あとがき大全(43)

金原瑞人

           
         
         
         
         
         
         
    

1.奇遇、その一
 本にかかわる仕事をしていると、たまに楽しい偶然にぶつかることがある。
 先日、ジョナサン・ストラウドさんが来日して、二日ほどご一緒したのだが、彼の『バーティミアス1:サマルカンドの秘宝』の映画化が進んでいるらしい。映画会社はミラマックス。脚本を担当するのがホセイン・アミニ。『鳩の翼』や『サハラに舞う羽根』の脚本を書いた人だ。そうそう、そういえば、去年、A・E・W・メイスンの『サハラに舞う羽根』(角川文庫)を訳したのだった。長いし、文体もちょっと難しいし、なにより、当時のことなどほとんど知らないし……というわけで、大変苦労したのだった……共訳者の杉田さんが。
 その杉田さんと話していたら、また戦争物で苦労しているとのこと。第二次世界大戦のアフリカ戦線におけるドイツ軍とイギリスの戦いらしい。ぼくはこのへんのことはちょっと興味があって、昔はよくその手の戦争物を読んでいたことがあるので、詳しくきいてみたところ、Magicianが主人公とのこと。いや、魔法使いじゃなくて、手品師。それで、「え?」と思って、さらに詳しくきいてみたら、十年以上前に出逢った本だったことがわかった。
 じつはその本、当時、ユニ・エージェンシーにいた加島牧史(加島さんも加島くんも、なんとなく違和感があるので、とりあえず呼び捨て。向こうも「金原」と呼びかけてくるし)が、下訳をしないかともちかけてきたのだった。じつは彼のお父さんは著名な翻訳家で、その人の下訳を、という話だった。
 David Fisher という作家のThe War Magician という作品で、舞台は第二次世界大戦、アフリカ戦線。ドイツ軍の戦車隊を率いるのは砂漠の狐との異名を持つ智将ロンメル、イギリス軍は苦戦をしいられるが、手品の手法を用いて、それに対抗する……というふうな話だったと思う(ちがってたら、ごめん、なにしろずいぶん昔のことなので)。手品の手法をというと、ずいぶん安っぽくきこえるが、基本的には misleading と呼ばれる手法であって、そう突飛な発想ではない。
 そうそう、十年以上前と書いたが、考えてみればロバート・ウェストールの『かかし』を出した少し後だったから、1987年、15年まえのことである。そのとき、下訳料が100万くらいかなあといわれて、驚いたのをよく覚えている。まあ、作品自体が長いこともあるが、『かかし』の初版印税の二倍以上だし、それも下訳なのだ。当時駆け出しの身にとっては、魅力的な話だった。が、結局断ることにした。ほかの仕事が忙しくて、それにさく時間が取れなかったのだ。
 なんと、その昔の作品が映画化されたというので、日本での公開に合わせて翻訳されることになった。そしてそれを訳すことになったのが『サハラに舞う羽根』の共訳者、杉田さんという、まあ不思議な縁だと思う。
 杉田さんから、作品の簡単な説明が届いたので。
「第二次大戦時に、奇想天外なトリックを駆使してドイツ軍を翻弄したイギリス人マジシャンがいた。その実在の人物ジャスパー・マスケリンの活躍を描く歴史小説」
 加島というのは面白い男で、ユニ・エージェンシーをやがて辞めて、横浜でギャラリーを始め、そのうちそこを辞めて、銀座の路地裏に小さいバー兼ギャラリーを開いた。その店には一度寄ったことがあるのだが、もともと銀座近辺には縁がない身なので、それきりになっていて、そのうちその店も閉店となった。
 そしてつい先月あたりである。太棹の寛也師匠が、知り合いが小さいギャラリーで個展を開くからといわれて、その案内状をいただいた。なにげなく、案内状の作家案内を読んでみたところ、なかなかに癖のある紹介文で、あれ!と思い、店の名前をみてみたら、「Gallery Bar KAJIMA」とあるではないか。これはたぶん、あの加島の店だろうと見当をつけて、寛也師匠に、もしその店にいったら確かめてきてほしいと頼んだところ、まさに、加島だった。
 そのあとすぐに加島から次の個展の案内状がきて、一筆、「元気かよ。顔を出せよ」と書いてあった。

2.奇遇、その二
 じつは何を隠そう、フィリップ・プルマンの『黄金の羅針盤』の隠れファンである。原書で読んで、ぜひ訳したいなと思った一冊なので、新潮社から出たときには、ちょっと残念だった。ところが、今年、理論社の小宮山さんからプルマンの新作を訳さないかとの話があった。「喜んで!」というわけで、訳すことになったその本が、The Scarecrow and His Servant。なんか、ウェストールの『かかし』(The Scarecrows)に似ているが、内容はまったく違う。プルマンのほうは、カブ頭のかかしと男の子の愉快な冒険物。ついでに書いておくと、ロバート・ウェストールの『かかし』の最後のところで、トリスがサイモンにいう科白が「やあ、カブ坊主」。カブ坊主、カブ頭、どちらも、おばかの意味らしいが、プルマンのかかしは本当に頭がカブでできている。
 そんな話をメールで、イギリスに留学中の豊倉さんに送ったら、「プルマンさんの朗読会にいきます」とのこと。じゃあ、どんなだったかエッセイ風にまとめて送ってと頼んだら、次のようなものが届いた。

 えっ〜〜〜! 先生、プルマンさんの作品を訳されるんですか? それも『Scarecrow and His Servant』を?! びっくりです。実はわたしが行くというプルマンさんのトークショーは、その『Scarecrow……』のプロモーションをかねて、チャリング・クロスの書店で行われるものなんですよ。

 というわけで、以下そのトークショーの報告です。

 ロンドンの大型書店『フォイルズ』のギャラリーで、売り場のリニューアルを祝うイベントの一環として行われたフィリップ・プルマンのトークショーにいってきました。開演30分ほど前に会場に到着すると、まだお客さんはまばら。こぢんまりとした会場には、演壇を囲むようにして60ほどの座席がセッティングされ、なかなか良い雰囲気です。入場料6ポンドの中に含まれているワインとクリスプを手に、しばしおしゃべりを楽しんでいると、予定の午後7時を10分ほどすぎたところでいよいよプルマンさんの登場となりました。
 まずはこの本を書くにあたって、どこから着想を得たかという話です。プルマンさんは「どこに行ってもこの手の質問を受けるのですが、私の場合は、ただ頭のなかにストーリーが湧き上がって自然に書きはじめることがほとんどなのです」と前置きした上で、「ただし、この『Scarecrow……』に関しては、物語を書き始めるきっかけになったものがあります」とポケットのなかからふたつのものを取り出しました。ひとつは日本在住(ニュージーランド人)の画家が送ってくれた日本の田んぼにたたずむ『かかし』のスケッチ。そのかかしを見た瞬間、今まで見たことのない独特なフォルムに惹かれたそうです。そして、もうひとつはトランプそっくりのカード。1セット二十四枚のカードにそれぞれ風景が描かれているのですが、どのカードをどの順番で並べても必ず風景がつながるようになっており、カードをいろいろに並べ替えて組み合わせの妙を楽しむというゲーム(後に『Myriorama』という名前だと判明)のようなもの。このカードとスケッチを眺めるうちに、かかしとジャックが出会い、旅を始めるという今回の物語が浮かんできたとのことでした。
 と、ここまで聞いて「へぇ〜、日本のかかしってイギリスのかかしとそんなに違うのかぁ? いや、やっぱ感性が違うのね。作家の感性はかかしひとつの微妙な違いにも刺激を受けるんだわ……」とひたすら素直に感心するわたし。ところがそこで「あの、よろしいかな……」と会場内のかなり年配のジェントルマンから手があがりました。「いやはや、プルマンさん、ごらんになったことございませんかな? その手のかかしなら、南イングランドにいけばあちこちでみられますよ」。《ひぇ〜〜〜っ?!(わたし、心の中で)》。でも、そこはさすがに大御所プルマン「ほぅ、ほうぅ! それは知りませんでしたな。今度一度見に行かなくてはね……はっはっはっはっ」とジェントルマンのつっこみを余裕の笑顔でかわしたのでした。
 そのあとは、この『Scarecrow……』のスタイルについて。プルマンさんはこの作品をあれこれ説明を必要とするNovelではなく、Fairy Taleの形で書きたかった。そのために視点を近からず、遠からずに保つ、Fairy Tale Distanceをキープすることに留意した、との話が印象に残りました。
 ざっと物語についての説明が終わると、次はいよいよプルマンさん自らによる読み聞かせです。『Scarecrow……』の冒頭とハイライト部分をいくつか朗読されたのですが、教師をしていたときから、ストーリーテリングが大好きだったとおっしゃるだけあって、さすがのうまさ。いろいろな声音を使い分けた迫力たっぷりの語りに、会場中の人が一瞬にして物語の世界に引き込まれてしまうのを感じました。
 引き続いておこなわれた質疑応答では「あなたの作品『His Dark Material』は反キリスト教的だというので、アメリカでは全然売れてないようですが……」などという、挑戦的な質問をする女性もいたりしてちょっとドキッとしました。どうもその質問をした女性は自らも反キリスト教で、プルマンさんから「まったくです。わたしも神は信じちゃいません。同じですね」という反応を引き出したかったらしいのですが、プルマンさんは彼女のペースに乗せられることなく「そういうことをいう人はあの作品の全部を読まなかったのかもしれません。私の作品がアメリカで格別に不評を買っているという話は、直接耳にしたことがないのでわかりませんね」と穏やかに、しかしきっぱりと答えていました。
 また、隣に座っていた友人のリザが「あなたの作品は世界各国で翻訳されていますが、翻訳の出来、不出来についてはどう思いますか? あまり売れないと、翻訳のせいじゃないかと思ったりすることは?」ときいたところ、プルマンさんは「もちろん、日本語とか中国語など、すべての言語が読めるわけじゃないので、翻訳の出来については自分では判断できません。基本的には、編集者を信頼してまかせることにしています。たしかに同じ作品でも国によってかなり売れ行きが違ってくることはありますが、それは翻訳ばかりが問題なわけじゃなく、マーケティングや装丁などいろんな要素が関わってくるのだと思います」というお答えでした(^^)。
 イギリスでこういう催しに初めて参加したわたしは、そのさばけた雰囲気に驚くとともに、前述のジェントルマンにしても、過激な女性にしても、聴衆がまったく遠慮などしないことにも感心しました。「こんなこといってもいいかな……」という気遣いは皆無。みんな「入場料払ったんだし、聞きたいことは聞かせてもらうわ」とばかりに、閉店時間ぎりぎりまで質問の嵐が続きました。
 最後のサイン会では、プルマンさんが座るデスクの前にずらりと長い列ができました。中にはその日書店で買った本だけでなく、いかにも年季の入った本を二十冊以上も抱えている人もちらほら……というかかなり……。さしずめ日本なら、店側からサインは何冊だけにとか、当店で買ったものだけにとか一言ありそうなものだし、お客もこれだけ長い列ができているのだから自分ひとりで二十冊は……と少しは遠慮しそうなものですが、そこはさすがイギリス人。店側からの注意もないし、お客も「別にいいじゃん」という感じで、プルマンさんの目の前にどんと本を積み上げていました。まったく異様に寛容なのか、それとも鈍感で無神経なのか、日本人の目からみるととっても不可解。こちらへ来た当初は日常生活のいろんな局面でこの手のイギリス人的態度に接するたび、首をかしげ、イライラしていましたが、最近はもう「おもしろがるしかない」と思ってます。ロンドンから戻った一年後のわたしは、きっとものすごーく寛大で、忍耐力のある、心の広い人間に変身しているはず……どうぞ乞うご期待を!(話が脱線しちゃいましたね)。
 さてさて、30分ほど待ったところで、ようやくわたしの順番が回ってきました。サインのペンを走らせるプルマンさんに、おそるおそる「あの……ミスター・プルマン。わたしは駆け出しの翻訳家なのですが、実はたまたま、わたしの師匠というか、ボスにあたる人が、この『Scarecrow……』を日本語に訳されると聞いて、とても驚いているんです」と声をかけたところ、氏は手をとめ、顔をあげ、わたしをじっとみつめて「本当? 驚いたなぁ。よろしく伝えておいてね。君もこの作品の翻訳を手伝うの? 今日は本当に来てくれてありがとう」とにっこり微笑んでくださったのでした。とても優しい笑顔でしたよ。書店を出て、冬のロンドンの寒気に触れても、興奮はまったく冷めやらず、その勢いでパブ巡りへ。楽しい夜でした。

 先生が『The Scarecrow and his Servant』をどんな風に訳されるのか、とても楽しみです。

3.奇遇、その三
 じつは数年前から、ピエール・バルーというシャンソン歌手にはまっている。シャンソン歌手としてだけでなく、「サラヴァ」というフランスのインディーズのレーベルを立ち上げたことでも有名なのだが、詳しいことは 「Les Anees 1967-2002 Saravah」 という二枚組のCDの解説に書かれているので、そちらを参照してほしい。手っ取り早く紹介すると、クロード・ルルーシュ監督の『男と女』の音楽を担当した人とでもいえばいいかな。そのバルーを見直す、いや、聴き直すきっかけをくれたのは、梶本くん(Baby Recordsという通販のレコード、CD販売をやってる)が送ってくれたCD。さっきあげた二枚組のほかに数枚、とくに「Vivre〜生きる」というアルバムが抜群によくて、それこそ繰り返しよく聴いていた。
 そうしていたら、つい去年のこと、二十年来の飲み友達、酒井さん(もと西村書店にいて、いまはフリーの書籍営業なんだけど、一度も一緒に仕事をしたことがなく、酒と音楽のみでつながっている)から、すごい情報が入った。なんと、ピエール・バルーの映画、映像が六日間にわたって、吉祥寺のバウスシアターのレイトショーで上映されるというのだ。それだけではない、毎晩、バルーその人が登場してトークあり、歌ありだという。彼が歌うときだけでも行かなくちゃと思って、手帳をめくってみたら、なんと、地方での講演と重なっていて、一日も行けそうにない。おいおい、待って待って、という感じだが、どうしようもない。酒井さんはたぶん、三晩行ったんじゃないかな。
 くやしがっていたら、ちょうどイギリスからもどってきた秋川さんが行く、という。じゃあ、というわけで、その三日間の様子をレポートしてほしいとお願いして、書いてもらった。それをあとに載せておこう。秋川さんにきいて知ったのだが、バルー、じつは日本の女性と結婚して、新宿御苑に住んでいるらしい。
 しかし奇遇というのはそれだけではなく、そのあと池袋で、おくだ健太郎さんと歌舞伎対談をしたあと、おくださんや求龍堂の人たちを飲みにいったのだが、そこでなんとなくピエール・バルーの映画のことをぽろっと話したら、清水さんという女性の編集者が、「あれ、ご存知なんですか? じつはバルーの本、2005年に出す予定なんです」と言うではないか。すばらしい!
 というわけで、今年は自分の音楽的にはピエール・バルーの年なのだ。
 というわけで、秋川さんからきた「ピエール・バルー・レポート」を。

11月24日(水)
 ピエール・バルーのフィルムフェスティバル。前売り券を買えなかったので、早めに行って当日券を買ったんですが、意外と人は多くなかったです。劇場の人にきいたら、これまで満席にはなってないとのこと。明日はもう少し遅く行っても大丈夫かな、という感じでした。
 今日は、『サ・ヴァ、サ・ヴィアン(bis…)』。「かぼちゃ商会」というちんどん屋さんがフランスまで遠征していくのを追うという・・・。ちんどん屋さんだから、もっぱら街中を練り歩いてストリートで演奏、なんですが、村のお祭りやらカフェやら老人ホームやらに乗り込んでいってしまう。そして周りの人も、それを白い目で見て通り過ぎるのでなく、集まってきて、みんなにこにこしながらきいていて、そのうち踊り出したりしちゃう。そういうのはみているとなんだかとてもほほえましく、たのしくなってしまいます。
 で、映画上映の後にその「かぼちゃ商会」の面々が実際にやってきて、ライブ演奏をしてくれました。しかし、悲しいかな、客席にしっかり座ってみてると、つい今さっき映画でみていたというのに、手拍子もいまいちノリが悪い。かくいう私も、なんだか違和感を感じて、最初うまく乗り切れなかったひとりですが。
 イギリスにいたときも、コンサートなんかに行くと、よく「みんな降りてきていっしょに踊りなよ」みたいな感じになったのですが、そういうノリって日本人にはあまりなじみのないものだよな、とか思ったりしました。というか、イギリスにいて、周りの外国人がみんな踊ってれば日本人も踊るわけだから、誰かがやればみんなもやるのかもしれないなあ。
 ともあれ、バルーも彼らと一緒に歌ってくれたし、よかったですよ。とても気さくなおじ(い?)さんという感じ。誕生日の人をステージに上げて誕生日の歌を歌ってあげたりしてました。彼は奥さんが日本人なのですね。それでよくフランスと日本をいったりきたりしているとか。奥さんと娘さんが通訳をしていました。帰り際、みんな買ったCDなんかにサインをもらってましたよ。もしほしかったら、もらってきますけど?
 もっとしっかりしたレポートを書こうかと思っていたんですが、時間がけっこう遅くてちょっとつらいです。思いつくまま書きなぐってしまったので乱文・・・ご容赦ください。
また明日、いってきます。

11月25日(木)
 私にとっては第二夜。ちょっと勝手もわかってきたので、映画を観るだけだったら後ろのほうに座るけれど、今日は前から3列目(だって、バルー、平気でステージに座り込んだりしちゃうんですもの)。昨日と同じく、まず最初にバルーが奥さんの通訳で舞台上で挨拶。曰く、「プログラムとはちがうんだけど、2時間前に編集し終わった短編映画を・・・」。 彼が去年日本に来て、計40箇所をまわったというツアーのドキュメンタリーでした(彼はそのあと、「じゃ、あとで」といって、空いた席に座って、最後にまた現れるのです)。おもに、北海道と奄美大島に行ったときのものでしたが、それを編集し終わってるところまで(笑)。しかし、それがとてもよかった。
 本人も言っていたけれど、バルーは大都市の大きなコンサート会場でなくとも、ローカルな、たとえば小さな居酒屋だとか、ギャラリーのようなスペースだとか、かなりフットワーク軽くほいほいと飛んでいく。こうやって日本に来るのも「長い散歩」と形容するように、気の赴くままに、たとえば、友人が「今日はこれから青森にキリストの墓参りに行く」といえば「じゃあ、おれもいく」というようにあちこちどこへでも飛んでいき、そこでこれ、と思うものがあればカメラを回すようです(ちなみにこれは青森県新郷村の「キリスト祭り」というイベントらしいです)。今回紹介していた、青森在住の鈴木さんという彫刻家はとてもおもしろそうなおじいちゃんでした(『ムッシュー・スズキ』)。彫刻家だけれども、個展も開かないし、作品も売らない。どうやって生活するかといえば物々交換。お鮨屋さんにいって、さらさらっと魚の絵を描いて、お鮨を食べてきたりするという。バルーはいたく感銘を受けたようでした。
 今日のドキュメンタリーは、そうやって、そのときそのとき出会った人たちとの交流を描いたものが多く、たとえば、小さな小さなコンサートの後の打ち上げで、めいめいがお酒を片手に歌ったり、楽器を奏でたり、踊ったりしている。それがとてもたのしそうで、ほほえましく、あたたかい。ギターの音に合わせて踊るおばあちゃんの笑顔とか、とても印象的。そしてそういうのをバルーはいつもうまくとらえている。
 今日のライヴは、バルーがギターを弾きながら自作の曲を披露してくれた後、客席にいた娘さんを呼んで、映画の中でも歌われていた曲を父娘二人で歌ってくれました(「出会いの星」。彼女は昨日のかぼちゃ商会とのセッションではサックスを吹いていたし、今日の映画ではもっぱらフルート、そして、今日のお父さんの話の様子ではギターも弾けるよう。声もよい。さすがに、なんでもできてしまうんだなあと。この後、CDも出していることが判明)。その歌も、ゆっくりゆっくり歌って、最後は観客にいっしょに歌ってもらおうとする。2回いっただけで、もうバルーの奥さんも娘さんも、名前も顔もばっちり覚えてしまいましたが、そんな風に、あたかも家族ぐるみのホームパーティの中にいるような、あたたかい空気が漂います。
 誰かが、誰かのことを、何かのことを、すごく愛していていとおしんでいるのがわかるような瞬間というのは、ほほえましく、あたたかく、私はとてもすきです。

11月26日(金)
 最終夜です。今日は、意外にも(笑)、プログラムどおり『アコーデオン』でした。著名なアコーディオン奏者の企画したコンサートの様子を追っていくのですが、映画の中で使った本番の映像といえばたった5分ほどで、あとはもっぱらリハの様子だとか。バルーは本番よりリハのほうがすきなんだそうです。わかる気がします。
 今日の映画で印象に残っているのは、コンサート前からコンサート後までのミュージシャンたちの姿。彼らにとって、舞台に上がることと路上で演奏することとでは、音楽を楽しむ、という点で区別はないのでしょう。本番前から、メンバーが集まって、ずっと路上で演奏、そうしてそのまま楽器を演奏しながら、それこそちんどん屋のようにしてコンサート会場へ。本番があって、お客さんが出て行って、それでもまだステージでは演奏が続いている。みんなとても楽しそうで、いつまでたっても終わらない。最後、ようやく、「さあお開きだよ」と誰かがいって、終わったかと思うと、ホテルまで帰る道すがら、やっぱり楽器はしまわずにそのまま演奏しながら夜の街を歩いていく。好きで好きでたまらないことをやっているんだなというのが伝わってくるようでした。
 映画の後のライヴには、ピアノ・ハーモニカ・ヴォーカルのセッション。その後バルーも交えて、リハなしで(というのはとてもバルーらしいのだと、さすがに3日目にはわかってきました)2曲ほど披露してくれました。最後の一曲は昨日と同じナンバーだったので、すっかり覚えてしまいました。
 全体として、個人的には昨日・一昨日のほうが自分に合っていたようで、今日の映画には、みていてついにこにこしてしまうような感じはあまりなかった。最後にきいた曲、昨日はいつまでも耳に残るのがその夜の余韻のようで心地よかったのだけれど、今日は同じ曲でも聴いていてなんとなく悲しい気分になってしまいました。最後の夜だったからなのか。「Bonsoir」といって舞台を降りるバルーも、昨日はまた明日の夜会える、と思っていたから、こちらも「じゃあね」という気分になっていたのか、わかりませんが。とにかく、なんだか、とても寂しくなってしまいました。最終日ということもあり、今日はいちばんの入りで、終わった後のロビーはバルーを囲む人でいっぱいだったのですが、そそくさと人垣をぬけて、帰ってきました。

4.あとがき(『スカイラー通り19番地』『タイドランド』『シャバヌ』『マンゴーのいた場所』『火を喰う者たち』)
 先月お休みをしてしまったせいで、5冊もたまってしまった。そしてじつは、今夜、オーストラリアへ。といっても、いつもと同じで本屋しか行かない。そもそもむこうに三泊のみ。今朝方までほぼ徹夜状態でたまった仕事を片づけ、四時間ほど寝て、起きて、これを仕上げているところ。なので、それぞれの本に関しての解説はなし。いきなり、あとがきを五本、並べておきます。ただ、『マンゴーのいた場所』については、付録つきで。

   訳者あとがき(『スカイラー通り19番地』)
 この一年ほど縁があってカニグズバーグの作品を読み直しているのだが、ひとつひとつ読み直すたびに、うまいなあと感心してしまう。
 カニグズバーグの特徴を四点あげてみよう。
 まず第一に登場人物がユニークでおもしろい。たとえば『エリコの丘から』だと、往年の個性派女優タルーラがすばらしい。タルーラはクッションにもたれてタバコを吸いながら、地上から呼び寄せたふたりに、あれこれ指図して、ふたりを思うように使いながら、そのふたりにそれとなく自分の壁を越えさせていく。ひと癖もふた癖もあって、一筋縄ではいかない女性だが、なんとも魅力的だ。そしてタルーラに呼び出されるジーンマリーとマルコムも、際だっている。病気大嫌いで潔癖性で、将来女優になりたいと思っているジーンマリー。数学が大好きでなんでも論理的に考え、将来科学者になりたいと思っているマルコム。このふたりの、でこぼこコンビが楽しい。これら三人がからみあいながら、ひとつの謎を追っていくのだから、物語はおもしろくならないわけがない。
 ほかにも『800番への旅』に出てくるお父さんや、会うたびになぜか名前がちがうリリーとサブリナ母娘もおかしい。『ティーパーティの謎』に登場する四人も、それぞれが粒立っている。
 第二に、現代的な目で描かれていること。もう七十歳を越えた作家を指して「現代的」でもないだろうと思われるかもしれないが、なんのなんの。世界を見る目の確かさは実際の年齢とはまったく関係がない。たとえば、『クローディアの秘密』でが主人公たちが家出をするが、その先はメトロポリタン美術館だ。これは一九六0年代に書かれた本とはいえ、今でもそのリアリティが生きている。たとえば、スティーヴン・キングの『スタンド・バイ・ミー』では少年たちが死体探しの旅に出る。昔なら太平洋の小島に海賊の宝を探しにいくところだろう。しかし現代の少年たちにとっては、死体探しのほうがずっとリアリティがあって、わくわくすることなのかもしれない。
 第三は、物語を作るのがとても上手なことだ。それは、もう今までに取り上げた作品を読んでもらえばわかると思う。
 カニグズバーグの四つ目の特徴は、今までの三つの特徴を、どの作品でも出し惜しみすることなく、思い切り巧みに使うところだろう。才能のある作家は、決してその才能を出し惜しみしない。いや、出し惜しみすることなんかできないというお手本といっていい。
 カニグズバーグの最新作『スカイラー通り19番地』にも、まさにそんなカニグズバーグの特徴が色濃く表れている。
 キャンプ仲間のいじめにも、まったく無理解なまわりの大人にも、屈しないマーガレット。いつも言い合いばかりしている、頑固でしたたかで、ユーモアいっぱいで、マーガレットには甘いふたりのおじさん。それから、マーガレットの寝室の天井いっぱいに一輪のバラを描くジェイク。それから……と、どの人物もいい。これほど個性的で魅力的な人物が次々に登場してくる作品もまた珍しい。
 また現代を見る目、という点でいえば、アウトサイダー・アートを持ってきたところだろう。この言葉は、一九七二年、イギリス人の美術史研究家、ロジャー・カーディナルが最初に使った。「アウトサイダー」によるアートという意味だが、簡単にいってしまうと、美術の勉強をしたことのない素人が、発表することなど考えもしないで好きなように作ったにもかかわらず、見る人々の胸を打つ作品のことだ。たとえば刑務所や収容所のなかで描かれた絵や、奴隷たちの作ったキルトといったものがそれにあたる。シカゴのレストランで働いていたヘンリー・ダーガーは、だれに見せるでもなく、自分の作った物語にそった絵を死ぬまで描き続けた。その膨大な量の絵が、彼の死後発見され、今ではアウトサイダー・アートの傑作として世界の注目を浴びている。
 このアウトサイダー・アートが、この作品に見事にからんでくる。からみながら、ふたりのおじさんのたどってきた歴史を、くっきりと浮かび上がらせてくれる。これにマーガレットがからみ、ジェイクがからみ、さらに……と、物語はいよいよ盛りあがっていく。
 さて、この作品の背景について、少しだけ説明しておこう。時は一九八三年。サリー・ライドが女性初の宇宙飛行士となり、キャベツパッチ人形(キャベツ畑人形)が大流行した年。今から二十年ちょっと前の時代だ。
 それからマーガレットが何度か歌う、イギリスの国歌。なんでいきなり十二歳の女の子が、と思う読者もいるかもしれないが、これは英語圏の人ならまず知っている歌だし、メロディーなら、おそらく日本でも知っている人が多いはず。マーガレットがカプラン先生を見て、無意識にこの歌を口ずさむというあたりが、またおかしい。
 ともあれ、今までの作品の総決算のような新作、どうぞ、楽しんでください。

 なお、最後になりましたが、編集の若月万里子さん、翻訳協力者の小林みきさん、原文とのつきあわせをしてくださった段木ちひろさん、細かい質問や見当はずれの質問にていねいに答えて下さった作者、およびその取り次ぎをしてくださったポール・カニグズバーグさんに心からの感謝を!

                二00四年十月十八日     金原瑞人

   訳者あとがき(『タイドランド』)

 母さんが死んで、そのまま家を飛びだした父さんに連れられて、ジェライザ=ローズはテキサスのおばあちゃんの家にやってきた。しかし父さんは椅子に座ったきり、動かなくなった。しかたなく、ローズはバービーと探検を始めることにした。

……金髪のマジック・カール・バービーは度胸が足りない。ファッション・ジーンズ・バービーとカット・アンド・スタイル・バービーは怪我している。ファッション・ジーンズの右目はだれかに刺されて穴が空いているし、カット・アンド・スタイルの額と目は黒のペンで落書きされているのだ。となれば、相棒はクラシック・ベネフィットボール・バービーに決まりだ。クラシックはわたしのお気に入りだった。わたしのバービーたちのなかで唯一、植毛のまつげがついている。
 クラシックを人差し指にはめ、「準備はいい?」ときいた。
「あたりまえでしょ。いつでもオーケーよ」クラシックがこたえた。
「よかった。危険な仕事になるかもしれないから」
「まあ、うれしい」

 主人公の少女、ジェライザ=ローズの友達は、各種バービー人形の頭。ジェライザはクラシックの頭を指にはめ、たがいにおしゃべりをしながら、リス退治に出発する。そのうち屋根裏で、おばあちゃんの遺品が見つかる。ジェライザは金髪のかつらを持って下り、父さんの頭にのっける。
 父さんはぴくりとも動かない。それにいやなにおいもしてきた。父さんたら、いつまでも死んだふりなんかしてないでよ。母さんは麻薬の過剰摂取で死んだけど、父さんは死んでないんだから。
 やがてジェライザが、養蜂家のような帽子をかぶった幽霊女に出会うあたりから、物語はゆっくりと動き始める。
 アメリカの南部特有の、ある種グロテスクで幻想的な雰囲気の中で展開する、死と狂気の物語。それを無邪気で、恐ろしいほどの想像力を持つ、ある意味したたかな現代のアリスが語る。そこには、不気味で鮮やかで美しいイメージが交錯する。
 転覆して燃えたバスの残骸のなかから眺める外の風景。夕闇とともに、割れた窓から流れ込んくる蛍。沼の水の不思議な力によって何千年も腐らずに残った死体(沼男)。底なしの穴に落ちていくバービーの頭。遠くから響く、発破の音。百年の海。

……ついに、クリーム色の大地がざっくりえぐられた場所についた。度重なる発破で切り刻まれた斜面は、巨人でも登ってくるのが大変なほど深くえぐれている。
 その場所で腹這いになった。切り立った岩壁の縁から下をのぞいて、石切場──ディキンズの言葉だと「穴」──をながめた。はるか下に暗い水面が広がっている。
「もしここから落ちると、あの海につくまで百年かかる」
「それって何キロ?」
「千五百キロくらいかな」
 百年の海は、岩壁に囲まれたはるかな谷底にへばりついていた。水は、静かで暗い。

 こんなふうに引用を始めたら、いつまでも終わりそうにない。暗くまぶしいイメージと言葉が氾濫するなかを、ちりちりと微かな音を立てて、導火線が燃えていく。死と狂気で、いまにも爆発しそうに震えているのに、この物語は静かで穏やかで、ある種、快い。
 トルーマン・カポーティが『アリス』を書いたら、こんなふうになるのかもしれない。あるいは、ロアルド・ダールの短編「お願い」(『あなたに似た人』に収録)をカースン・マッカラーズが長編に仕立てあげたら、こんなふうになるのかもしれない。
 ともあれ、一度読むと、死ぬまで忘れられないほどの強烈な印象を与える本であることは間違いない。その点、ダン・ローズの『ティモレオン』にも似ている。

 作者のミッチ・カリンはこれまで数冊、やはりユニークな作品を発表して、それぞれに高い評価を受けているが、これまでの最高傑作はやはりこの『タイドランド』(Tideland)だろう。

 なお、最後になりましたが、編集の津々見潤子さん、翻訳協力者の海後礼子さん、原文とのつきあわせをしてくださった菊地由美さん、そして数多くの質問に親切に答えてくださったミッチ・カリンに心からの感謝を!

   二00四年六月二十八日
                  金原瑞人 

   訳者あとがき

 二週間しつこくおねがいして、ついにパパとママに「家には動物を入れない」決まりを曲げてもらった。みんな、あたしがマンゴーという名前にしたのは、目がオレンジ色だからだと思っているけど、そうじゃない。マンゴーと名づけたのは、ゴロゴロのどを鳴らす音、ぜーぜーいう声、ミャーォという鳴き声が、どれもいろいろな色合いのオレンジ色だから。季節によって色がちがう果物のマンゴーそっくりだったからだ。

 主人公の女の子ミアは、ほかの人とちょっと感覚がちがう。音や数字や文字に色がついてくる。たとえば、「2」は綿菓子みたいなピンクで、「a」は枯れかけたヒマワリの黄色で、チョークで引っかく音をきくと赤いジグザグが走る、といった具合。こういう感じ方を共感覚というらしい。共感覚を持っている人はとてもめずらしい。
 共感覚者の数はというと、作品では二千人にひとりという説をとっているが、海外で報告されている情報を見ても、その数は十万人にひとりとか、二万五千人にひとり、二千人にひとり、さらには二百人にひとりの割合でいるというように、定まった説がない。色聴(共感覚のうち、音をきくと色が見えるというもの)の調査をしている長田典子さん(関西学院大学理工学部情報科学科助教授)によれば「日本国内では共感覚の研究はほとんどされていないが、日本は絶対音感教育がさかんなので、絶対音感保持者の中に多いといわれる色聴者はわりといるのではないか」ということだった。世界でもまだまだ未知の部分が多いんだろうと思う。
 ミアは八歳のとき、ほかの人たちは自分と同じように感じていないことを知り、それを必死に隠していたが、十三歳になったとき、すべてが変わっていく。同級生たちの自分を見る目が変わるし、なにより幼い頃からの親友ジェンナとの関係がねじれてしまう。しかし一方で、共感覚について色々わかっていって、仲間もできる。ボーイフレンドも……?
 ミア自身も、ミアのまわりもめまぐるしく変わっていく。そんななかでのミアの気持ちの変化が、とても細やかに、あざやかに、生き生きと描かれていく。
 そうそう、そうなんだと思いながら読んでいるうちに、ついついミアの心の動きにひきこまれてしまう。
 ミアを取り巻く家族や仲間も魅力的だが、なによりネコのマンゴーがいい。一年前に亡くなったおじいちゃんと同じ目をした灰色の浮気者、マンゴーは、ちらり、ちらりと顔を出して、この物語をもりあげていって、最後をすてきにしめくくってくれる。
 読み終わったあと、きっと、切ないけれど温かいため息がもれてくるはず。そのため息は何色だろう。

 最後になりましたが、編集協力の宮田庸子さん、翻訳協力者の小林みきさん、原文とのつきあわせをしてくださった桑原洋子さんに心からの感謝を!
  二00四年十一月五日    金原瑞人

(補遺)じつは文中に登場する、長田先生の論文の一部をいただいてきた。共感覚に興味のある人は、ぜひ読んでみてほしい。
(論文査読回答書より抜粋)
著者1の経験を述べます。
私は音(調性)や数字・文字などにも色を感じます。感じる色を文字にすると下記のようになります。
調:C(白),D(黄色に近い橙色),E(黄緑),F(ピンク),G(青),A(赤),B(えんじ色)
★本文中で述べた典型的なマッピングにF以外該当しており,私自身もびっくりしました.
数字:1(白),2(橙色),3(水色),4(赤),5(黄色),6(紺色),7(レモン色),8(緑)・・
アルファベット:A(朱色)B(緑)C(ブルーがかったグレー)D(えんじ色)E(緑がかったグレー)F(クレヨンの肌色)・・・
ひらがなや漢字にも色を感じます。ただし形状の構造が複雑になってくると,色を感じなくなってきます。

幼い頃から色は記憶と深く関わっていました。電話番号・ナンバープレート・歴史の年号などを記憶するのが好きで,その記憶と検索にはいつも色の並びを使っていました。
よくある年号の語呂合わせを使うのは嫌いで,絶対に使いませんでした。その理由は「汚いから」だったのですが,今となって考えると,語呂を数字に無理矢理関連づけることで色のイメージが壊れてしまうからだったからではないかと推測します。例えば"大化の改新"の645年は大好きな年号でしたが,それは"紺+赤+黄"の並びがきれいだったから,というような覚え方でした。また自宅の電話番号が,市外局番がとてもきれい(0742)だったのに,市内局番が汚い(43:赤+水色)のがとても不満だった,という風に感じていました。
調性についても,私は音楽の専門教育を受けていましたが(絶対音感もありますが),作曲をする際に「ブルーの曲を作ろう」とか,テンションコードのコードネームをあてる試験で「このピンクと肌色のコードはなんだったっけ?」と思い出すように,音の響きと色のイメージが深く関係していました。

このような色を感じて色で覚えることは小さい頃からの習慣で,自分にとって当たり前のことだったので,これが特殊なことだとは意識したことがありませんでした。研究の仕事についた後に,こうした現象が色聴と呼ばれ,限られた人にのみ意識されることを知りました。しかしなぜ,ある対象に対し固有の色を感じるのか,過去の体験を思い起こしてみても思い当たることはありません。またその頃にはもう,小さいときほど強く色を感じなくなっていました。

同じように私の元共同研究者の息子さんである中学3年生の男子も,音楽を聴いて色が見える?という問いに対して,「見えるよ,でも前はもっとよく見えたけど,今はあんまり見えない」と答えています。彼も小さい頃から音楽の専門教育を受けていましたが,現在は受験のために一時中断しています。

また本実験に参加した色聴保持者も著者らの親しい友人であります.著者らにとって色聴現象は非常に身近な現象です.
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   訳者あとがき(『火を喰う者たち』)
 『肩胛骨は翼のなごり』『闇の底のシルキー』『ヘヴンアイズ』『秘密の心臓』、そしてこの『火を喰う者たち』(The Fire-Eaters)と、いくら寡作とはいえ、書くそばからこれほど次々に翻訳されていく作家も珍しい。自然に日本で全集ができあがってしまいそうな勢いだ。それも英語圏でミリオンセラーを飛ばしている作家ではない、どちらかといえば独特の文体と独特の味わいが特徴の、読者を選ぶタイプの作家だ。ある意味、不思議だが、ある意味、当然のような気もする。ぼく自身、ディヴィッド・アーモンドの新作が出たら、まっさきに読む。そんな作家は、フランチェスカ・リア・ブロック、ソーニャ・ハートネット、ドナ・ジョー・ナポリ、クリス・クラッチャーくらいだ。
 アーモンドの何がそれほど魅力的なんだ、と思っている人には『ファイヤー・イーターズ』を勧めておこう。これまでに訳されている四冊ほどには不思議でもなく不気味でもない物語で、ほかの四冊以上にじわじわと切なさがこみあげてくる作品だからだ。
 時は一九六二年十月、米ソ冷戦のさなか、ソビエトがキューバに中距離ミサイル基地を建設していることが発覚、アメリカは二百隻近くの艦艇と、一千機を越える軍用機を派遣して、キューバを海上封鎖する。こうして核ミサイルの飛びかう第三次世界大戦につながりかねない状況が生まれた。いわゆる「キューバ危機」である。
 これは米ソだけの問題ではなかった。遠くイギリスでも、そして日本でも大きく取り上げられ、多くの人々がかたずをのんで、事の成り行きを見まもった。一歩間違うと、世界が滅亡しかねない。イギリスの小さな海辺の町でも人々は同じような危機感をもって、ニュースにききいっていた。この本の第四十二章にこうある。「その夜、テレビはキューバに配備された兵器や、さらに多くの兵器を運んでいく船や、アメリカの船や、ミサイルや爆弾や爆発の映像を映しだした」
 海辺の貧しい町に生まれ育ったロバートは試験に合格し、上流階級の子弟がいく中学校に入学することになる。しかし様々な出来事がロバートをゆさぶり、追いつめていく。引っ越してきた隣人と転校生のこと、中学校の残酷な教師のこと、最近体調が悪い父親のこと、そして第三次世界大戦という悪夢。しかしロバートは祈り、闘う。その祈りと闘いに、気のふれた火喰い男マクナリティが触れることによって、奇跡が生まれる。
 どんな奇跡が、どんなふうに起きるのか、それがこの本のテーマになっている。これは祈りと闘いと狂気のせめぎあう、火と救いの物語といっていい。実際、アーモンドの魔法にかかってしまうと、最後のたき火が本当に世界を救ったような錯覚にとらわれてしまう。いや、錯覚ではないのかもしれない。それは読者自身に読んで確かめてもらいたいと思う。
 それにしても、読者の想像力をとことん試すような作品を書き続ける作者の想像力には驚くほかない。そして不思議なものや超自然的なものが一切出てこない、一見リアリズム風のこの作品こそ、アーモンドの想像力が最も凝縮されているような気がする。

 なお最後になりましたが、編集の松尾亜紀子さん、津田留美子さん、翻訳協力者の豊倉省子さん、つきあわせをしてくださった高林由香子さんに心からの感謝を!
     二00四年十月十日                金原瑞人 

 なぜか『シャバヌ』のあとがきの原稿がない。しかしオーストラリアに行かなくては。というわけで、『シャバヌ』は次回に。