アジアを考える本


(副題「近くて遠い国」、岩崎書店)

           
         
         
         
         
         
         
    
「俺が知らないこと、知りたいことは、たぶん子どもたちも知らないだろうし、知りたいはずだ。子どもたちがあつめられない事実を、大人の俺はなんとかあつめてくることができるだろう」
 この強烈な思い込みと熱意で、ある子どもの本の編集者がたちあげた『アジアを考える本』(副題「近くて遠い国」、岩崎書店)というシリーズがある。知っているつもりで知らないこと、知らないがゆえに思いがいたらなくて、慚愧に耐えないことを言ったり考えたりしてしまうことは多い。
 たとえば、アジアという言葉で括られる地域について。自分の国もそのひとつなのに、なんだか最近調子に乗って、似非西洋人みたいな感覚でそこらを考えてはいまいか。いや、なにかを判断し、発言するまえに、おまえさん本当に、アジアの現在を知 っているの?と自問せずにはいられない。かねがね、主張していることだけれど、子どもの本だからといって大人が読まなくていいなんてことはなく、むしろ子どもたちよりさきに「ぼんやりしていたり、既成の観念に凝り固まっている大人たち」こそ読むべきクォリティの子どもの本はかなり存在する。
l「アジアってなに?」
2「東南アジアってどこ?」
3「はたらくアシアの子どもたち」
4「かわりゆく農村のくらし」
5「ゆたかな森と海のくらし」
6「モノ・カネ・ヒトがうごく」
7「アジアとどうつきあうか?」
という七つの柱にたつ本シリーズの特徴は、現地のリアルタイムの生活を報告するレポートと、みごとなカメラワークによる写真のチカラであるといってよい。撮しこまれた一枚の風景、あるいは表情が、よくその世界を語ることもありえるのだ。とくに第三集の『はたらくアジァの子どもたち』(藤林泰、門田修、村井吉敬)の労働とむかいあっている自然体のみぶりが、よくこのシリーズを通底している力のぬけた、素直な世界観を語っているように思えてならない。つまり、声高に、貧困や、偏見へのメッセージを伝えるのではなく、「そこにあるものとしての世界」を、懸命に生きている人たちのまなざしをとおして知らせようという心である。どう読むかは、私たちにゆだねられているといってもよい。それでいいのである。知ることからすべては始まる。ヒトは、どこに住んでいても、毎日なにかを食べて生きている。(食べられない地域もあるが)じゃあ、どんな物を食べているの? からまず始めたいではないか。
 三十代になってから知り合ったインド人の友人がいて、あるときイス ラム教徒の彼の断食月に会うことになり、まさか喫茶店にもはいれず、新宿御苑のべンチで水も飲まずに語らったことがあった。ほぼ同い年で、話はもっぱら自分たちの子ども時代の思い出を語り合うことになっていった。先祖はアフガニスタンあたりから移住してきて、イスラムの宗教職の家柄だけれど、ヒンドゥー教の強いインドではマイナーな存在で、教育から就職までひどいハンデを背負わされて、やむなく、サウジアラビアの大学へ留学したら、そこではインド人ということで差別されたという。「ソレ、ドコノ世界デモアルコトデス」淡々と事実だけを語る彼が、ひときわ懐かしそうに語ったのは、子ども時代、コーランの暗唱をさぼって、近くの池に泳ぎにいったり、粗末なコミック本を隠れ読んだりした思い出だった。そういえば、私も、当時五○円だった『少年サン デー』の発売日が待ち遠しかったことを思い出した。それからふたりして、同じ時期に、まったく別の場所で、育ったふたりが、トーキョーの新宿御苑のべンチに腰をおろして夏空をみあげていることを不思議がった。しかし、そのとき、彼がインド人であり、私が日本人であるということはほとんど考えなかった。ただ、別の場所で育ったということと、それぞれの子ども時代があったということだけだ。そして、偶然同い年の息子がいる。
 もういちど言うが、この 『アジアを考える本』は、学校図書館や公立図書館の書架に納まって、その役割を十分果たすことはまちがいないけれど、そのわかりやすさと、的確な写真情報のクォリティーからして、書店の平台に積まれて、私たち大人が手にとって読むべき本でもあるのだ。子どものための本ではなくて、 子どもも読める大人のための本といっていい。生ビールと枝豆を一回我慢して、一冊家に買って帰り、自分ちの食卓でビールの栓をぬきながら、お父さん、『はたらくアジアの子どもたち』の表情をおってみてほしい。子どもたちが寄ってきたら、下手な説教をまじえずに一緒に素直なまなざしで読んでみてはどうだろう。案外子どもたちのほうが、よく知っているかもしれない。ミャンマーの首都って、いったいどこでしたっけ?(天沼春樹)
季刊ぱろる2 1995/12/20