愛について


ワジム・フロロフ作

木村浩 新田道雄訳 岩波書店 1966/1973

           
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
    
 ぼく、サーシャ。パパは科学研究所勤め。ママは女優で、ただ今地方公演に出掛けて留守。けれど随分長い地方公演。いつもと違う。パパに尋ねてもはっきりしないし、回りの大人の反応もヘン。みんなぼくに何かを隠している‥‥。
 以前お話ししましたように、児童文学は基本的には恋愛結婚支持派です。両親は愛し合っているのです。だから彼らがやがて心が冷める、憎しみ合うなどということは、子どもへの情報発信装置である児童文学の中ではほとんど存在を認められませんでした。
 66年に旧ソビエトで発表されたこの物語は、そんな事実を描いた最も早い作品の一つ。それがアメリカではなく旧ソビエトから出てきたのは、かの国の離婚率が高かったという現実が背景にあったからでしょう(共働き社会でありながら、家庭内においては性別役割分担で、家事は女だけがする。これじゃあねってこと)。ちなみに、日本でそのような物語が生まれるのは、『優しさごっこ』(77年・今江祥智)まで待たなければなりません。
 さて、やがてサーシャは回りのうわさから、ママが同じ劇団の男と駆け落ちしたことを聞き付けます。近ごろ酒浸りの父親に問い詰め、ママからパパに宛てた別れの手紙を読まされる。そこに書かれていたのは、ママにとってパパは魅力的な男ではなかった事実です。パパは逃避行のように長い出張に。パパの友人の家に預けられるサーシャ。
 ラスト、彼は家を飛び出し、ママの巡業先へ向かいます。舞台の上のママを見、外で待つ。ママは恋人と出てくる。二人のあとを追うサーシャ。そして彼が見たのは、パパの前では決して見せたことがないママの表情と、パパにはしたことがないような、しっとりとしたくちづけ。
 サーシャは、ママがママであるだけではなく一人の女でもあることを知るのです。
 児童文学、特に家族を扱ったそれにとって、これはとてもやっかいな素材です。何故なら、親が親の居場所にいてくれることで家族の物語は安定するのに、そこから逸脱しようというのですから。けれど、この素材はその後、避けては通れないものとなり、児童文学はそれに果敢に挑戦していきます。
 『愛について』は、ゴルバチョフ登場以前に、児童文学のペレストロイカであったし、グラスノスチを実践してもいたのです。
 と同時に、まだ成長小説を真っ当に描き得る時代の香りもお楽しみください。いやー、真っすぐです。(ひこ・田中


「子どもの本だより」(徳間書店)1997年1,2月号