あとがき大全(69)

金原瑞人

           
         
         
         
         
         
         
    

1.あとがきをふたつ
 今月は『ユゴーの不思議な発明』(アスペクト)と『バージャック メソポタミアンブルーの影』(偕成社)のあとがきを。
 『ユゴー』のほうは、いままでありそうだったけどなかった本。500頁以上あるんだけど、本文はせいぜい原稿用紙で200枚ちょっと。あとはすべて絵、絵、絵! なるほど、この手があったんだと、妙に納得させられてしまう。
 『バージャック』は、猫が主人公のちょっと変わったファンタジー。
 まずは、あとがきを。

   訳者あとがき(『ユゴーの不思議な発明』)

 いままで、こんな本があっただろうか!
 三百枚近いイラストのなかに、物語がちりばめられている。
 まるで映画のフィルムのコマを並べたような絵が続くかと思うと、街の風景や、大時計の裏側が出てきたり、文章が数ページ続いたかと思うと、また絵が出てきて、今度は数行のページが現れたり……この流れとリズムがとても楽しい。そして、なにより、ストーリーが素晴らしい。
 時代は二〇世紀、おそらく第一次世界大戦と第二次世界大戦のあいだのいつか。舞台はパリにある大きな駅。主人公は、そこに住み着いている時計係の孤児の少年、ユーゴー・カブレ。ユーゴーが駅のおもちゃ屋で盗みを働こうとして、店主の老人につかまるところから物語が始まる。老人はユーゴーの大切にしていたノートを取り上げ、それを広げてぎょっとする。そして、「二度とくるな」と怒鳴る。しかしユーゴーは、どうしてもそのノートを取りもどさなくてはならない。
 なぜユーゴーはおもちゃを盗もうとしたのか、なぜ老人はノートをみておびえたのか、そんな謎がさらに謎を呼ぶ。ユーゴーはなぜひとりで駅の時計を点検しているのか、不気味な老人の正体は? そこに老人に養われている娘がからんで、物語はいよいよおもしろくなっていく。
 イラストなしの文章だけでも十分に楽しい冒険小説なのだ。
 しかし、この本にはこれだけのイラストがなくてはいけない。膨大な量のイラストがあってこその本なのだ。それはもう読者もよくわかっていると思う。そして、最後の最後にまたひとつ、あっとおどろく仕掛けがあって……まったく、ブライアン・セルズニックときたら、やってくれるなあ。
 最後になりましたが、この本の翻訳をまかせてくださった編集の西田薫さん、翻訳協力者の相山夏奏さん、原文とのつきあわせをしてくださった中村浩美さんと野沢佳織さんに心からの感謝を!
       二〇〇七年十一月十一日             金原瑞人


   訳者あとがき(『バージャック』)

 メソポタミアンブルーの猫の一家に生まれたバージャック・ポー。昔の物語が大好きで、冒険が大好きなバージャックを待ちかまえていたのは、おそろしい、しかしわくわくするような大冒険だった。
ある日、伯爵夫人の大きな屋敷に飼われて、のんびり平和に暮らしていた猫たちの運命が一転する。不気味な男が、二匹の大きな黒猫を連れてやってきたのだ。
 猫一族の長老エルダー・ポーは全員を集めて、その危険を知らせる。

「一族の物語が伝えるところによれば、われわれの先祖ジャラールは、メソポタミアの地をはなれてから、何年ものあいだ、この地球上をさまよい、ようやく伯爵夫人の屋敷にたどりついた。そしてそれ以来、ポー家の一族は代々にわたって、この屋敷で暮らしてきた。だが、それも終わりに近づいているらしい。どうやら伯爵夫人は亡くなったようだ。」

 これを機に猫の一家に仲たがいが起こり、バージャックは必死に高い塀を越え、外の世界に出る。
 夜明け前、薄闇の中で銀色にかがやく街で目を覚ましたバージャックは、あたりを探索するうちに、おそろしい怪物の行列に出会い、雨宿りの小屋で生意気な白黒猫に出会い、猫のギャングに出会い……少しずつ街のことを理解していく。そしてわかったのは、この街では、次々に猫が姿を消す奇怪な事件があいついでいることだった。
 伯爵夫人の屋敷にやってきた男と二匹の黒猫、街で次々にいなくなる猫、そして大昔の英雄ジャラールの夢──バージャックは、夢のなかで老猫ジャラールからひとつずつ「技」を学んでいく。たとえば、「第三の技」の教えは、「獲物のあとをつけるときには……獲物そのものになれ」。
 さて、バージャックはジャラールの教えを最後までマスターすることができるのか。街の奇妙な事件の真相をつきとめることができるのか。そしてメソポタミアンブルーの一族を救うことはできるのか。
 もちろん、続編あり!
 だって、この本はイギリス、アメリカで大評判で、とてもたくさんの人に読まれていて、なにより、まだまだ明らかになっていない謎がいくつもあるんだから。
 というわけで、この続刊も読んだんだけど、これがまた面白い。ただ残念なのは、まだまだ話は終わらなくて、謎も深まって、その続刊も出そうなのだ。

 猫が主人公の、不思議とオリエンタルな雰囲気の漂う、モダン・ファンタジー──というのも当然で、作者のSF・サイードは、レバノン共和国のベイルート生まれ。一家はかつて中近東に住んでいて、サイードはバージャックと同じように、メソポタミアの先祖の血を継いでいるらしい。しかし、二歳からはロンドン暮らし。
 子どもの本を書きたいと思ったきっかけは幼い頃、絵本作家・イラストレーターのクエンティン・ブレイク(『アーミテージさんのすてきなじてんしゃ』『ふしぎなバイオリン』なんかで日本でも有名)のアパートの上に住んでいたかららしい(少なくとも、サイードのHPにはそう書いてある)
 好きな作家は、ロアルド・ダール、アーシュラ・K・ル=グイン、キプリング。現在、イギリスで最も注目の作家だ。

 最後になりましたが、編集の別府章子さん、原文とのつきあわせをしてくださった鈴木由美さんに心からの感謝を!

        二〇〇七年十月十日
                                  金原瑞人 


2.今年をふりかえって
 というタイトルで、ちょっと考えようかなと思ったものの、まだ多摩キャンパスの学生部長をやっているから、気が重くて、ふりかえるつもりになれない。バス問題、食堂問題、コンビニ問題、防犯の問題などなど、問題だらけで、どれも出口が暗い。大学の学生部、学生課の人たちはとてもよくやってくれているものの、大学冬の時代の大学経営がからんでくると、妙に話が暗くなる。これに総長選挙までからんでくると、難しいなあ。とくに多摩キャンパスにとっては前途多難。いや、多摩キャンパスだけでなく、大学全体の問題なんだけど。
 来年度、4月5月は再び、バスが大混雑して、めじろ台や、とくに西八王子は長蛇の列だろうし。「まあ、4、5月は異常ですから」と涼しい顔でいう大学関係者もいたりするから、よけいに腹立たしい。異常であろうが正常であろうが、1時間も2時間も電車でやってきた学生がさらにバス停で40分、50分待たされるのはかわいそうだと思う。
 などと一年最後を愚痴で閉じるのも、またよいかもしれない。


3.映画
 4月から多摩キャンパスの学生部長をおおせつかったせいで、芝居や歌舞伎にあまりいけなくなった。その代わりに、映画をよく観るようになった。「小説すばる」で「クロス・シネマレビュー」の連載が始まったので、とくに試写会に行くことが多い。特別な映画をのぞき、試写会はかなりの回数、用意されているのであんがいと飛び込めることが多い。
 そんなわけで、今年はそこそこの数の映画を観たし、観たら必ず、HPの「近況報告」に情報や感想を書いておいた。それを集めてみたので、添付しておきます。
 もし興味のあるかたはのぞいてみてください。
 ちなみに、今年観た映画のベストは『君の涙、ドナウに流れ ハンガリー1956年』でした。

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■ 2007/6/22(金)
1時、『傷だらけの男たち』の試写会をみる。これが、金原的には「大当たり」だった。
アンドルー・ラウ監督。主演はトニー・レオンと金城武。暴力、アクション、復讐、恋と愛、死……なんかが、都合よすぎるプロットにべたべたに絡んで展開する香港映画。最初のあたりに出てくる炎上する車も見事な伏線になっているし。アル中であんなに走れるか……とかはいいっこなし。十年以上前、三ヶ月間、毎日映画やビデオを2、3本観ていたことがあって、そのとき思いきりはまったのが香港映画。そのときの熱い思い入れをふと思い出してしまった。考えてみれば、レスリー・チャンもアニタ・ムイも死んだんだなあ。

■ 2007/6/12(火)
午後、『天然コケッコー』の試写会。くらもちふさこ原作(『いつもポケットにショパン』、なつかしい!)、山下淳弘監督。島根県の小さな村の分校(小中学生、合計で7人だっけ)に、東京から転校生がやってくるところから始まる。主演の夏帆、いいなあ。最初のほうの「イケメンさんじゃが」という科白(つぶやき)とか、いいなあ。物語らしい物語はなくて、涙も笑いもそれほどなく、右田そよ(夏帆)と、転校生の大沢広海(岡田将生)の淡い淡い恋愛(未満)みたいなものを中心にいくつものエピソードが流れていくだけなんだけど(だから、途中で居眠りしてもだいじょうぶ)、見終わってからも、いくつかの場面がふっと頭に浮かんでしまう。不思議な映画だった。これを書いている17日現在、まだ鮮やかに場面場面がよみがえってくる。島根の言葉、ちょっと岡山弁に似ているところもあって、妙にくすぐったかった。さすがに岡山では女の子は自分のことを「わし」とはいわないけど、ぼくの祖母は「おれ」といってたっけ。この映画、かなり力を入れて(いや、力も手も抜かずに)作ってあるのはわかるけど、力んだ感じがまったく感じられない、いい意味で、肩の力の抜けたいい映画だった。音楽、レイ・ハラカミ、主題曲、くるり、というのもまた、ぴったり。

■ 2007/6/4(月)
デイヴィッド・リンチ監督の『インランド・エンパイア』を観る。

3時間、延々と、わけのわからない細切れの映像が流れる……けど、リンチのファンなら、そのくらいは覚悟のうえだし、そもそもこの映画、いよいよわけがわからんとの噂もしっかり流れいてるわけで、その程度のことはなんでもない。よくぞ、5時間にせず、3時間にまとめてくれたというべきだろう。

だから、これまでのリンチを知っていて、この評判をきいていて、それでも映画館に観にいく人は、決してがっかりすることはないと思う。「リンチ、やってくれるぜ!」という感想の人がほとんどだろう。

主人公の女性ニッキーは女優で、『暗い明日の空の上で』という映画に出演することになる。相手役はデヴォンという男優。ところが、撮影が進むにつれて、不気味な事件が起こり、やがて、この映画は『47』というポーランド映画のリメイクで、『47』は主演のふたりが死んで、呪われた映画として葬られたことがわかってくる。いっぽう、ニッキーとデヴォンは体の関係を持つようになるが、ニッキーの夫は町の有力者で、ふたりは命さえあやうくなる……ようなのだが、映画も同じような展開をしていて、やがて、ニッキーは映画と現実の区別がつかなくなり……それにポーランドの情景が出没し始め……というふうに、しっかりストーリーを紹介してしまっても、まったくネタバレにはならない。

映画内映画、という、一種のメタ・フィルムの形で、『フランス軍中尉の女』に似たところもあるんだけど、後半あたりから、どんどん崩れていって、その崩壊感がたまらず快感。

最後近くの、日本人の女の子の話もおもしろいし、たけしの『座頭市』のエンディングを思わせる、エンディングの歌とダンスもいい。

この映画、授業に使うとしたら、後期の「アヴァンギャルド」あたりかなあ。

■ 2007/6/1(金)
10時から『Tokko──特攻──』の試写会……の予定だったんだけど、4時まで仕事をしていて、起きられなかったのでパス。
3時半から『アヒルと鴨のコインロッカー』。伊坂幸太郎原作、(たぶん)同い年の中村義洋監督、ということなので、こんな感じかなあと思って見にいったら、ずっとよかった。

「BOOK」という看板のファーストシーンで、いきなりひきずりこまれてしまった。この色、この雰囲気、いいなあ。
カラーとモノクロの使い分けもきっちり決まっているし、時間のシャッフルも見事。
それになにより、視点が若い。こういう感じは、もう、若い人にしか表現できないんだろうなと思う。途中、だらけるところまでが、若い。いいなあと思う。
あと、濱田岳と瑛太のふたりがいいよ!
この映画、授業で使いたいな。伊坂幸太郎の原作もいっしょに。

■ 2007/5/24(木)
『シュレック3』の試写会。
まあ、普通。しかし子どもは喜びそうだし(おもしろくできてるだけでなく、適度に汚くて、適度に下品だし)、大人は大人で、それなりに突っこみ所もあるし、親子でいくなら、いいかもしれない。
ただ、これもまた、授業には使えそうにないなあ。あちこちに、童話のパロディっぽいところが出てくるものの、ただのギャグに終わってるし。

■ 2007/5/18(金)
試写会『シューター』。

今年は4月から多摩の学生部長になってしまって、芝居、歌舞伎、文楽などになかなか行けなくなってしまい、そのぶん映画を観るようになったので、本年度の「創作表現論・西洋文芸史」は、上演中の演劇や古典芸能が使えなくなってしまい、もっぱら封切りの映画を中心に扱うようになってきた。いままでだと、『ロード・オブ・ドッグタウン』『ドッグタウン・アンド・Zボーイズ』(これは2本とも旧作)、『ツォツィ』『明日、君がいない』『ママが遺したラブソング』などなど。これから使おうと思っているのが『フリーダム・ライターズ』と『プレステージ』かな。
というわけで、なんとか時間を作って試写会にもぐりこむようにしているところ。

ところで、今日の『シューター』は使えない。アクション物だから、最後まで眠くはならないけど、「よくアメリカで上映中止のデモが起こらなかったなあ」と思ってしまった。

国(政治家+企業)にうまく使われたあげく殺されそうになった、とても優秀な狙撃手(1キロ以上離れている標的でもOK)が必死に逃げながら、事件の真相をさぐり、復讐に命をかける、といった内容なんだけど、「正義も法も通用しないところでは、最後は暴力(テロ)だ!」というふうに流れていくのが、釈然としない。じゃあ、9.11はOKなの? とききたくなってしまった。

それにあまりに人が死にすぎで、24人の兵士を次々に吹き飛ばしていくところなんかは、人間が人形みたいに見えてしまうし、この事件の裏に400人の死があるという設定も嘘っぽくなってしまう。
後味のいい映画ではない。

■ 2007/5/10(木)
13時、東銀座で『フリーダム・ライターズ』の試写会。

ううん、すごい! 実話、というのがすごい! 1994年のロサンゼルス、差別教育撤廃でマイノリティの学生が入ってきて、いきなり学生のレベルが落ちこんでしまった高校の、最低クラスを受け持つことになった女の先生の物語。展開は、1956年の『暴力教室』とほぼ同じ。黒人、メキシコ系、アジア系といった学生たちのなかで、白人の生徒はひとりきり(というわけで、ひとりでおどおどしている)。だれもが、高校を卒業するとかまったく考えていない。それより、街でギャングにねらわれないかと、そのほうが心配といった感じ。「ホロコースト」を知っている学生は、ひとりもいない。そんななかで、その先生は、アルバイトをして『アンネの日記』を人数分買って渡す。それから、ノートを渡して、「書きたいことを書いてほしい。もし読んでほしかったら、ロッカーに入れておいて」という。そのうち、クラスで「ホロコースト博物館」にいって……だれかが、「アンネをかくまった女性がオランダに住んでいるから手紙を書こうといいだす。そして、クラスに呼ぼうと、募金活動を始める……

もしフィクションだったら、「おいおい……」という展開なのだが、実話、となると、いきなり、じんときてしまう。やっぱり、この世界、そんなに悪くないじゃないかという気がしてくるのだ。
若者って、本当に心が柔らかい。どうにでもなる。そして、熱い。
だから、この映画のように展開することも、もちろんある。しかし、同時に、ヒトラーユーゲントのように、ナチスの教育に染まってしまうこともある。

「ヒトラーユーゲントにおいては、集団で肉体鍛練・軍事訓練、愛国教育が行われた。1936年ヒトラーユーゲント法により青少年(女性も10歳〜21歳、女子グループは「少女団」と呼ばれた)の参加が義務づけられ1939年には、800万人を擁する集団へと成長した。戦局の悪化とともに1944年に国民突撃隊に併合された」(ウィキペディア)

結局は大人がしっかりしなくちゃいけないんだと思う。
この映画、水曜日の授業にうまくつなげられるといいんだけど。

■ 2007/5/7(月)
午後、『プレステージ』の試写会。

初めて、ミッドタウンというところにいってきた。なんか、すごいなあ。あの一帯、ヒルズもふくめて、50年後はどうなってるんだろう。

ともあれ、『プレステージ』、おもしろかった。
19世紀末のロンドンを舞台に、ふたりのマジシャンの確執を中心に、ミステリ風の物語が展開していく。中心になるマジックは「瞬間移動」。作中、3種類の「瞬間移動」がでてきて、それぞれに仕掛けも演出もおもしろいんだけど、なにより、それをきっかけに展開する人間ドラマがおもしろい。

ミステリとして観ると、メイン・トリックがルール違反だし、マジックとして観ると、最後のダーク・ツイスト(暗めのひねり)が、いただけない。けど、エンタテイメントに徹した映画として観ると、すごくよくできている。あちこちにちりばめた伏線も、とても効果的。映画と観客のコンゲーム(騙し合い)としては、満点だと思う。

■ 2007/4/29(日)
あ、そうそう、『スパイダーマン3』で、男が泣くのだ、という話を書いたら、数人から次のようなメールがきたので、紹介を。3人には許可をもらってないけど、まあ、このくらいならいいかな(いいよね。一部伏字にします)。

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先生が『スパイダーマン』をみて、「男がよく泣く」と
書いていらしたけど、わたしはそれ、ここ数年のテレビ
ドラマで感じてました。妻夫木聡とか山田孝之とか、
泣くのがうますぎ(笑)。脚本のせいだとは思うけど。
○○や○○みたいにダイコンで渋面も困るけど、
泣きすぎるのもちょっと。やはり西村雅彦や高橋克己
みたいに、顔で笑って心で泣いてる同世代がいいかな。

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日本でも、最近は男の人がよく泣きますよ。
勤めているとき、オフィスで泣くのは、どちらかというと男の人でした。
最近の女の子は、意地でも泣かない。

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『近況報告』のこと……
最近は男がよく泣くんですよ〜。
この間も、雑誌か何かで
「最近の映画では男がやたら泣く」
という記事をみました。
映画の中だけじゃなく、日常でも
「『別れよ』っていったら、彼氏に
泣かれてさー、まいったよ〜」とかきくし、
この間なんか、梅田の真ん中を歩いているときに
カップルの男(スーツ姿のリーマン)が、
肩を震わせ、しゃくりあげながら号泣していて、
そのそばで女の子がうんざり顔、
という場面を目撃しちゃいました。
べつに男が泣いても全然オッケーなんだけど
今どき男女逆転の図をみてるみたいだったし、
あそこまでの号泣はちょっとおもしろかった。

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■ 2007/4/27(金)
『ゾディアック』の試写会。
「全米至上初の劇場型連続殺人事件(「1969年から約6年間にわたり、アメリカ西海岸を中心に少なくとも5名を殺害した」らしい)」という、まあ、実話をもとに作った映画。監督は『セブン』のデイヴィッド・フィンチャー。ロバート・グレイスミスの『ゾディアック』というノンフィクションが原作で、そのグレイスミスが映画の主役(ジェイク・ギレンホール)という仕立て。サンフランシスコ・クロニクル紙でイラストや四コマ漫画を描いていたグレイスミスが、この暗号がらみの連続殺人事件にとりつかれて、どこまでものめりこんでいく様子が描きこまれていく。

しかし結局、未解決の事件なわけで、そのへんがやっぱり……
グレイスミスという人間のドラマとしてみればいいんだろうけど、そこはミステリ仕立てなわけだから、「犯人は?」と、ついつい気になってしまう。

それから、事件についての情報や詳細が次々に出てくるところなんかは、恥ずかしながら、字幕を追い切れない。あ、ちょっと待って……といいたくなってしまう。吹き替えのほうがいいかなあ。

しかし、話は変わるが、アメリカ、この手の犯罪の実話ノンフィクションは毎月、かなりの点数が出版されている。アメリカ人は、この手の本が好きなんだなあと思う。その手の本が日本で翻訳されることはほとんどないが、『ゾディアック』は、この映画のおかげでヴィレッジブックスから出ることになったらしい。もしかしたら、映画よりこちらのほうがおもしろいかもしれない。

■ 2007/4/19(木)
『スモーキン・エース』の試写会。そのあと、『武器よさらば』のイタリア語のチェックをしてくださった方とお礼の飲み会。家に帰って、ちょっと寝てから、仕事。

ところで『スモーキン・エース』、かなり期待していったものの、ううん……いまひとつかなあ。マフィアの世界に深入りした元マジシャンの男に100万ドルの報奨金がかかり、プロの殺し屋たちが次々にやってくる一方、FBIがそれを阻止しようと……というストーリーなんだけど……どうかなあ。最初のほうでビリヤードをやっている場面が映る。これがうまく全体を説明している。いろんな玉がぶつかりあって、思わぬ方向に物語がころがったりぶつかったりしていくところをとてもスピーディにとらえて、そのへんはおもしろい。それに、かなり危ない連中が続々と出てきて(日章旗の鉢巻きをした少年もふくめ)、そんへんの描き方とかも、いかにも危なそうで笑える。けど、最後は「あれ?」で終わってしまう。途中からフルスピードでスプラターなアクションの連続になって、それが長時間継続して、「山」のないまま終わってしまうような印象。

それから、伏線はさりげなく張らなくちゃ。これじゃ、見え見えで半分くらいのところでネタバレになってしまう。
煙がらみで比較すれば、『ロック・ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』のほうがずっと低予算ながら、ずっと出来はいいと思う。

■ 2007/4/16(月)
仕事がらみで『スパイダーマン3』の試写会へ、六本木のシネコンまで。

11時からとのことだけど、9時半からの受付。試写会の会場は30分前が普通。今回はそのうえ、撮影機器、録音機器、携帯電話も持ち込み禁止で、金属探知機でのチェックもあるという。なんか、物々しいなと思って、ふと考えたら、俳優とかタレントもかなりくる、ということらしいから、無理もないか。

というわけで、新宿のコインロッカーに携帯を預けて、映画館にいってみたら、受付で携帯やカメラを預かってた。なら、ちゃんと試写の招待状に書いておけ……とは思ったものの、常識的に考えれば、預かってもらえるのは当然かもしれない(じつは、根がまじめなもんで、昨日、六本木のコインロッカーの場所まで調べておいたのだった)。

シネコンは4館あって、すべてで試写を行うらしく、早めに満席近くになったところは早めに試写が始まった。

映画はいまひとつかなあ。発想も展開も安易だし。スパイダーマン(ピーター)が宇宙からやってきた寄生生物にとりつかれて、変になっていく(ブラック・スパイダーマンになっていく)ところはおもしろくて、いけるかなと思ったものの、すぐに自力でその危機から脱出してしまって、あっさり正義の味方にもどっちゃう。だめでしょう。それに、トーマスの屋敷の執事! そういうことはもっと早くいわなくちゃだめでしょう。監督に口止めされていたとしか思えない。

ひとつ印象に残ったのは、でてくる男が次々に泣くこと。ピーターもハリーもトーマスも、ピーターのおじさんも、みんな泣く。おいおい、アメリカン・ヒーローは泣かないんだろうとか突っこみたくなってしまった。

アメリカ映画史上、『真夜中のカウボーイ』で初めて主人公の男が泣くのだ……というふうなことを書いた本があったけど、そんなことはなくて、それ以前にも、主人公の男が泣くアメリカ映画はあった……けど、こんなに男がたくさん泣くようになってしまったのか。時代って変わるなと思う。

■ 2007/4/6(金)
午後、井筒監督の『パッチギ! LOVE &PEACE』の試写会。
まるでベタな内容をとことんベタに撮る、という意味では、この監督はすごい。途中から、ううん……と思いつつも、まるっきり眠くはならないし、最後の山場では、これでもかといわんばかりの力業! やっぱり、すごいと思う。けど、『フラガール』のほうがすきかも。

■ 2007/3/25(日)
午後、成田発、サンフランシスコへ。

航空会社はノースウエスト。機内で Stranger Than Fiction(『主人公は僕だった』) をやっていたので観る。じつは、「小説すばる」5月刊行の6月号から「シネマクロスレビュー」というコーナーで映画4本の短評を寄せることになっていて、その7月号に書く予定の4本のうちの1本がこれだったのだ。

国税庁に勤めている主人公ハロルドが、ある時から、自分(ハロルド)の行動を語る女性の声をきくようになる、という出だし。現実がフィクションに、フィクションが現実にからんでいって、ついに……という、難しくいうとメタフィクション物なんだけど、とてもよくできていて、まさにウェルメイドのハリウッド映画ここにありという感じの完成度の高さ。そして映画ならではの演出、構成もまた、うまい! ノエル・カワードやバーナード・ショーなんかの伝統が、ここまで受け継がれてきてるのかなあ、などと思ってしまった。

もう1本は、現在上映中の『007 カジノロワイヤル』。ダニエル・クレイグのジェイムズ・ボンド。最初の30分、なかなかの出来で、つい最後まで観てしまった。エヴァ・グリーン、美人だし、敵役のミッツ・ミケルセンがいい味だしてるし。

■ 2007/3/21(水)
いまアメリカの西海岸にいる方からメールがきたので、本人の許可を得て転載。なかなか考えさせられる、メールだった。

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先生のブログに「バベル」の試写会に行かれたことが書いてありましたね。
わたしも、こちらでDVDで見ました。
(日本にあるのかわからないけれど、郵便で希望のDVDがレンタルできて低価格
というネットフレックスというシステムがあって、我が家はそれにはまっています)
バベルを薦めてくれたのは、こちらで知り合いになって、週1ペースでランチを
ともにしているおばさま(70近いと思うからおばあさま?)です。
「バベルを見たらあなたがぜひ見る映画だと確信したからぜひ見て」と言うので
見てみて、びっくり。
目が画面から離せないというのはこのことでした。
モンタージュの手法が効果を上げているのは間違いないけれど、
中心になっているブラッドピット夫妻とナニーさんの関係なんかが、
とってもアメリカだなと思いました。

カリフォルニアに来て一番に思ったのは、
「いったいアメリカ人ってどの人?」ということ。
スタンフォードに近いという土地柄もあるけれど、アメリカらしいアメリカ人というのが
そうたくさんはいないのです。
たくさんのアジア人とさらにたくさんのヒスパニック系の人々が
白人アメリカ人を飲み込んでいるように思えます。
たいていのアジア人が留学生かIT関係の会社の人なのと対照的に、
ヒスパニック系の人は、レストランの下働きやら清掃関係、庭仕事関係の仕事、
そしていちばんわたしにとって気になったのは、ナニーさんたちです。
アメリカでは12歳までは公園で子供たちで遊ぶことすら禁止だし、
もちろん送り迎えも大人がしなくてはいけないので、
親がエリートでふたりともフルで働いてたりすると(ときには働いてなくても)
ヒスパニック系のナニーさんが子供につきそっています。
時には、そのナニーさんの子供が一緒にベビーシッターをしていることもあって、
たいして年齢も違わないのに白人の子供のアートクラスのお手伝いを
ヒスパニック系の女の子がしていたりすると、わたしとしては何ともいえない
違和感を感じます。
でも、お互いそれで違和感があるわけでなく、その関係なくしては、
お互いの生活が成り立たないのです。
「バベル」の、傷心を理由に、ナニーさんに任せて子供から逃げている夫婦が
なんとも興味深かったです。
夫婦以上にあのふたりの子供たちを愛しているナニーさんがとてもよかった。

うちの子供たちが行っている小学校は公立ですが、
「スパニッシュ・エマージョン」なるクラス、つまりはスパニッシュだけで
すべての授業を行って子供をバイリンガルに育てようというクラスがあります。
もちろん、ヒスパニック系の子供が多く通っているわけではありません。
全校の約半数がそのクラスに通う子供なので、校庭ではスパニッシュが飛び交い、
まだ英語もあやうい我が子たちさえ挨拶やら数の数え方などのスパニッシュを
覚えてきます。
アメリカ人ってどの人?と考えたとき、みんな含めてアメリカ人なんだなと、
知識では知っていたけど、今回はじめてわかった気がします。
不法滞在していたあのバベルのナニーさんもアメリカ人だし、
アメリカっぽくないあの映画こそ本当のアメリカなのかなと。
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新作『ママの遺したラヴソング』のDVDを観る。あちこちに、文学作品が引用されているのが特徴。ディケンズ、エリオット、ジョルジュ・サンド、ロバート・フローストなどなど。しかし最も大きな役割を負っているのが『心は孤独な狩人』。

■ 2007/3/19(月)
ここでも紹介したキム・ギドクの『絶対の愛』をみてきたゼミ生からのメールを読んで、そうそう、そうなんだよなと思ってしまったので、本人の許可を得て、貼り付け(多少ネタバレあり。注意)。の映画、いいです。怖いです。ぜひ観てほしい。

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タイトルの通り、見てきたのですが・・・
いやー今回も、すごかった・・・すごかったですねキムギドク・・・
ホラーでもスリラーでもサスペンスでもないのに
怖くて寝れません。どうしましょう。
最後に死んだ男が結局求めていた彼だったかどうか
分からないっていうのも叫びだしたいほど怖いのですが
個人的にはあのお面のシーンが・・・死ぬほど怖かったです・・・
あんなの、コメディでしかないようなそんなシーンなのに。
なぜこんなに印象に残っているのか。。。
とりあえず私は
私のことを好いてくれている人たちが
私が死んだ時にそれが私だって分かってもらえるように
整形はやめよう、と思いました。
しかもあれ、主演の女優さん、リアルに
整形したのをカミングアウトされているそうで・・・
だからでしょうか。あの迫真の演技。
恐ろしい。愛って恐ろしいですわ。。。
って私がいうとどうも僻みのようになってしまうんですが(笑)

しっかしあれがあんなに短い上映時間とは・・・
見たあとの疲労感が半端じゃありません。
完全にキムギドクマジックにかかっている感じです。
昔の作品、4月、5月にかけてもやってくれるみたいなので
月に一作のペースで見れて非常に助かります。
大好きだけれど、あまり立て続けには見れないのです。
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■ 2007/3/16(金)
午前10時、六本木で『Babel』の試写会。

まあ、どうせ、ハリウッド映画だろうとたかをくくっていったら(金原は基本的にハリウッドが嫌い)、これが大間違いで、ファーストシーンから一気に引きこまれて(モロッコ)、メキシコ近くのアメリカのシーンで、ほう、と驚き、日本のシーンで、うっ、とうなってしまった。モロッコでの一発の銃弾をきっかけに展開する3つのドラマ。全体が2時間半くらいなので、1本あたり50分、ちょうど映画の中編くらいの長さ。ひとつひとつを別々にみれば、まあまあかな、という感じなのだが、それをぶつ切りにしてシャッフルして、切り貼りすると(モンタージュ)驚くほど、斬新で緊迫感あふれる作品になってしまう。映画というのは、本当に不思議だと思う。3つの物語がアミーバのように、からみあい、浸食しあい、最後はひとつにかたまっていく。

それにしても、アメリカらしいアメリカがほとんど出てこないにもかかわらず、これはアメリカ映画なのだ。それもかなり商業ベースの映画? だとすると、すごい!

『オール・ザ・キングスメン』は、それまでの映画の文法を完璧に踏襲して作った傑作であり、ある意味、フルストップ(終止符)だった。『バベル』は、それまでの映画の文法をある部分踏襲しながらも、そこから逸脱して、新しい方向へ勢いよく飛び出しているところがとても快い。カメラも乱暴にぶれているし。これは未来に向けてのフルチャージかなと思う。

■ 2007/3/15(木)
午後、『黄色い涙』の試写会。

永島慎二・原作、市川森一・脚本、犬童一心・監督。舞台は1963年の阿佐ヶ谷のぼろアパート。狭い部屋で暮らす若者4人(二宮和也主演)のドラマとくれば、もうどんなものか十分に想像できる。映画は良くも悪くも、その想像そのまんまの出来で、取り立てて書くことはない。どこで寝ても、あとで後悔することはない。ただ2時間以上あって、さすがに長すぎだと思う。

■ 2007/3/14(水)
『オール・ザ・キングスメン』の試写会。
いい映画だった。

科白の重ね方、音楽の重ね方、シーンの重ね方、すべてが完璧。黒塗りの車の後ろに映る空までが計算されつくしている。これほどスタイリッシュに完成された映画は珍しいと思う。

それから、作品全体として、徹底的なハードボイルド。つまり、とことんセンチメンタルな男の思いこみ、男の思い違いを、科白とショットショットのクールな処理で、観客に納得させてしまう、このすごさ。ハードボイルドというのは、次々に人を殺したり、残酷な場面が次々に出てきたり、異様にタフな探偵が出てくる作品ではない。ハードボイルドというのは、スタイル(文体)であり雰囲気であり計算された男の演出なのだ。つまり、クールでスタイリッシュな男の世界といっていい。だから、一場面やひとつの科白を取りだすと、変に浮いていて、思わずつっこみたくなるが(「男はタフでないと生きていけない。だが、優しくないと生きている価値がない」とか)、それを限られた時間のなかでは、かっこいい場面や科白だと錯覚させる、そのおもしろさが核なのだと思う。日本でいえば、池波正太郎や藤沢周平の世界にも通じるものがある。

主演のショーン・ペンは、ハーヴェイ・カイテルと同じくらい好きな役者で、今回も文句なし。それにくらべると、ジュード・ロウはまあまあ。ショーン・ペンとハーヴェイ・カイテル、まさにひと時代まえのジャン・ギャヴァン。あとは、コーエン兄弟の映画などでおなじみのジェイムズ・ガンドルフィーニがいい!

■ 2007/3/9(金)
午後、『クイーン』の試写会。

ダイアナ妃が死んだとき、対応や反応が冷ややかだと国民の非難を浴びた女王に焦点をあて、イギリス女王は悲しみを表に出さず、ひたすらこらえるもの、という姿勢を貫こうとしながらも、マスコミの批判に追いつめられていくところを描いている。一方、労働党の新首相ブレアは、反王室の立場ながら、そういう女王に共感するようになり、身内や党員の反発をかいながらも打開策をさぐる。

というふうな、内容だと思うんだけど、金原むきの映画ではなかった。内容的にどうでもいいし、映画的にも、あまり感心しない。

'Duty first, self second.' という女王の言葉、皇室もそうなんだろうな。

■ 2007/3/8(木)
午後、『明日、君がいない』の試写会。
すごい!
先月の『絶対の愛』『鉄コン筋クリート』もよかったけど、これも素晴らしい。
最初から最後までひりひりするような緊張感が持続して、エンディングも、これでもかといわんばかりに、ぎりぎりまで撮り切っているところが、悲しく切なく残酷で美しい。
終わって電車に乗ったけど、本を読む気にもなれず、胸はざわざわしたままだった。

ファーストシーン。オーストラリアの高校のある部屋のドアの下から血が流れてきて、だれかが自殺したことが判る。

そしてフラッシュバック。いったい、だれが死んだのか。

・弁護士の父親にいつもハッパをかけられて必死に勉学に励むが、常にそれが重荷でたまらないマーカス。
・マーカスの妹メロディはいつも、兄ばかりが両親の注目を集めていて、自分は無視され疎外されていると感じている。
・マッチョなスポーツマンタイプのルークは、女の子たちの憧れの的だが……
・セアラはルークと恋人同士だが、この頃、ルークがちょっと冷たいように感じている。
・スティーヴンは、片足が短くいつも足を引きずっているうえに、尿道が二本あって、そのうちの片方が機能していないために、ときどきもらしては教師にしかられている。
・ゲイであることをカミングアウトした長髪のショーン。
・マーカスをひそかに想っているらしいケリー。

これら7人の若者を丹念に追い、ときどき、インタビューを交えながら、映画は進んでいく。7人が出会い、反発し合い、無関心に離れていき、また、廊下ですれ違ううちに、微妙で複雑な関係が浮かびあがってくる。そして最後の悲劇へ。
見終わって、パンフを開いてみたら、監督のムラーリ・K・タルリは19歳のときにこれを撮ったとのこと。
すごいなあ。

■ 2007/2/20(火)
東劇の試写会室で『怪談』という邦画を見る。原作は、圓朝の『真景累ヶ淵』。
脚本は原作とかなりちがっていて、翻案といった感じだが、一本の映画としては、なかなかおもしろかった。

按摩を殺した男の息子が、その按摩の娘を殺し(見殺しにする)、さらにほかの女を殺していく、という悪縁の連鎖は原作のまま。圓朝、このへんを作っていくのが、じつにうまい。

主演の菊之助もいいなあ。いい男で、次々に女に好かれ、色にずるずる引きずられて、見殺しにしたり、殺したり……という展開。どろどろしていて、いかにも日本の怪談。

死んだ女の幽霊に、いきなり手をつかまれる場面があって、『キャリー』の映画を思い出したんだけど、考えてみれば、これって、『嵐が丘』の最初のほうに出てくるんだった。

最後のほうで、死にかけた男が女に付きそわれて舟で川を下っていくところなんかは、『アーサー王物語』のラストに似ている。ただ、男を抱き取っていくのは……

それから、ラストシーンの首を抱くところは、『サロメ』かな。

やっぱり、こういう特徴的なシーンは、真似するしない、ということではなく、万国共通のイメージみたいなところがあるんだと思う。

■ 2007/2/16(金)
午後、キム・ギドクの『絶対の愛』の試写会へ。
やっぱり、この監督の文体はいいなあ。どの映画を観ても、引きこまれてしまう。物語の展開は、そう珍しくもないし、エンディングも途中から想像がつかないわけではない……けど、魅せられてしまう。90分ちょっとの映画なんだけど、60分を過ぎたあたりから、どんどん怖くなっていく。すごいなあ。この魅力はなんなんだろう。

そういえば、2月24日〜3月16日まで、ギドク監督の映画の連続上映会がある。日本初公開の作品もあるらしい。「スーパー・ギドク・マンダラ」。ユーロスペースかな。

■ 2007/2/14(水)
夕方、『ツォツィ』という映画の試写会を観に京橋へ。アソル・フガードという南アの劇作家の小説の映画化。映画は、後半から原作から離れてしまうが、とても出来がよくて、なにより、なにより、音楽がいい。ファーストシーンから、すごい! 南アのクワイト(Kwaito)という音楽らしい。ミュージシャンはゾラ(Zola)。4月、サントラが出るそうだけど、買わなくちゃ。

試写会終了後、いきなり主演の少年、プレスリー・チュエニヤハエが試写会場にやってきて挨拶。なんの予告もなかったので、場内騒然。こういうサプライズはいいな。

そのあと、配給会社の人と、出版社の編集さんと、プレスリーとで焼き肉屋へ。プレスリー、22歳。かわいいなあ。演劇畑の出身らしく、シェイクスピアもやったといっていたので、どの作品が好きかたずねたら、『リア王』といってた。

あ、そうだ。なんで、この試写会に行ったかというと、原作の『ツォツィ』を訳したから。久々に、背中にナイフを突きつけられながら訳す、という感じのすごい本だった。

■ 2007/2/7(水)
夕方、隙をみて、『鉄コン筋クリート』を観に飛びこむ。
すごい!

宝町を舞台に繰り広げられる、無垢で邪悪でレトロでナンセンスな、激しく優しい劇画アニメ。センチメンタルで、ハードボイルド。とにかくパワフルだ。宝町がそのまま凝縮された小宇宙になっているところも素晴らしい。なんとなくジャン=ピエール・ジュネの『ロスト・チルドレン』を思い出させるが、こちらのほうがワイルドだ。

『鉄コン筋クリート』、原作のほうも、松本大洋の作品のなかでいちばん輝いているが、その輝きをそのまま写し取って画面にぶつけた感じの映画。
去年は『時をかける少女』と『鉄コン筋クリート』という素晴らしいアニメが二本も封切られた。日本アニメ界にとって記念すべき年だと思う。

■ 2007/1/17(水)

午後、京橋で『NARA:奈良美智と旅の記録』の試写会に。
奈良美智が好きな人には、もってこいの映画だと思う。

■ 2007/12/31(月)
さっき、試写用のDVD『フローズン・タイム』を見終わったところ。脚本・監督はショーン・エリス。主演はショーン・ビガースタッフ、相手役はエミリア・フォックス。
美大生のベンは、ガールフレンドに「君を幸せにすることはできない」といって身を引いたくせに、即、後悔。ところが、相手の女の子は一週間もしないうちに新しいボーイフレンドと付き合いだして、ベンは懊悩の極みで、寝られなくなってしまう。しかたなく眠れない夜の8時間、スーパーでバイトをすることに。そこのバイト仲間が面白い。それから店長もとても面白い。とまあ、いろいろあるうちにシャロンという女の子にひかれていく……というよくあるネタだが、ベンがあるとき時間を止められるということに気づくあたりからが、この映画のユニークなところ。時間を止めて、女の子の服を脱がせてみたり、シャロンの横顔をスケッチしてみたり……そしてやがて……。
いってみれば美大生のラブストーリーなんだけど、感覚が新しい。最初から最後までとにかく色が鮮やかで美しい。映像も凝っているのに、凝っているようみせないところがまた、憎い。最初にカーウァイの映画をみたときの感動を思い出した。
そしてあちこちにちりばめられた小粒小粒の笑いネタも決まっているし、男の子らしいHネタの仕掛けもうまい。また、登場人物の表情もうまく撮れていて、ほう、とため息がもれてしまったくらい。女の子といっしょにいくにはぴったりの映画。
エンディングの雪の静止シーンでは、そのまま『ミッドナイターズ1』の冒頭シーンを思い出した。そうそう、雨の静止シーン。
(蛇足)字幕なんだけど、'quite a few'が誤訳。ちょっと笑えるネタだけに、残念。これは間違えやすいので、要注意。'quite a little'も同じ。

■ 2007/12/30(日)
朝から、有線の落語をききながら部屋の片づけ、衣替え(まだ残ってた)、久々の靴磨き、夜は試写のビデオ『アドリブ・ナイト』を観る。イ・ユンギ監督の韓国映画だが、原作は平安寿子の短編(文春文庫『素晴らしい一日』に収録)。

10年前に行方不明になった女性と間違えられた女の子が、「間違いでもいいからきてくれ。その子の父親が危篤なんだ」と無理やり車に乗せられて、その家へ。臨終間際の男を囲む親戚たちの様々な思いや確執が浮かびあがる。一方、その女の子は、本当に間違いなのか、もしかしたら当人ではないのかという可能性もふくみながら、ゆっくり物語は進んでいく。

まわりの親族の描き方もリアルだし、女の子の表情も魅力的だし、なかなか見せてくれるんだけど、最後がすんなりおさまりすぎかなあ。主演の女の子、ハン・ヒョジュがかわいいなあ。

■ 2007/12/14(金)
1時から『かつて、ノルマンディーで』の試写会。
30年前、ルネ・アリオ監督が『私、ピエール・リヴィエールは母と妹と弟を殺害した』(1976年フランス公開)という映画を撮る。これは1835年、ピエール・リヴィエールという青年が母親と妹と弟を斧で殺害した事件をもとに作られている。ピエールは獄中で手記を書き残していて、それには自分が犯行にいたるまでのいきさつが詳細に語られていた。この手記が20世紀、注目を浴びることになる。詳細は『ピエール・リヴィエールの犯罪―狂気と理性』(河出・現代の名著)ミシェル・フーコー(編)・岸田 秀・久米 博 (訳)参照。

ルネ・アリオ監督はこれを映画化するにあたり、裁判官、検事といった役以外の多くを現地ノルマンディーの農民たちに演じてもらうことした。
それから30年後、当時の助監督だったニコラ・フィリベール監督がノルマンディーにいって、そのとき出演してもらった人々にインタビューして、それをドキュメントにまとめたのがこの映画。

一生に一度、映画に出演した人たちが顔を輝かせてそのときのことや、それ以降のことを語るところは思わずほほえんでしまう。しかしなにより興味深かったのは、映画の中に何度か出てくるピエールの手記。細かい、几帳面な文字がびっしり書きこまれている。

30年前の映画の抜粋もうまく使われていて、おもしろくできている。
ただ、この手の作品につきものの「冗長さ」が気になる。ドキュメントとしてのリアリティを考えると、どうしてもそういう場面や科白は必要なのかもしれないが、演劇好きの金原としてはいささかだるい。
そういえば、この映画は豚の出産シーンで始まり、途中、豚を殺して解体するシーンがある。『豚の死なない日』の場面をふと思い出してしまった。

3時半からピーター・グリーナウェイ監督の『レンブラントの夜警』の試写会。
レンブラント(バロック3大画家?)は粉屋の息子だったが肖像画家として一躍有名になり、「広大な邸宅とアトリエ、果ては印刷所まで所有し、ひと財産を築いた」ものの、なぜか1642年を境に、坂道を転がり落ち、「ついには破産宣告を受ける」。グリーナウェイはその原因を、名画「夜警」に求めて、この映画を作ったらしい。

最初から最後まで演劇的に撮ってあるのがなによりの、この映画の特徴だろう。
幕開け、左右に飛びかう松明の火。白い幕の下りた小さな舞台のようなところからレンブラントが転がり出て、顔を手でおおい、目がみえなくなったとわめく。やがてカメラが引いていくと、その小さな舞台はじつはベッドだったことがわかる。映画の画面は、ベッドをまん中に置いた舞台に変わる。しばらく芝居の一場面のような展開があって、またカメラが引いていくと、そこが大きな部屋の中であることがわかる……という展開。まさに演劇的映画というか映画的演劇といった感じの作品で、最後もきれいに演劇的に締めくくられるし、なにより、「夜警」という絵がレンブラントの演劇的表現であったという謎解きにもうまくつながっている。そのまま舞台にかけてもおもしろそうだ。
というわけで、うまいなあと感心しながら見終えたのだが、所々ちょっと「くどい」。レンブラントの好色ぶりや、愁嘆場、「夜警」の謎解き、などなど。

というわけで、今日の2本、片方は「冗長さ」、もう片方は「くどさ」がいささか残念だった。これが小説なら、そういう場面はざっくり読み飛ばすのだが、映画だとそうはいかない。付き合わされてしまう。映画は2時間か3時間座っていれば、終わってくれるけど、小説は読まないと何時間手に持っていても終わってくれない。けど、映画はその時間分、ちゃんと相手をしなくてはならない。など考えたのであった。

■ 2007/11/30(金)
1時から『陰日向に咲く』の試写会。岡田准一、宮崎あおい、ふたりとも熱演ながら、映画自体はいまひとつ。原作を読んでいないので、なんともいえないんだけど、「さあ、どうだ!」とばかりに作られるぶん、ひいてしまうような感じ。雷太もジュピターもみゃーこもリアリティがないなあ。じゃあ、リアリティ抜きに笑えるかというと笑えないし。すいません、ボタンをかけちがったまま、最後までいってしまいましたという感じだった。

日比谷セントラルビルからタクシーに飛び乗って、歌舞伎座の先まで。
3時半からグアテマラのドキュメント映画『線路と娼婦とサッカーボール』(チェマ・ロドリゲス監督)の最終試写会。

実際に列車の走っているぼろぼろの線路(単線)の両側に、「線路」と呼ばれている貧民街がある。そこの娼婦たちが、身の安全と、職業差別の撤廃なんかを主張して国会議事堂までデモをしても、ちっとも注目してもらえないからというので、アマチュア・サッカー連盟に加盟して、試合に出るという話。練習場といっても、空き地で、石ころがごろごろ転がっているし、水たまりはあるし。スニーカーの買えない女は素足でボールを蹴ってるし。試合も、やっぱり、そんなところで行われるわけで、コンクリートの上で行われることもある。

「娼婦なんかとやってられない」と棄権するチームも出るし、「娼婦なんか連盟にいれるな」という抗議もくるようになる。にも負けず、彼女たちは頑張る。そしてニュースにも取り上げられるようになり、スポンサーも着く。が、連戦連敗。

しかしやがて、願いに願った初勝利! そのうち、お隣のエルサルバドルの娼婦たちもこのニュースをきいて、サッカーチームを結成し、なんと、国際試合に! ところが、スポンサーもそこまでは面倒見切れないといって援助を中止……というふうな映画。まあ、国際試合といってもバスで行くんだけど。

いやあ、おもしろかった。久しぶりにいいものをみたな、という感じ。とくに、応援団長のマリナというおばあちゃんがすごい。もう70近く。20年間娼婦をやったあと引退して、18年間コンドームを売り歩いたり洗濯をしたりしている。左目を酔っぱらった恋人につぶされ、次の恋人が義眼を買ってくれたが、それもなくして、左目はないまま。しかし、いまは「神様がくれたインディオだよ」と自慢できるやさしい男と暮らしている。このマリナばあさん、すっごく歌がうまい。目を閉じてきいていると、エディット・ピアフ顔負けの声、節回し。マリナのCDが出たら、絶対に買うと思う。
そうそう、全編を通じてかかる音楽もすごくいいのだ。

■ 2007/11/27(火)
9時に日比谷セントラルビル着。9時半からアンドルー・ドミニク監督・脚本の『ジェシー・ジェームズ暗殺』(ロン・ハンセン原作)の試写会。製作・主演、ブラッド・ピット。
 原題はThe Assassination of Jesse James by the Coward Robert Ford(『卑怯者ロバート・フォードによるジェシー・ジェームズ暗殺』)。

 19世紀末、元南軍兵士で、列車強盗や殺人を重ねた実在のアウトロー(義賊的一面もあって、大衆のヒーローでもあったらしい)、ジェシー・ジェームズをブラッド・ピットが、彼を暗殺したロバート・フォードをケイシー・アフレックが、そしてジェシーの兄フランク・ジェームズをサム・シェパードが好演。サム・シェパード、久しぶり。『パリ、テキサス』(84年)『フール・フォア・ラブ』(85年)からもう20年以上たってしまった。そろそろいぶし銀の魅力。

 ところでこの映画、ジェシーがとことん、つかみ所のない、不思議な、そして不気味な男として描かれているのがおもしろい。ブラッド・ピットがこれにまことにうまくはまっている。勘がいいことだけはわかるんだけど、いったい何を考えているのか、まるでわからない。そして考えているようで考えてないような目、その目に浮かぶとも浮かばないともつかない表情。ちょっとうなってしまった。

 それと対照的なのがロバート。ジェシーを尊敬、いや崇拝して、そばにいるときには、細かい仕草まで真似るほどだったのが、やがて、ジェシー暗殺を企てるようになっていく……という流れが、あまりにわかりやすい。そして暗殺後の人生も、あまりにわかりやすい。つかみどころのないジェシーと、気が小さく見栄っ張りで虚栄心が強くてふと暗殺を決意するロバートの対象をおもしろいとみるか、あまりに図式的とみるか。ううん、むつかしいなあ。個人的にいわせてもらえば、ロバートの描き方はちょっと一面的すぎるような気がしてならない。と、このあたりに不満が残ったのだった。

 この映画、160分。そういえば、昨日の『ラスト・コーション 色戒』も158分。ほぼ同じ長さ。そして両方とも中心は「暗殺」。そしてほとんどの登場人物が、ほとんどずっとタバコか葉巻を吸っていた。

■ 2007/11/26(月)
午後、アン・リー監督の『ラスト、コーション(色・戒)』の試写会。主演はトニー・レオンとタン・ウェイ。

1938年から1942年にかけての香港、上海が舞台。日本の傀儡政権のスパイとして暗躍しているクァン(トニー・レオン)暗殺を計画する若者たちが描かれていく。若者たちは、香港大学の演劇部の仲間で演劇活動を通じて排日運動を始めるが、やがて命がけでクァン暗殺へと傾いていく。そのなかで、クァンを誘惑する役割を負うのがチアチー(タン・ウェイ)。しかし、チアチーはクァンにひかれていく……というふうな物語。

各国の先行公開で大ヒットということもあり、ヴェネツィア国際映画祭グランプリ〈金獅子賞〉受賞したということもあり、激しいベッドシーンありということもあり、また今日は試写会の初日ということもあり、汐留の大きめの試写会場も満員。

途中、退屈することはなかったけど、正直な感想は「まあまあ」。なんとなく一本調子なのだ。それに、この内容で158分はちょっと長い。

■ 2007/11/24(土)
講演を終えて、一服して帰って、6時すぎ。昼寝(?)をして、夕飯を食べて、『ぜんぶ、フィデルのせい』の試写用DVDを観る。フランス映画。監督はジュリー・ガヴラス。『Z』『戒厳令』を撮った監督コスタ=ガヴラスの娘!

舞台は1970年のパリ。主人公は9歳の女の子、アンナ。父親(スペイン生まれ)は弁護士、母親は「マリ・クレール」なんかの雑誌に記事を書いている(おそらく)フリーのライター。一家にはもうひとり、なかなかかわいい男の子、アンナの弟のフランソワ。

この一家のところに、父親の姉マルガが娘のピラルを連れてスペインから転がりこんでくるところから物語は始まる。マルガの夫はスペインで反フランコ政権の運動に参加していた(そしておそらく殺された)。

それをきっかけに、アンナの両親は社会運動に目覚め、チリにいって、その政治的状況をみて一気に共産主義運動に突入。それまでの広い家から、狭くて庭もない家に引っ越し、毎晩のように活動家たちを招いて、政治を語る。

カトリック系の小学校に通っていたアンナは、大好きだった「宗教の時間」に出られなくなり、それまでは家族の日だった日曜日の団らんまでなくなり、大好きだったお手伝いさんもいなくなり、「キョーサン主義」とかいう言葉が飛びかい、親とのいさかいも増えて……というふうな映画。

『ぜんぶ、フィデルのせい』の「フィデル」は「フィデル・カストロ」。1959年、チェ・ゲバラと協力してキューバ革命を指導し、当時のバティスタ政権を打倒する。これはラテン・アメリカ初の社会主義革命でもあり、カストロはアメリカの半植民地だったキューバからアメリカ色を一掃する。

この映画は、その他、60年代から70年代にかけての多くの政治的な事件、出来事を巧みに取りこんで、その時代を生き生きとうつしだす。

この作品、そういう政治や、それに影響された両親に振り回される子どもの映画なのか、それとも、そういう子どもを主人公にすえた、政治的広がりのある家族映画なのか、そのへんがおもしろい。みる人によって、その境界が微妙にずれるような気がする。

しかし、9歳の女の子の気持がとてもていねいに描かれていて、親に対する反発も、親に対する(わからないなりの)共感(らしきもの)もリアルにとらえられていて、そんへんはとてもとてもおもしろかった。

また、それだけでなく、政治的な部分もきっちり描かれているところも素晴らしい。

また、パンフレットもそのあたりはとてもうまくまとめてあって、'Around 1970' という見開きの頁があって、そこには「フランス・五月革命」「ギリシア・軍事政権」「スペイン・フランコ独裁政権」「ベトナム・ベトナム戦争」「キューバ・フィデル・カストロ」「チリ・アジェンデ政権」の解説があって、その次の見開きには当時のほかの国々の情勢が紹介されている。

大学の授業にはもってこいの映画化もしれない。
しかし、ファミリー・ドラマとしても非常にうまく作られていて、主人公アンナの気持が痛いほどに、くすぐったいほどに伝わってくる。

■ 2007/11/16(金)
午後、試写会。『迷子の警察音楽隊』。

イスラエルに招待されてやってきたエジプトの警察音楽隊。なぜか迎えがこない。しかたなく次の日の会場へとバスでおもむくが、おりてみたら場所がちがっていた。もうバスはないし。しかたなく、レストランの女主人にそうだんして、なんとか面倒をみてもらうはめに。『バグダッド・カフェ』と『レニングラード・カウボーイズ』をいっしょにして、イスラエルに持ってくると、こんな映画になるのかも。

砂漠にたたずむ、青い制服を着た8人の男たちがとってもキュート。
事件らしい事件も起こらず、いくつかのエピソードが語られるだけだが、最後まで飽きない。思いきり笑える映画でもないし、切なく泣ける映画でもないし、わくわくはらはらの映画でもないし、思わず胸をつかれるような映画でもない。けど、なんとなく、おかしくて、そこはかとなく切なく、見入ってしまった。

 音楽隊の連中はアラビア語、相手をする女主人たちはヘブライ語、両者が話すときは片言の英語。それなのに伝わるべきものは、しっかり伝わる。そしてそれが日本人にも伝わる。まさに奇跡のような映画。

■ 2007/11/13(火)
午後、試写会。『その名にちなんで』。
原作は『停電の夜に』で大ヒットを飛ばしたインド系アメリカ人作家ジュンパ・ラヒリ。ここ数年のアメリカのエスニック作家のなかでは最注目株のひとりで、かつての中国系作家エイミ・タンを思わせる。両者とも、好んで描くのは「家族」、というところも似ている。とくにこの『その名にちなんで』は、そのままインドからアメリカにやってきて住み着いた人々を描いている。

列車事故で九死に一生を得たインドの青年アショケはアメリカの大学に留学。やがて親の見立てた女性アシマと結婚。アシマもニューヨークへ。ふたりのぎくしゃくした生活が始まり、やがて子どもがふたりできる(長男の名前は、ロシアの代表的な作家の名前から「ゴーゴリ」)。その一家の物語。

出会い、結婚、成長、反発、一世の親と二世の子どもの対立、文化の衝突、誕生、死……そういった、とりたてて珍しくもない事件や状況が複雑にからみあって、とても濃い世界を作り上げている。文化と文化の距離、親と子の距離、それはやがて人と人の距離というテーマへと発展していき、ふたたび、家族へともどっていく。

グレゴリー・ナバ監督の『ミ・ファミリア』を思い出してしまった。こちらは、メキシコからロサンゼルス(天使の街)に移住したヒスパニックの一家の物語。

『ジョイラック・クラブ』『ミ・ファミリア』『その名にちなんで』、中国系、メキシコ系、インド系の家族の作品、みくらべてみるとおもしろいかも。

■ 2007/11/11(日)
オゾン監督の『エンジェル』を観る。
じつは『8人の女たち』で軽い失望を味わっていたので、今回、あまり期待していなかったのだが、かなり面白かった。

舞台は20世紀初めのイギリス。食料品店の娘エンジェルは、ひたすら貴族的なものにあこがれ、その思いを小説に託して書き上げ、やがて、それが出版の運びとなり、流行作家に。そして、恋、結婚……。

といったストーリーなんだけど、オゾン監督は徹底して観客を感情移入させてくれない。とくに前半は、冗談なのか本気なのかわからない、エスプリ度100%の作り。後半になって、やっとエンジェルの試練になってくると、観ていてついついのめりこみそうになるけど、その瞬間、また引きもどされてしまう。

そういう部分を楽しめる人にはお勧めだけど、思いきり主人公に感情移入したい人には勧めない。

金原的にはかなり好きな作品。とくに、16歳から30歳すぎまでを演じきる主人公のロモーラ・ガライは素晴らしい。本人は1982年生まれ。

■ 2007/10/29(月)
小説すばるの「シネマクロスレビュー」のための映画を観る。といっても、11月は学祭関係でほぼ一週間つぶれてしまうので、試写会にいけそうになく、DVDで。今夜は『ゼロ時間の謎』。そうそう、クリスティのミステリ。といってもフランス映画。

夏、ブルゴーニュの海辺にあるカミーラの別荘(大邸宅)に8人が集まる。
まず、別荘の持ち主カミーラ、カミーラの友人で弁護士のトレヴォース、テニス選手のギヨーム、その妻のキャロリーヌ、ギヨームの前妻のオード、カミーラのつきそいのマリ、昔からオードに心をよせていたトマ、キャロリーヌの相棒のフレッド。
映画が始まり、全員が別荘に集まって、最初の事件が起こる。弁護士トレヴォースが心臓発作で死亡。すぐに次の事件が……。

派手なアクションも、最後のどんでん返しもなく、適度な緊張感をはらみながら、淡々と、クールに物語が展開していくところが、この映画の魅力だと思う。

この作品は、あとからあとから新事実がでてくるので、純然たる謎解きのミステリではない。どちらかといえば、心理小説、それも上質でスリリングな現代小説みたいな印象が強い。そのへんを物足りないと思うか、そこがクールでいいんだと思うか。それぞれに意見の分かれるところだと思う。

ぼくとしては、スマートでクールな心理小説の映画化という感じで、とてもおもしろかった。

■ 2007/10/19(金)
9時過ぎ銀座着。スタンドのカレーを食べて、東映の試写会場へ。『オリヲン座からの招待状』を観る。最初から最後まで歯車が合わず、え? あれ?と思っているうちに終わってしまった。浅田次郎の原作だから、みせるところはしっかりみせて、泣かせるところはしっかり泣かせてくれるんだろうと思っていたのに、肩すかしで、残念。たしか、この前観た邦画『クローズド・ノート』はよかったのに……。
ただ、宮沢りえオンステージみたいな作りなので、それが目当ての人にはお勧めかも。

1時、山村浩二のアニメ3本立てを観に東銀座へ。『頭山』『年をとった鰐』『カフカ 田舎医者』。『頭山』と『鰐』はすでに観ていて、今回は新作の『田舎医者』がお目当て。カフカ原作の不条理っぽい短編をむちゃくちゃ山村流アニメで味付けし直した見事な作品。上映時間20分。いままでの山村浩二作品のなかで最長。

軽く昼食をとって、ぶらぶら京橋まで歩く。

3時半から『君の涙 ドナウに流れ:ハンガリー1956』の試写会。クリスティナ・ゴダ監督のハンガリー映画。先月観た『ある愛の風景』をしのぐ力作で、今年のベスト1!
メルボルン・オリンピックに出場することになっていた水球選手のカルチは、ソ連支配下のハンガリーで革命に命をかける大学生ヴィキを好きになってしまい、水球を捨てて、流血の革命に身を投じるが……。

圧倒的な暴力になぎ倒され、うちひしがれ、踏みにじられる人々、それにもかかわらず自由を夢見て立ち上がる人々、裏切り、密告、流血、殺戮、復讐、死、そして死……ささやかな救い、光、そして……これは単に1956年ハンガリーの「失われた革命」の物語ではないし、大国におしつぶされた小国の悲劇でもない。もっともっと普遍的なテーマを問いかけている。

見終えて、身体も心もふるえて、しばらくふるえがとまらなかった。
帰りに受付によって、予告編のDVDとチラシを100枚ほど送ってもらうことにする。学生にみせなくちゃ!

あとで思い返してみると、物語の組み立ても、構成も、ふたつのストーリーの切り貼りの仕方もすばらしい。創作表現論の授業で分析しながら解説してみてもいいかなと思った。

■ 2007/9/28(金)
午後、『once ダブリンの街角で』の試写会にいく。じつは、ちょっと寝不足で、ほかのときにしようかなと思って、試写会状をみたら、残りの2回は、用事があってだめだった。

ダブリンの路上でギターを弾きながら演奏しているストリートミュージシャンが、チェコからの移民の女の子に出会い(クラシックピアノがうまい)、ふたりで曲を作るようになっていく、というストーリー。男のほうは彼女にふられていて、女の子のほうは幼い娘がいて……。

全体の半分以上が歌なので、物語は単純。だから、この映画、結局はここで流れる曲が好きかどうか、というところで評価が分かれる。男はアイリッシュ・ロックグループの「ザ・フレイムズ」のボーカル・ギターのグレン・ハンサード。女の子のほうは、チェコ生まれで現在、プラハ在住のシンガーソングライター、マルケタ・イルグロヴァ。グレン・ハンサードがプラハを訪れたときに出会い、コラボレーションを始めたとか。

残念ながら、この手の音楽はあまり好きじゃなくて、一時間半、ちょっとつらかった。だけど、好きな人には絶対お勧め。

■ 2007/9/22(土)
夜、原稿の残りを書いて、ロシア映画『この道は母へとつづく』をDVDでみる。じつは7月に試写会でみてるんだけど、来週、週刊誌で長めのコメントをと頼まれて、もう一度みておこうとDVDを送ってもらった。ただし、「要返却」。

派手さもなく、あざとさもなく、まったく地味な映画なんだけど、誠実に、じっくり作られた作品で、何度みても飽きない。

今回ひとつ気づいたのは、ときどきとても美しい場面が現れること。最初のほうで、車がガス欠で止まるところ(道の両側に雪が広がっている場面)、夕方、暗くかりかけたなかをバスがやってくる場面(バスの車内の電気がオレンジ色っぽくていい)、夜、孤児院の高い高い煙突から白い煙の上がっている場面、オレンジ色のバスが走っていく場面、もうひとつの孤児院の玄関前の風景、最後のほうで、男の子が高架の下みたいなところをやってくる場面……どれも美しくて、思わず、何度か画面を止めて見入ってしまったほど。

そういえば、昨日の『ブレイブワン』で気づいたことをふたつ。
・ジョディ・フォスター扮するエリカの彼氏はインド系の青年医師で、そのあと彼女が心ひかれる刑事は黒人……ジョディたちを遅うチンピラたちはヒスパニック風で、地下鉄のなかで因縁をつけてくる少年たちは黒人。このあたりがニューヨークのリアリティなのかなという気がした。

・エリカが車に監禁されていた女の子を助けるとき、その子に 'I'm nobody.' という場面があり、そのあと、エリカは刑事に連れられて、病院に収容された女の子に会いにいく。つまりエリカが犯人ではないかとあたりをつけた刑事が、少女にエリカを知っているかどうか確かめようとするところ。「あの事件のとき、だれかみなかったかい?」とたずねる刑事に、少女はエリカをみて、 'I saw nobody.' と答える。字幕は「だれもみなかった」となっているんだけど、これには「'nobody' をみた」という意味がかけてあるわけで、このあたりのおもしろさは字幕じゃ無理らしい。翻訳ならなんとかなるかも。

■ 2007/9/21(金)
午後、都心へ。試写会を2本。

『マイティ・ハート:愛と絆』
2002年、パキスタンのカラチで「ウォール・ストリート・ジャーナル」紙の記者ダニエルが誘拐され……。

「パキスタンのテロ対策組織のリーダーや、アメリカ領事館の安全保障担当官、FBI、さらに”ウォール・ストリート・ジャーナル”のダニエルの同僚たちが一堂に会して、30日間にも及ぶ緊迫の捜査が進行する」(パンフより)

しかし常にその中心にいるのが、ダニエルの妻であり、フランスのラジオ局の記者でもあるマリアンヌ。妊娠5ヵ月。

9.11以降、ダニエルとマリアンヌはジャーナリストとしてアジアの各地を転々として、カラチにやってきていた。そして2002年1月のダニエルのインタビューが終われば、ふたりは帰国する予定だった。その最後の取材で誘拐事件が起こる。

パキスタンの街を舞台に捜査が進み、誘拐事件の真相が少しずつ明らかになっていく様子がリアルにハイテンポで描かれていく一方、マリアンヌの不安と焦燥が驚くほど鮮やかに描かれていき……一気に事件の真相とその結末へ。一瞬のゆるぎもない緻密な構成、現地ロケの迫力とリアリティ、せめぎ合いぶつかり合う力、いやおうなく事件に引きずりこまれる人々、そしてその葛藤。

最後の最後で、この映画が実話にもとづくものとわかり、あらためて感動。
なによりマリアンヌ役のアンジェリーナ・ジョリーが圧倒的。しかし、インド人(?)の女性記者アスラ役のアーチー・パンジャビ、テロ対策組織のキャプテン役のイルファン・カーンなんかも好演。拍手!

今年みた映画のなかでは(いまのところ)、昨日の『ある愛の風景』がベスト1、今日の『マイティ・ハート』がベスト2。

『ブレイブワン』
ニューヨークの様々な顔をルポするラジオのパーソナリティ、エリカはボーイフレンド・婚約者(外科医?)と公園を散歩していたところを3人の若者に襲われ暴行を受ける。ボーイフレンドは即死、エリカも重傷を負いながら、なんとか復帰。しかし、街を歩く恐怖に耐えきれず闇でピストルを手に入れ、やがて、その引き金を引くようになっていく……。

この映画はだめでした。いくら悪いやつでも凶悪なやつでも邪悪なやつでも残虐非道なやつでも、殺しちゃだめだと思う(小学生みたいだけど)。自分だけ超人的な力を持って、いやなやつは片っ端から抹殺してやりたいと思うことはだれでもあるんだろうけど、思うだけでとどまっているからいいわけで、やっちゃったら、おしまいでしょう(小学生みたいだけど)。

エンディングも、「いい話」っぽくまとめてあるけど、ちっともよくないと思う。この映画、どこかがねじれているような気がしてならない。ラジオのパーソナリティをやっているときのジョディ・フォスターが魅力的なだけに、よけい残念。

■ 2007/9/20(木)
3時半から京橋で試写会……と思って、3時前にいってみたら、場所が違っていた。あわてて渋谷へ。ぎりぎりセーフ。

映画は『ある愛の風景』。こないだ観た『アフター・ウェディング』の監督、スサンネ・ビアの作品。『アフター・ウェディング』もよかったけど、こちらは数十倍素晴らしい。

アフガンで戦死した夫ミカエル、残された妻サラとふたりの娘。ミカエルの弟で、刑務所から出所してきたばかりのどうしようもない弟ヤニックは、これを機に心を入れかえ、まっとうな人生にもどろうとするうち、サラにひかれていく。そこに、捕虜になっていたミカエルがもどってくる。しかし優しい夫であり父親であったはずのミカエルは別人のようになっていた……という風なストーリー。

とにかく、最初から最後まで痛切で、荒々しく、衝撃的で、凶暴で、優しく、切なく、終わるまで、ろくに息もつけなかった。

子役のふたりが好演!

じつは今年の4月から、月に5本くらい映画を観てきて、そこそこいい映画にあたってきたのだが、いつもなにかしら不満が残った。小説や詩の世界に親しみすぎてきて、いつの間にか、自分には映画に対する感受性が薄れてきたのではないか、映画にはもう心から感動できなくなってきたのではないか、という気さえしていたのだが、この『ある愛の風景』に出会って、そんな不安は吹っ飛んでしまった。

とにかく、すごい映画だと思う。今年観た映画(といってもせいぜい30本弱だが)のなかで桁外れによかった!

■ 2007/9/11(火)
10時に『幸せのレシピ』の試写会をみに、内幸町の日比谷セントラルビルへ。

ワーナーの映画はこのところ「これ!」というものがなく、今回の映画も試写会の案内状をみる限り、能天気なハリウッド料理・恋愛映画みたいで、あーつまんないだろうなーと思いつつ、眠い目をこすりながら、試写会場へ。

と、これが大当たりで、ちょっと涙のにじんだ目をこすりながら試写会場を出てきた。
いやあ、これが、なかなかよかったのですよ。

ニューヨークの高級レストランの凄腕女性シェフ、ケイトが主人公。最初のほうで、いきなり姉が死んで、残された姪っ子を引き取るはめに。はっきりいって、これは料理映画というより、ケイトと姪っ子の物語で、このふたりが、まあ、うまくいかないわけだ。料理のことしか頭にない……けど、姪っ子もかわいいし、母親の死をうまく受け入れられない姪っ子がかわいそうだし……なんだけど、どうもすることなすこと、なんかずれてて、ふたりの関係はぎくしゃくしたまま。

そこへ、厨房の手が足りないというので、ニックというイタリア料理の若くてハンサムなコックが採用され……いうまでもなく、負けず嫌いのケイトは憤然として支配人にかけあうが……

ごくごくありがちな展開で、よくあるエンディング……なんだけど、細かいエピソードや、ちょっとした演出や、ささいな味付けが微妙によくて、場面場面で、けっこうじんときてしまった。この手の映画に対しては、「その手に乗るか!」という態度でみてしまう金原も、途中からあっさりオフガードにされてしまった。『主人公は僕だった』もよかったけど、それよりさらにいい点を付けてしまいそう。

しかし、なによりなによりなにより、姪っ子役のアビゲイル・ブレスリンがはまりすぎ! もう満点以上の満点! 大人の役者みんな、くわれてるもんね。ロレンス・オリヴィエが、「犬と子どもとはいっしょに出ない」といったというのがよくわかる。

電車でふと気がついたのは、母親と娘の映画が続いたな、ということ。
『サラエボの花』(サラエボの、死んだ父親をめぐる、非情に厳しい、母親と娘の葛藤)
『アフター・ウェディング』(北欧の裕福な一家の母と娘、という視点からもみられる)
『幸せのレシピ』(ニューヨークの継母と姪っ子の物語)

どれも、とりあえず悲惨な結末にはならず、ハッピーエンドのものもあるけれど、かなりシビアな部分を含んでいて、そこがおもしろい。しかし、本当にいろんな家族があるなと思う。

■ 2007/9/5(水)
6時半から、六本木で『タロットカード殺人事件』の試写会。

カロンの艀(あの世に渡る船)に乗っていた、敏腕記者が幽霊になって、ロンドンにもどり、ジャーナリスト志望の女子大生(スカーレット・ヨハンセン)に、タロットカード殺人事件の犯人についてのヒントを与えて消える。

女子大生は、ステージマジシャン(ウディ・アレン)と知り合い、いっしょにこの事件解決に乗り出す……が、あれこれあって、すったもんだして、ふたりとも右往左往して……というふうな作品。

まあ、おもしろいし、みて損はないと思うけど、往年のウディ・アレンのファンとしては、物足りなく、食い足りない。小粒にまとまったウェルメイドのクライム・コメディ。ウディ・アレンもしばらく見ないうちに、年とって、丸くなっちゃったんだなと思って、ちょっと悲しかった。

■ 2007/9/3(月)
3時半から試写会。『アフター・ウエディング』。スサンネ・ビア監督。デンマーク映画。

「インドで孤児たちの援助活動に従事するデンマーク人、ヤコブ。財政難の孤児院を運営する彼のもとに、デンマークの実業家ヨルゲンから巨額の寄付金の申し出が舞い込む」(パンフより)

ヤコブは何十年かぶりにデンマークに帰ってヨルゲンに会い、ヨルゲンの娘の結婚式に招かれる。ところがヨルゲンの妻は、何十年か前に別れた恋人で、ヨルゲンの娘は自分の子どもだったことがわかる……とまあ、ここから話が始まる。
とても誠実にていねいに作られた映画で、最後まで適度な緊張が続く。いい映画でした。

■ 2007/8/27(月)
夜、『サラエボの花』(2006年度作品)というボスニア・ヘルツェゴビナ映画の試写会へ。

ボスニア内戦から12年後のサラエボが舞台で、修学旅行を楽しみにしている娘サラと、その費用が出せなくてバーで働き始める母親エスマのふたりが中心。ただ、父親が戦死したシャヒード(殉教者)であれば、修学旅行の費用は免除されることになっている。サラは、父親が戦死した証明書を早く用意してほしいというが、エスマはなんとか費用を工面しようとする。

母と娘のストーリーに、バーの用心棒、殺しの相談、ピストルなんかがからんできて、何度も物騒な雰囲気が盛り上がるけど、暴力的な方向へは進んでいかない。あくまでも、母と娘との間に広がっていく亀裂と、ふたりの心情が中心になっている。

背景になっている戦争と、その傷跡、という部分では、2004年の『亀も空を飛ぶ』(監督はイランのクルド人バフマン・ゴバディ)にちょっと似ているかもしれない。

どちらが好きかといわれると、鮮烈な印象を残す『亀も空を飛ぶ』のほうかな。しかし、『サラエボの花』も淡々とした流れのなかに、しっかりとしたリアリティがあって、最後のシーンはぐっときてしまった。

イラン映画もボスニア映画もじつにおもしろい。そしてひとつひとつが粒だっている。

■ 2007/8/23(木)
10時から日比谷の試写会場で『Closed Note』の試写会。

古い借家に住むことになった女子大生が、前の住人の日記を見つけて読むうちに、女子大生の物語と、前の住人の物語が徐々に重なっていく。

ツッコミ所はあちこちにあっておいおいという感じで(・女子大生も小学校の先生も、なんで、あんなにいいうちにひとりで住んでるんだとか、・家具とか食器もずいぶんおしゃれすぎだとか、・女子大生、教育学部のくせに教育学勉強してないとか、・女子大生、化粧が上手すぎとか)、そのうえストーリーがセンチメンタルでときどき恥ずかしくなるけど、よかった。なにがよかったかというと、とてもていねいに作られていること。ほんとうに、細かいところまで神経の行き届いた、きちんと作られた映画だと思う。小道具の使い方うますぎ、小技も効き過ぎ……これもホメコトバ。監督と脚本家に拍手。それから、沢尻エリカにも拍手。蛇足ながら、『スパイダーマン』と同じように、この映画でも、男が泣くなあ。最近の流行?

■ 2007/8/10(金)
『さらばベルリン』の試写会へ。
ソダーバーグ監督、がんばっているのはわかるけど、映画はいまひとつかなあ。どこに力を入れて作ったのかが、いまひとつ不明。

それから、最後の最後に明かされる秘密。途中から、まさか「××」じゃないよなと思いながらみていたら、もろに「××」だったので、心のなかで思いきりブーイング。そりゃないよ! あまりに安易でしょう。ただ、試写が終わって電車の中でぼんやり考えていたら、「もしかしたら、あの告白は、面倒な男を振り切る嘘だったのかな」という気がしてきた。そうか、それならまあいいや……という感じ。

ただ、タリー役のトビー・マグワイアがいいなあ。スパイダーマンなんかよりずっとずっとずっといい! 助演男優賞に推します!

それから、本編が始まるまえの予告編がなんと I Am Legend ! おおおおお! これで3回目の映画化じゃん! なつかしい。みなくちゃ! チャールトン・ヘストンもなつかしいぞ! ちなみにこの作品、金原が生まれたときに出版されたらしい。そうそう、古典的SF、リチャード・マシスンの『吸血鬼・地球最後の男・オメガマン』です。

■ 2007/8/7(火)
イラン映画『オフサイド・ガールズ』を観る。
舞台になっているのは2006年ドイツワールドカップ出場がかかった、イラン対バーレーンの試合。これを観ようと男装してもぐりこもうとして(イランでは、女性のサッカー観戦は禁止されているらしい)つかまった女の子たちの物語。監督は『白い風船』のジャファル・パナヒ。

一般にイラン映画はモンタージュの手法(カットアンドペースト)の手法をあまり使わずに、べたに撮っていくことが多いんだけど、この作品もまさにそういう意味でのベタな映画。そこがぐだぐだやってるように思えてだるいと感じるか、おお、リアルじゃんと感じるか、そのへんが、この手の映画のマニアになるかどうかの分かれ目かな。

『友だちのうちはどこ』のアッバス・キアロスタミや、『運動靴と赤い金魚』のマジッド・マジディなんかの映画に慣れていないと、眠くなるかもしれない。

けど、いったんこの流れに慣れてしまうと、とても快い。まず、なにより、どうしても試合を観たいという女の子たちがよく撮れているし、女の子をつかまえて監視する兵士たちもちょっと頼りなくて、おかしい。

■ 2007/8/2(木)
まず、築地で10時から『ウィッカーマン』のリメイク版の試写会。
じつはオリジナルもビデオで昔に観たことがあって、カルトっぽい物だというのは知っていて、「今回はいったい、どんな仕掛けがあるのかな。どんな工夫がしてあるのかな」と期待が大きかった。ファーストシーンの持っていきかたなんかは、「おお!」で、これは期待できるぞと思ったものの、物語が進むにしたがって、次第にボルテージが低下。オリジナルのほうは、いかにも時代を感じさせるカルト映画っぽく、いってみればアングラっぽく撮ってあったから時代を感じるのは当然なんだけど、今回の映画も妙に古い感じがしてならなかった。

試写会が終わってタクシーで歌舞伎座のむかいにある試写会場へ。今日二本目の試写会は『スターダスト』。共訳者の人と待ち合わせて、軽く昼食をとってから、早めに会場へ。

これがおもしろかったのだ。だいたい、原作を読んでから映画を観ると、十中八九、はずれ……というのが相場だ。それが自分の訳したものを映画で観るとなると、かなり評価は厳しい。たとえば『サハラに舞う羽根』も『ツォツィ』も、やっぱり原作のほうがずっといいと思ってしまう。
ところが、『スターダスト』は、予想以上にいいできで、楽しかったし、最後はかなりハッピーになれた。

もちろん、エンディングのほかにも原作とちがったところはあちこちにあるんだけど、スタッフの人たちが、出演者をふくめて、楽しく作ってるんだろうなという気持が伝わってくる(ような気がする)
とくに7人の王子の扱いなんて、小説ではまずできない。
見終わって、よかったな、と思える映画はいい。

■ 2007/7/12(木)
6時半から、京橋で、『酔いどれ詩人になるまえに』の試写会。
『町でいちばんの美女』『詩人と女たち』の作者、チャールズ・ブコウスキーを主人公にした映画。

のべつ幕なしにタバコを吸い、酒を飲み、女を抱き、仕事を次々にくびになりながら、詩や小説を書く男の物語……というか、「物語」はほとんどなく、そういうだらだらした生活が延々と、のびのびと、薄汚く、だらしなく描かれていく。「ろくでなし」とか「無頼派」とかという感じではまったくなく、ただのだめ男。抱かれる女たち、リリ・テイラーもマリサ・トメイも、おばさん風。この映画を観る限り、ブコウスキーはセックスは下手だと思う。
そのブコウスキーを演じているのがマット・ディロン。
いやあ、いい映画でした。

■ 2007/7/10(火)
『トランスフォーム』の試写会。
うううんんん……なんなんだこれは。設定があまりにびっくりで、ストーリーが桁外れにありきたりじゃないか。

「金属生命体は地球上のあらゆるテクノロジーをトレースし、部品の一つ一つまでコピーする。そしてその生命体が変身した機械は必要に応じ、より攻撃的な形へと〈トランスフォーム〉する……」

だけど結局は、車やダンプやジェット戦闘機が(超合金風)巨大ロボットに変身するだけ(ではないけど、だけ)なのだ。

そして地球を救うべく活躍するのが男の子と女の子(まあ、このへんはよしとしよう。ふたりともかわいいし。そうそう、ついでに書いておくと、エンディングもかわいい)。

というわけで、これは徹頭徹尾、子ども向けの映画じゃないか。そう思うと、ほほえましく、楽しく思えてくる。

じつは男子学生に、この話をしたら、「変身シーンとか、巨大ロボットのリアリティとか、どうでした?」ときくから、「そりゃ、リアルですごかったよ」と答えたら、「いいじゃないですか。ほかにいったい何を期待していったんです?」ときかれてしまった。そこで、「じゃあ、きみは観にいくのか?」ときいたら、「ええ、いきます」と答えたから、「彼女を連れていくのはやめておくように。連れていくなら、甥っ子くらいだな」といっておいた。

■ 2007/7/5(木)
午後、ロシア映画『この道は母へとつづく』の試写会をみる。孤児院で育って、イタリア人にもらわれそうになった少年が、実の母親に会おうと孤児院を脱出。追っ手から逃げながら必死に母親の住む町へ……という物語。「実話から生まれた」とあるから、昔の話かと思ったら、舞台は現代だった。最初、寂しげな雪景色のなか、金持ちのイタリア人夫婦を乗せた車がガス欠で止まってしまい、携帯で電話すると、孤児たちがぞろぞろやってきて、みんなで押して孤児院までいくところなんか、この作品の世界をうまく凝縮している。そして、いまのロシアの貧しい部分が、ざらざらした感じで暴力的に描かれている部分がなにより印象に残った。

そういえば、ずいぶん寒いはずなのに、ボイラーをがんがんたいているせいか、孤児院の中では子どもたちは半袖のシャツ姿だったりするのもおもしろい。
最後のほうで、「どこで覚えたんだ? 手首切り」「まえにみたことがあるんだ」というあたりは思わず、ぐっときてしまった。
けれんみのない、実直な撮り方がとても効果的だと思う。