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シュバイツァーがなくなったのは一九六五年、ほぼ二十年前のことです。当時は、小学校の国語の教科書にも、「原始林の聖者」「アフリカの光明」として、紹介されていたのですが、最近の教科書にはのっていないので、知らない人がいるかもしれません。 この本の著者・寺村輝夫さんが、シュバイツァーについて調べてみようと思いたった理由は、いくつもあるのですが、直接的な動機の一つは、ケニヤの首都ナイロビで、英字新聞を売っていたアフリカ青年が、シュバイツアーについてたずねた寺村さんに、「かれは植民主義の手先だ!われわれはシュバイツアーをにくむ!」と、はきすてるように語ったことでした。 いったい、ガボンのランバレネで、一九二二年から六五年まで(その間、たびたび、ランバレネをはなれているが)、この地の人の医療に尽したシュバィツァーは、「原始林の聖者・アフリカの光明」だったのでしょうか。それとも、「にくむべき植民主義の手先」だったのでしょうか。それとも、ガボンのリーブルビルの病院で、ドイツ人医師が語った「キリスト教信者としてごくあたリまえのことをした、ただの人間」だったのでしょうか。それとも….。 一人の人間が、なぜ、このように相反する見方をされるのか、その「なぞ」を解こうとして書かれたのが、この本です。だから、この本は、よくある子どもむきの伝記とはまったく内容がちがいます。「アフリカのシュバイツァー」という題からも推測されるように、アフリカ人にとって、シュバイツアーとはどんな人間であったのかという間題意識で、作品全体がつらぬかれています。 そこで、アフリカの歴史が重要な意味をもって描かれます。 ○アメリカ合衆国が今の ように金持の国になった歴史とアフリカ・アフリカ人との関係。 ○イギリスが最初に産業革命に成功したこととアフリカ・アフリカ人との関係。 などを読むなかで、あなたは、アメリカやイギリスについてもっていた理解の仕方を見直すよう迫られることと思います。 さて、それでは、著者は、シュバイツァーを「聖者」か、「手先」か、「ただの人間」か、いずれと結論づけているでしょうか。実は、そのような答えが出るようには、書かれていないのです。著者がアフリカで体験したカメルーン人、中国人、アメリカ人との出会いのあリさま、つまリ、異なる文化の中で生活してきた人たちを理解することのむずかしさを、本の第一章に書いていることにも、そのことがうかがわれるのですが、一人の人間・一つのできごとを、誰の立場・どの立場から見るのかを、読者に問いかけているように、私には思えるのです。 だから、読み終ったら、シュバイツアーにレッテルをはるだけではなく、例えぱ、ヨーロッパやアメリカの白人が黄色人であるわたしたちをどう見ているのだろうか、というように想像を拡げてみてください。そのことは同時に、例えば、在日朝鮮人を自分はどう理解しているかを問いかけることと重なってくるでしょう。 あなたは、シュバイツアーを、どこから見つめますか。(新開惟展)
解放新聞1985/01/07
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