赤毛のアン

L・M・モンゴメリー 作

村岡花子 訳 鈴木義治 絵
講談社 1908/1973


           
         
         
         
         
         
         
         
    
 「男の子」一般がそうであるように、わたしもまた「少女小説」と無縁に大きくなった。そのせいだろう、相当に分別臭い年齢になってから、何度か『赤毛のアン』を読もうとした記憶がある。
六〇歳になるマシュウ・クスバートとその妹のマリラが、孤児院から男の子を引き取ろうと決心する。男の子なら何かと役に立つだろうと考えるからだ。いよいよ孤児がブライトリバー駅に到着する日、マシュウは馬車を駆り立ててグリンゲイブルズをあとにする。ところが、駅に着いてみると、男の子ではなく、やせて青ざめたそばかすだらけの赤毛の女の子が待っている。
いよいよこれから物語が始まろうとする冒頭近い個所である。わたしはここまでくると、いつも本を閉じてしまった。退屈したのだろうか。もしそういえば、全世界に散在するアンのファンに叱られるだろう。しかし、正直いってわたしは、その発端を読んだだけで、そこから始まる物語を、すべて読み切ったような気持になっていたのである。
マシュウはこの少女を引き取るだろう。文句はつけるが、マリラもこの少女を愛するようになるだろう。いろいろ事件が起こるとしても、アン・シャーリーというこの少女は、結局グリンゲイブルズの一員として幸せを手に入れるだろう。
これは、わたしの予測が的中するとかしないとかいうそんな問題ではない。この物語には最初から、誰にもわかる形でその大筋のところは用意されていたということである。読者は、赤毛の少女が、どんなふうにマシュウやマリラに受け入れられていくか、また、アボンリーの住民にどういう葛藤を経て理解されるようになるか。つまり、「終着駅」ではなく「車窓の風景」を満喫する用意をすればよかったのである。この物語が、いわゆる「家出冒険小説」ではなく、反対に「家入り努力小説」である以上、こうしたことは当然のことだったといえる。わたしがこの物語の冒頭で、何度か本を閉じたことは、たぶんそのあたりに理由があったのだろう。波瀾万丈の夢にふけりがちな「男の子」としては、「家」をとびだすことこそ冒険であれ、「家」にもぐりこもうとつとめることなど冒険とは思えなかったのだろう。加えてわたしは、この物語にあふれる善意に、いささか辟易していたのかもしれない。『赤毛のアン』には、ひとりの悪人も登場しない。悪人を用意するには、この物語の示すアボンリーの住民はあまりにも心やさしいのである。これは作者の経験からはぐくまれた人間観だろう。作者の生活 がそうした人びととの関わりから成り立つものだったのだろう。悲惨は存在しただろうが、それは作者の生活をおびやかすものではなかった。善意はすべてに先行し、その前に、いかなるよこしまな心も悔い改めるだろうという発想が、そこから生れる。この「良き時代」の意識は物語全体に漂っている。
この点、『赤毛のアン』同様、最後には「家庭にありつく」アストリッド・リンドグレーンの『さすらいの孤児ラスムス』(1956年)は、対照的である。第二次世界大戦後に書かれたこの「孤児物語」では、悪人や世間の偏見が大きな比重を占める。おなじ「家入り物語」であっても、そうした時代状況を抜きにして「戦後」の「孤児物語」は成立しなかったといえる。ルーシー・モード・モンゴメリーには、そうした「時代状況」の反映がない。
「あたし、おばさんに、ひどくやっかいをかけることになるんじゃないかしら?たぶん、孤児院に送りかえしたほうがいいかもしれないわ。それはおそろしいことで、あたしにはたえられないと思うんですけどね。」
アンは繰りかえし「孤児院」にもどりたくないという。しかし、作者はそういうアンを描きながら、アンの背後に実在する「孤児」の存在を描かなかった。薄幸の少女を牧歌的な世界に包みこむことにより、彼女は気づかずして大きい問題とすれ違ったような気がする。モンゴメリーの『赤毛のアン』には、不幸を夢見る作者の安定した姿勢がある。このオプティミズムは、この時期、「孤児物語」を書いた多くの作者たちに共通して内在していたのかもしれない。
もちろん、『赤毛のアン』を感傷的作品ときめつけるだけではフェアーでない。この作品がカナダではなくアメリカで出版された1908年(明治41年のことだ)、日本の子どもの本は感傷的も何も、このような少女像をさえ描きださない状況にあった。巌谷小波が『日本昔噺』の合本(改訂版)をだし、教育者や作家たちが「お伽噺」の功罪を論じていた時期である。子どもにいかなる価値観を教示するか、その表現は如何というふうに、子どもを「訓育の対象」としてのみ見る考え方が大勢を占めていた。アンにみられるように、ひとりの少女の内面の表現を通して、それなりに人間像を描きだそうという試みはなかった。小川未明が『赤毛のアン』出版の二年後、「赤い船」という作品で露子という少女を描いているが、それは少女を描いたというにはあまりにも抽象的な観念や美意識の化身である。作家たちは、童話という表現形式の中で人間を描くことを忘れ、子どもという衣裳をかりて「真善美」などいう硬化した理念を語らせていたことになる。そのことは、グリンゲイブルズのアンをそこに置いてみると、よくわかる。
 アン・シャーリーは「饒舌」である。この「饒舌」は逆境における少女の自己主張である。それと共に、じぶんの置かれた不幸な状況を打開しようという何ひとつ有効な手段を持たない子どもの武器でもある。アンは話し続けることによってじぶんの場を確保し、アボンリーの人びとに受け入れられていく。こうした「饒舌」の文学は、「寡黙」を「美徳」としたかつてのわが国でついに生まれなかった児童文学だろう。
今日、なおこの「孤児物語」が多くの読者を持つとすれば、それは読者である子どもが、過当競争社会の中でアンやラスムスのように「さまよっている」からだろう。対等の言葉をうばわれた子どもは、アンを通して、また、アンのような空想力と饒舌を通して、かろうじてじぶん本来の自由を保持するのかもしれない。
 考えてみれば、多くの大人もまた、押しつけられる諸規則と理解されない日常を生きる点で、時代の「孤児」なのだろう。(上野瞭)
V 世界児童文学 100選偕成社1979/12/15

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