石井桃子集

石井桃子
岩波書店 1998-1999

           
         
         
         
         
         
         
         
    
 昨年九月から始まった「石井桃子集」(岩波書店)の刊行がこの三月で完結した。四六判で三〇〇頁ほどのそれらの本は、水色の布表紙が深沢紅子装画の函によく合って、とても美しい。けれど、いざ全七巻を取りそろえて書架に並べてみると、それはあまりにもこじんまりとしていて、何やら違和感をおぼえずにはいられない。あの石井桃子の長年の仕事がたったこれだけなのか、そんなはずはない、という違和感である。
 以前私は、石井さんの全仕事を紹介する展示を担当した経験がある。一九八四年五月に、大阪国際児童文学館の開館を記念して行った「はばたけ児童文学−−石井桃子の世界から」という展示である。そのときにも思ったことだが、石井さんの仕事をまとめて人に紹介するのは本当にむずかしい。個人の仕事としては種類も量も並はずれて多い上に、それらが互いにからみあい、しかもそのどれもの果たした役割がそれぞれに大きいため、どれか一つを中心にまとめるということができないからである。
 まず『ノンちゃん雲に乗る』『幼ものがたり』『三月ひなのつき』などで知られる作家としての仕事がある。次に『クマのプーさん』『ピーターラビットのおはなし』『ムギと王さま』『ちいさいおうち』など、たくさんの物語や絵本を美しい日本語で紹介した翻訳家としての仕事。そして戦前は新潮社、戦後は岩波書店における編集の仕事。特に「岩波少年文庫」を創刊させ、軌道にのせた功績は大きい。また、瀬田貞二や松居直らと共同で行った児童文学の理論研究の仕事。その成果である共著書『子どもと文学』は、日本の童話の評価に英米の批評理論を応用して、一九六〇年代の児童文学界に衝撃を与えた。さらには、すぐれた子どもの本と子ども読者をむすぶ読書運動家としての仕事。驚くことに、石井さんは忙しい執筆の合間をぬって自宅に「かつら文庫」を開設、地域の子どもたちに手ずから読書の楽しさを伝授するという、まさに草の根の実践家でもあった。
 こうして見てもわかるように、石井さんの子どもの読書へのかかわり方は実にまっすぐなものである。物語を作ることと訳すこと、それを本にして流通させること、そうして世に出た本を子どもに手わたすこと、また、その本の価値を評価すること。まるであたりまえのように、石井さんはこれらの過程のすべてにごく自然にかかわって行ったのだ。当時日本の児童文学界がまだ未分化の状況だったせいもあろうが、何よりも、子どもが、社会が、すぐれた子どもの本を切実に求めているという確かな実感が、石井さんをつき動かしていたのではないかと思う。
 日本女子大の英文科に学んだ石井さんは、早くから英米の児童文学に親しみ、戦後は精力的に欧米の児童図書館を歴訪、各地の第一線で活躍する作家、画家、研究者、図書館員と次々に親交をむすんだ。その意味では、翻訳はもちろん、文庫活動も理論研究も、また創作活動も、石井さんの仕事の大半は英米の児童文学情況からヒントを得たものといってよい。その当時、日本の児童出版界はいわゆる「少年少女世界名作全集」的大型企画でにぎわっていたが、石井さんがめざしたのはそれら前世紀の「名作」ではない、より新しい時代の物語であった。そこには、民主的で豊かな社会と愛情深い両親に守られてのびのびと暮らす、個性的だが、ごく普通の子どもの姿があった。
 それから数十年を経た今日、日本でも英米でも、子どもの本にそのような子どもを描くことはますますむずかしくなりつつある。さらに、子どもに読書の喜びを伝えることはもっと困難になりつつある。そういう時代だからこそ、戦後の児童文学界の土台づくりに大きな役割を果たした石井さんの仕事は、今一度検証し直す必要がある。
 今回この著作集によって初めて石井さんのエッセイをまとめて読んだ。初期のエッセイの中に、「子どもたちといっしょに本を読んで、人生と日本語の勉強をしたい」という一文をみつけた。同じ子どもの本の世界に身を置く者として、肝に銘じておきたいと思う。(横川寿美子
読書人1999/07