|
ほとんど多くの小さな子どもにとって、家族はあらかじめそこにあります。その子が生まれ、やがて目が開き、首がすわり、ハイハイをして、言葉を出しと、迎える家族は刻々とその子の変化(一般的には「成長」と言います)に注目するものですが、当の子どもはそんな「感動」を知らないから、その子にとってそれが「家族」の姿であり、それは変化しないはずのもの。けれどある日、そこに異物が進入にてくることがあります。下の子どもの誕生です。 この物語、そんな事態になった少年の心の動きを、細やかにまっすぐ描いた良品。 ママは元気がない。心配してるとパパが説明してくれる。病気じゃなくて、ママのお腹に赤ちゃんがいるんだって。 ダービトは生まれてくる赤ちゃんの名前をつける役目を与えられ、張り切ります。女の子はマリー、男の子ならモーリッツ。「いもうとだといいな」「ぼく、小さないもうとを、まもってあげる」。 でも、自分のだったロンパースが今度生まれる赤ちゃんに使われると知ったとき、「ぼくのロンパースなのに。ぼくのだったのに」と、ダービトの心は微妙に揺れます。「マリーモーリッツのことは、まだ知らない。それなのにパパもママも。マリーモーリッツがいちばんだいじな子みたいに話す」と。 そうしたダービトの気配をさっしたママのセリフがいいんですね。「ダービトじゃなくちゃだめなの。パパとママはもうおとなでしょ。ダービトは子どもだから、パパやママよりずっとよく、子どものことがわかるわ。赤ちゃんを助けてあげてね」。 さて、生まれてきた赤ちゃんはマリー。「どの赤ちゃんも、みんな、世界でいちばんきれいな赤ちゃんなんだよ」とパパはいうけれど、「赤くて、しわだらけ。かみの毛もないじゃないか」。それに「ぼくは、おむつをかえるのはきらいだ。くさいんだもの。おむつは、昼も夜も、かえなくちゃならない」なのに、両親は「ぼくと遊ぶひまは、ぜんぜんなくなっちゃた。(略)マリーはまるで自分だけがえらいみたいに、わがままばっかり。赤ちゃんのくせに!」と怒るダービト。「こんなマリーなら、ぼく、もういらないや」。 こんなダービトにママは「タービトもマリーもそれぞれ別なふうにすきなの」と言います。この物語、同じような状況の両親にとって、ハウツー本にもなりますね。 そのあとダービトがマリーをどう受け入れていくかをお教えすると意味がないので、カット。(ひこ・田中)
げきじょう48 1998/01/20
|
|