絵の中のぼくの村

田島征三:文・絵
くもん出版 1992

           
         
         
         
         
         
         
     
『絵の中のぼくの村』は、雑誌『本の海』(季刊)に連載されたものに、加筆及び一部追加
されたもの。11の短編からなり、「日本が戦争に負けた年」と言う書き出しで始まる。
 作者は、7歳から4年間高知県の芳原村(現・春野町)で活躍した。現在では開発が進み、もうその村は思い出と絵の中にしか残っていない。

サネカズラのからまる屋敷
 私の故郷は愛媛県なので、場所が同じ四国ということで懐かしく思いながら11編を一気に読んだ。沢山の植物や動物の名前が出るたびに、自分の遊んだ周りにも同じような景色があったなあと、幼き日を思い起こした。
 高知の落ち着き先は「タシマのジンマ」と呼ばれているケチで偏屈で一生を独身で通した男の所だった。彼は家族6人を養子に取り農地改革を少しでも免れようと試みた。だが布告後の養子縁組に土地は残されず、食いぶちが多くなったというリスクをしょわされた。
 ずるい父親はすぐに他の町に下宿したため、ジンマの怒りは母子に向けられ、新しい土地で辛い暮らしが始まってゆく。

穴の中にいる魚  魚に敗北した日
 機械相手でなく自然を相手に、ありったけの知恵と体力を使いながら遊び、魚等を捕まえる苦心と喜び、1匹も釣れなかった敗北感が書かれている。ここにある遊びも自然も、今ではもう本でしか経験できず貴重である。随所のユニークな挿し絵が、一層情景を引き立てている。
 今ではメダカは幻の魚と化しつつあり、それらの泳ぐ小川は見あたらない。オタマジャクシをすくう子どもも、泥んこになって遊ぶ場所もない。塾通いの子らは、時間に追われ空き時間にゲームに夢中になっている。
 私も子どもの頃、作者と同じように時間を忘れ、、真っ黒になりながら走り回った。自然と向き合って一心に遊んだあの時間は、貴重な宝だったと思えてきた。

病気と怪我
 鯨のモツにあたったことが書かれていた。なるほど、高知は鯨の泳ぐ姿をわざわざ見に行くほど有名な所であり、内臓が腐りやすいものでもあるので、妙に納得した。せっかく近所の親切な人が持ってきてくれた桜の根の煎じ汁は悪化に追い打ちをかけ、少しぐらいでは病院へ行かないあの時代の嘔吐と下痢は、とても辛かったろうと察しがつく。
 私の家でも熱が出ると、家族は、母の作った湿布を胸に貼ってもらったり、首にお酒の湿布をしたりした。お母さんは大変だったろうと思いつつ、子どもの頃が懐かしく甦った。

ズック靴投げこみ事件
 秋の運動会といえば、秋の実りを盛り込んだ弁当を、応援に来た家族と運動場で一緒に食べる嬉しさ、総立ちで大人も子どもも、手も喉も痛くなるほど応援したレースを思い出す。
 広田校長によって演出されたレースは、学年でとびきり足の速い子のアンカーと、学年で一番足の遅い征彦(作者の双子の兄)のアンカーの競争だった。征彦達のグループがトラックの半周は引き離していた距離を、ゴール寸前で追い越され、ヒーローは褒めたたえられた。
 抜かれた征彦は同チームからなじられ、泣きながらみんなの履物を田んぼへ投げ込んでしまった事件。
 私達も知らないうちに熱気に飲み込まれ、負けて傷つく側を気遣うことを忘れていたりする。そこに教師の役目があるにもかかわらず、母親の抗議を逆手に取る広田校長の傲慢さ。いつの世も教師と言われる人は謙虚で、子どもの心に細心の注意を払う言動や行動を期待されているし、そうあるべきだ。

死なない夜の鳥
 最初罠にかけたヒヨドリを手にした時のことが「鳥はまだ温かく、ぼく自身の手で殺したはじめての温血動物の死。………一晩中、暴れ苦しんでいた鳥のことを考えていた」とある。
 人間が食べる為に生き物を殺すことを、今の私達は子ども達に直接身をもって教える機会がない。魚は切り身で全体像を知らず、肉もさばかれたものが売られている。動物達の痛みを感じることなく私達が食事のできることは、果たして幸せなことなのだろうか。考えさせられた。

母のこと
 「母は常に毅然としていた」とある。味わい深い場面をあげてみると………。
 一緒に風呂に入っていた母親が自分の股の間を指しながら「セイちゃん、この穴からオシッコが出て、この穴からウンコが出るのよ。真中にある穴があなたたちが出てきたところなのよ。だから女は男よりひとつ穴が多いの」と身をもっての性教育。私には言えなかった。
 作者の母親が、自分の子供の図面を受け持ったとき、2人(征彦・征三)の絵を他の生徒の前で褒めあげ、郡部の美術展に学校代表として出品したこと。父兄はえこひいきだと非難したが「本当にいいものを評価することがなぜえこひいきか」と言えたお母さん。この母の毅然とした態度が、2人の絵の才能の礎に影響を与えたことは確かだ。母親として子どもの教育への強い信念を見た思いがした。
 ここで使われているハヤトウリの絡まる中に顔の描かれた挿し絵は、『絵の中のぼくの村』の表紙にもなっている。この顔は美しいし、目の辺りに意志の強さも伺える。少年の心に写ったお母さんなのだろう。

アカチンポ
 ここでは身体と心が大人への道を歩み始め、戸惑う心理が書かれている。小学校の3年生の夏、フリチンで昼寝から覚めたとき、お互いのチンチンがピンと伸びていた。それを治めようと庭の植物に学び、お日さまにあててみた。試みは失敗したが、自然といつも向き合っているから出た発想がなんとも微笑ましい。
 「男の身体には、植物と正反対の性質を持った個所があることを見つけた」とある。
 確かに人間は、鳥の飛ぶのを見て飛行機を考え、りんごの落ちるのを見て引力を発見したように、自然に学ぶことが多い。

ぼくたちの犯罪  癒えない傷
 「ぼくは幼い日々、子どもだからという免罪の範中に納まることの出来ない罪を犯しながら暮らしていたように思う」とある。
 おもしろ半分でしたいたずらが、どんなに他人を困らせるかまでは考えが及ばない。大なり小なり誰にでもある、若き日のいたずらに思いを馳せながら、胸に痛みを感じつつ読んだ。
 「チョウセン!チョウセン!」馬鹿にして叫ぶ声。日本中でどんなに朝鮮の人々を傷付けたことだろう。たとえ傷つけると知らなかったとしても。民族差別だけでなく差別について、心の傷を負わし負わさない為に学ぶ姿勢がいつも必要ではないだろうか。それは、子どもたちの為に特に大人が考えなければならない問題である。

川底の青い国
 表紙と裏表紙を開けると、同じ村の地図が書かれている。その地図をみながら、バタバタ泳ぎで溺れかけたのはこの辺りかと、なぞった指を止めた。水の恐さを頭の片隅において読み進めてほしい。
 助かりほっと安心し「せき込みながら笑いころげた」河原での2人の会話が、笑顔と共に聞こえてきそうだ。
 11編を読み終え半世紀も昔の自分の幼き日が掘り起こされ、懐かしさに何度も読み返した。その度に鮮度がまし、山の様子や川の様子が自分の故郷に重なり、違和感なくタイムスリップすることができた。
 ここに書かれた沢山の植物・動物、あらゆる生物の名に懐かしさを感じた。万両・オモト・南天等は家にあり知っていると思うが、自然の中で遊ばない子らには、ここに出てくる木・魚・鳥等の名前を知らないほうが多いのでは無いだろうか。だからこそ、本の中の貴重な自然の体験を、ぜひ読んでほしい。そして自然の大切さ、すばらしさを感じとって欲しい。(小泉和子) 
テキストファイル化中島京子