あの年の春は早くきた

C・ネストリンガー
上田真而子訳 岩波書店 1973/1984

           
         
         
         
         
         
         
     
 舞台はナチスの敗北濃厚な頃のウィーン。この物語の魅力はまず、語り手であるクリスティーネ(八歳)。祖母の家にいたとき、空襲警報が鳴る。けれど、ナチスのことを毒づく祖母が防空壕の中でそれを聞かれたら大変なことになると思って、耳が遠くて聞こえない彼女に教えなで一緒に家の中にいるんですねこの子は。またある時、敵機がやってくる。彼女は路上に突っ立っている。迫ってくる機体の中には茶色の帽子を被った飛行士が見える。飛行機は怖いが、茶色の帽子を被った人は怖くない。何故なら私は今まで、茶色の帽子を被った人に怖い目に合わされたことはないから、なんて考えているんです。これらのエピソードは、一人の子どもの思考回路を鮮やかに示しています。大人の常識なら防空壕へ避難すべきでしょうし、敵機が来たら何が何でも逃げたほうがいいのでしょうけど、彼女には彼女なりの筋があることがわかります。ここは押さえておくツボですね。もう一つの魅力はクリスティーネの視点から描かれる大人達の姿。空襲で家失った一家は、ソ連兵を恐れて逃げるお金持ちから、別荘の管理を頼まれ、 移り住む。お向かいさんも逃げ出す。彼女は姉たちとその家に侵入し、信じられないほど豪華で多量の食料を発見。自分たちは半分腐ったジャガイモしか口に出来なかったのに。持てるだけ持って戻るけれど、他人様のものだから叱られるかと心配。でも親たちは嬉々としてそれらを地下貯蔵庫に隠すのが実にリアルです。ドイツ兵が撤退したあと、軍の食料庫に住民が群がっていることを知った時には家族総出で同じ所行に及びますしね。作者はそれらを非難することも、かといって戦争の悲惨さの事例として取り上げるでもなく、ただただクリスティーネの目を通してそのまんま描いている。
 私の大好きなのは最後の二行。別荘を後にしウィーン市内へ戻ることになったとき、
「さあ、行くよ! もう一度しっかり見ておきな!」母が大声でいった。
 わたしはぎゅっと目をつむった。(ひこ・田中)
TRC児童書展示室だより2000/02/22