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イギリスの現代作家ニナ・ボーデンの『ペパーミント・ピッグのジョニー』(評論社、1978)に、こんな一節がある。 「ぜんぜん害はないよ──カーテンがしまっていて、ガス燈もつき、お茶の用意ができてる部屋で、何の心配もなくいい気持ちで火のそばにすわっている限りはね。かあさんの話で、いっそうわくわくするってわけさ!」 ここでいう話とは、母親が子どもたちに語る実際にあった怖い事件のことである。ガス燈こそ電気にかわったが、冬、暖房のきいた部屋で怖い話をきくのはまた格別であろう。 * 2年前にパロル舎から『ミステリアス・クリスマス』を共訳で出したのをご記憶だろうか。原作は1991年から93年にかけてイギリスのスコラスティック社が出した3冊のクリスマス短編集。そのなかから、同程度の分量の短編ばかり7篇を選び、編者の安藤紀子以下7人で訳したところ、大人にも読みごたえのある作品が多いと好評だった。そのとき、ページ数の関係で見送った数篇を含む5篇を訳したのが、今月でた『メグ・アウル ミステリアス・クリスマス2』(安藤紀子ほか訳、パロル舎、2002)である。 書名と同名の「メグ・アウル」(高橋朱美訳)は、『ミステリアス・クリスマス』にも収録されていたギャリー・キルワースの作品。怖さの基準は人それぞれなので、怖いと断言するつもりはまったくないが、5篇中で一番インパクトが大きい作品だと思う。 わたしが担当した短篇は、原題を「アンシーリー・コート」(テッサ・クレイリング作)という。それをあえて「クリスマスの訪問者」という邦題にしたのは、アンシーリー・コートといわれても、なんのイメージも伝わらないだろうと思ったからだ。アンシーリー・コートの説明などはあとがきで触れているが、内容は悪意にみちた妖精が現代にあらわれる話である。 そういえば、「クリスマス・プレゼント」(ジリアン・クロス作、安藤紀子訳)から「メグ・アウル」「また会おう」(ジル・ベネット作、嶋田のぞみ訳)「クリスマスの訪問者」までの4篇は、いずれも現代の話である。英米にはクリスマスには家族が集って祝う習慣がある。だが離婚そのほかの問題を抱える家庭では、こういう時期にかえって不満や嫉妬がぶつかりあい、家族間の軋みが明らかになるのかもしれない。家族内に隙間や陰があれば、現代でもゴースト・ストーリーをはじめとする怪奇物語や暗い物語におあつらえ向きの状況が生まれるのだろう。なお5篇目の「荒れ野を越えて」(スーザン・プライス作、夏目道子訳)は1924年の炭坑地帯が舞台。厳しい自然のなかで暮らす貧しい一家の兄妹が遭遇するなが―い夜の話である。 5篇を5人で訳し、遅くとも10月には出版してクリスマス本の時期に備える、と当初きかされていた。ところが出版が1ヶ月近くずれこんでしまった。こうなるとどれだけの人に見てもらえるか、気がかりである。 表紙について。さきの『ミステリアス・クリスマス』はワインレッドの額縁のなかに無気味な樹木と半開きの緑色のドアがのぞき、物語世界へ誘うという趣向であった。今回は濃紺の額縁のなかに、暖炉の前に置かれた安楽椅子が見えている。暖炉の前の鏡には玄関が映っている。つまりこれは前回と同じ家で、その内部に場面を移したという趣向なのだ。挿画担当は前回と同じ佐久間真人氏で、壁にかけられている数枚の絵は、どうやら彼の作品らしい。まえに銀座のギャラリーで開催された佐久間氏の個展をのぞいたことがあるのだが、猫をモチーフにした同様の絵を見た覚えがあるからだ。そういえば、光文社から出ている『猫の建築家』(森博嗣作)も挿画は佐久間氏だ。個展には、大正期ぐらいの少し懐かしい感じがする、それでいて都会的な街を猫が闊歩しているペン画もあったような、かすかな記憶が……。 * 暗い気分のあとに明るくなる口直しを提供できればよかったのだが、最近は英語の本を読むのに追われ、新刊はどれも読みかけのままだ。例外は10月に出たダイアナ・ウィン・ジョーンズの『ダークホルムの闇の君』(浅羽莢子訳、創元推理文庫)だけだ。面白くてどうしてもやめられず、一気に読んでしまった。 舞台は魔法があたりまえとなっている異世界ダークホルム。資本家チェズニー氏の巧妙な罠にひっかかり、彼が自分たちの世界(魔法のないわれわれの世界にあたる)から毎年多量に送りこんでくる観光客たちのために人々は疲労困憊、国土も疲弊しているありさまだ。魔術師たちは、チェズニー氏のもつ強力な魔よけに阻まれ、チェズニー氏を倒すことができない。そこで彼らが目をつけたのが、型破りなことで有名な魔術師ダークである。もしかしたら、彼なら、迂回路を見つけてくれるかもしれないと期待したのだ。善悪にわかれて戦うゲーム世界を体験しにやってくる観光客のために、悪役の親玉ダークロードを演じることになった。背後に潜む思惑や陰謀を知らないダークとその家族は、ダークが一時的に指揮をとれなくなると、今度は息子ブレイドを中心に使命を果たそうと悪戦苦闘する…という内容だ。 いわばゲーム世界を現実のものとしている話なので、ドラゴンやグリフィン、空を飛ぶ豚など、オールキャストで派手な作品だ。それでいて魔法や神をおもちゃにしてはいけないという手痛い教訓が(説得力をもって)提示されている。本書はどういうわけか、ファンタジー作家の同業者ロビン・マッキンリーに捧げられている。 もう少しあれこれ述べたいところだが、時間的余裕がなくなった。運がよければまた来月に…。 |
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