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平成15年も、あっというまに、終わろうとしている。 12月はなにかと気ぜわしい。休暇まえにたくさん詰めこもうとするからだろうが、わたしの場合、風邪をひいたせいで予定がくるった。といっても今回の風邪は重症ではなく、水分補給と休養とたくさんのティッシュペーパー、それに軽めの読書!でしのぐことができた(つもりだった…)。風邪をひくと、かなり長い時間眠ってしまうが、あれは薬に眠くなる成分が含まれているせいだろうか。アレルギーの薬も同様らしく、呑んだあとはよく眠ることができた。問題は病気が一段落したときだ。寝ているのがもったいなくなり、起きだす。しばらくしてどっと疲れを感じ、ベッドへ逆もどりーーすっかりなおりきらないまま、寝たり起きたりを繰り返しているうちに、畠中恵『ぬしさまへ』(2003年5月、新潮社)の主人公、一太郎の気持ちが少しだけわかってきた。 一太郎は江戸の廻船問屋兼薬種問屋の跡取り息子だ。幼いときから病弱で何度も九死に一生を得てきた結果、「くしゃみひとつしただけで布団にくるみ込まれてしまう始末」と、極度に過保護に育てられてきた。17歳になって、薬種問屋の商売を表向きまかされている現在でも、「器用に病を拾っては寝込んでいて、仕事どころではないことが多い。商売よりも病に経験豊富な玄人」である。だが生きる意欲があり、何か役にたつ仕事をしたいと思っている一太郎は、病気がちな自分にうんざりしている。この、めっぽう繊細でけなげな若だんなの退屈しのぎにと、出入りの親分が何か事件の話を持ち込むと、若だんなは妖怪たちを動かし、隣の菓子屋の跡取で幼馴染の栄吉とその妹から仕入れた裏話や世間の相場をもとに推理をめぐらせ、つぎつぎに事件を解決する・・・というのが『ぬしさまへ』の概要だ。 1冊目の『しゃばけ』は第13回日本ファンタジー大賞で優秀賞を受賞し、その年に出版されている。今ごろ読むとは遅れているね、といわれるだろうが、『ぬしさまへ』といっしょに近所の書店の平台で2冊並んでいるのを見つけなければ、気づくのはもっと遅れたかもしれない。1冊目は長編で、江戸の町に起きた不可思議な連続殺人事件に巻き込まれた若だんなが、妖怪の力を借りて謎にいどむミステリの筋と平行し、どうして一般の人には見えない妖怪が若だんなに見えるかといった生い立ちにさかのぼる裏事情も明かされていく。 このシリーズには、若だんなのお守役で、店の手代佐助・仁吉に化けている犬神、白沢をはじめ、屏風のぞき鳴家(やなり)、付喪神(つくもがみ)などさまざまな妖怪が登場する。妖怪たちにとって神出鬼没はお手のもの、あちこちに潜入して若だんなの求める情報を得てくる。しかも若だんなにほめられ、おいしいものをおすそ分けしてもらうだけで満足する。ところが、常識や優先順位といった感覚がどこか人間とずれているのがやっかいな点だ。こうした面白さに加え、若だんなと幼友だちで不器用な菓子屋職人との友情も捨てがたく、なかなかしゃれた味わいの妖怪ものである。西洋には「安楽椅子探偵もの」というジャンルがあるが、一太郎も日本版安楽椅子探偵のひとりといえよう。 以下は余談。まさか江戸を舞台にした時代推理帖で出会うとは思わなかったが、ご主人をかげながらお守りする孤高の美形(!)脇役に、心ひかれるのはわたしだけではないとみえる。ソフトカバーのYA! Entertainment(エンターテインメント)シリーズの1冊、はやみねかおる『都会(まち)のトム&ソーヤー@』(2003年10月、講談社)にも、そういうかっこいい守り役が登場している。もっともこの1冊目では出番はあまりなかったのだが。内藤内人(ないとう・ないと)は、サラリーマン家庭に育ち、塾通いする中学生。その彼がクラスメートの竜王創也(りゅうおう・そうや)とふとしたことからコンビを組むようになり、放課後に創也の隠れ家でゲームをしたり都会探検をするという物語。創也が巨大企業グループの一人息子であるため、お目付け役兼ボディガードとして、卓也という腕のたつハンサムガイが黒塗りの車でついてくるのだ。卓也は、よしながふみの『西洋骨董菓子店』でいえば小早川千影にあたるといえば手っ取り早いだろう。コミック本から抜け出したようなキャラクターのようだが、はやみねのプロット展開にはそうした雰囲気はよく合致している。肝心の『都会のトム&ソーヤー』は1巻目とあって、ふたりがコンビを組むいきさつ、あるゲームのクリエーターを追いかけるエピソード、そしてテレビ局でクイズ番組の陰謀をさぐりだすエピソードまで。相手のゲーム・クリエーターからは挑戦状も届き、今後の展開が楽しみな終わり方だ。 さて最近の作品でもっとも印象深いのが上橋菜穂子『狐笛のかなたへ』(2003年11月、理論社)である。じっくりと読むにふさわしい、骨太のそれでいて叙情性も備えたファンタジー作品だ。 春名ノ国(はるなのくに)にある夜名ノ森(よなのもり)に住む小夜は、産婆をする祖母に育てられてきた。12歳のとき、犬に追われていた子狐――野火――を助けたことがきっかけで、森の奥の屋敷に幽閉同然で暮らしていた小春丸(こはるまる)という少年と出会う。小夜はいっとき、孤独な小春丸の遊び相手となるが、しばらくしてふたりの行き来は途絶える。野火はふたりが遊ぶとき、遠くからその様子を見ていたが、ふたりはそれを知らない。 小夜と小春丸の運命が再び絡みだすのは4年後だ。祖母に先立たれた小夜は、いちばで出会った大朗と鈴の兄妹から、母の死には春名ノ国と隣の湯来ノ国(ゆきのくに)との長い間の不和が絡んでいることを知らされる。春名ノ国の守護者である兄妹と同様、領主のために働いていた小夜の母は、領主の子どもである小春丸を襲撃者から守ろうとして非業の死を遂げていたのだ。小夜が人里離れた森で育てられたのも、安全を考えてのことだったらしい。だが、大朗たちと出会ったことで封印されていた小夜の記憶も解かれ、人の心がわかる「聞き耳」の能力をもつ小夜にも危険が迫ってくる。 その背景には、春名ノ国と湯来ノ国との長年にわたる水源や領土をめぐる確執があった。従兄弟である春名ノ国領主に深い憎しみを抱いている湯来ノ国領主は、春名ノ国で後継ぎが死んだのを契機に、今度こそ領土を自分の手中に収めようとする。だが、春名ノ国領主は森の奥に隠していた次男の小春丸を新たな後継ぎにするつもりだ。そこで湯来ノ国領主は、呪者と使い魔を介して小春丸を操り、おのれの野望を成就させようとするのだが… 「序章 出会い」には、小夜が懐にかくまった狐の野火と、心を触れ合わせる場面が出てくる。ほのぼのとした触れ合いだとは思ったが、それだけだと思った。だがあとから振り返ると、作品の基調を暗示するかなり重要な場面となっている。 上橋氏は物語内で複数の視点を採用し、ときに小夜の視点から、ときに小春丸の視点から、またときに領主や使い魔の視点から、数代にわたる怨念や権力闘争を描いている。そのため、最初はどこに焦点をあわせてよいのか迷いも覚えた。だが、冒頭に登場した小夜にあわせていくのが順当ではないだろうか。 そこで小夜の視点にたつと、最初は過去とのつながりに悩んでいるが、途中からは野火が気になっていることがわかる。 野火は、小夜にもまして哀れな境遇にある。人の世とあの夜の間である<あわい>に生まれ、生まれたときから呪者に操られ、使い魔として一生を終える運命の霊狐だからだ。やがて小夜を見守りつづけた野火は、小夜が心の宝だと思う。そして利害が相反するときでさえ、小夜に危険が及ばないようにと行動するのだ。 物語の終盤で小夜はようやくそのことを知る。 小夜も真顔になった。 野火と自分とを結んだ縁は、なんとふしぎな縁なのだろう。 すいこまれそうに美しい野火の瞳を見つめていると、胸の底がふるえる。 人も狐もない。 ひとりぼっちだと思っていた、あの日々にも、いつも野火はそばにいたのだ。ふれあうことをゆるさない、深い溝にへだてられていたけれど。(中略) 野火が自分に向けてくれた、ただひたすらまっすぐな心が──自分のために捨てたものの大きさが胸にせまってきて、小夜は思わず野火のほうへ手をのばした。(288〜9) 前述したように『狐笛のかなた』は領主たちの権力闘争とそのむなしさを描いた骨太の時代小説だが、ロマンスがらみの叙情ファンタジーとしてもなかなかの出来栄えだと思う。作中には心なごませる美しい情景描写があるが、ほのかに銀色を散らした淡い桜色の見返しをはじめ、装丁もこの作品をしっかり支えている。この物語の魅力については、まだまだ語りきっていないのだが、あとはぜひ手にとって読んでみて欲しい。 今月は跡取り息子とそのガーディアン特集になった。茅田砂湖の「暁の天使たち」シリーズ──6巻目『天使の舞闘会』(2003年11月、中央公論社)が出て、ひとまず完結――にも、それに該当するキャラがいたはずだが、なにしろ6巻目は昨日手に入れ、さっき読み終えたばかりというありさまだ。そこで涙を呑んで(嘘ばっかし!)この物騒なシリーズをもとりあげるのは断念し、そろそろ閉室としたい。 ではまた来年、お目にかかるときまで。(2003年12月25日) |
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