子どもの眼、大人の眼

野坂悦子

           
         
         
         
         
         
         
    
 オランダの子どもの本が、絵本を中心に国際的に注目されるようになったのは、一九六〇年代以降のこと。現在は隣国ドイツをはじめ、イギリスや北欧、ヨーロッパ各国、アメリカなどで続々と翻訳出版されています。「子どもの本が、ひとつの輸出産業になっている」というオランダ関係者の言葉に嘘はないようです。
 景気政策が成功した一九九〇年代、オランダでは、子どもの本の出版点数、書店での売り場面積が年々増える傾向にありました。二〇〇〇年の調査によると、児童書の総売上高は前年比で七%の増加。経済的な側面から見ても、児童書業界全体に、まだまだ活気があります*1。   
 とはいえオランダの書店や図書館には、日本同様、翻訳物がどっさりならんでいるのも事実です。そのいっぽうで、子どもの本の作家たちは、オランダ語を使って、それぞれユニークな創作活動をつづけているのです。
 「オランダでは、なぜ、子どもの本の創作がさかんなのだろう?」私は、オランダ語翻訳の仕事をしながら、ずっと疑問を抱いてきました。経済的な背景が追い風になっているにしろ、それだけではないはずです。オランダでは読書運動もさかんですが、深刻な読書離れ(特にティーンエージャーの)を伝える統計を見るたびに、いづこも同じ、という思いを強く抱きます。
 無理に答えを出す必要は無いのかもしれません。ただ自分の足場を固めるために、私はその疑問が捨てられず、立ち止まって考えこんでしまうのです。私にとって翻訳とは、日本語で創作を続けている人たちにむけてのエールだからです。翻訳された絵本や物語が、新しい試みにむかうヒントになれば、そして日本語の子どもの本の世界がさらに豊かになれば、こんなにうれしいことはありません。 
 
 そこで、もう一度「オランダでは、なぜ、子どもの本の創作がさかんなのだろう?」と、自分に問いかけてみます。  
いろいろな答えが可能ですが、ここでは最近考えていることを、少しまとめてみたいと思います。
 それはオランダ人が、子どもを大切にしているから。「自分の子ども時代」と同じぐらい、「現実の子どもたち」を見つめているから。
 作家たちは、学校や地域への訪問を通じて、子どもたちと触れあう機会に恵まれています。子どもたちの生の意見を、創作中の作品に取り入れることもあります。作家にかぎらず、オランダの大人たちは、社会の中に子どもの物の見方、考え方を一部なりとも反映しようと努めているのがわかります。子どもの本の世界でいえば、子どもたちの人気投票によってその年の受賞作を決める「子ども審査団」があります*2。また長坂寿久著『オランダモデル』(日本経済新聞社)によると、政治の世界でも、ブラジルで開かれたストリート・チルドレンに関する国際会議に、オランダの子ども代表が参加。その子どもたちが作った政策勧告書に基づいて、オランダ政府がストリート・チルドレン問題に取り組むNGOに補助金を出したことがあるとか。
世界各国、特に先進諸国では、このように子どもの声を聞く動きが強まっており、オランダだけが例外的なケースとはいえないかもしれません。ただ、先駆的な役割を果たしていることは確かでしょう。
 同時に、オランダはレンブラント、フェルメール、ファン・ゴッホの名を出すまでもなく、絵画の伝統で有名な国。物語、小説、絵本を彩るイラストレーションにも優れたものが多く、子どもの本をいっそう嬉しいものにしています。大人たちが絵や、(絵描きと同じ意味での)イラストレーターの名にひかれて絵本を買うこともしばしばです。一九九五年には『アリババと四十人のイラストレーターたち』というタイトルで、アリババの物語をテーマに、四十人分の略歴と絵本のイラストレーション(ひとり一枚ずつ)をまとめた本が出版され、評判となりました。人々が、絵本とイラストレーターに深い関心をもっていることを示す好例といえます。
 オランダは、大人と子どもの距離が日本より少し近い国。教育者、保護者にかぎらず、社会全体に子どもと関わることを楽しむゆとりがあるようです。子どもの声に耳をかたむけ、それを大人が取りこんでいくプロセスは、マイノリティーの声を活かして社会を作っていくプロセスと、どこかでつながっているのかもしれません。
 今、オランダで、子どもの本の創作がさかんなのは、たぶん、子どもの本の世界が開かれたものになってきているから。もちろん玉石混交という点では日本と同じで、なかには大人にむけて書いたのでは?と、思える作品もあります。私は日本の子どもたちにぜひ読んでもらいたい作品を、私なりに選んで紹介してきました。
 
 そんな作品のひとつが、『第八森の子どもたち』(福音館書店)です。昨年四月、日蘭交流四百年を記念してオランダ文学関係のイベントが各地で開かれたとき、作者エルス・ペルフロムさんも来日。東京で、角野栄子さんとの対談が実現しました。
 『第八森の子どもたち』を読んでいない方のために簡単に説明しますと、この本の舞台は、第二次世界大戦中のオランダです。疎開した少女ノーチェを主人公に、農家クラップヘクで暮らす人々の生活を描いたリアリズム作品で、森の中に隠れて住むユダヤ人一家も登場します。
 ペルフロム作品には『小さなソフィーとのっぽのパタパタ』(徳間書店)というファンタジーもあり、来日に際して、作家のひこ・田中さんは、邦訳された二つの作品を中心に、書面でペルフロムさんにインタビューを行ないました(「子どもの視点と児童文学の可能性」*3)。
 『第八森の子どもたち』の翻訳をはじめたのが、一九九五年。東京子ども図書館で、松岡享子さんと初めてお会いし、原書を借りてきたのが昨日のことのようです。足かけ五年かかり、その間に担当編集者が何度か代わりましたが、三人目の編集者で無事完成した本でした。『小さなソフィーとのっぽのパタパタ』と並行して訳をすすめた時期もあり、ペルフロム作品をじっくり比較できたのは、幸いなことでした。今年五月、『第八森の子どもたちが』が思いがけず産経児童出版文化賞推薦を受賞。戦争を描いた四百ページ以上の長編なので、売れ行きを案じていましたが、初版七千部でスタートしたのち、順調に版を重ねています。
 
 訳をすすめる際に、私がかならず心がけているのは、登場人物ひとりひとりの視点に立って、何度か作品を読み返すことです。一番夢中になれるのは、なんといっても子どもの視点。主人公になりきって、作品を読み込みます。読み返すたびに違う表情が見えてきますし、子どもの読者がストーリーにひきこまれる(であろう)場面が、私なりにはっきりわかってくるのです。訳稿も、そこまでくれば、あともうひと息です。
 たとえば、『第八森の子どもたち』の初校をチエックしていたとき。ウォルトハウス一家の言動に眉をしかめたくなることもありました。ドイツ兵を罵ってばかりいるからです。そんな登場人物の言葉が記憶に強くきざまれ、「ドイツ兵を、下品で野蛮というステレオタイプで片付けてはまずいのでは?」と感じた読者もあったようです。
 でも、ウォルトハウス一家の態度は、農家の主であるおやじさん、ヤンナおばさんの態度とはっきり異なっています。さらに気をつけて読んでいくと、一章でノーチェとエバートは出会ったドイツ兵を、「やはり、感じのいい人でした」と受けとめていますし、ニ四章では、農家クラップヘクに宿営し、穴を掘るように命令され少年兵に、むしろ同情を寄せています。ニ五章で、敗走中のドイツ軍将校は、クラップへクの人々にきちんと敬礼をしたうえで、おびえきった若い兵隊を連れ去るのです。 
 作者ペルフロムが、ドイツ兵を下品で野蛮な存在として書こうとしていないことは明らかで、先ほど触れたインタビューの中でも、このように答えています。
 ―『第八森の子どもたち』の中にやさしいドイツ兵が登場しますが、たとえ「敵」の軍服を着ていたにしろ、それも、そういう兵隊が実際にいたからです。意図的に「反戦的な本」を書こうとする姿勢には、ものすごく反発をおぼえます―
 『第八森の子どもたち』はアメリカ、フランス、ドイツ、スペイン、そして日本で翻訳出版されました。ドイツ兵がただのステレオタイプで描かれていたとしたら、当のドイツで出版されたでしょうか?
 むしろ私は、ドイツ兵のなかには将校もいれば少年兵も老兵もいて、もとはポーランド人だった脱走兵ムンキー、ドイツ兵と同じ身なりをしたハンガリー出身の兵隊もまじっていることに、気づいてほしいと思います。日本とは違う、陸続きの戦争がどういうものなのか。敵はドイツ人だと、単純には線を引けなかった当時のオランダの現実を、読みとってほしいと思います。
 兵隊たちが焼くじゃがいもを、ノーチェとエバートがほうばる場面は、私の大好きな場面のひとつです。重苦しい日々の中の、楽しい一瞬が、まるで自分の体験のように、今も記憶の中で輝きをはなっています。
 生を実感できる瞬間を日本語に再現し、読者に伝えることができれば。そんな望みを胸に秘め、今日も翻訳をつづけています。      

*1)Speurwerk Boeken Omnibus 2000による。だだし、児童書の定価が平均15%アップしたことも響いて、売上点数は前年度に比べ7%減少した。
* 2)詳しく知りたい人のために、次のサイトがある。
やまねこ翻訳クラブ

なおカナダにも、書店に用意されたリストに記入する形で子どもが審査を行なう"Ruth Schwartz Children's Books Award"がある。各国の「子ども審査団」について情報をお持ちの方は、ぜひ筆者までご一報のほど。
* 3)日蘭学会通信通巻第93―94号。
児童文学評論臨時増刊2000/06/25号でも検索可能