち、ジェシー・バーンズに引き取られることになった。明るくておしゃれなお母さんとちがって、みるからに地味で常識的で無口なおばさんで、どうも気が合いそうにない。たしかにいい人らしいけど、「やっぱり、ジェシー・バーンズの子どもにはなりたくない」と思ってしまう。リビィは、お母さんにたずねる。「ねえ、アルシーア、どうしてあたしをジェシー・バーンズなんかにあずけようと思ったの?」「アルシーア。ねえ、どこにいるの?」
 リビィは、病気で死んでしまった母親、アルシーアに手紙を書くことにした。紙にではなく、心のなかに。
 とても悲しいとき、人は素直になれない。いくらやさしくて親切な人々にかこまれていても、心は閉じたままだ。しかしいつまでもそのままではいられない。まわりの人々のやさしさが少しずつ少しずつしみこんでくるから。
 リビィも少しずつ、少しずつ変わっていき、やがてお母さんが死んだということを受けとめられるようになっていく。この本では、そのリビィの心の動きが、たんねんに、ていねいに、そしてあざやかに描きだされている。
 だれでも、そのうちリビィのような悲しみを味わうだかもしれないし、ジェシーバーンズのような立場に立たされるかもしれない。もしそんなことがあったら、ぜひこの本を読みなおしてほしい。きっと力がわいてくるはずです。
 最後になりましたが、編集の三浦彩子さんと東沢亜紀子さん、翻訳の手伝いをしてくださった代田亜香子さんと、質問にていねいに答えてくださった作者のコルビィ・ロドウスキーさんに心からの感謝を。二000年十月二十二日
金原瑞人


   訳者あとがき

 どこまでも広がる緑の草原。かなたの地平線からのぼる朝日。かなたにしずむ夕日。とてもロマンチックで、一度でいいからいってみたいと思いませんか? ところがスーザンのママは、この風景にうんざりしてしまいます。森や林にかこまれた故郷とちがって、木が一本も生えていない草原はただただ単調でさびしくてたまらなかったのです。心から愛した人といっしょに新しい人生を切り開こうとやってきたはずなのに、いつのまにか暗く落ちこんで、家から外に出られなくなってしまいます。
 主人公のスーザンは大草原が大好きだし、そんなママをなんとかしてあげたいと思うものの、どうしていいのかわかりません。パパもママのことが心配でたまらないけれど、どうしてあげようもないようなのです。ところがある日、スーザンはパパといっしょに町にでかけ、いろんな経験をします。
 この物語は夜明けから始まり夜明けで終わるのですが、そのたった一日のできごとが、スーザンとママを大きく変えていきます。ふたりにとってのとても大きな一日を、じっくり読んでみてください。ここには生きていくことのつらさや悲しさ、そしてそれをこえていく勇気と思いやりの大切さが描かれています。読み終えたら目をつむって、スーザンといっしょに大草原の夜明けを想像してみてください。心のなかにきっと、まぶしい太陽がのぼってくるはずです。
 アメリカはイギリス人が移住して作った国のように思われていますが、じつはほかにも多くの国々の人々がいっしょになって作ってきました。この本のなかにも、ドイツ人やアイスランド人が登場してきまし、ここにはもともとネイティヴ・アメリカン(アメリカ・インディアンの人々のこと)の人々が住んでいました。そう、まだほかにも中南米の人々やアジアの人々もいます。この本は、アメリカを作ってきた多くの人々のことも教えてくれているのです。
 最後にひとつ、作者によれば、「黒い目のスーザン」は、ヒマワリをそのまま小さくしたような、まるで小さな太陽のような花だそうです。
 最後になりましたが、編集協力の三浦彩子さんと、質問にていねいに答えてくださった作者のジェニファー・アームストロングさんに心からの感謝を! 二00一年一0月二六日
金原瑞人


3 HPのおしらせ
 宮坂さん田中さん森さんが先月立ち上げてくださった、金原のHP、8月末あたりから本格的なものになります。新たに加わるのが次の四つ。
(1)未訳の作品の要約。
 これは、「未訳だけどなかなかいい本があります、出版しませんか」という出版社向けのページで、海外の本の翻訳を推進するためのもの(もちろん、だれでもみられます)著作権の問題が気になっていたのだが、海外の著作権を扱っているセンターに問いあわせたところ、「問題ないと思う。万が一クレームがきた場合には(まずないだろうが)、作者や出版社の利益にもなることであり、説得は容易」との返事をいただいた。まず金原の手元にある要約を月に十冊くらいずつ載せていく一方で、来月からは、タトルやバベルで金原の知っているほかの翻訳者のものも載せていく予定。
(2)USA日記
 これは、1991年、アメリカの広報・文化交流庁から派遣されて、インターナショナル・ヴィジターとして一ヶ月ほどアメリカのエスニック作家やアーティスト、大小の出版社などを訪ねたときの日記。できれば写真も数枚そえて……と思っているが、まだ準備ができていないので、今月末に間に合うかどうか微妙なところ。
(3)「トーハン週報」に毎月一回連載している書評「ヤングアダルト講座・あれもYAこれもYA」がすでに40を超えたので、これを順次、載せていく。
(4)「流行通信」に連載してきた書評、および「今月の言葉」、これもかなりの数になるので、そのうち整理して載せていく。
 というわけで、HP、今月末から来月にかけて、いよいよ本格的に展開していきます……たぶん。


4 最後に
 石田さんからメールがあり、「大和書房のHPで江國香織さんが『ティモオン』をほめてくださってます」とのこと。早速さがしてみたら、かなり長く紹介されていて、なかに次のような文があった。
「『ティモレオン』(ダン・ローズ著、金原瑞人・石田文子訳、アンドリュース・クリエイティヴ刊)は読んですぐ(まだ春だったのに)、2003年のベスト1と決めてしまった小説だ」
 江國香織さん、豊崎由美さん、ダヴィンチの編集の方々に感謝!