アルメニアの少女

デーヴィッド・ケルディアン=作
越智道雄=訳 評論社 1990

           
         
         
         
         
         
         
     
 あのヒットラーは、ユダヤ人大虐殺の命令を下した一九三九年、「今日だれがあのアルメニア人皆殺しを覚えているだろうか?」と述べたという。悲惨な歴史も後世になればすぐ忘れ去られてしまうと考えていたヒットラーの強弁に対して、トルコにアルメニア人大虐殺があったという歴史的事実を、その時代を体験した一人の少女の証言として出版されたのが本書である.
『アルメニアの少女』の著者、デーヴィッド・ケルディアンはカリフォルニア州フレズノの在住で、その母ヴェロンから、トルコでの国外追放の体験談を聞き、母親にかわってその貴重で痛ましい日々を、出きるだけ感情を抑え、事実の記述を重ねた。
 一九〇七年に生まれ、豊かな家族の中でのびのびと育っていったヴェロンにとって、突然の国外追放命令は八歳のときであった。トルコ軍の憲兵監視のもとで、シリアに追われる道中で,次々と人々が死んでいく。ヴェロンの家族もコレラのために死に、父親は事故であっけなく死ぬ。逃亡中に休戦となり、一度はふるさとの祖母のもとに帰りつくが、再び追放となり、負傷、ギリシャへの脱出など翻弄されつづけ、十七歳で出会ったことのない青年と婚約しアメリカに渡るまでが語られている。
 原著がアメリカで出版された一九七九年には、本人の体験談『生延びたひともいた――アルメニアの少年の物語』も出版されており、五十年の歳月を経て、原体験を風化させないでおこうとする動きの出ていることがわかる。多くの日本の青少年に読まれるためにも、もう少し内容のわかる邦題であったらと惜しまれる。(三宅興子
産経新聞 1990年3月24日
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