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「話せない」痛みと優しさ… 学校に転校生がやってくる。それは子どもたちにとって一つの事件だ。ましてやその転校生が外国人だったら? 好奇心はさらに拡大するのだろう。 そんな視線に耐えて、教室にポツンと座るのが本書の主人公、小学三年生の「ジュリアナ」ちゃんだ。ポルトガルからやってきたばかりで、何一つ日本語がわからない。そして「晴也」もまた、主人公といっていいだろう。彼は、「場面性緘黙(かんもく)」という病をかかえ、家では話せるのに、学校ではまるきりだんまりやさんになってしまうのだ。 この二人が机を並べることになる。担任は関西弁で元気に話す、どこか呑気(のんき)な若い「美幸」先生だ。晴也は実は、美幸先生の呑気ぶりに救われている。「話したなったら、話し。」、それが先生のスタンスなのだ。 口にはだせなくても、心ではさまざまにお喋りする晴也。ポルトガル語でさえ一切話さないジュリアナに、晴也の心のセリフがやさしく接していく。学校で、話すというコミュニケーションのとれないことの痛みを知る分、余計にジュリアナが気になるのだ。 気候、洋服、食生活、給食、あらゆるものがすべて異質な空間に送り込まれることの意味を、ジュリアナの学校生活が伝えてくる。片や晴也の、話せなくなったきっかけともいえる、友だちとの間に起こったことについても物語は触れ、晴也の両親の離婚、祖母と母親と姉との暮らしぶりも描かれる。 ジュリアナが晴也の祖母の温かみに出会う場面では、子どもにとって、親でも先生でもない、もう一つ上の世代が時として必要だということに気づかされる。どの場面にも、現実社会が反映され、ノンフィクションを読むようだ。「はきはき話す元気な子を大人は求めがち」という著者の警告が、本文に自然体で生きている。(木坂涼) |
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