あとがき大全(41)

金原瑞人

           
         
         
         
         
         
         
    

1.チェーンメール事件
 今回の新潟震災の件でご協力を、というふうなメールが知っている人から送られてきて、おお、協力しなくちゃとばかりに、知人にそれを転送したところ、法政大学社会学部の同僚から、「あれは、だめ。チェーンメールになっちゃってます」との連絡あり。
 詳しくない人のために簡単に説明しておくと、最近はメールで多くの人々の協力をあおぐことが多いのだが、それに賛同する人々が次々に知人にそのメールを転送すると、それこそネズミ算式にメールの量が増えていって、天文学的な量のメールが飛びかい……というおそろしいことになってしまう。しかしここにはジレンマがあって、本当に協力や助けを必要としている人がいて、それを多くの人に知ってもらうためにはメールはとても便利なのだ。ところが、その善意が思わぬトラブルを招いてしまう……
 金原、去年今年と、三回くらいやって、しかられている。こないだもHPを作ってくれている宮坂さんにしかられたばかり。で、その直後に震災関係のメールで、同僚にまたしかられてしまった。
 しかし、じゃあ、どうすればいいの……本当に困っていてる人の真摯な訴えのメールを無視しちゃったら、かわいそうじゃん。
 そこでうちの学部で情報教育にたずさわっている、おふたりに意見をおうかがいしたところ、次のような返事がきた。ちなみに、最初のメール(1)は原田悦子さん、次のメール(2)は宇野斉さん。

(1)
>それから、チェーンメール、さっきメールでおわびを出しておいたんだけど、
>避ける方法って、あるんだっけ?
>金原

そうなんですよね〜 避ける方法,っていうのは明確ではないし,
今回の場合は,善意の,しかも(おそらく)「本当の」メイルが最初に
あったので,あくまでも「結果的にチェインメイル化してしまった」
のだと思うと,ほんとに難しいなぁと思います.

ただ,ちょっと「自分の心の中でチェーーック!」して読むとよい
項目としては

 a その文章の元々の発信者が誰か,明確か,そのメイルが
 自分のところにくることに論理的に納得できるか
 
 b その文章がいつ書かれたものか

 c その結果として,現実世界で「量の問題」を起すことがあるかないか

の3つかな,と思います.
特に,今回の場合,私が「あれ,大丈夫かな」と
思ったのは,b の「いつのメイルなんだろう?」
ということでした.

ついつい,私なんかも読んだそのときが「書いたそのとき」
と思ってしまう,つまり「今」を共有していると「前提」をおいて
しまいがちなのですが,
何人かの人の手を経た場合に,
もしかしたら,2週間前だったりするかも
という「可能性」を頭に思い浮かべたわけです.
そう思って読むと,文意がかなり違って読めますよね.

そうすると,cの問題,つまり
「たくさんの人が紙おむつを送ろうとしたら
逆に,ほんとの『今』は紙おむつが集まりすぎちゃって
困った,という状況が発生しているかもしれない,
ってことは,ほんとの『今』の状況を確認しないと
あぶないな」
ということが思い浮かんできた訳ですが.

逆に自分が送るものが「チェインメイル化しない」ためには,
  ・基本的にメイルは転送不可なものだとするが,
   適宜転送してほしい,というときは,
   誰が,どういう責任で,どういう人に送ってほしいのかを
   明記する.
  ・送るときにはタイムスタンプを必ずつける,
  再送・転送のときにも,「オリジナルはいつのもので,
  それを,いつ,誰が再送したのか」を明確にする
ということをすると,「誤解や妙な現象を引き起こさない」
ためにはよいかも,と思ったりしています.

#たとえば,私の「ランチしましょう!」みたいなメイルでも
#転送してね,としちゃって
#タイムスタンプ抜きで,次々にいろんな人に流れちゃうと
#妙なことになりえますよね,論理的には,ですが(笑).

・・・と同時に,今回はいわゆるブログが間に入ってしまった
ことが,話をややこしくしている,と思っておりますが,
それについては,まだブログというものを自分がうまく
取り込めてないので,またいずれ!(笑)ということで!!
  #印象的には,上記のタイムスタンプの問題と
  #広がり方が見えにくくなるという問題があるなぁと
  #思っていますが,はっきりとまだ論理が通せないもので...

あらま,なんと長文になってしまいました!!
失礼しました〜!!!
(自分がやっている問題領域にちょっと近かったもので...すみません)
── 原田悦子──


(2) 中越地震の救援につい
>宇野さんへ
>すいません。
>発信源の金原です。
>じつは、去年もこの手のミスをやって顰蹙を買ったのですが、
>回避する方法を教えて下さい。
>じつは、青山ブックセンターが倒産したときの署名のメールも、
>回そうかと思ったのですが……
>金原

金原先生

これは「ミス」だったのではありません。
正しい行動です。
が、それ以前のどこかですでに尖ったり歪んだりしていたのです。
(その行為自体もそれぞれの方々の中で
 「ただしい」とされているとも想像されます。)

それで、宇野も来るたびごとに悩んでいます。
それを送ってきてくださる方々は信頼のおける方々で、
それをその方に送った方々もそうであろうと推測しています。

にもかかわらず、チェーンメール化してしまっているというところに、
悩ましさがあります。

まだ宇野自身の研究も十分でなく、
個人が完全に回避できる、それぞれが回避できる、システムとして回避する、
ような方法に出会ったり、思いついてもいないです。

で、初期的ではありますが、宇野の使っている単純な方法は次のとおりです。

1.しばらく待つ。このしばらくが難しいですし、苦しいですし悩ましいです。
  転送はタイミングがだいじなので。
  しばらく待つと(宇野の場合)他のMLで今回のように
  別のルートで情報が回ってくることがあります。
  (でも人間は一般的に、否定情報を流すことは
  肯定情報(しかも自分が流した)を流すほどには
  積極的にはなれないと思います。)
2.転送中継した方々ではなくて、
  そもそもの出所である発信源を自分で探し出す努力をする。
3.発信源がしっかりわかれば「顔無し」状態でなくなるので、
  発信源をしっかりつけて流せます。
  もちろん発信源の吟味は自分の責任で必要です。
  (結局、どっちを信じるかという問題に行き当たります。)
4.その先の現実世界で大混乱が起こらないと
  想像されれば、自分の責任で流します。
  (今回の場合、阪神淡路大震災の例を宇野は知っていたので、
  その先のどこかで集中による混乱が起こる可能性が高いと思いました。
  メールやメーリングリストはマスメディアとは違って、
  知っている/知っているに近い人からの情報なので、
  より信じてしまいやすいというところもあります。)
5.そして、そのような事態に出くわしたら、それが明らかであれば、
  直ちに「ちょっと待って」をかける。
  そうするとその行動が正しくても「そこにある善意の行動にまったをかける人」
  という(ネガティブな?)評価を受ける可能性は高いです。

たったこれだけでどうもすみません。

これ以外にももっとステキな方法があるかもしれません。
皆様お持ちでしたら、どうぞ教えてください。


ところで宇野も、
青山ブックセンターの署名には大変くすぐられました。
実際開業したそうですからよかったですね。
http://www.aoyamabc.co.jp/
あの偏った品揃え(言いすぎでしょうか)が大事だと思っていました。
(今がどうかは見ていないし知らないのですが。)
──宇野斉──

 というふうな対応策しか、いまは考えられないらしい。たしかに悩ましい問題ではあるが、やっぱり、ちゃんと考えないとと反省した次第。


2.歌詞の翻訳
 「NHK 英語でしゃべらナイト」(アスコム)という雑誌が出ている。「新感覚英語エンターテイメント誌」というのがウリらしい。そこの編集者から12月号に短い寄稿をという依頼があった。松任谷由美の「リフレインが叫んでる」の日本語と英訳の歌詞との比較をやってみてほしいとのこと。11月号はドリカムの「Love Love Love」だったらしい。
 早速、FAXで送られてきた日英の歌詞をくらべてみると、これが楽しいし、あれこれ考えさせられた。詳しくは「英語でしゃべらナイト」を読んでもらうとして、英語版はずいぶん原詩と違っている。
 原詩では第一連が「どうして どうして僕たちは/出逢ってしまったのだろう」となっていて、これは男の子の気持ち。で、第二連が「どうして どうして私達/離れてしまったのだろう」となっていて、これは女の子の気持ち。
 ところが英語のほうでは、第一連の途中に "When we were together, boy it felt so right" となっていて、これは女の子。そして第二連にあたる部分では "Oh baby tell me why did we say goodbye?" となっていて、こちらは男の子。つまり、男女のかけあいになっているのは同じなのだが、原詩と英訳とでは逆になっている。英訳した人が原詩を読み違えたのか、あるいは、このほうがいいと思ったのか。
 あと英訳のほうはかなり自由に歌詞を作っていて、原型を留めているのは半分くらい。「夕陽は……ボンネットに消えていった」というあたりは "it seemed to disappear in the night" となっていて、「ボンネット」は完全に欠落、ふたりが車の中から沈みゆく夕陽を眺めているという情景は浮かび上がってこない。
 まあ、これに限らず、歌詞の翻訳というのは勝手気ままでよいらしい。
 いってみれば、「リフレインが叫んでる」という日本語もよくわからないといえばよくわからない。もし The Refrains Are Crying 、あるいは The Crying of the Refrains というタイトルの英詩があったとして、これを「リフレインが叫んでる」と日本語に訳したら、「わ、なに、その訳!」といわれかねない。
 しかし日英の歌詞をくらべてなにより目を引くのは、歌詞の量、というか、情報量の違いだろう。たとえば、第一連第二行の「出逢ってしまったのだろう」にあたる英語は、"When we were together, boy it felt so right" なのだ。これを日本語に訳すと「わたしたちがいっしょにいたとき、あなた、とても楽しかったのに」くらいか。また第二連の第一行と第二行の「ひき返してみるわ ひとつ前のカーブまで/いつか海に降りた」は "And at that moment I just turned around / To take a walk back to the curb that I passed by" になっている。
 日本語は母音が多いぶん、音節が多くなってしまう。たとえば「あたし」は3音節か2音節(「あたしは」は 'atashiwa' と発音するので、この場合の「あたし」は3音節。「あたしと」は普通 'atashto' と発音する、つまり 'i' が欠落するので2音節。もう少し説明しておくと、日本語の母音 'i' と 'u' は次に無声音がくると消えてしまうので、こういう勘定になる)。「あなたとわたし」は7音節だが、'you and I' は、まあ読み方にもよるが、普通は2音節。やはり英語のほうがかなり経済的なのだ。だから日本語の歌詞を英訳するときには、どうしても説明的になったり、原詩にはないものをくっつけたりという作業が必要になってくるらしい。つまり、そのまま訳すと、音が足りなくなるわけ。
 蛇足ながら、第二連の「カーブ」を 'curb' (歩道の縁石)と間違えて訳しているのは、ご愛敬かな。この間違いは大学生に非常に多い。といっても日本の大学生の場合は 'curb' を「カーブ」と訳しちゃうんだけど。要注意!
 とまあ、「英語でしゃべらナイト」の原稿のことであれこれ考えていたら、海の向こうの海後さんとのメールのやりとりで、ご存知、シャンソンの名曲(といっても、若い人は知らないだろうが)、ダミアの「暗い日曜日」の話題が出た。そういえば、金子由香利も歌ってるとか、ビリー・ホリディも歌ってるとか、そういう話になっていって、やがて、「じゃ、そのへん、ちょっとまとめてみてくれない」と海後さんに歌詞の比較を頼んでしまった。すると色んなことがわかってきて、淡谷のりこやディック・ミネまでが歌っているとか、歌詞についても「だれが死ぬのよ?」と突っこみたくなるとか……という顛末を紹介しておこう。
 ここからは海後さんがまとめてくれたもの。

『暗い日曜日』は、なぜ暗い?――9種類の歌詞比べ――

先日、金原先生へのメールに「ガース・ニクスの(新シリーズの2冊目の)『Grim Tuesday』を読みました。暗い火曜日っていうだけあって、1冊目よりも暗いけどおもしろかったです……」と書いたところ、

>>ガース・ニクス、どうなんだろう。そういえば、「暗い日曜日」という歌が
あったっけ。シャンソンのスタンダード。ダミアだったな、たしか。

と、よくわからないお返事が。うーん「暗い日曜日」、知らないな。大恐慌がはじまったのは、暗い月曜日……じゃなくて、暗い木曜日? ブルー・マンデーなんて言葉もあるけど、日曜日は楽しいのにな、などとぶつぶつ思いつつ、「なんで日曜日が暗いんですか?」と聞きかえすと、

>>なぜ暗いかは歌詞を読むとわかる。

……ごもっとも。

>>ダミアのこの曲が流行って、自殺者が一気に増えたという曰く付きの曲。あれ、これは常識じゃないか。

あ、失礼しました……というわけで、調べてみました、『暗い日曜日』
すぐに見つかったのが、岩谷時子による訳詞と、1936年にダミアが歌ってヒットしたシャンソン『Sombre Dimanche』の歌詞。まずは日本語から:

『暗い日曜日』

腕に赤い花を抱いて
吹きすさぶ木枯らしのなか
疲れはてて帰る私
もういないあなただもの
恋の嘆きつぶやいては
ただ一人むせび泣く
暗い日曜日

ローソクの揺らめく炎
愛も今は燃え尽くして
夢うつつあなたを思う
この世では逢えないけど
あたしの瞳がいうだろう
命より愛したことを
暗い日曜日

と、すてきな歌詞でした。でも「わたし」が「あなた」と逢えなくなったらしいことはわかるんですが、「もういないあなた」「この世では逢えないけど/あたしの瞳がいうだろう/命より愛したことを」のあたり、だれがどうなったのか、つながりがちょっと不明。(あなたが死んだのか、わたしが死ぬのか……?)それに、自殺を誘うほどの内容とも思えないような。そこで、もう一方のフランス語の歌詞を見てみますと(アクセントはすべて略してあります。すみません):

Sombre dimanche, les bras tout charges de fleurs
Je suis entre dans notre chambre le coeur las
Car je savais deja que tu ne viendrais pas
Et j'ai chante des mots d'amour et de douleur
Je suis reste tout seul et j'ai pleure tout bas
En ecoutant hurler la plainte des frimas ...
Sombre dimanche...

Je mourrai un dimanche ou j'aurai trop souffert
Alors tu reviendras, mais je serai parti
Des cierges bruleront comme un ardent espoir
Et pour toi, sans effort, mes yeux seront ouverts
N'aie pas peur, mon amour, s'ils ne peuvent te voir
Ils te diront que je t'aimais plus que ma vie
Sombre dimanche.

といっても、フランス語はよくわからないので、だれか日本語に訳していないかとネットをさがしてみたら、親切なサイトというのはあるもので、いくつか訳が見つかりました。それらを参考に(ちょっと怪しいですが)訳を作ってみました。

暗い日曜日 
腕いっぱい花を抱えて
沈む心で部屋に帰ってきた私
あなたはもう戻ってこないとわかっていたから
愛と苦しみの言葉を歌う
ひとりぼっち 声をころし涙する
木枯らしの嘆きを聞きながら
暗い日曜日

苦しすぎたら日曜に死んでしまおう 
あなたが戻ってきても、私はもう逝ったあと
ろうそくが熱い希望のように燃え
あなたのために 私の目はぼんやり開いているでしょう
でも恋人よ、恐れないで あなたを見ることができなくても
私の目は、あなたを死ぬほど愛していたといっているはず 
暗い日曜日

これで、最初の日本語の歌詞の状況がわかってきました。死んでしまうのは、「あなた」のほうではなく、「わたし」だったんですね……。ということは、たんに振られて死にたくなってる人の歌かあと、ちょっと拍子抜けしたところで、英訳の歌詞も発見(以下、英語にはとりいそぎ訳をつけてみました。ご参考まで):

Sunday is gloomy, my hours are slumberless  
Dearest the shadows I live with are numberless  
Little white flowers will never awaken you
Not where the black coach of sorrow has taken you
Angels have no thought of ever returning you
Would they be angry if I thought of joining you?
Gloomy Sunday

Gloomy is Sunday, with shadows I spend it all
My heart and I have decided to end it all
Soon there'll be candles and prayers that are sad I know
Let them not weep let them know that I'm glad to go
Death is no dream for in death I'm caressing you
With the last breath of my soul I'll be blessing you
Gloomy Sunday

Dreaming, I was only dreaming
I wake and I find you asleep in the deep of my heart, here
Darling, I hope that my dream never haunted you
My heart is telling you how much I wanted you
Gloomy Sunday

日曜は憂鬱、眠れない時間ばかり過ぎて
愛しい人、わたしは数えきれない影と過ごしているの
白い小さな花たちも、あなたを起こしてはくれない
無理ね 悲しみの黒い車が連れていった場所では
天使たちはあなたを返してくれそうにない
わたしもそこにいったら、天使は怒るかしら?
暗い日曜日

憂鬱なのは日曜日、影のなかで過ぎていく
もう終わりにすることに決めたの
もうすぐ蝋燭とお祈りのときがくる 悲しいのはわかっているけど
泣かないで わたしは死ぬのがうれしいの
死は夢とはちがう 死んであなたを抱けるのだから
魂の最後のひと息で あなたのために祈りましょう

夢 すべて夢だったのね
目覚めるとあなたはわたしの胸のなかで眠っている、すぐここで
愛しい人、わたしの夢があなたを悩ませませんように
わたしの心臓がどれほど恋しかったか告げようとしてる
暗い日曜日

これは、フランスでの流行に遅れること3年、1939年にアメリカでビリー・ホリデイなどが歌ってヒットした『Gloomy Sunday』の歌詞なのですが、これだと「あなた」が先に死んでいて、「わたし」も後を追いたいと思っている……と、ストーリーがフランス語の歌詞とぜんぜんちがうではありませんか。そのうえ、内容が暗いのを和らげようとしたのか、3番がつけ加わって、ぜんぶ夢でした、というオチになっています。ちなみに曲調もそこでぐっと明るくなって、とってつけた感じがよくわかります。

英訳はもうひとつ見つかりました:

Sadly one Sunday I waited and waited
With flowers in my arms for the dream I'd created
I waited 'til dreams, like my heart, were all broken
The flowers were all dead and the words were unspoken
The grief that I knew was beyond all consoling
The beat of my heart was a bell that was tolling
Saddest of Sundays

Then came a Sunday when you came to find me
They bore me to church and I left you behind me
My eyes could not see one I wanted to love me
The earth and the flowers are forever above me
The bell tolled for me and the wind whispered, "Never!"
But you I have loved and I bless you forever
Last of all Sundays

ある日曜日、わたしは悲しく待ち続けた
両腕に花を抱え、自分のつくりだした夢のために
やがて夢は破れて、わたしの心も破れた
花は枯れ、言葉は語られないままに
わたしの知った悲しみには、どんな慰めもきかなかった
胸の鼓動は弔いの鐘の音
いちばん悲しい日曜日

やがてある日曜日、あなたがやってきてわたしを見つけた
わたしは教会に運ばれて、あなたを残していき
わたしの目は、愛してほしかった人を見ることはなかった
土と花々の下に永遠に埋ずもれ
鐘はわたしのために鳴り、風は「いけない!」とささやいた
でも愛したのはあなた、あなたに永久の祈りを
最後の日曜日

これだと1番はわりとフランス語の歌詞と近いようですが、2番を見ると最後まで過去形で、歌っている時点では「わたし」はなんと亡くなっていることに……。というわけで、やっぱりストーリーがかなりちがっています。

というのも、ご存じの方も多いのかもしれませんが、『暗い日曜日』は、フランスのシャンソンが元というわけではなかったんです。ブダペストのレストラン「キシュ・ピパ(小さなパイプ)」でピアノを弾いていたレジュー・セレシュが1927年に作曲し、1933年にラースロ・ヤーボルの詞がついてハンガリーで流行し、その後、1936年にフランス語の詞がつけられ、シャンソン歌手のダミアが歌って世界中で大ヒットした、という経緯なのだそうです。

というわけで原語はハンガリー語で、しかも独学のピアノ弾きだったというセレシュが自分で書いたオリジナルの歌詞と、作詞家のラースロ・ヤーボルがつけた歌詞の2種類があったことがわかりました。でもハンガリー語は読めないしなあ、と思っていたら、英訳を載せているサイトを発見しました。以下が英訳です:

オリジナルの歌詞(1927年)

It is autumn and the leaves are falling
All love has died on earth
The wind is weeping with sorrowful tears
My heart will never hope for a new spring again
My tears and my sorrows are all in vain
People are heartless, greedy and wicked...
Love has died!

The world has come to its end, hope has ceased to have a meaning
Cities are being wiped out, shrapnel is making music
Meadows are coloured red with human blood
There are dead people on the streets everywhere
I will say another quiet prayer:
People are sinners, Lord, they make mistakes...
The world has ended!

今は秋、木の葉が散っていく
地上では愛が死に絶えた
風は悲しい涙を流して泣き
わたしの心は、新しい春への希望を捨てた
涙も悲しみもすべてむなしく
人びとは冷たく、強欲で、邪悪だ
愛は死んだ!

世界は終わりを迎え、希望は意味をなくした
街は一掃され、榴散弾の音楽が響いている
野辺は人の血で赤く染まり
路頭に死者があふれる
わたしは無言で、もう一度祈りを唱える
主よ、彼らは罪人です、まちがいを犯しているのです
世界は終わった!

セレシュは失恋をきっかけにこの歌を書いたそうですが、恋の歌というよりも戦争を思わせるとても暗い内容。このイメージを下敷きに、テーマを失恋にしぼって作詞家が詞をつけて、1933年にハンガリーでヒットした『暗い日曜日』の歌詞が、

Gloomy Sunday, with a hundred white flowers
I was waiting for you my dearest with a prayer
A Sunday morning, chasing after my dreams
The carriage of my sorrow returned to me without you
It is since then that my Sundays have been forever sad
Tears my only drink, the sorrow my bread...
Gloomy Sunday

This last Sunday, my darling please come to me
There'll be a priest, a coffin, a catafalque and a winding-sheet
There'll be flowers for you, flowers and a coffin
Under the blossoming trees it will be my last journey
My eyes will be open, so that I could see you for a last time
Don't be afraid of my eyes, I'm blessing you even in my death...
The last Sunday

暗い日曜日、百本の白い花を持って
お祈りしながらあなたを待っていたの
日曜の朝、夢を追いかけながら
悲しみの馬車はあなたを乗せずにもどってきた
そのときから、日曜はいつも悲しい日
飲み物は涙だけ、悲しみがわたしのパン
暗い日曜日

今度の日曜日、愛しい人、わたしのもとにきて
司祭と棺と棺台と屍衣が待っているでしょう
あなたのための花もあるわ、花と棺が
花咲く並木の下をゆく、わたしの最後の旅
わたしの目は開いているでしょう、最後にあなたを見られるように
わたしの目をこわがらないで 死んでもあなたのために祈っているから
最後の日曜日

というかなり謎めいた歌詞です。1番の4行目で「悲しみの馬車があなたを乗せずに戻ってきた」といっているので、「あなた」が亡くなったのかと思うと、2番で「最後になる今度の日曜日、わたしのもとにきて」といっているのもふしぎですし、「わたし」が日曜日に死ぬことをほのめかしていることは確かそうですが、そこに「あなた」のための花と棺があるのはなぜ……? と、この歌詞が元になっているので、フランス語や英語の歌詞で、ずいぶんいろいろなストーリーができているわけなんですね。

『暗い日曜日』はフランスでのヒットのあと、すぐに日本でも広まったらしく、最初に紹介した岩谷訳以外にも、もっと古そうな歌詞がいくつか見つかりました。淡谷のり子、越路吹雪、ディック・ミネ、伊東由香利、三輪明宏なんかも歌っているそうで、変わったところではエノケンが歌ったものがあるそうです。(エノケンにかかると『暗い日曜日』もただの酒飲みソングになる……というんですが、どんな歌詞だったんでしょう? ご存じの方がいらっしゃったら、ぜひ教えてくださいませ!)下にまとめて載せておきますが、日本語の歌詞はどれも短くてストーリーが切りつめられていて、岩谷訳でわずかに死をほのめかしている以外は、純粋に失恋の嘆きの歌になっているようです。セレシュとヤーボルの両方の歌詞からモチーフを借りてきているのか、花の色、季節など、かなりいろいろあっておもしろいです。

――と、なにか見つかるごとにぽつぽつメールで金原先生に報告すると、ずいぶんおもしろそうに聞いてくれるのでついついつられて調べているうちに、

>>「暗い日曜日」で調べたことをまとめてくれると、「あとがき大全」に載せられるんだけどな。

と、返信が。なあんだ……またそれだったんですか? というわけで、以上、『暗い日曜日』の歌詞をいくつか比べてみました。日曜がなぜ暗いのかは、「いろいろあって……」というところでしょうか、先生?


最後に重複しますが、すべての歌詞をまとめておきます。

1.Rezso Seress レジュー・セレシュ(作曲家)による元々の歌詞
(ハンガリー語からの英訳)

It is autumn and the leaves are falling
All love has died on earth
The wind is weeping with sorrowful tears
My heart will never hope for a new spring again
My tears and my sorrows are all in vain
People are heartless, greedy and wicked...

Love has died!

The world has come to its end, hope has ceased to have a meaning
Cities are being wiped out, shrapnel is making music
Meadows are coloured red with human blood
There are dead people on the streets everywhere
I will say another quiet prayer:
People are sinners, Lord, they make mistakes...

The world has ended!

2.Laszlo Javor ラースロ・ヤーボルによる歌詞
(ハンガリー語からの英訳)

Gloomy Sunday with a hundred white flowers
I was waiting for you my dearest with a prayer
A Sunday morning, chasing after my dreams
The carriage of my sorrow returned to me without you
It is since then that my Sundays have been forever sad
Tears my only drink, the sorrow my bread...

Gloomy Sunday

This last Sunday, my darling please come to me
There'll be a priest, a coffin, a catafalque and a winding-sheet
There'll be flowers for you, flowers and a coffin
Under the blossoming trees it will be my last journey
My eyes will be open, so that I could see you for a last time
Don't be afraid of my eyes, I'm blessing you even in my death...

The last Sunday

3.Jean Mareze / Fran_ois-Eugene Gonda
ジャン・マレーズ/フランソワ・ズージェーヌ・ゴンダ訳
(1936年にダミアがヒットさせたシャンソンの歌詞)

Sombre dimanche
Sombre dimanche, les bras tout charges de fleurs
Je suis entre dans notre chambre le coeur las
Car je savais deja que tu ne viendrais pas
Et j'ai chante des mots d'amour et de douleur
Je suis reste tout seul et j'ai pleure tout bas
En ecoutant hurler la plainte des frimas ...

Sombre dimanche...

Je mourrai un dimanche ou j'aurai trop souffert
Alors tu reviendras, mais je serai parti
Des cierges bruleront comme un ardent espoir
Et pour toi, sans effort, mes yeux seront ouverts
N'aie pas peur, mon amour, s'ils ne peuvent te voir
Ils te diront que je t'aimais plus que ma vie

Sombre dimanche.

歌った歌手:ダミア、セルジュ・ゲンズブールなど

4.Sam M. Lewis サム・M・ルイス訳
(ビリー・ホリディが歌ってヒット)

Sunday is gloomy, my hours are slumberless
Dearest the shadows I live with are numberless
Little white flowers will never awaken you
Not where the black coach of sorrow has taken you
Angels have no thought of ever returning you
Would they be angry if I thought of joining you?

Gloomy Sunday

Gloomy is Sunday, with shadows I spend it all
My heart and I have decided to end it all
Soon there'll be candles and prayers that are sad I know
Let them not weep let them know that I'm glad to go
Death is no dream for in death I'm caressing you
With the last breath of my soul I'll be blessing you

Gloomy Sunday

Dreaming, I was only dreaming
I wake and I find you asleep in the deep of my heart, here
Darling, I hope that my dream never haunted you
My heart is telling you how much I wanted you

Gloomy Sunday

歌った歌手:ビリー・ホリデイ、ルイ・アームストロングなどなど

5.Desmond Carter デズモンド・カーター訳

Sadly one Sunday I waited and waited
With flowers in my arms for the dream I'd created
I waited 'til dreams, like my heart, were all broken
The flowers were all dead and the words were unspoken
The grief that I knew was beyond all consoling
The beat of my heart was a bell that was tolling

Saddest of Sundays

Then came a Sunday when you came to find me
They bore me to church and I left you behind me
My eyes could not see one I wanted to love me
The earth and the flowers are forever above me
The bell tolled for me and the wind whispered, "Never!"
But you I have loved and I bless you forever

Last of all Sundays

歌った歌手:ディアマンダ・ギャラスなど

6.岩谷時子訳

腕に赤い花を抱いて
吹きすさぶ木枯らしのなか
疲れはてて帰る私
もういないあなただもの
恋の嘆きつぶやいては
ただ一人むせび泣く
暗い日曜日

ローソクの揺らめく炎
愛も今は燃え尽くして
夢うつつあなたを思う
この世では逢えないけど
あたしの瞳がいうだろう
命より愛したことを
暗い日曜日

歌った歌手:ネット上で試聴できたものでは、大西ユカリと新世界、NUUなど。
邦訳のなかでいちばんよく知られている歌詞らしいです。

7.野上彰訳

花を部屋に 君を待てど
もはや 我を たずねまさず
ただ一人 空しく 待てり
過ぎし 幸を偲びつつ
帰らぬ昔 くり返し
我が眼(まなこ)に 涙あふる
暗い日曜日

憂いに閉ざさるる心
すでに たえし我が望み
我が心 空しく くれて
遠き空の 彼方想い
夕暮れの 小暗き 部屋の
窓に射す 夕陽に嘆く
暗い日曜日

夕暮れの 小暗き 部屋の
窓に射す 夕陽に嘆く
暗い日曜日

歌った歌手:金子由香利など

8.脇野元春訳

花を部屋に 君を待てど
もはやわれを たずねまさず
ただひとり むなしくまてり
すぎし幸を しのびつつ
返らぬ昔 くりかえし
わがまなこに 涙あふる
ソンブルディマンシュ

憂いに とざさるる心
今はすべて 絶えし望み
わが心 空しく冷めて
遠き空の 彼方思い
夕暮れの 暗き部屋の窓に立つ
夕陽を待てど
ソンブルディマンシュ

歌った歌手:淡谷のり子

9.門田ゆたか訳

春はめぐり
花は咲けど
君は去りて
さみし部屋に
昼も夜も
花を抱き
ひとり唄う
恋のうたよ
窓に雨は
泣いて降れど
君は何処
暗い 暗い
日曜日

歌った歌手:ディック・ミネ

(参考にしたウェブサイトの一部)
http://www.phespirit.info/gloomysunday/
http://www.chansonkame.com/p31_f.htm
http://www.yomiuri.co.jp/tabi/world/20040628sc22.htm
──海後礼子──

 海後さん、どうもありがとう。心からの感謝を! 歌詞の訳もなかなかよかったです。
 そういえば、いろんな人の歌った「暗い日曜日」をCD一枚にまとめるとおもしろいのにねとメールに書いたら、もう出てます、という返事とともに、次のCDの紹介が。

2002年に日本でトリビュートが出てます。
その名も、『暗い日曜日~トリビュート~“Gloomy Sunday”』
たぶん映画の公開とあわせたんじゃないのかな。

1.暗い日曜日(大西ユカリと新世界)
2.同(Rom-chiaki)
3.同(Cave Gaze Wagon)
4.同(サブ&まみ)
5.同(NUU)
6.同(新井英一)
7.同(冴木杏奈)
8.同(薩めぐみ)
9.同(夏木マリ)
10.同(ダミア)

というラインアップ。

3.あとがき(『ジャッコ・グリーンの伝説』『ゴーレムの眼』『コンスエラ』)
 『不思議を売る男』の作者、ジェラルディン・マコーリアンの『ジャッコ・グリーンの伝説』(偕成社)は、イギリス、ヨーロッパの妖怪やモンスターがごちゃごちゃ出てくるファンタジー……というと、最近ありがちなやつかと思われてしまいそうだが、妖怪もモンスターも土俗的なにおいをぷんぷんさせているのが特徴。けっこう、恐いし、おかしい。それにマザーグースもたっぷり。このへんのことを注で簡単に補足しておいたのだが、それではとうてい足りず、HPに詳細な注を載せることにした……おそらく、今月の25日くらいにはアップの予定。もし当日アクセスしてもまだだったら、もうしばらくお待ちください。もうほとんど体裁は整ってます……といっても、整えてくれたのは田中亜希子さんと森久里子さんなんだけど。
 『ゴーレムの眼』は、去年出た『バーティミアス』の続編。先月のエッセイでも書いたが、全力投球の「あとがき」を書いて送ったはずなのに、編集の奥田さんから「まだよ」といわれ、あれ、酒を飲みすぎて夢で書いたのかと思い、あわてて書き始めたところ、奥田さんから「あ、ごめん。届いてたわ」とのメール。ほっとする一方、あれだけ力を入れたあとがきを夢だと思うなんて、そろそろ引退を考えようかなと思った次第。
 『コンスエラ』は、『ティモレオン』で物議をかもしたダン・ローズの短編集。いやあ、今回もさんざん、つらい話を書いてくれている。とくに男がかわいそうだ。いや、悲惨だ。なんでここまで男をいじめるかなあ……というふうな本。
 江國香織さんが帯に書いてくださった紹介文は「ニ短調の哀しみを伴うとはいえ、愛はかくも強烈で美しく、小説はかくも緊密でおもしろい」。

   訳者あとがき(『ジャッコ・グリーンの伝説』)
 第一次世界大戦が終わって間もない頃のイギリス、田舎の一軒家に姉と住んでいたフェイリムは、「おまえは伝説の英雄、ジャッコ・グリーンだ。ワーム(ドラゴンの一種で、翼のない巨大な海の怪物)の目覚めを阻止しろ」といわれ、旅にでるはめになる。フェイリムはどこといって取り得のない少年で、自分はそんな偉い人間ではないとわかっているが、次々に近づいてくる奇妙な連中はちっとも聞く耳を持たない。
 やがて仲間がやってくる。影のない少女アレクシア、ぼろぼろの服を広げて木から木へ飛び移るマッド・スィーニー、丸テーブルに黒い布をかぶせたものに脚を二本くっつけたような馬。
 こうしてフェイリムは、自分はそんな英雄じゃないといいながら、変な旅を続けることになる。しかし実際に伝説の巨大なワームが目覚めはじめているのか、その手下と思われる不気味な妖精や妖怪や怪獣たちが襲ってくる。
 はたしてフェイリムは本当に伝説の英雄ジャッコ・グリーンなのか。そしてまたフェイリムたちはワームの目覚めを阻止することができるのか。いや、そもそもワームなどというものが現実に存在するのか。そういった謎を投げかけながら、物語は思いもよらない方向へと進んでいく。
 『不思議を売る男』の作者ジェラルディン・マコーリアンは、もともと物語を作るのがうまい。読者を想像もつかない世界に誘いこんで、思い切り引きずり回して、目が回ったころに、すっと出口に運んでくれる。それもマコーリアン以外の人には作れないような物語でそれをやってしまう。マコーリアンの作品はどれをとっても、ユニークで、深みがあって、味わい深い。
 そういった特徴はこの作品にも色濃く表れている。
 この作品は分類すればファンタジーに入るが、最近はやりのファンタジーとはかなり違う。この頃流行しているファンタジーやRPGに登場する妖精や妖怪や怪獣が妙に軽いことに気づいている人は多いと思う。姿形や不思議な力は伝説や神話に出てくるものと同じなのだが、格好ばかりで迫力がなく、まるで人形かロボットのような感じがするのだ。においも手触りもない。ところが、この作品に登場する連中は異様で不気味で恐ろしい。土俗的なにおいと力が強烈に迫ってくる。本当に不思議で、不気味で、恐ろしい者たちがここにはぞろぞろ登場してくる。そしてたまに、妙に間の抜けた連中も登場する。
 そう、ここには「ファンタジー」などというものが登場してくる前の、神話や伝説や民話の「いにしえの力」に満ちた連中が思い思いに姿を現す。それはもう、現代の人々が忘れかけたものなのかもしれない。
 ありきたりのファンタジーに物足りない思いをしている人にはぜひ読んでもらいたい。そしてまた、古き良き妖精、妖怪、怪獣たちに会いたい人にも。
 グラッシャン、バーゲスト、バンシー、ドラク、コラニエート、ウシュタ、メロー、コボルド、グラシュティグ、レプラコーム……などなど、この作品には数多くの妖精、妖怪、怪獣たちが登場するし、また数々のナーサリー・ライム(マザー・グース)の歌が出てくる。本文中に簡単な注を入れておいたが、それでは物足りないという人のために、さらに詳しいものを金原のHPに載せておいた。もし興味のある方は、ぜひアクセスしてみていただきたい(http://www.kanehara.jp/)。
 最後になりましたが、編集の別府章子さん、翻訳協力者の田中亜希子さんと森久里子さんに心からの感謝を!

             二00四年五月二十五日
             金原瑞人


   訳者あとがき

 『バーティミアス・サマルカンドの秘宝』を訳したときは、時間がたつのも忘れて、物語のなかに引きずりこまれたままだった。というか、物語に引き回されてくらくらしていた。次々に起こる事件、バーティミアスの活躍、全体をつらぬく緻密なプロット、最後のどんでん返し……まさに極上のミステリーとファンタジーが合体して、おたいがいの魅力を高めあっているような作品だった。
 しかし、そういう作品を訳し終えるといつも、不安になる。そもそも、これは三部作になるというのに、第一巻目からこんなにおもしろくていいのか、次はどうなるんだと、つい考えてしまうのだ。そして第二巻目の原稿が手元に届くと、その不安はいよいよふくれあがる。だいたい、小説にしても映画にしても、第一部が傑作だと、続編は駄作と相場が決まっている。第二部のほうが第一部より出来がいい作品はそうたくさんはない。
 つまらなかったらいやだな、翻訳断ろうかななどと思い思い、読んでみたら、「!」だった。
 第二巻目の『ゴーレムの目』(The Golem's Eye)、まず最初の部分でガンときた。
 第一部でナサニエルがあこがれていた、あの大魔術師にして、大政治家にして、大指導者グラッドストーンがいきなり登場するのだ。強力な魔力を秘めた杖を片手に、チェコ侵攻の先頭に立って、イギリス軍を率いている。陥落まぎわのチェコの城を守っているのは、われらがバーティミアス。チェコの魔術師たちは、最後の手段として、魔法を受け付けない巨大な土人形、ゴーレムを出動させる。おりしも嵐が吹き荒れ、稲妻が飛びかい、グラッドストーンは杖をかざし、バーティミアスには、はるかにレベルの高い悪魔がいどみかかる。
 このプロローグを読んだだけで、足から力が抜けた。やっぱり、おもしろい小説というのは最初からちがう。おもしろい小説の続編というのは、最初の最初からちがう。まるで最高の続編のお手本のようなはじまりかただ。
 そしてプロローグが終わると、二年後のナサニエルの物語がはじまり、それにキティという少女の物語がからんでいき、いよいよ、バーティミアス召喚!
 ナサニエル+バーティミアスという第一巻目のストーリーに、キティという魔術師にうらみをもつ女の子が無理やりわりこんできて、物語はさらに広がっていく。そこに、ふたたびグラッドストーン登場、というか、レジスタンスの連中がグラッドストーンの墓あらしを試みようとする。
 第一巻目の大成功で出世したはずのナサニエルは、することなすこと裏目に出て、絶体絶命のピンチに追いこまれる。一方、キティも事件の思わぬ展開に足をすくわれ、絶望のどん底に放りこまれる。そこに、いやいや呼び出されたバーティミアスが、どんな活躍を、いや、どんなドジをするのか。
 第一巻目で未解決だった部分が、第二巻ではさらに大きくなり、謎が謎を呼んでいく。まさに、反則ぎりぎりの大展開で、この謎は第三巻へと受け継がれていく。
 まあ、読んで決して損はしない。ただ、第三部が出るまで一年待たなくてはならないというストレスは残るかもしれない。それがいやな読者は、ただ買ったまま、来年の十一月を待つほうがいい。
 ちなみに第一巻目は日本のほか、ドイツ、フランス、イタリアなど世界三十一カ国で翻訳出版されて、ベストセラーになり、ミラマックス社が映画化権を取って、二00五年に公開の予定らしい。しかし、これを映画化できるのかという気がしないでもない。
 その第一巻をはるかに上回るスケールとおもしろさの第二巻、読まないわけにはいかないだろう。ただ、読むからには第一巻目からにしてほしい。この本の最初のところにも、前巻のあらすじはついているが、それを読んですませるようなもったいないことをしてはいけない。

 さて、次の巻の予告を少しだけ。まだ本書を読み終えていない人はここまでにしておくように。
 作者によれば、第三巻目では、ナサニエル、キティ、バーティミアスの三人が思いもよらない形でからみあうことになるとのこと。そして第一巻目に登場したラムラスや、第二巻目に登場したホノリウスやゴーレムとはけたちがいの悪魔が登場して、ついには世界が……という展開になるらしい。ファンタジーにミステリの要素をふんだんに盛りこんだこの作品、次ではなんとSF的な広がりまで楽しめそうだ。しかしまだできあがってはいないので、いきなりストーリーが変わる可能性もあるとか。
 それにしても、ナサニエル、キティ、バーティミアスの三人のキャラはすばらしい。この三人がいれば、いくらでも物語ができそうな気がするくらいだ。ほんとうに、三部で終わってしまうのだろうか、それさえ不安になってくる。

 最後になりましたが、大奮闘のリテラルリンクのみなさん、原文とのつきあわせをしてくださった石田文子さん、細かい質問にていねいに答えて下さった作者のジョナサン・ストラウドさんに心からの感謝を!

      二00四年十月一日
                      金原瑞人


   訳者あとがき(『コンスエラ』)

 『ティモレオン:センチメンタルジャーニー』を訳し終えたときは、不安でいっぱいだった。この暗くて強烈な作品の魅力をいったいどれくらいの読者が受けとめてくれるのか、まったく見当がつかなかったのだ。しかしありがたいことに、出版と同時に、批評家の豊崎由美さんや、作家の江國香織さんや、そのほかいろんな人がほめてくださって、また、「ダヴィンチ」のプラチナ本にも選ばれ、多くの人々に読まれることになった。出版社にこの本を強力に推した訳者としては、ほっとしている。
 じつは『ティモレオン』の原書の要約を共訳者の石田さんにお願いしたときのこと。三日ほどして、石田さんからこんな連絡がきた。「この作品はとても好きなんだけど、最後があまりに「××」だから、普通の出版社は出さないと思う。要約で、最後のところだけカットしちゃだめですか?」
 思わず笑ってしまったのだが、ぼく以上にこの本に魅了された石田さんならではの言葉だと思う。もちろん、カットせずに要約をまとめて、それが出版の運びになったことはいうまでもない。

さて、この『コンスエラ』という短編集は、『ティモレオン』より二年ほど前の作品で、原題は Don't Tell Me the Truth about Love 。いかにも、ダン・ローズらしい。ちなみにGoogleで'tell me the truth about love' を検索すると、二千六百件ほどヒットする。まあ、英語ではおなじみのフレーズだ。この頭に 'Don't' をつけるところが、いかにもダン・ローズらしい。「たのむから、やめてくれ」という意味か、「もういいよ」という意味か、「やれやれ」というニュアンスか、それとも……と思ったら、どうぞ、この短編集を。どれもが「愛」についての、「愛」をめぐるものばかりで、どれも主人公は男で、ほとんどがハッピーエンドで終わらない。
 愛する女性の腕に抱かれて演奏されることを願う青年、自分を愛しているなら片眼をえぐれと女に迫られる若い恋人、ごみ埋立地に出没する美女をとことん愛してしまった男、若さや肉体や美貌ではなく自分自身を愛してほしいと次々に難題を吹っかけてくる女に翻弄される金持ちの息子……まさに、ほとんど全編、男の受難の物語といっていい。
 そしてその受難、苦難が報われるかというと、まあ、読んでもらうしかないが、さすが『ティモレオン』の作者、痛いところをついてくる。心温まる甘ったるいラブストーリーを読みたい方には、絶対にお勧めしない。
 残酷で、滑稽で、皮肉で、グロテスクで、しかし、切ない愛の物語。
 アンデルセンではなくグリムの世界を、恐怖とユーモアをまじえて、現代に再現したような短編集とでもいえばいいだろうか。
 いってみればバロックの宝石箱。ありきたりの愛の物語に飽き足りない読者のために用意された、いびつな真珠がここにはごろごろころがっている。

 さて、作者についての情報を少し。ダン・ローズは寡作な作家で、今のところ本は四冊しか出ていない。処女作が Anthropology(未訳)、第二作がこの本、第三作が『ティモレオン』、最新作が The Little White Car(ただし、Danuta de Rhodes というペンネームで出版されている。来年、日本でも翻訳刊行の予定あり)。

 最後になりましたが、編集の津田留美子さん、山本貴緒さん、さみだれ式の質問にていねいに答えてくださった作者のダン・ローズさんに心からの感謝を。

     二00四年十月二十五日
                金原瑞人

4.積み残し
 じつは今回、差別語について書くつもりでいたのだが、時間がなくなってしまったので、これは次回へ。

5.これから
 『マンゴーのいた場所』(金の星社)、『スカイラー通り19番地』(岩波書店)、『タイドランド』(角川書店)といった作品が11月下旬に出る予定。
 そういえばカニグズバーグの『エリコの丘から』(岩波書店)の改訂版も、小島希里さんとの共訳という形で出たところ。