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1.アートガーデンのこと 先月はお休みして申し訳ありませんでした。今月から、ぼちぼち、再会したいと思っています。が、じつは先月、妹(長尾邦加)が他界して、そのため故郷の岡山との行き来が多く、また時間を取られ、仕事が山積。もともと、すぐ後ろから〆切が追いかけてきていたのに、今では〆切ははるか先を走っている状態です。 というわけで、今回はほんの名ばかりの登場で、タイムリーにやってきたエッセイふたつが主役です。そのあとにあとがきをひとつ。 しかしそのまえに、アートガーデンのことを少し紹介させてください。 アートガーデンというのは、2002年5月19日、岡山市にオープンしたギャラリーです。メイン・ギャラリーは天井高5メートル、床面積35坪で、アートの展示のみならず、詩の朗読会、コンサート、映画鑑賞会などにも使えるように設計されています。また、アトリエ・カフェでは、小品の展示ができます。その他、貸しルームもあり、様々な勉強会やサークルの集まりなどにも使えるようになっています。 これを企画したのが妹でした。アートと音楽と文学の交流の場にしたいと強く願っていました。昔からこの三つ、どれもが大好きだったので、ぜひこういう場を作りたいと思っていたようです。 ところがオープンしてすぐに乳癌で手術。病院に一泊して、次の日にはアートガーデンで働いていました。そして草間彌生などの大物の大規模な展示から(おそらく西日本最大級)、新人の発掘まで、驚くほどヴァリエーションに富んだ企画を次々に実行に移していきました。 しかし癌が再発し、再手術。手術後そのまま退院して、ギャラリーの仕事にもどり、一時は元気に夜遅くまで働いていたのですが、半年ほどまえ、ついに入院。つい先月、息を引き取りました。葬儀は2004年5月19日。ちょうど、オープンから二年目でした。 まったく人騒がせなやつ、というのが兄としての正直な感想です。が、その理想には多いに賛同していて、なにか協力できることはないかといつも考えていました。 このアートガーデン、ギャラリーのスタッフと妹の夫がまだ数年は続ける模様です。 というわけで、ひとつ、ここで宣伝です。 じつは、今年の7月、「A4展」が開催されます。これは去年も開かれて、話題を呼んだ企画です。アートガーデンの紹介を引用します。 プロからアマチュアまで真剣に遊ぶ 作者名をはずして 第2回 A 4 展 −昨年さまざまな反響を頂いたA4展 今年第2回開催− A4サイズの作品を募集します。作品はギャラリーに展示し、販売します。プロ・アマ問いません。ただ、展示のとき、作品の横にはタイトルとプライスだけ、作者名は出しません。買われた方だけに、作者のプロフィールをお渡しします。 作者名のない作品展です。 何百年も前、中国の文人がこう書いています。「民衆は彼らの耳によって絵を批評する」と。ゴッホと聞いたから買おう、ニューヨークで話題になったと聞いたからすばらしい、紀元前の色というから美しい……。何百年たった今でも、私たちは変わらないのかもしれません。 今一度、自問してみたいと思います。「作品を前にしたとき、私たちは自分の目で、素直に作品を見つめ返しているだろうか。作品と出合い、感動し、生きていることはすばらしいと思う、そこに必ずしも作家の名前、肩書き、世間的な評価が必要なのだろうか」と。 作品に言葉を添え、見る人にわかりやすく解説すること。それによって世界がひろがり、新たに生まれる感動もあります。また、それが美術館やギャラリーの役目の一つでもあり、もっとも大切なことだと思います。しかしときには、よぶんなものを一切はぎとって、作品とだけ向き合うことで、見えてくるものもあるのではないでしょうか。 そういう意味で、このA4展に並ぶ作品には作家名はつけないでおきたいのです。あるのは、タイトルとプライスだけ。目の前の作品だけをしっかりと見て、楽しんで、選びとっていただきたいと思うのです。そして、買われた方だけに、作家の名前とプロフィールをお渡ししたいと。 作り手は、名前をはずして真剣に遊び、買い手は自分の目だけを頼りに、作品を見極めてください。アマチュアの方はもちろん、プロの方もときには、素材を変え、画風を変え、いつものままでも、夏のフェスティバルとして大いに遊んでいただければと思います。 作り手も買い手も、アートの原点に返って作品に向き合う、そんな楽しい冒険になりますように。皆様のご参加を心よりお待ちしています。(故 長尾邦加) とまあ、こんな企画です。 じつはぼくの文化学院の教え子で、いまイラストを描いている辻さんという子がいて、彼女から、ポストカード展のことをきいたことがありました。それはいろんな作家が、ポストカードの大きさの作品を持ち寄って、べたべたべたべたーっと、壁に貼って展示するというものでした。それを妹に話したところ、「あ、おもしろいねえ」といって、それからしばらくしてこの「A4展」のアイデアが出てきました。 これを実行に移そうとしたとき、何人かのアーティストやギャラリーから反対の声があがりました。つまり、ギャラリーでの絵の値段というのは、その絵の価値そのものの値段ではない。それは、そのアーティストがそれまでに積み重ねてきた努力と作品の上にあるもので、また、その作家の将来性をもふくめた値段なのだ、という意見です。ある意味、正論であり、さて、どうなることかと危ぶんでいたのですが、ふたを開けてみると、心配するほどのことはなく、マスコミからの取材も多く、また多くのアーティストの方々もおもしろがって参加してくださることになりました。 そして、有名無名のアーティストの作品から、その弟子たちの作品から、町内会長や十代の人たちの作品までが並ぶことになったのです。 あるアーティストが「A4展」にいって、気に入った作品を買ったところ、自分の弟子の作品だとわかって、思わず笑ってしまったとか。そんなエピソードもあります。また、このときの作品が注目されて、のちに、個展を開くことになった素人のアーティストもいます。 というわけで、この宣伝です。ぜひ、興味のある方はご参加下さい。ご自身、興味がなくても、お知り合いの方に。そしてまた、ぜひ、岡山のアートガーデンを訪ねてみてください。 開催期間は7月28(水)〜8月8日(日)。詳しくは金原のHPにリンクしているアートガーデンのHPを見てください。 2.海外情報 翻訳家になるには留学はしたほうがいいのかどうか、とよくたずねられることがある。金原の場合、留学経験はない。翻訳を始めて、大学に就職して、6年ほどしてサンフランシスコに在外研究でいったが、それもむこうの大学で勉強をしたのではなく、いろんな人に会ったり、資料を集めたりという日々で、留学という感じのものではない。したがって、金原程度でよいのであれば、留学経験は必要ないということになる。そもそも、ぼくの翻訳の教え子で現在、翻訳界で活躍している人は20人を越えるが、留学経験のある人はおそらくひとりもいない。 現在、大学の英語の教員になろうと思うと、留学経験の有無を問われることもあるが、翻訳の場合は、あまり関係ない。 もちろん留学経験は、あったら、あったにこしたことはない。というのも、若い頃(いや、年とってからでもいいのだが)外国で勉強をするのはとてもいい刺激になるからだ。やっぱり肌で感じる外国と、本で読む外国は違う。それになにより、留学をすると、多くの場合、ひたすら勉強に打ちこむことになる。アルバイトもせず、親の手伝いもせず、ひたすら勉強である……たぶん。そういう経験は国内ではまずありえない。理想の期間といえる。というわけで、若い人々にはぜひ留学をと勧めたい。 正直いうと、よくわからないのだ。外国はやはり外国であって日本ではない。まあ、当たり前といえば当たり前だが、たまにそれをひしひしと感じることがある。よくある例が、海外からのメール。やっぱり、リアリティがある。 つい最近でいえば、ニューヨークにいっている海後さんからブロードウェイのミュージカルにいったときの感想がきたとき。これがおもしろかった。それから、もうひとつはイギリスに留学している秋川さんからきた、サッカー観戦記、これも楽しかった。とくにスコットランド人の屈折した気持ちがよく表れていて、ああそうなんだと、思わず膝をたたいてしまった。 というわけで、今回はそのふたつのエッセイを載せることにしよう。 3.ブロードウェイに行ってきました:トニー賞対決、Wicked vs. Avenue Q 6月6日、アメリカの演劇界でもっとも権威あるとされる、第58回トニー賞が発表されました。それに前後して、ブロードウェイ・ミュージカルのノミネート作品から、「ウィケッド」と「アベニューQ」を観てきました。実はこの二本、最多ノミネートでベストミュージカル賞も受賞確実といわれていたウィケッドに対し、オフ・ブロードウェイからブロードウェイに進出してきて、大方の予想を覆し、ベストミュージカル賞をさらっていったアベニューQと、明暗を分けた二作品なのです。 公式サイト: http://www.wickedthemusical.com/ http://www.avenueq.com/ 一作目の「ウィケッド」は、ガーシュウィン劇場で上演中。映画で親しまれている「オズの魔法使い」を魔女たちの視線で描いたらどうなるか、という設定をもとに、ドロシーが目にすることのなかったもうひとつの物語が繰り広げられます。西の魔女――ここでは、ちゃんとエルファバという名前がついています!――の生い立ちに始まって、西の魔女はなぜ緑色なのか、そしてなぜ wicked witch になったのか。ライオンはなぜ弱虫で、ブリキ男はなぜブリキの体なのか、そもそもオズの魔法使いとは何者なのか? ウィケッドを見るとわかります。さらに、「良い魔女」グリンダと「悪い魔女」エルファバの若き日の友情、夢と挫折、ほろ苦い恋も……。原作は、Gregory Maguire の "Wicked: The Life and Times of the Wicked Witch of the West" で、邦訳も出ています。(「オズの魔女記」廣本和枝訳 大栄出版) 舞台は、これぞブロードウェイ・ミュージカルという華やかさで、衣装も豪華なら舞台装置も大仕掛け。ダンスシーンも魅せますし、魔女ふたりの歌もすばらしかったです。クライマックスでは舞台の天井の高さを生かして、西の魔女エルファバが Defying Gravity を熱唱しながら空に舞い上がります。(そして、オフィシャルTシャツの背中にも Defy Gravity のロゴが。) 当日は、トニー賞に先駆けて発表されるドラマ・デスク賞(演劇批評家などの主催する賞)受賞が決定した直後ということで、出演者も観客もたいへんな熱気でした。子どもから大人まで十分楽しめることや、英語がちょっとくらい聞きとれなくてもあまり迷子にならずに話を追えるし、笑える(!)という点でも、幅広い観客を集めそうな気がしました。前もってジュディ・ガーランド主演の映画「オズの魔法使い」を見て(見直して?)おくと、いっそう楽しめそうです。 対する「アベニューQ」は、ジョン・ゴールデン劇場で上演中。ウィケッドとは対照的に、舞台も小さく客席も796席という、こぢんまりした劇場です。大道具もいたってシンプル――マンハッタンの下町らしき、汚いレンガの二階建てアパートが再現され、舞台脇には、大型の平面テレビが取り付けてあります。 内容をひと口に説明すれば、「ミュージカル版、成人指定セサミストリート」でしょうか。明るく楽しくかわいい「セサミ風」と見せかけて、人種ネタ、SEXネタ、同性愛ネタのジョークから社会風刺まで、たっぷり毒のこもったアンバランスさが痛烈です。大型テレビには、かわいい教育番組風アニメーションが流れて演出を助けるのですが、これまたシニカル……。 主人公は大学を出たての二十二歳、プリンストン君。安いアパートと人生の意義を探してアベニューQにたどりつき、最初に歌うのが、What Do You Do with a B.A. in English? アパートはすぐに見つかりますが、人生の意義のほうはそう簡単にはいきません。一方、プリンストンを待ち受けるアベニューQの住人たち。人間、パペット、モンスターと色とりどりですが、やっぱりだれもが自分の人生に不満で、だれが一番不幸かを競って、It Sucks to Be Me! と(軽快に)歌い上げます。ストーリーは、プリンストンとモンスターのケイトとの恋を中心に、住人同士の友情やケンカや結婚をへて、最後にはそれぞれの夢がとりあえず実現し……といった調子で、まるで長屋の人間模様(!?)というか、要するにたいしたストーリーはないのですが、ツボにはまるととにかく笑えます。二時間あまりの舞台、観客席にはほとんど笑いが絶えませんでした。ただし微妙なジョークが多いだけに、聞きとるのは難しいかもしれません。わたしの場合は、実はCDを買って「予習」していきました。先に話がわかってしまうのは残念でしたが。 ちなみに登場人物のなかには、クリスマス・イヴという妙な名前の日本人もいて、人種ネタに大きく貢献しています。コメディアン志望で失業中のさえない白人男性と婚約している太めの女性で、修士号をふたつも持っていて、カウンセラーの資格もあるんだけど、英語はめちゃくちゃ……と、痛いところを突いてくるキャラでした。 ところで、パペットと俳優が混在する劇というのは、想像しにくいかもしれません。セサミストリートでもそうですが、普通、人形劇には人形使いの隠れる場所が必要ですよね? 文楽のように黒子となって「見えないことにする」という手もありますが、このアベニューQはちょうどその逆で、パペットを操る俳優を積極的に見せてしまい、俳優がパペットと同時に同じ演技をする、という方法を取っています。(というより、俳優がパペットを持って演技している、といったほうがイメージしやすいでしょうか)それによってパペットは舞台上のどこにでも移動して、踊ったり歌ったりできるわけです。また、俳優さんの表情がパペットの表情とそっくりで、とても不思議な効果を上げていました。 観客は、ほぼ全員大人で、(パペットの熱いベッドシーンがあるので、子どもにはちょっと……)それも、かなり好き嫌いがあるかもしれません。終幕ではブッシュ大統領批判も飛び出すので、共和党支持者の方はご注意を。 というわけで、どちらもコメディ仕立てでありながら、とても対照的な二作品。どちらが気に入るかは本当に見る人次第だと思います。ただ、いかにも王道を行き、お金もかかっていそうなウィケッドよりも、新しさとアイデアで勝負したアベニューQにトニー賞のベストミュージカル賞の軍配が上がったのは、愉しい波乱だったかな、という気がしました。(6月15日 海後礼子) 4.サッカー観戦記 さしてサッカーに興味があるわけではなく、それどころかルールの理解度もかなりあやしいというのに、なぜか、先日の欧州選手権をかなり熱いサッカーファンの方々といっしょに観戦してきました。発端はフランス人の友人で、彼の友人宅で対イングランド戦をテレビ観戦するからいっしょに来ないか、と誘われ、ほかの友人数人と連れ立って出かけたのでした。しかし、日本チームが出場しているというわけでもなく、ヨーロッパのサッカーチームや選手に関する知識などほとんど持ち合わせていない私にしてみると、声をかけてくれた友人の手前、はじめからなんとなくフランスサイド。しかし、それがどんな意味を持つのか、すぐに…… その友人というのは、自分でも毎週1度はサッカーをするというサッカーファンで、当日は当然、フランスの青いユニフォームを着て待ち合わせ場所に登場。通りを走る車にはイングランドの白いフラッグがはためき、玄関や二階の窓にも同じ白い旗をかざしている家も多いこの国で、青いユニフォームは目立つ目立つ。しかも、対フランス戦の当日と来ているから、通りのあちこちでイングランドのユニフォームを着た男の子や、白と赤でコーディネイトした女の子や、巨大な旗を身にまとって歩く人をみかけるというのに、よりによって敵チームのユニフォームを着て堂々と歩く友人……。すれ違うイングランド人は必ず振り返るし、車の中からも指をさされるし、通りで遊んでいた子どもたちにはかなり挑戦的に話しかけられるし、挙句、いっしょにいた私たちも「おまえはどっちの味方なんだ」と半ば威圧され……。とりわけ、目的地の友人宅があまり治安のよくない地域にあって、追い剥ぎにあったとか、若いお兄ちゃんにからまれたとか、お金をせびられたとか、そんな話題が尽きない地域だったものだから、下手をしたら今日フランスのユニフォームを着ているだけで、やんちゃな若者のターゲットになるんじゃ……とひやひやしていました。友人いわく、「今はまだ試合前だからいいけど、フランスが試合に勝った後じゃ(彼は当然フランスの勝利を確信)この格好はちょっと危険かもしれない。だけど、上からはおれるジャケットをもってきたから大丈夫だよ」とのこと。 そんな。 しかも、その友人宅には20人ほどがテレビ観戦に集まる予定だったのですが、みんながみんなフランスサイドというわけではなく、イングランドサイドの友達もやってくる、その割合の方が高いかも、とかきいてしまい、一体どんなことになるんだろうと次第に不安になってしまいました。 いってみると、彼と同じくフランスのユニフォームを着たフランス人の男の子が数人、イングランド側が10人ほど、それからフランスのユニフォームとは違った青いユニフォーム姿の男の子がひとり。観戦中の様子からするとその男の子もフランスサイドのようで、どういうことだろうと思っていると、彼はスコットランド人だとのこと。なるほど、確かに彼の英語にはすごく強い訛りが。そしてそれはスコットランドのユニフォーム。 しかしそれにしても、試合中フランス側が優勢になるとフランス人に混じって歓声を上げ、イングランドよりの審判にいっしょになってブーイングを送る姿をみて、英国の複雑なお国事情を垣間見た感じでした。 結局、試合は2−1でフランスの勝ち。友人は当然ながらご機嫌でしたが、他のイングランド人にしてみればおもしろいはずもなく、その後はみんなでパーティをするでもなく、早々に友人宅を引き上げました。当然、私の友人は上からジャケットを羽織って、フランスのユニフォームを隠しつつ、の道中に。 後日談ですが、翌日、彼が学部に出かけていくと、イギリス人たちは前日の試合のことをまったく口にしなかったのと対照的に、彼の指導教官であるスコットランド人はすこぶる機嫌がよかったとか。もちろん、イングランドが負けたから。 ううん、そういうものなのか、とうならせられる一件でした。 (6月19日秋川久美子) 5.あとがき(『バースデー・ボックス』) ひとつ、宣伝です。じつは7月の初めにメタローグという出版社から『バースデー・ボックス』という短編集が出ます。数年前から、翻訳の教え子6人が集まって、好きな未訳の短編を訳して持ち寄るという勉強会を開いています。そろそろそれが100編近くたまってきて、どうしようと思っていたのですが、その一部は角川書店の『野生時代』に(そのうち)載ることになり、またほかの一部はめでたく、このような形で単行本になることになりました。これは金原、監訳ということになるのかな。 粒よりの8編、どうぞ味わってみてください。 というわけで、この短編集のあとがきを最後に。 あとがき(『バースデー・ボックス』) 訳した本もそろそろ二百冊近くになるのだが、振り返ってみると、短編集というのがあまりない。せいぜい岩波少年文庫の『モルグ街の殺人事件』(エドガー・アラン・ポー)『最後のひと葉』(O・ヘンリー)といった古典か、『幽霊の恋人たち』(アン・ローレンス)『不思議を売る男』(ジェラルディン・マコーリアン)『明日のまほうつかい』(パトリシア・マクラクラン)といった連作短編集くらいで、新しい作家の、連作でもなんでもないただの短編集というのは『少女神第9号』『薔薇と野獣』(フランチェスカ・リア・ブロック)『ローン・レンジャーとトント、天国で殴り合う』(シャーマン・アレクシー)といったところだ。 あまりに少ない……と思う。しかし考えてみれば、日本の翻訳物は、短編集が極端に少ない。一方、欧米のブックカタログをみると、次々に出ている……が、おもしろいことにというか、残念なことにというか、短編集がベストセラーになることはあまりない。やはり売れるのは長編なんだろうと思う。やはり、それぞれに意匠を凝らした点心のコースよりフカヒレラーメン大盛りのほうがインパクトが強い……のだろうか。 しかし再び考えてみれば、本を読み出した中学校以降、自分でも信じられないほどたくさんの短編集を読んできたし、一時は夢中になったこともある。レイ・ブラッドベリ、フレドリック・ブラウンといったSF系からウィリアム・アイリッシュ、アガサ・クリスティといったミステリ系から、リラダン、ピエール・ド・マンディアルグといったフランスの幻想小説から、ボルヘスやマルケスといったラテンアメリカ作家のマジックリアリズムものから、最近の日本でいえば、『遊動亭円木』(辻原登)『家守綺譚』(梨木香歩)『こうちゃん』(須賀敦子)『私が語りはじめて彼は』(三浦しをん)といった作品まで、それこそ好きな短編集は山ほどある。 蛇足ながら、そのなかで最も好きな短編はと問われると、マルケスの「美しい水死人」(『美しい水死人』ラテンアメリカ文学アンソロジー/福武文庫収録)かな。 それはともかく、無類の短編好きとしては、ひっくり返す前のおもちゃ箱のような短編集をひとつ作ってみたかった。それもひとりの作家によるものではなく、いろんな作者が書いたものを集めたものを。そんな考えが浮かんだのが五年以上前のこと。 もちろん、それまでに自分で訳しためていたものもあったのだが、それだけでは足りない。しかしちょうどうまい具合に、翻訳好きのグループがこの企画にのってくれた。そして最初の頃は毎月、やがて隔月になるのだが、好きな短編を訳して集まることになった。もちろん未訳のもの……とはいえ、訳してみたらすでに翻訳が出ていたこともあれば、訳して持ち集まって、しばらくしてその翻訳が出たりといったこともたまにある。 そうやって集まった短編が約百編。なんとか本にまとめて出せないものかと思っていたら、メタローグから話があった。そこで、金原があらよりをして数十編にしぼり、そのなかからさらに編集者に選んでもらって、できあがったのがこの本である。 この翻訳グループのスタッフは六人。それぞれが色々読んだなかから好きな短編を訳してくるのだが、その多様さには驚いてしまう。非常に現代的で強烈な作品が好きな人もいれば、ごくありふれた日常の一部をうまく切り取ったような作品が好きな人もいれば、うまくオチの決まった作品が好きな人もいれば、なんだかよくわからないんだけどおもしろいという奇妙な作品が好きな人もいれば、アイルランドとかの地域にこだわって作品を選んでくる人もいる。 そんなわけで、ここには色んな味の短編が集まっている。 ただ、様々な短編から金原が選び、それをメタローグの編集者が選んでできたこの本、不思議なことになんとなく統一感がある。 ともあれ、選びに選んだ作品集、どうぞ楽しんでいただきたい。 翻訳グループのメンバーは、圷香織、井上千里、冨永星、西田登、船渡佳子、元野佳代の六人。もちろん隔月の集まりは継続している。次の短編集も乞うご期待! なお最後になりましたが、メタローグの吉田朋子さんには膨大な量の短編を読んでいただいたうえ、その他ずいぶん無理な相談にものっていただきました。心からの感謝を! 二00四年 六月七日 金原瑞人 6.『ホエール・トーク』 もうひとつ宣伝です。 今年、ヤングアダルトむけの本のなかでは一押し! もう何もいわないから、読んでくれといいたい一冊。 ついさっき、ひこさんから感想がメールで送られてきたので、それを紹介しておきます。たぶん、これで十分でしょう。 金原さん 遅くなったけど、『ホエール・トーク』読了。 訳してくれた金原さんと西田さんに感謝! これぞYAです。 主人公(語り手)をスポーツ万能、頭脳明晰に設定しているのが、まずいい。普通はこの辺り、リアルさに欠けるかなとちょっとビビッて、等身大の若者にしてしまうのが常やけど、「語りたいことを語るためには、こいつしかいないんだ」と作者は覚悟を決めているよね。 ストーリー設定や展開が、すごくスタンダードなのも、キャラ設定と同じ意図だと思う。展開に驚くのではなくて、共感が先に立つ。そして、主人公の言葉の一つ一つ、彼と対話する人々の言葉の一つ一つがとても判りやすく心に入ってくる。 語られることの重要さが良く判る物語やった。 ひこ・田中 |
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