気まぐれ図書室

第1回  2001年10月   西村醇子
──『魔法使いはだれだ』と言ったのはわたし──

           
         
         
         
         
         
         
    

 数ヶ月前のこと、メルマガに書き手として参加しませんか、というお誘いをいただきました。お引き受けしてはみたものの、定期的に書くのはとても無理。そこで、ときどきという条件をつけさせてもらい、「気まぐれ図書室」という名前を考えつきました。
(注:しかし、名前が悪かったねえ! 気まぐれってことは、ふらふらとあてにならないわけで、夏休みにはオープンさせるからね、と請け負ったのは、遠い昔。もはや10月ではありませんか。)
 命名も無事にすみ、あとはオープンするだけとなったとき、今度はなにかきっかけが欲しくなりました。(これってただのわがまま?)あれこれ考えているときにふと思いだしたのが、わたしが熱愛しているダイアナ・ウィン・ジョーンズの新刊『魔法使いはだれだ』(野口絵美訳、徳間書店)が出版される、ということでした。おまけに、わたしが訳した『魔法使いハウルと火の悪魔』が、スタジオジブリでアニメ化、という嬉しいニュースも飛び込んできたところです。ダイアナ・ウィン・ジョーンズのことならまかせて、うん、これでいけると踏んだのですが…。諸般の事情でまたもや遅れました。ふう、こういう形の書評欄は初めてなので緊張してます。でも、口(手)がすべっても、パソコンだと、まるで魔法みたいにさっと消せるという利点がある。気楽に書きます。気楽におつきあいください。
 『魔法使いはだれだ』は、法律で魔法というものが禁止され、魔法使いは火あぶりになるというある国の話です。舞台は、規則がきびしい国立の寄宿学校。600人の生徒がいますが、物語の中心は片親か両親が火あぶりになった遺児や、問題児が集められている2年Y組。
 ある日、この教室の誰かが「このクラスに魔法使いがいる」というメモを書きました。生徒たちのノートの間でこのメモを見つけた地理の先生は、処置に困り、同僚のホッジ先生に相談します。(じつは地理の先生はホッジ先生に恋していて、相談にかこつけて、話がしたかったのです。)ところがホッジ先生はホッジ先生で、この件を利用して結婚相手に狙っているやもめのウェントワース先生と仲良くなろうと考えます。(ホッジ先生は、ウェントワース先生が今の校長のあとがまだと見ていたのです。)でも、多忙な教頭のウェントワース先生は、いつも校内を飛びまわっていて、つかまえられません。当の2Yの生徒たちは(書いた本人以外は)メモに何が書いてあったのだろうと不思議がっていました。彼らは悩みを克服するために、毎日日記を書くように指導されていました。でも、校長がこっそり読んでいるに決まっているのに、正直に書けるものでしょうか? 2Yにはいじめっ子で、自分が一番でないと気がすまないサイモンと、彼の機嫌取りをする男の子たち。優等生で、女の子のリーダー格のテレサ。運動の苦手なナン、目つきが悪いせいで損ばかりするチャールズ、逃げ出すことばかり考えているウェントワース先生の息子のブライアンなど、さまざまな子どもがいました。そのなかでも、ある日魔法を使えると気づいてしまったチャールズやナンの混乱ときたら、たいへんなものです。それに、まだほかにも魔法使いがいるらしく、つぎつぎに不運が起こります。やがて、数人の子どもが、噂をたよりに、魔法使い救出組織を頼り、そして呪文を唱えて、クレストマンシーを呼び出すのですが…。
 物語は最初、地理の先生の視点ではじまり、先生の見たクラスの生徒たちが紹介されます。つぎに彼らが書いている日記の中身が少しずつ載せられ、それぞれの特徴がわかるようになっています。読者はきっと誰が主人公なのだろうと不思議に思いながら物語を読むことでしょう。
 魔法が出てくる話というと、とかくその魔法に興味が集中しがちです。たしかにみんなの靴が一箇所に集まったり、ほうきが勝手に飛び回ったり、ひとりの言うことがすべて実現したり、どの事件も一見おもしろいものばかりです。でも、そういう魔法や、犯人探しにばかり気をとられず、もっと全体を見渡してください。じつはこの作品はとてもポリティカルなファンタジーなのです。規則ずくめの学校はまあよくあることでしょうが、異端審問がおこなわれ、魔女が火あぶりにされるというのは、異常な世界です。その世界にたまたま生まれ、それがあたりまえだと思ってあきらめている子もいれば、こういう状況下で、身を守るために最善を尽くしている子もいる。でも悲惨なのが、不器用で、状況から逃げ回ることしか考えていない子や自己中心的すぎて、助け合うことすらできない子でしょう。物語は、誰が魔法使いかという単純な問いから始まり、彼らはどうしたらよい
のか、さらにこの世界はどうしてこうなったのか…というように、じょじょに高度な問いかけへと進んでいきます。そして数人の子どもたちがクレストマンシーの協力で、世界の均衡を取り戻そうと、活躍するのです。どうです、面白いだけでなく、なかなか奥が深い作品だということが、おわかりでしょう?

 クレストマンシーというのは、魔法使いのことです。それも特定の個人名ではなく、魔法使いを統括するトップの地位にいる役職名のようなものだそうです。また、サイクルというのは、たとえばアーサー王のように、ある中心人物や事件などを主題とする一団の物語のことです。そこで、この「クレストマンシー・サイクル」は、どこかしらにクレストマンシーが登場することによってつながっている作品群ということになります。今回、以下の4作が来年3月までに順次出版されるそうです。
 書かれた順番でいうと、『魔女と暮らせば』(1977)、『トニーノの歌う魔法』(1980)、今回取り上げた『魔法使いはだれだ』(1982)、そして『クリストファーの魔法の旅』(1988)になります。また、気が向いたら!作品をご紹介したり、今度は作者のダイアナのことなど、おしゃべりしたいと思っています。

おまけの頁
 ドラゴンが出てくるファンタジーで、最近読んで気にいった作品がふたつあります。ひとつは、アン・マキャフリの『竜の挑戦上下』(小尾芙佐訳、ハヤカワ文庫)。パーンの竜騎士シリーズ(8)で、八月刊です。ややマンネリ気味だった世界に、突然コンピューターがあらわれるのもびっくりなら、みんなの長年の課題だった「糸胞」退治にむかって、一丸となっていくというのもびっくり。オールキャスト風ですが、なかなかいいんですよ、このコンピューターのキャラクターが。あのハル(2001年宇宙の旅)のこわーいイメージが強烈だっただけに、こちらにはじーんとしびれました。
 もうひとつは、再刊です。プランニングハウスのときとタイトルが代わってハヤカワ文庫ではじめて全三部読めるようになりました。久美沙織「ドラゴンファーム三部作『竜飼いの紋章』『竜騎士の誇り』『聖竜師の誓い』。末っ子でお荷物あつかいされていたとろい主人公の成長物語ですが、なによりも竜がいきいきしていて、そしてイメージが華やか。楽しめる物語でした。
ではまた!(気まぐれ図書室 第1回  2001年10月   西村醇子)