あおくんときいろちゃん

レオ・レオーニ

至光社


           
         
         
         
         
         
         
     
    
一ぺージ、まっ白い画面に、指先で色紙をちぎったような青が一つ置かれている。「あおくんです」の説明を読むと、その青がまるで命あるもののように見えてくるからふしぎです。
二ぺージ、青くんの家族の紹介。細長いのをママと見るか、太めの大きいのをママと見るか、それは読者にまかされる。子どもが自分の生活からきめればよいのです。
四ぺージ、青くんと黄色ちゃんが親しく何かを話し合っています。何を話しているのでしょう。
六ぺージ、右下の青くんはかくれているのかな、鬼なのかな。これも読者が自由に読みとればいいのです。
ここまでの説明でおわかリのように、この絵本は、抽象的な色そのものが主役なのです。ですから、この絵本の世界に人っていくには、受け身でなく、読者の強い働きかけが要求されますが、その壁をのリ越えると、豊かな世界が待ち受けていて、自由に想像をふくらませて楽しむことができます。
もう少し物語をたどリましょう。
ある日、青くんは黄色 ちゃんと遊びたくなってさそいに行くと、おうちはからっぽ。青いまるが画面の右上にあったリ、右下にあったりするだけなのに、「どこだろう」「ここかしら」ということばと一緒になって、探しまわっている青くんの動きが感じられます。しかも、まっ白だった画面かふいにまっ黒になったり、まっ赤になったり、不安と焦りの気もちがみごとに伝わってきます。町角を曲った所でやっと黄色ちゃんを見つけた青くん。画面はふたたびまっ白にもどります。二人はうれしくなってだきあいます。(といっても、青と黄がかさなるだけですが、その重なった部分が緑になる)。すっかリ緑になった二人(といっても一つのまるです) 。
ここのところは、青年が読めば その人なりの「愛」が、大人が読めばまたその人なりに、いろいろな感情をこめて読むことができるでしょう。もちろん子どもは子どもなリに感じとります。
青が黄色に重なれば緑になるのはあたリまえだと言ってしまえばそれまでで、そんな「科学的」な受けとめしかできない人は、この絵本の世界とは縁のない人です。
青くんの家からも、黄色ちゃんの家からも、「緑の子などうちの子じゃない」と言われて、二人は泣き出してしまいます。この場面も、豊かに読める所です。緑になった二人からこぼれる涙は、青と黄色。自由に想像してみましょう。
まだ物語は続くのですが、それは、ぜひ、絵本で味わってください。 (新開惟展)
解放新聞1978/09/04