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脇田和と言えば、新制作派協会結成以来の長老、日本を代表する画家です。1908年生まれと言いますから、今年93歳になりますが、まだまだ元気で、夏には子どもたちとのワークショップを楽しんでいると言います。そんな脇田の絵本と言えば、『おだんごぱん」。1966年刊行以来のロングセラーです。物語はロシア民話。貧しいおじいさんとおばあさんが小麦粉の箱をゴシゴシ掻いて、箱にこびりついている粉をかき集めて焼いたおだんごぱん。でも、おだんごぱんは食べられるのがいやでコロコロコロコロ逃げ出します。脇田は、このユーモラスなお話をおっとりとした筆使いとやわらかい色調で描いています。粉箱をごしごし掻かなければパンも焼けないほど貧しい暮らしの中でも呑気でおおらかなおじいさんとおばあさんも、そんなふたりから逃げ出して、コロコロと調子のいいぷっくり顔のおだんごぱんも、ちゃっかりもののおだんごぱんをまんまと騙して平らげてにんまり大満足顔のきつねも、これ以上のイメージはないと思われる脇田の『おだんごぱん』です。 脇田は東京に生まれ、1922年から30年、14歳から22歳までをヨーロッパで過ごし、べルリン国立美術大学を卒業して帰国しました。1920年代のヨーロッパと言えば、19世紀の終わりフランスに印象派が産声を上げたあと、フォーヴィズム、キュビズム・表現主義、未来派、構成主義等々、新しい美術運動や芸術思潮が一気に登場した時代です。その空気の中で、脇田は最も多感な8年問を過ごしました。何事にも縛られない、柔軟で独自の制作姿勢の背景が伺われます。帰国後、猪熊弦一郎たちと新制作派協会を結成、文字通り日本の新しい美術の潮流を作り上げました。 そんな脇田の絵本との出会いは、ちょうど新制作派協会結成間もない頃の1937年、絵雑誌「コドモノクニ」の仕事です。面白いことに、同号でグラフィックデザイナーの亀倉雄策もはじめて登場しています。洋画、日本画、デザイン等で活躍する人たちが、子どもの本に大きく関わった時代でした。 さて現在、軽井沢に30年前から画家が愛用している閑静なアトリエの敷地に脇田和美術館があります。館内には、脇田の初期から最近までの作品が展示されています。で、そこにはどこかすました顔でコロコロころがっていくおだんごぱんを思わせる少し横長の丸顔をした子どもの肖像画が飾ってあって、一層楽しい気分になります。モダン建築の美術館の中、真っ白な壁に整然と飾られた絵は、まぎれもない私たちが日頃「ぼくは、てんかのおだんごぱん」と歌うように読んでいる絵本に通じるおおらかでやさしい脇田和の世界です。(竹迫祐子) 徳間書店子どもの本だより2001.03/04 テキストファイル化富田真珠子 |
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