あとがき大全(29)


           
         
         
         
         
         
         
    
1.『ザスーラ』
 クリス・バン・オールズバーグの『ジュマンジ』が出てから20年。ようやくその続編が出た。絵もストーリーも『ジュマンジ』をはるかに越えて素晴らしい。
 それはともかく、ほるぷの木村さんから「訳しませんか?」という話がきたとき、そくざに「OK!」といって引き受けたものの、最初に考えたのは文体だった。この作品は常体(「だ・だった」)のほうがずっと合っているような気がしたのだ。そこで木村さんと相談してみたのだが、前編の『ジュマンジ』のほうが敬体(「です・ます」)で訳されているので、できればそろえたいとのこと。いわれてみれば、それもそうなので敬体で訳すことにした。しかし出版早々、何人かから「なんで、常体で訳さなかったの?」という問い合わせがあった。常体で訳していたら、「なんで、敬体で訳さなかったの?」という問い合わせはなかったと思う。
 それと同じようなことを、徳間書店から『のっぽのサラ』の改訳版が出るときに考えてしまった。というのも、いまの自分の感覚だと、この作品は敬体で訳すべき作品ではないのだ。このことに関してはこの「あとがき大全」でも書いたので、簡単にすませるが、福武書店から出るときには、最初、常体で訳してみた。ところが編集者から、「敬体じゃだめですか?」といわれて、敬体で訳し直し、編集部で検討してもらった結果、敬体ということになった。当時は、「やっぱり、敬体じゃ堅いしなあ、これで正解か」と思っていたのだが、今回訳し直すことになって読み直すと、「やっぱり、甘ったるい」というか、「なんか、変」というのが正直な感想だった。いま改めてこれを訳すとしたらナタリー・キンシー=ワーノックの『スウィート・メモリーズ』(金の星社)の文体だなと思う(ただの常体というよりは、元気な女の子っぽい常体)。もっともこれは金原訳になっているけど、文体は「代田+橋本」。このふたりの文体だ。『サラ』もまたふたりに頼んで、手直ししてもらうのが正解かなと考えたものの、この作品には『草原のサラ』という続編があって、こちらは金原訳ではない。しかし『のっぽのサラ』の文体を継承している。もしかしたら訳者も、「『草原のサラ』は常体で訳したんだけど、金原訳が敬体だから、しょうがないや」と思って、こう訳したのかもしれない。とすると、今回の改訂版で金原がこれを女の子っぽい常体に訳し直したら、それこそ申し訳ない。それに、やっぱり正編と続編とで文体がちがうのはまずい。
 とまあ、そんなわけで、『のっぽのサラ』の改訂版、文体に関しては以前の物とあまり変わらないものになってしまった。
 しかし『のっぽのサラ』、もっと若い訳者にまかせればよかったのかもしれない。そんな気がしてならない。とはいえ、徳間から出た改訂版、なかなかの出来。表紙と挿絵を担当してくれた中村さんも、今回は細かく指示を出してくれていて(当時は、まだ駆け出しで、あまりそういうことはしていなかったらしい)、いい本に仕上がっている。
 というわけで、今月、まずは『ザスーラ』と『のっぽのサラ』のあとがきを。

あとがき(『ザスーラ』)
 クリス・バン・オールズバーグの『ジュマンジ』、おぼえてますか。ピーターとジュディがゲーム盤のジャングル世界に飛びこんでしまう不思議なお話でした。あれから20年、その続編が出ました。それがこの『ザスーラ』です。
 もし手元に『ジュマンジ』の絵本があったら、最後のページを開いてみてください。ふたりの男の子が公園のなかを走っているでしょう。そう、ダニエル(この本では、ダニーという愛称で呼ばれています)とウォルター。今回はこのふたりが主人公です。
 ダニエルとウォルターが飛びこんでいくのは、ジャングルではなくて、大宇宙。地球を出発して、ザスーラという星までいってもどってくるゲームです。さて、ふたりはぶじに帰ってこられるのでしょうか。
 さて、作者のオールズバーグ、まえの『ジュマンジ』のときも迫力のある絵と、スリリングな物語でたっぷり楽しませてくれましたが、この『ザスーラ』では、その何倍も楽しませてくれます。
 なにより絵がすごい、すごい、すごい。最高にすごい。黒一色でここまで描いてしまうなんて。それからダニエルとウォルターがいい。いつもけんかばかりしてそうなふたりの冒険物語、わくわくはらはらで、最後は感動的です。
 この絵本、きっと何度も何度もくりかえし読みたくなるにちがいありません。おとなになっても、本棚に置いておきたい絵本だと思います。

 最後になりましたが、編集の木村美津穂さん、いろいろと質問に答えてくださったオールズバーグさんと河上さんご夫妻に、心からの感謝を!

2003年8月8日                 金原瑞人
(注:河上さんご夫妻には発音の件でお世話になった。原書のタイトルは Zathura なのだが、まず、この発音がわからない。まずオールズバーグ本人に、この単語の発音と 'Tsouris' という単語についてたずねたら、次のようなメールが送られてきた。

Dear Mizuhito Kanchara,

Zathura and Tsouris3 are both planets. "Tsouris" is actually a yiddish word for "trouble." Zorgon is the name given to the aliens who cruise around in spaceships within the Zathura game. It may be that the planet they came from is also called Zorgon (or something similar like Zorgos, Zorgonia, etc.) However, in the story "The Zorgon" refers to the alien and not a planet.

Thank you for your kind words.
Good luck with "Zathura"
Yours Truly,
Chris Van Allsburg

 ああいい人だなと思ったものの、肝心の発音が書かれていない。再度、「すいませんが……」というメールを出したら、河上さんからこんなメールがやってきた。

かねはら みずひとさま

はじめまして。 わたしの主人は David Kawakami といい、 Chirs Van Allsburgの学生時代の友人です。先日、家族同士で会食したおりChris &Lisa(おくさん)より翻訳のことで相談したいといわれました。"Zathura"の翻訳です。その場で皆で発音をチェックしながら、日本語ならこうだろうと、だいたいの見当をつけてみました。わたしが日本人ということで、かねはらさんにメールをおくることになりました。
以下その発音訳です。
"Zathura"     ザスーラ (またはザスウラ。しかし気分的にはスのあとをのばすのでスのあと小さいウがちょっとはいってのばしたぐらいが完璧かもしれません)
"Tsouris 3"    ソーリス3(Tは発音しません。これはYiddish wordで意味はtroubleです。)
"Zorgon"     ゾーガン

以上の3語はChri が自分で作った造語ですが、各々planetの名前として使っています。

このメールが届きましたら、お手数ですがChris Van AllsburgとわたしのほうへE mail の返事をお願いいたします。わたしもこんな形でChrisのお手伝いをするとは思っていなかったので少々気になりますので。
それでは翻訳が順調に進み、すてきな日本語訳の "Zathura" が出版されるのを楽しみにしております。

 というわけで一件、落着。ほっとした。というのも、この絵本、『ジュマンジ』と同じく映画化が決まっていて、おそらく日本でも封切られると思うが、そのとき発音がちがっていたら、それこそ目も当てられない。
 というわけで、オールズバーグさんと河上さんには「心からの感謝を!」)


   訳者あとがき(『のっぽのサラ』

 『のっぽのサラ』の原書を読んだのは、もうずいぶんまえ、ある喫茶店でのことです。ぺらぺらとめくりはじめて読み終えるまで、もう一気でした。あれほど集中して本を読んだのは、ほんとうにひさしぶりでした。
 単純といえば単純な物語です。
 アンナとケイレブとおとうさんが住んでいる大草原のまんなかの小さな家に、サラという女の人がやってきます。サラは、おとうさんが新聞にだした広告をみて、もしいっしょに暮らせそうなら、結婚しようとやってきたのです。四人での楽しい暮らしがはじまります。アンナとケイレブはうれしくてしょうがありません。でも、心のなかでは、心配で心配でたまりませんでした。サラは、ずっとここにいてくれるのだろうか……。
 この物語が一九八五年にアメリカで出版されると、たちまち大評判になり、ついに第六六回目のニューベリー賞を受賞することになりました。
 いつもはかなり長い作品にばかり与えられていたニューベリー賞を、こんなに短い作品がもらったというので、驚いた人もいたようです。でも、この本を読んだ人なら、その理由がすぐにわかるでしょう。話が単純で、作品が短いということは、本の良さとはまったく無関係だということを、この本は教えてくれています。
 主人公のアンナをはじめ、どの人物も魅力的で、生き生きと描かれています。とくにサラ。サラはやさしくて思いやりがあるだけではありません。毎日働き、台風がくると、釘を口にふくんで、屋根に登ります。ここには夫や子どもといっしょに、たくましく生きていったアメリカの女性が描かれているのです(アメリカでいち早く女性参政権の重要性を認めたのは、大都市ではなく、田舎の地方でした。そういった地域では、女性が積極的に毎日の生活と労働に参加していて、ひとりの人間として社会に受け入れられていたのです)
 それからまわりの景色や毎日の生活も魅力的です。どこまでも広がる大草原、池の水を飲んでいる牛、ケイレブといっしょにとびはねる羊、サラのあとをばたばた追いかけるニワトリ、すさまじいあらし。どれもが、目のまえにみえるようです。そして、サラがいつもなつかしんでいる故郷の海、アンナやケイレブがみたことのない海、サラの言葉のはしばしから、その「青と緑と灰色の海」がくっきりと浮かんでくるではありませんか。
 『のっぽのサラ』はとてもたくさんの人に読まれ、続編が出ました。作者のあとがきにもありますが、『草原のサラ』です。こちらも、ぜひ読んでみてください。
(アンナの家にやってくる、のっぽでぶさいくな“Sarah”は、英語ではセアラ、またはセイラと発音するのですが、庶民的で日本人に親しみのあるサラという名前にしました。また、「ヨメボウシ」という植物がでてきますが、これは英語の“bride's bonnet”を、前後の関係でそのまま訳しておきました。小さな白い花をつけるそうです。)

 なお、この本『のっぽのサラ』(原題 Sarah, Plain and Tall)は、一九八七年に日本で一度出版されました。今回、改めて徳間書店から刊行するにあたって、訳文を見直し、細部に手を入れました。
 最後になりましたが、当時の編集者の角田大志さんと、今回の編集者の筒井彩子さん、つきあわせをしてくださった田中亜希子さん、表紙と挿絵を描いてくださった中村悦子さんと、図解つきでていねいに質問に答えてくださった作者のパトリシア・マクラクランさんに、心からの感謝を。
二00三年七月              金原瑞人


2.アヴィ、初めてニューベリー賞を受賞
 アヴィというのは、ほんとうにけれん味のない作家で、黙々と次々にいい作品を発表してきた。アメリカの児童文学界をしっかり支えているひとりだろう。そのアヴィが、ついにニューベリー賞を受賞した。え、いままでにもらってなかったの、と思った人も多いのではないだろうか。
 そう、今回が初めて。
 その受賞作『クリスピン』が11月、求龍堂から出ることになった。求龍堂が版権を取ったのは受賞のまえだったらしい。ちょうどいま担当の深谷さんが校正を相手に四苦八苦しているところ。こちらはもうほとんど、おまかせの状態。
 というわけで、こないだ仕上げたあとがきを載せておこうと思う。
 この作品、内容はというと、中世のイングランドを舞台にした、男の子が主人公の冒険小説。

   訳者あとがき(『クリスピン』)

 降りつづく雨のせいで、道はぬかるみ、鳥のさえずりもとむらいの鐘もきこえない。太陽は低くたれこめる黒々とした雲にすっかり隠れている。そんななか、少年と神父がふたりだけで墓場へひっそりと遺骸を運んでいく。
 時は一三七七年、舞台はエドワード三世が治めていた中世のイングランド。物語は葬儀の場から始まる。母子ふたりで貧しい暮らしをしていた十三歳の少年クリスピンは母親をなくし、ひとりになってしまった。父親はいない。村人たちは以前からふたりをよそ者あつかいして、よそよそしかったが、母親をなくしたクリスピンにも冷たい。それに追い打ちをかけるように、荘園の執事が税金を取り立てにくる。
 途方にくれていたクリスピンはやがて、命をねらわれていることに気づく。しかし、虫けらどうぜんの自分がなぜそんな目にあうのか……その秘密を知っていたらしい神父は謎の死をとげ、クリスピンはおそろしさのあまり村から逃げ出す。母親の形見である鉛の十字架を首にかけて。
 まず、ここまでが一気に語られる。
 そして、寒さと空腹と孤独に打ちひしがれてさまよううちに、「熊」という名の大男に出会い、クリスピンの運命は一転する。なぜ命をねらわれるのか、鉛の十字架に秘められたものとはなにか、音楽や軽業をして旅を続ける「熊」とは何者か、そういった謎がさらに謎を呼ぶ。こうして、どこまでも追ってくる男たちをかわしながらの、手に汗を握る冒険が始まる。
 クリスピンは無事、安全な地にたどりつけるのか、そして「自由」を手に入れることができるのか。
 久々に、少年を主人公にした冒険小説の傑作に出会った。とにかく、おもしろい。読み出したとたん、すごい勢いの渦に巻きこまれて、息もできない状態で……というか、息をするのも忘れて、気がついたら読み終えていた。次々に、たたみかけるように起こる事件、深まる謎、それとともに語られる、クリスピンのめざましい成長。
 冒険小説はこうでなくちゃいけない。
 それに登場人物の魅力的なこと。命をつけねらわれ逃げ回るうちに少しずつ自分の殻から出ていくようになるクリスピン。太鼓腹の大男で、歌も踊りもジャグリングもうまい旅芸人……だが、ひと癖もふた癖もある、不思議な男「熊」。まるでヘビのようにクリスピンを追う執事。これらの人物がからみあいながら、ストーリーがどこまでもふくらんでいく。
 しかしなによりこの作品のおもしろいところは、その中心に「自由」を持ってきたところだろう。
 十四世紀、封建王政のイングランドといえば、王、貴族、騎士たちが活躍した時代で、そういった人びとを主人公にした作品は多い。ところが作者のアヴィは、しいたげられ、重い税金に苦しむ小さな村の少年、それも村人たちからつまはじきにされている孤独な少年を主人公にした。その目から、一般の人々とその生活をながめ、驚くほどリアルに描いていく。そしてそのなかに、当時の貧しい人々のあいだにようやく生まれかけた、ささやかな「自由」への憧れをみごとにとらえ、それをクリスピンという少年にたくして描ききった。
 この冒険小説はクリスピンの「自由?」からはじまり、クリスピンの「自由!」で終わるといってもいい。
 最後がどうなるかはいうまでもない。冒険小説の終わりは、こうでなくてはいけない!

 アメリカを代表する児童文学・ヤングアダルト作家のアヴィは一九三七年生まれ。すでに百冊以上の本を書いていて、日本でも『シャーロット・ドイルの告白』『星条旗よ永遠なれ』『ポピー──ミミズクの森をぬけて』『ポピーとライ──新たなる旅立ち』『クリスマスの天使』などの翻訳がある。そしてボストングローブ・ホーンブック賞、ゴールデン・カイト賞、スコット・オデール賞など数々の賞を受賞している。大活躍の作家のひとりだ。
 しかし児童書・ヤングアダルト向けの本を対象としたアメリカ最大の賞であるニューベリー賞だけは、何度かノミネートされたことはあるものの、まだ受賞していなかった。本人、かなりくやしかったと思うが、ついにこの『クリスピン』で念願がかなった。アヴィのホームページをのぞいてみると、最初のところに「ニューベリー賞受賞!」と書かれている。
 アヴィのいい部分ばかりが凝縮された作品といっていい。アヴィの代表作としてこれからも長いこと読み継がれていくにちがいない。

 なお、最後になりましたが、翻訳協力者の西田佳子さん、原文とのつきあわせをしてくださった久慈美貴さん、大奮闘の編集者深谷路子さんに、心からの感謝を!

     二00三年十月八日
                                金原瑞人


3.フランチェスカ・リア・ブロック
 じつは今月号に、フランチェスカ・リア・ブロックのあとがきをまとめて載せるつもりだったのですが、来月号にします。そろそろ『薔薇と野獣』(東京創元社)と『人魚の涙、天使の翼』(主婦の友社)が出る頃なので、まあ、来月、二冊が出そろってからというのもいいでしょう。
 ところで、「流行通信」に連載している書評がいよいよ、金原のHPにアップになります……といっても、ぼくは書きためたものを森さんに送るだけ。いま森さんが悪戦苦闘中です。10月末までには2000年11月号から2002年12月号までのものが載ると思います。どうぞ、のぞいてみてください。それぞれに趣向がこらしてあって、おもしろいはず。