あとがき大全(39)

金原瑞人

           
         
         
         
         
         
         
    
1.SOS
 じつは今年、青山出版社から出る予定になっていた翻訳6冊が発売見合わせになってしまった。6冊の内訳は以下の通り。
 まず、ドナ・ジョー・ナポリの作品4冊。
(1)Beast
(2)Crazy Jack
(3)Breath
(4)Zel
 それからグリム兄弟をオオカミの側からみた寓話風の物語。
(5)Darkest Desire : The Wolf's Own Tale by Anthony Schmitz 最後に、ホリー・ブラックのモダン・ファンタジー。
(6)Tithe
 以上5冊のうち、(1)はすでに校正も終わっていて、(2)(5)(6)は訳し終わったところなのだが、青山出版社のヘッドが入れ替わってしまって、いきなりの方向転換。当分、文芸書を出す予定はないとのこと。さて、困った。
 もし、出版を検討してもいいという編集者か出版社があれば、ぜひぜひ、ご一報を!
 参考までに、以上6冊の要約を、金原のHPに載せておきます。
 http://www.kanehara.jp/

2.絵本の翻訳ということ
 戦後、翻訳の絵本ががらりと変わる。なにが変わるかというと、文字組みが変わる。つまり、縦書きが横書きになる。戦前の絵本は日本ものも、翻訳ものもほとんどが縦書きだった。先日、そんな話をしていたら偕成社の編集者、広松さんが「戦後、福音館が横書きの絵本を出したときは、かなり強い批判があったらしい」と教えてくれた。
 当時の、縦書きのものが横書きになることに対する反発は、わからないでもない。しかし現在、絵本は国内作家のものもふくめ、横書きが大勢を占めている。横書きか縦書きかということは、ある意味、非常に大きな問題のような気がするが、いったん変わってしまえば、ほとんど問題にならなくなってしまうようなところがあるらしい。
 そもそも縦書き文化の最長老格である中国でさえ、文化大革命以降、文字も簡略化され、文書、文章はすべて横書きになった。漱石、おう外、村上春樹、山田詠美などの中国語訳もすべて横書きである。ついでに書いておくと、韓国では戦後ハングルが普及するが、それと平行して、すべて横書きになっていく。
 考えてみれば、現在、縦書きを固守しているのは日本と台湾くらいのものだろう。その両国でも、パソコンはいうにおよばず、日常生活でお目にかかるのは多くが横書き表記のものばかりなのはいうまでもない。
 にもかかわらず、現代の日本で小説といえば、ほぼ九九・九%が縦書きである。そしてだれにきいても、「やっぱり、小説は縦書きでしょう」という。
しかしそれはただの慣れでしかないと思う。明治以降、書き言葉の多くが文語から口語へと移行していくが、やがてそれにだれもが慣れていって、逆に文語の文章が読みづらくなっていく。この文語から口語への移行はある部分、質的な変化を伴っているから、その途中ではかなりの違和感があっただろうが、縦書きから横書きへの移行は、それにくらべればはるかに容易だと思う。
 現在、横書きの小説が出てこないのは、出版社が出さないからである。それも「横書きの小説は売れない」というジンクスがあるからであって、そこに明確な理由はまったくない。しいていえば、「慣れ」と「好み」の問題でしかない。だから、ベストセラーの横書き小説が誕生すれば、こんな慣習はとたんにひっくり返ってしまう。絵本のときとまったく同じである。
 じつをいうと、横書きの小説がないわけではない。いままでにもいくつか出ている。水村美苗『私小説 from left to right』もそうだし、実験的な作品としては福永信の『アクロバット前夜』がある。こちらのほうは横書きの短編集なのだが、なんと、まず一行目をずっと読んでいく形になっている。つまり一頁目の一行目を読むとつぎは二行目にいかず、二頁目の一行目にいく、という形。そして最後の頁の一行目を読み終えたら、また一頁目にもどって、二行目を読む。
 ぼくとしては、これら二冊の横書き小説、とてもおもしろい。が、あまり売れていない。早く横書き小説のベストセラーが出ないものかと思う。なぜなら、表現の幅が広がるからだ。横書きもOKよとなれば、手法的にも感覚的にも幅が広がる。それはそれでまた楽しい。その結果、縦書きが駆逐されたらされたで、それもまたよし。言葉というのはそんなものだろう。
 もしそうなった場合、世界に数少ない縦書き文化を守ろうという運動が起こるかもしれない。が、それもまた、それでいい。いろんな自由があっていいと思う。
 そもそも、『ブリジット・ジョーンズの日記』をなんで縦書きで出すわけ? だいたい、いまどき、日記を縦書きで書く人間いるか? うちの母親は80歳だが、その母親でさえ日記は横書きである。ブリジットは30代だよ。そのうえ、ロンドンに住んでいるイギリス人だよ。なんのリアリティもないじゃん。そこまでして守る縦書き文化って、なんだろう。またそれがベストセラーになるしね。まあ、そんな気がするわけなのである。
 日本の出版界は総じて保守的である。それはこの縦書き問題を考えてみればよくわかる。これだけ横書きが普及して、教科書にしても国語以外はすべて横書きだというのに、小説やエッセイはほとんどが縦書きなのだ。日本の新聞界も総じて保守的である。あれほど英語や数字がたくさん出てくる記事をなぜ、いつまでも縦書きにするのか。横書きのほうが読みやすいに決まっている。
 こんなことを書くと、石川九楊あたりから怒声が飛んでくるかもしれない(ぼくは石川九楊の『一日一書』の大ファンで、彼が縦書きを信奉し、パソコンなどの横書きの廃絶を唱えている、その姿勢はおおいにかっている) けど、横書きの小説があってもいいとも思うのである。うむ、矛盾といえば矛盾なのだが。

 まあ、横書き問題はこのへんにしておいて、絵本の翻訳でもうひとつ気になっていることについて書いてみよう。
 たまに耳にするのが、絵本の翻訳でずいぶん原作と内容がちがっているものがあるという指摘だ。翻訳というよりまるで創作になっているものもあるらしい、というか、ある。日本では戦後、原作・原典至上主義が唱えられるようになって、翻案物の価値、評価が一気に下がった。ぼく個人としては翻案は大好きだし、ひとつの文学的方法としておおいに使えると思っているのだが、現在の翻訳界はその方向に動いていない。あくまでも原文を尊重するという立場に立って行われている。かくいう金原も原文を尊重して、そのままに訳している。もちろん、絵本を訳す場合もほぼそのまま訳している。ところが、絵本だけは例外が認められているようなのだ。それも日本だけでなく、世界的に。
 数年前、あかね書房の編集者、重政さんからおもしろい話をきいた。ある絵本の英語版を読んでおもしろいと思い、オリジナルのドイツ語版を取り寄せたら、なんと内容がちがっていた。それもかなりテーマにかかわる大きな部分が。ぼくはそれをきいて、へえ、日本だけじゃないんだと意外に思ったのをよく覚えている。
 そしてつい先日、翻訳家の三辺さんからも同じようなメールをもらった。ちょっと引用してみよう。これは英国版と米国版のちがい。オリジナルは英国版。

 そういえば、昨日ちらとお話した絵本のイギリス版とアメリカ版の違い。まず、ストーリー自体は、星と友だちになりたいと思っていた男の子がいろいろな方法を試したり、考えたりするんですけれど、なかなかうまくいかなくて、でも最後にようやく“ぼくだけの星”を手に入れる、というシンプルなものです。
 一つ目の大きな変更点は、ロケットで星をとりに行こうとするけれど断念する場面で、その理由が、イギリス……月へいったため燃料切れで使えない。アメリカ……オモチャの紙製のロケットだから使えない、でした。
 もうひとつは、主人公の男の子が、最後に星を手に入れるとき、(それは海に浮かんでいたヒトデなんですけれど)、イギリス……きっと海岸に打ち寄せられるだろうと思ってじっと待っていて、手に入れる。アメリカ……海に浮かんでいるのをとろうとしたけれど取れなくて、がっかりしながらも「あきらめられない」と思っていると、海岸に打ち寄せられている星(ヒトデ)を発見する、という違いでした。(ちょっと、はしょっているので、説明がわかりにくいですか?)
 お国柄の違いが出ているってやっぱり思いました。能動的かつ合理的なアメリカーーー。テーマも、微妙に違ってくる感じです。
 念のため、タイトルはHow to Catch a Star (多分邦題は『見つけたよ、ぼくだけの星』)作者はOliver Jeffersです。まだ若くて、イラストレーター出身なので、この絵本も最初にイラストありき、だったような気がします。だからテキスト変更もありだったのかな、って思いましたけれど、ただの想像です。オーストラリア生まれ、アイルランドのベルファスト育ち。
 これも個人的な印象の域を出ないんですけれど、イギリス版(Harpercollins)のほうが、ぼくだけの星がほしい、っていう男の子のシンプルな気持ちが中心になっている感じで、アメリカ版(Philomel)のほうが、手に入れる過程に重点が置かれている感じもします。
 何はともあれ、イラストはとてもいいと思います。HPで見られるんですけれど、http://www.oliverjeffers.com/ やたら見にくいHPです。懲りすぎていて。ちょっとマリオブラザースの隠しアイテムを探しているみたいな感じ(そんなに面白くないけど)。

絵本の翻訳、ちょっと気になりませんか?

3.あとがき
 今回はあかね書房から出た『臆病者と呼ばれても:良心的兵役拒否者たちの戦い』(マーカス・セジウィック)。これは第一次世界大戦のとき、兵役を拒否したふたり(30歳のハワードと20歳のアルフレッド)を扱ったノンフィクションで、内容はもうそのままあとがきを読んでもらえれば、わかると思う。
 編集の重政さんと共訳者の天川さんが苦労して作った本で、金原はけっこう楽してます。すいません。

   訳者あとがき(『臆病者と呼ばれても:良心的兵役拒否者たちの戦い』)
 おそらく今の人たちにとって「世界大戦」といえば第二次世界大戦だと思う。あれほど多くの国々が戦い、信じられないほどの犠牲者が出た戦争はほかにはない(ただし、ベトナム戦争で使われた火薬の量は、第二次大戦で使われた量をはるかに上回っている)。
 しかし、第一次世界大戦は、当時の人々にとって、それとはくらべものにならないほどのショックだった。なぜなら、それまで戦争というものは、とても小さなものだったのだ。ある国とある国、せいぜいある国と敵対する連合国、それもせいぜいふたつか三つの国、そんなものだった。ところが、一九一四年に幕を開けた第一次世界大戦は、規模からしても、国の数からしても、死傷者の数からしても、それまでには想像もつかないすさまじい戦いだったのだ。だれひとり、これほど大規模な戦争は経験したことがなかった。
まさに地獄といっていい。そしてその地獄に多くの国々が、そして多くの人々が参加した。
 そのときのことを、ちょっと想像してみてほしい。たとえば、イギリスではそれまでなかった徴兵制がしかれる。つまり第一次世界大戦が原因となって、ある年齢以上の男性は強制的に兵士にならなくてはならなくなってしまったのだ。
 しかし当時、どうしても戦争に行きたくない人々もいた。そしてそのなかに、「良心的兵役拒否者」と呼ばれる人々がいた。つまり、相手がだれであろうと人を殺すことは罪悪であると信じて、兵士になることを拒否した人々だ。
 今なら、ああ、そういう人たちもいただろうなと考える人は多いだろう。しかしこの本の最初のところを読んでもらうとわかるように、当時、まずそんなことは考えられなかった。ほとんどの人々がこの戦争は「正しい戦争」だと思い、「すぐにイギリスの勝利で終わる」と思い、ほとんどの若者たちが次々に志願したのだ。
 それは、終戦以前の日本を考えてみればわかってもらえると思う。あの頃は、すべての若者が戦争にいくのは当然だと思われていたし、まわりの人々は、それをほこりにしていたくらいだ。
 そんななかで、戦争に反対し、兵士になるのをこばむのがどれほど大変なことか、いうまでもないだろう。そういう人々は、まわりの人たちから白い目で見られ、自由をうばわれ、拷問にかけられ、ときには死ぬこともあった。
 そこまでして、そういう人々が守りたかったものはなんなのだろう。
 その答えが、ここに書かれている。そう、この本は、命をかけて自分の信じる道をつらぬいたふたりの若者の物語だ。
 戦争なんかちっとも興味のない人もいると思う。しかし、興味がなくても、一度、この本を読んでみてほしい。おそらく、日本を、そして世界をみる目がちがってくると思う。
 第一次世界大戦で幕を開けた二十世紀はやがて第二次世界大戦を経験し、朝鮮、ベトナム、中近東、さまざまな地域で戦いが行われた。
 そして二十一世紀は、ニューヨークのテロ事件で幕を開け、やがてアメリカのイラク攻撃が始まり、ついに日本も自衛隊を派遣することになってしまった。もしかしたら、日本でもふたたび徴兵制がしかれるかもしれない。そのとき、きみはどうするのだろう。いや、日本に徴兵制が復活していいのだろうか。
 この本を読んでいると、いろんなことをつい考えてしまう。
 そしてまた、これは戦争についてだけの本ではない。
 つまり、われわれはいつも、何かを選んできているということなのだ。ゴミの分別をどうするか、原発をどうするか、選挙でだれに票を入れるか、いや、今日はどこで食事をするか……そういった選択の結果が、未来を作り上げる。
 ほんとうに、それでいいのか? そういう声が、この本からはきこえてくる。
 ぜひぜひ、考えてみてほしい。

 なお最後になりましたが、訳文を原文とつきあわせてチェックしてくださった海後礼子さんに心からの感謝を!
             二00四年 七月二一日      金原瑞人


4.豚の取り持つ縁
 訳した本が課題図書に選ばれることがたまにあって、その表彰式にはできるだけ出席することにしている。課題図書の表彰式というと、犬飼先生のことがつい思い出される。先生の訳した『小さな魚』(エリック・C・ホガード)が課題図書になったことがある(1970年)。しかし表彰式には出なかった。「皇太子なんかと同席したくなかった」というのがその理由。ちなみに、この表彰式、隔年で皇太子が出席することになっている。そのせいか、会場は皇居の真ん前の東京會舘。まあ、先生らしい言葉である。が、そのあとで後悔したらしい。「考えてみれば、受賞した子どもが来ているわけで、かわいそうなことをした」というのがその理由。まあ、先生らしい言葉である。
 ということもあり、ぼくはできるだけ出席するようにしている。
 何度か出席して、受賞した子どもたちと話をしてひとつ印象的なことがある。なにかというと、受賞者の多くがあまり文学志向でないということだ。もう少し具体的にいうと、将来どんな学部に進みたいかたずねてみると、ほとんどが文学部以外なのだ。それも理系を志望する子が多い。あと、大学のことはまだ考えてないけど、スポーツが好きとか、楽器を演奏するのが好きとか、そういう子も多い。が、文学が好きで、将来作家になりたいとか、文学部に入って勉強したいとかいう子は少ない。というか、まだひとりも会ってないような気がする。
 文学部そのものが低迷期にあって、異様に志望者が少なくなっている現状を反映しているのかもしれない。あるいは、本当に文学が好きで、ある種おたくのように本を読んでいる連中は、感想文コンテストに参加したりしないのかもしれない。そのへんは、よくわからないのだが、ともあれ、おもしろい現象だと思う。
 ところで課題図書感想文コンテストで出会ったり知り合ったりした人たちとその後、再会したり、連絡を取り合ったりするすることはまずないのだが、つい二ヶ月ほどまえ、早川さんとたまにメールを交換するようになった。彼女は、現在、獣医学部の4年生。リチャード・ニュートン・ペックの『豚の死なない日』の取り持つ縁である。その早川さんの獣医学部での実習の話が、とてもおもしろい。
 メールなので、かなりアバウトに書いていると思うのだが、描写が的確で、ユーモラスで、うまい。ひとりで楽しんでいるのがもったいないので、豚と猫に関する部分を抜粋で紹介してみようと思う。

(1)こんにちは。
 初日から豚に顔を蹴られ、無事に終わるのかこの実習?!などと不安に思われましたがあっという間に過ぎてしまいました。豚も暑さでまいっていましたよ。
 養豚では子豚を産んでくれる母豚が一番重要で農家の規模を母豚数で表すくらいですが、そのおかーさん豚が暑くて死んでしまうので、その対策はどこに行っても話題に上っていました。
 実習先の獣医科では新薬の治験もしていて、私が顔面にメガトンパンチをくらったのは肺炎症状の豚の鼻面を針金でしばりあげ、更に鼻腔の奥までアルコールでぐりぐり拭いたあと長い綿棒を思い切り突っ込み何度もぐさぐさ挿して細菌培養用のサンプルを採取していたときでした。
 そりゃ蹴られても文句いえないなと、今思いましたね?
 や、自分でも思ったものですから。
 しかしそのあと私はキレて怒鳴りながら豚さん達を蹴散らしていたそうです(一緒にいた獣医さん談)。……暑くてよく覚えてませーん。
 まあいろいろと勉強になりました。

(2)われわれ獣医学生はかなり通常から逸脱したことを日常にしていると思われます。獣医学生を扱った漫画やドラマはいくつかありますが、実際とても面白いですよ。そんなんでよかったら、というか。いいんですか?!
 書きますよ本気で!!
 もう六年で実習は全て終了してますが、忘れられない思い出はたくさんあります。たとえばですね、寄生虫学実習では犬なら犬、牛なら牛の糞を薄めたもの(これをウンコ汁と呼びます)をひたすら顕微鏡で覗きます。お目当ての寄生虫卵が見つかるまで! 見つけるとスケッチするのですが、ただのタマゴじゃだめなんです。美しく完璧な、これぞ○○回虫の卵!とか××線虫の卵!といえるような典型的なやつでないと。スケッチも外してはいけないポイントがあって、せっかく書いても鉤が一本足りないなどという理由で先生にだめ出しされます。なので実習を早く終わらせるコツは先輩からスケッチブックを借りておくこと。虎の巻ってわけです。それと“ココロの眼”で顕微鏡を覗くこと。鉤が五本しか見えなくても“ココロの眼”で見ればもう一本が立ち現れてくるのです。まあそんなわけで昼の一時からその日の課題が終わるまで延々と糞便を楊枝でつついたり芳しいスープを作ったり、しなきゃならないのが二週間続くのが寄生虫学実習なのです。私のときは終電に何とか間に合う時間に終わりましたが、先輩の話では一時に始まって三時に終わったとか。

(3)千葉から帰って参りましたっ!
 今回は顔を蹴られずに済みましたよ。やっぱり豚はかわいい……。今回行った所は豚関係で私が初めて実習に行ったところです。そのときより臨床っぽい診療があって面白かったです。
 豚の帝王切開の助手に入らせてもらったり、脱肛を縫わせてもらったり。千葉はそれまで行ったことが無かったのですが、いいところですね。農作物も海産物も豊富で首都圏から近くて。お米が見事な穂をつけていて、台風を前にあちこちで稲刈りが行われていました。旅行していたときも、一日に何時間も電車に揺られながら、日本の基本は田んぼと山なんだなあとつくづく思いました。
 ずーーっと、その二つばっかり窓の外にあったので。ほんとにそればっかりだったので。自分が普段食べてるお米は、こうして誰かがつくってるんだなと。ほんとに誰かが私の分までつくってるんだなあと、思うとなんだか不思議な感覚です。

(4)もしや猫好き?!
先生猫好きですね?!
お〜どおりで……。
 私は猫狂いと言っても差し支えないほどの猫好きです。外で見かけるとチャレンジせずにはいられません。まず声を掛け、なるべく体を低くして害を与えるつもりはないのよ〜のオーラを出しながら近づきます。それで相手がはっと逃げる素振りを見せたり、明らかに迷惑げな顔をされたりするとおとなしく引き下がります。嫌われたくないので。脈アリのときはすこーしづつ近づいてそおーっと手を伸ばし、においを嗅いでもらいます(名刺代わり)。積極的にすり寄って来てくれたりなんかすると鼻血ふかんばかりになります。
 そしてその日は一日ハッピ〜♪
 長野にいた頃はたくさん一緒に暮らしていたのですが、都会では難しいですね。家に遊びに来てくれるノラさんたちが心の拠り所です。実家では三匹のノラがレギュラー訪問してくるのですが、名をよも、かわ、すみと言います。
 こいつらが実に変なトリオなんですよ!!
 この3匹の前に部長という名のでかいオス猫がいて、彼も数々の伝説を作っています。‘部長’とは巡査部長の部長です。近所をいつも巡回しているので私が付けました。部長はただの猫のように塀の上とか人んちの庭とかでなく、いつも必ず道路を歩いていました。ちょっとくたびれ気味に、でも任務だから、というように。
 そして町に異常がないか見回っていたのです。一度、私の家のお向かいさんに畳屋さんが来ていたことがありました。職人さんが二人、家の前の道路にござを敷いて出してきた畳の張り替え作業をしていたのですが、そこへ部長が通りがかりました。
 彼は初め「君達、見かけないねえ」というように二人を見て足を止め、「ほほう、畳の張替えかね。ふむふむ。ほーう、たいしたものだ」というように二人の目の前に三つ指そろえて座り、手元をじっと見ていました。そして「ま、頑張ってください」と、戸惑っている二人を尻目にすたすたと去って行ってしまいました。
 私は自分の家の二階からその様子を見ていたのですが、やっぱり部長は部長だったんだ!と思いましたね。
 ああ、猫のこととなると止まらない!
 もう少し、いえ、しばらく書かせて下さい。
 部長はあることがきっかけでうちに毎日来てくれるようになりました。彼は大きな(多分)白猫で、目は片方がアイスブルー、片方が金色でした。ノラにしてはいっちょまえにオッドアイだったんです。全体の雰囲気はまさにぶちょ〜って感じでした。
 なんというか、オス猫特有のでかい顔で、ハンサムではないのですがいい味出してるやつ、いるじゃないですか。で、彼は近所で会って声を掛けると、きちんと立ち止まり、相手をしてくれました。でも抱っこしようとすると意外なほどマッチョで、「お嬢さん、それはちょっと……」と拒むのです。
 そしてなにかおいしい物をあげても決して食べないのです。
「勤務中ですので……」と、こうなんですよ。
 うちの家族はそろって猫好きなんですが、みんな今日どこどこで部長に会った、どこどこを歩いているのを見たとか、毎日報告し合っていました。雨の中もくもくと巡回していたとか、うちに寄りなよって言ったけどだめだったとか。
 そんなある日。
 私、そのころ自宅で浪人してたんですね。
 昼間近くのスーパーに買い物に行って、帰り道彼に会ったのです。私は部長をなぜながらこの間またたびを買ってあったのを思い出し、「部長、待ってて!今いいもの持ってくるから!!」と家に向かって走り出しました。
 家まではちょっと距離があったのですが、どうしてもあげたくて。で、元の場所にまたたびを持って行くと、ちゃんと部長が待っているではないですか。私は袋を破って中味を差し出しました。すると彼はべろべろべろ〜っと平らげてしまいました。
 こっちが「えっ、勤務中なのでは?」と思うくらい一気に。
 あれほど頑なに誘いを拒否していたのに!!
 しかも、酔わないんです。
 乱れないんです。
 部長のまま「ふむふむそれから?」って感じなんです。
 ウワバミ!
 私はさすが部長、酒には強いか、と納得して帰りました。
 驚いたのは翌朝です。
 私が朝いつものようにダイニングに下りてきて、庭に面した大きな窓のカーテンをしゃっと開けた瞬間! 下の方から「にゃああああん(ハートマークみっつくらい)」と声がして、見ると部長がっ!! 部長がいるではありませんか! しかもとびきりの営業スマイルで!!
 たまげました。
 それからです。やつが日参してくるようになったのは。
 その事件で皆が驚いたのは、部長が本当に近所のことを把握していたということ。どこに誰が住んでいるか、ちゃんとわかってたということ。目の前にいる人間がどこの誰かちゃんとわかってたということ。(そしてそれほどまで彼がまたたびを好きだったということ。) それが彼の伝説の始まりでした……。
 どーです、すごいでしょう?
 ただものではないでしょう?
 まあ猫という生き物はみんなかようにドラマチックに生きてるやつらばかりなんですが。

(4)台風一過、ならぬ台風一家、襲来って感じですね。
 獣医大6年生には毎年国家試験対策委員会なるものが結成され、他大と連絡を取りながら来るべき国家試験に備えるのですが、私忙しいくせに役員になってしまって。
その仕事に追われている日々です。
 養豚、大変だと思いますよ。まだ豚を飼ってないのでわかりませんが、なんと言うか、彼らは‘人間が食べられる若しくは人間が好きな蛋白質製造機械’なんですよ。
 体張って肉作ってんです。
 おかしくならないわけ無いですよね。牛も豚も本来の寿命の半分もまっとうせずに死んでいきます。
 いかに効率よく子を産ませ、乳を出させ、肉をつけさせるか。生物本来の生理を無視した作業です。もちろん農家さんはみな、豚や牛の健康を祈っているんですよ。目の前で生まれる命に愛情を感じないわけありません。
 私が小動物臨床ではなく産業動物臨床を選んだ理由は、人と動物の本来のかかわりが食うか食われるかであり、そこから離れたくなかったからです。その部分にきちんと立ちあってる農家さんの役に立ちたい。
 へイヴンが豚を殺すなら私も殺そうと、思うわけです。ただし私は獣医なので、獣医としての殺し方をしたいのです。矛盾してるかもしれないけど、いかに健康に殺すか。いかにうまい肉として食うか。
 豚が生まれてから病気せずに丸々太って屠殺され、おいしく食べられて人々のエネルギーや健康な体組織になれたら、いうことなし。
 私ののぞみです。
 「豚の死なない日」は、天変地異でも起こらない限りこの地球上にはありえません。でも「豚が無駄死にしない日」は、なんとかなるんじゃないかなと思っています。や、なんとかしなきゃならんな、なんとかしたいなと思っているんです。だって先生、私はもう見たくないんですよ本当は。動物工場で生きてる彼らを。
 かたや毎週美容室に通ってブランドものの服来た何の役にも立ちそうにない小犬が高級マンションの一室を与えられているっていうこの現実を。ばかばかしい。
 せっかく複雑な神経組織を長い年月の中で全生命かけて獲得したのだから、まじめに使わなきゃいけませんよね。
 このアタマとこころ。
 とかいいつつ「日々精進」の看板の後ろで居眠りしてるようなものですが……私なんて。

 以上、早川さんからきたメールの抜粋。「へイヴンが豚を殺すなら私も殺そうと、思うわけです」というあたり、じつに力強く、印象的で、『豚の死なない日』をつい読み返してしまった。若い人に教えられるのは、とてもうれしい。