気まぐれ図書室 (4)

──プレイバック──
西村醇子

           
         
         
         
         
         
         
    
 ちょうどこの号を書き始めたときに、悲報が飛び込んできました。1936年3月12日生まれのアメリカの作家ヴァジニア・ハミルトン氏が(2002年)2月19日オハイオで死亡したというものです。親交の深かった島式子氏にうかがったところ、かなり前からガンと闘ってこられたそうですが、それでもなお66歳目前のご逝去は早すぎます。(以下、敬称を省略します。)

 作家を好きになるには、作品を読めば十分です。現にわたしが好きなアメリカの作家であるE・L・カニグズバーグとは面識がありません。つまり彼女の作品が好きなのです。けれどもハミルトンの場合は、作品に好感をもっていた以上に、実際にお会いしたときに、その人柄に好感を持ちました。おそらく、わたしと同じように来日時にファンになった人もたくさんいたでしょう。ハミルトンが来日したのは1993年夏に開かれた「第4回環太平洋児童文学会議(京都大会)」のときで、夫で詩人のアーノルド・エイドフ氏もごいっしょでした。京都での講演(大会後発行の報告書には日本語訳が収録されている)、かねてから念願だったという原爆の地広島訪問をへて、東京でも講演をされています。
わたしは、京都についで、東京での講演会(会場は青山学院大学、JBBY主催だったと記憶しています)にも参加しました。折りしも台風の時期で、新幹線の移動や空模様がとても案じられていましたが、お天気には強いと噂の猪熊葉子氏がにらみを効かせたせいか(?)、無事に開催の運びとなったと思います(・・もし記憶違いがあったら、ごめんなさい)。
 講演では当時最新作だったPlain City(掛川恭子訳『雪あらしの町』1996年に岩波書店より出版)の抜粋が朗読されました。海外ではこれが普通なのかもしれませんが、作家が自作を朗読するのを聞いたのは、初めてでした。貴重な体験だったとはいえ、何も知らない物語をいきなり英語で聞いたせいで内容は把握できず、ただその語り、その「声」に聞き入ってしまいました。直後の茶話会の場ではもっとくつろいだ雰囲気のなかで、ハミルトンと間近に接することもできました。
わたしは155センチと、身長が高くありません。そのわたしの目には、ハミルトンはとても大柄で恰幅の良い女性に見えました。模様のあるたっぷりしたギャザーのスカートをはき、音もなく部屋を動いていました。彼女があわてふためいたり、せかせかと動いたりするなんて、ちょっと想像もつきません。急ぐことはめったにないだろうし、仮に急いでいても、そうと悟らせないのではあるまいか・・・。そんな想像をしたくなる、包容力と優雅さと、安定感のあるチャーミングな女性でした。
大地にしっかりと立つ、グレートマザーのたたずまいだったハミルトン。
もし、プレイバックできるものなら、1993年夏に戻り、ハミルトンのあの声をまた聞いてみたいものです。 ご冥福をお祈りします。


 さて最近2001年に出版された本について、まとめて読みましたので、時期外れですが、印象に残った本について少し触れたいと思います。
 誰が見ても去年はファンタジー作品の出版が盛んでした。でも短期間にまとめて読んだせいか、どんぐりの背比べという感じもしてきます。それはおかしい、こんなに違うじゃないか、という反論も出るでしょう。おっしゃるとおり、それぞれ特徴がある。でも、あまりファンタジー作品ばかり続くと、あまのじゃくなので反発したくなります。ファンタジー世界とは、入り浸るよりは、ときどき訪れてこそ異化作用を楽しめるものなのかもしれません。
 そういう意味では最後に読んだのが幸いしたのか、デビット・アーモンド『闇の底のシルキー』(山田順子訳、東京創元社、2001.10.30)に惹きつけられました。アーモンドの1作目は『肩胛骨は翼のなごり』で、カーネギー賞、ウィットブレット賞を受賞したこと、また意表をつくタイトル、さらにマジック・リアリズムを駆使した独特の世界が注目されました。今回はイギリスの炭鉱地帯という舞台が興味深かったし、炭鉱の歴史が主人公を呪縛していることも理解しやすく、作品世界にすんなり入りこみました。主人公キットの一家は、祖母に先だたれた祖父と同居するために、故郷に引っ越してきました。若いころ炭鉱で働いていた祖父は元気なときは昔の話をいろいろ聞かせてくれます。文才があり、また過去の幽霊が見えてしまう繊細な少年キットは年老いて記憶が減退している祖父の晩年をいとおしみ、その話を素材として自分の物語を書き始めます。その一方で絵の才能があるにもかかわらず、恵まれない境遇に苦しみ、もがいている粗暴なアスキューを、彼が引き込まれかけている闇から助けだそうとする、そんな物語です。
途中でキットが語る氷河期の物語が、祖父に、またアスキューを巻き込み、現実にあったこととして力をもつあたりが、マジック・リアリズムの所以だろうと思います。また訳書のタイトル中のシルキーは精霊のことですが、ここでは炭鉱内にさまよう過去の少年たちの幻影だろうと思われます。でもこの本、振り仮名がごく一部にしか使われていないので、中学生以上のかなり読書力のある人にしか勧めにくいのが、残念です。
 ファンタジーはとくにボリュームのある物語が多く、制限時間内ではどれも1冊ずつ読むのが精一杯でした。なかでは、(ジョーンズ作品以外に)『スクランブル・マインド』(キャロル・マタス&ペリー・ノーデルマン作、金原瑞人&代田亜香子訳、あかね書房、2001.07.10)が好みといえます。フェアリーテールを下敷きにしていて、W・サッカレーの『バラと指輪』の現代版のような部分がおもしろかったのです。 また、これは1巻目だけでそれなりに完結していたことも、満足感につながっています。
 なお、1年間に数冊出した人はほかにもいるのですが、『スクランブル・マインド』では共訳者だった代田さんの活躍が目につきました。『屋根にのぼって』(オードリー・コルビンス、白水社、1999/2001.07.05)はアメリカの全米図書賞受賞作。屋根にのぼった主人公の朝から晩までに終始しているようで、じつはばらばらになっていた母子がそれぞれの心のバランスを取り戻していく数ヶ月のことを描きこんだ作品でした。そして『家なき鳥』(グロリア・ウィーラン、白水社、2000/2001.12.15)もまた、貧困に苦しむインド女性が、創造性を発揮したキルト作りで苦境を打破し、幸せをつかむという注目すべき本でした。
そのほか、『シカゴよりこわい町』(リチャード・ペック、斎藤倫子訳、東京創元社、1998/2001.02.28)『ビリージョーの大地』(カレン・ヘス、伊藤比呂美訳、理論社、1997/2001.03.)、ドイツの作品では『川の上で』(ヘルマン・シュルツ、渡辺広佐訳、徳間書店、1998/2001.04.30)・・・と並べていくと、ファンタジー以外にもかなりの収穫があったことがおわかりいただけることでしょう。これらについても、一冊ずつ触れたいところですが、あいにく時間切れです。

おわびとおしらせ二題
先月号に書きましたWOWOWの『ゆりの花咲く谷間』放送の件でおわびがあります。あの日付はどちらもW2&W3、つまりデジタル放送のものでした。番組プログラムの映画インデックス頁の見方が悪く、WOWOW1での放映だと勘違いしたものです。あとになって気づきました。わたしも見損ない、失望した一人ですが、番組表でお探しになった方、ごめんなさい。お詫び申し上げます。
大阪国際児童文学館の招聘で、同館の客員研究員としてカナダブロック大学の仏文学教授サンドラ・ベケット氏が近く来日します。そこで日本イギリス児童文学会では、この機会にサンドラさんに講演をお願いすることにしました。中部支部では3月29日に(名古屋市熱田区で)、東日本支部では3月30日に(相模原市で)「現代の子どものための赤ずきんリサイクル」の題で講演会(通訳つき)を開催いたします。場所・時間などの詳しい情報は、学会ホームページ、また児童文学書評の掲示板などに掲載しますので、興味のある方はぜひご来場ください。どちらも会費500円、事前の申し込みは不要です。
きょうはこのへんで。