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世界的に有名なインディアン画家フリッツ・ショルダーの赤い砂漠を馬で旅するインディアンのカバー絵とワシコングの挿絵、そして「さあ、はなしてきかそう。どのようにして世界がはじまったか、どのようにしてアンパオという子どもが生まれたか、そしてアンパオが、さまざまな生き物のなかで、さまざまな霊のなかで、どのような冒険をしたのか」というワシコングの言葉で、「別の世界に旅してみたいと思っている読者」はたちまち不思議な世界に引き込まれる。 著者のジュマーク・ハイウォーターは自らインディアンの血を引く作家で、情熱的にインディアン文化を広めると共に新しいインディアン芸術をも生み出している。本書は原題の副題にあるように「アメリカインディアンのオデュッセイア」で、インディアンの若者アンパオの冒険の旅である。 双子の弟のオパンアと旅するアンパオは、顔に不思議な傷があり父のことも母のことも覚えていない。アンパオはある村で美しい娘ココミケイスを好きになり求婚する。ココミケイスは、結婚するには太陽の許しをもらわなければならないと言う。アンパオは太陽の家を目指して旅立つ。 途中、反対のことばかり言うオパンアは月を怒らせて月に捕まる。アンパオはハクチョウの老婆の助けを借りて弟を救い出す。老婆はアンパオに世界の始まりのこととアンパオの出生のことを話して聞かせる。アンパオとは「夜明け」という意味で、アンパオは太陽と人間の恋人の間に生まれた子で、そのために太陽の妻の月が怒っているという。ここでアンパオは、自分の分身であったオパンアと一体となる。 自己を統合したアンパオはさらに太陽に向かって旅を続ける。世界の下の世界からバッファローを連れてきたり、ココミケイスと共に呪い師の生贄になったり、シカ女に出会ったり、智恵をつけ成長しながら砂漠の果てに辿り着く。太陽の家はその先にあった。太陽も月もアンパオが分からない。アンパオは怪鳥の攻撃から太陽の息子の明け星を救い、願い通り太陽に顔の傷を取ってもらう。銀河を通って地上に帰ったアンパオは豊かな大地に病と死と貪欲さがはびこるのを見て、世界の終わりを予知する。アンパオはココミケイスと結婚し、安全な水の中の湖の一族となる。 アンパオの自己探求の旅が本書のストーリーだが、この作品は主人公のアンパオだけが著者の創作であとはインディアンの神話伝説を再構築したものである。取り上げた個々の話はストーリーの流れによく沿ってアンパオの特異な世界を作り上げている。神話をつなげた作品といえば、老吟遊詩人を枠にギリシャ神話を再話したL・ガーフィールドとE・ブリッシェンの『金色の影』が思い出される。ギリシャ神話にしろインディアンの神話にしろ神話を今日的で身近なものに感じさせてくれるこの手法はとても効果的で、特にインディアンの物語を広く伝えたいというハイウォーターの狙いとはぴったり合っている。 それにしても、インディアンの物語世界はユニークだ。全霊なる「老人」が世界を創り上げる話、そして創造主たる「老人」は死んでしまう。雷鳴と稲妻を従え無数の目玉にとりまかれて月が立ちはだかる恐ろしい月の家、世界の下の世界に住んでいたバッファロー、愉快なコヨーテとへっぴり小僧、残酷なシカ女、しま顔の老婆、カメの背中にくっついてしまった若者。そこは太陽も月も人間も動物も同じ次元で存在する世界で、しかもその世界はインディアンにとって現実である。西欧の神話伝説に慣れた私の目にアンパオの世界は非常に新鮮に映った。 しかし素直に不思議な世界を楽しめたのはアンパオが太陽の家に着く第三章までで、第四章はそうはいかなかった。アンパオが明け星を守って怪鳥と戦う「海からの侵略」と題するこの章は、白人の侵入を扱っている。「山を走る火の舟」を走らせ、恐ろしい鉄の筒の武器を持って見るもの全てを自分のものにしたがる「長ナイフ」。そして「長ナイフ」が連れてきた「天然痘」。大地を覆うインディアンの泣き声。白人の侵入がもたらした災いのひどさと侵略に対するインディアンの怒りの激しさに圧倒される思いがした。だが、ハイウォーターも言っているように、世界は急速に変わりつつありインディアンやアボリジニーなど今まで見向きもされなかった民族の考え方をも尊重する動きが盛んである。 『アンパオ』の不思議な世界に多くの人が旅することを望みたい。(森恵子)
図書新聞 1988年10月15日
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