おじいちゃんは荷車にのって

グードルン・パウゼバンク作
遠山明子訳/徳間書店

           
         
         
         
         
         
         
     
「もうたくさじゃよ」っと言って、ある朝おじいちゃんは、山へ連れていってくれるよう頼みます。孫のペピ−トは請われるままおじいちゃんを荷車に乗せて、山の切り立った崖へ向かいます。
 老いはある日突然ではなく徐々にやって来ます。誰も抗しきれるものではありません。長い間の精神的な辛さを乗り越えて両親のいない孫を一人で育ててきたのでしょう。けれど、もうこれ以上はというぎりぎりのところに、おじいちゃんの肉体も精神もきてしまったのです。おじいちゃんが山を目指した目的は、そこで自分の人生を終わりにしたいと願ったからなのでしょう。けれどおじいちゃんは終わりにできませんでした、それどころか嬉々として来た道を帰ってきたのです。
 老いるということは、すべての機能の衰えと共に、自分の将来を描けず夢を抱けず、自分の生さえ重荷になることなのでしょうか。そして唯一の希望が死なのでしょうか。私は、民話の採集に行くようになって、高齢の方が「お迎えを待っています」と、言うのを聞く度に返す言葉もなく、悲しさだけが募っていました。けれど、私が出会った人たちの言い方は、とてもあっけらかんとしていました。今になって、考えてみるとそれは、自分の命を十分に生き、家族にも大事にされていて満足していたからこそ、あんなに明るく言えたのだと思えるのです。おいおいやってくる死が、幸福であるよう願うことが、ある意味では今の生き甲斐となっていたかもしれません。死を忌み嫌うものとしてではなく、恵みとして受け止めているのでしょう。死があるから今日を生きられる、人生を十分に生きた人に与えられる死は最後の希望かもしれません。
 この物語のおじいちゃんにとっては、自分の老いは絶望でしかありませんでした。絶望の果てに死を望んだのです。けれど、孫や村人とのさりげない交流を通して、次第次第に心は死から遠ざかっていきました。生を終わりにするのは、もったいないと思うほど、自分のうちに自信がよみがえってきたのです。村の善良で素朴な人たちは、特別な言葉で同情したり励ましたりはしません。
 山道を上り始めてすぐ出会った若い先生は、「なにもかもやりつくした」と、すてばちなおじいちゃんに、「まだ知らないことがおありです。字が書けたり読めたりしたら…」と、それとなく読み書き教室に来るよう勧めてみます。もちろんおじちゃんは何の関心も示しませんが。それからも道でいろんな人と出会います。だれも、おじいちゃんがどんなに体が辛いか訴えても、その話には乗りません。おじいちゃんの気質を知り抜いているからこそ、反対に、尊敬し信頼する長老にいつも通り自分の相談ごとを持ちかけるのです。
 村のおかみさんは、チ−ズの味を良くするためのアドバイスを求め、ギタ−の名手は音が悪いので見てくれるよう頼みます。若い母親は子どもの病気を、親から交際を反対されて途方に暮れる恋人は二人の今後を相談します。また、農夫は昼からの天気予報を占ってもらうという具合に。
 おじいちゃんの長い人生経験からの“年寄りの知恵”に、だれも納得です。山からの帰りに、お礼のプレゼントを渡したいと言うのですが、「もう戻ってはこんのじゃ」と、怒ったように返事を返します。けれど、内心では、自分もまだまだ捨てたものではないと、ほくそ笑んでいたかもしれません。
 生きる意欲を取り戻した決定的なことの一つは、孫のペピ−トの存在でした。ペピ−トはじめから、おじいちゃんに言われるまま、だまって荷車を引いています。痩せた体できつい坂道も文句も言わずひたすら登ります。大好きなおじいちゃんが何を考えているか幼くてもわかっているのです。ペピ−トは、疲れて休む度に、地面に一字一字文字を書きます。孫のペピ−トがおじいちゃんを引き止めるために自分にできる、精一杯のことだったのでしょう。初めに休んだところで「ア」次に「ウ」というように書いていきます。その文字を、おじいちゃんは関心なさそうに見えて、ちらちら盗み見していたのです。ペピ−トがついに「ア、ウ、リ、オ」と、おじいちゃんの名前を書くと、声に出して読んでみるのでした。「すごいや、字がよめるようになったんだね」と、孫に誉められ満更でもありません。大きな岩場では、ヤギ飼いと出会います。ヤギ飼いに一緒にと、誘われると昔よく歌った歌まで歌い出すのでした。頂上を目の前にして、おじいちゃんは荷車から降ろしてもらいます。本当にこれでいいのかと自分に向けて問い直しをしたかったのかもしれません。
「この世には未練もなく、もう知りたいこともしてみたいこともないはずだったのに、この年で自分の名前の文字を読む心地よさはなんだろうか? 老いさらばえた体の辛さを、だれ一人として問題にしないどころか、もう用無しと思っていた自分に人は教えを乞うてくる、これはどうしたことだろうか? もしかしたら、自分もまだまだ捨てたもんじゃないかもしれない…」と。
 それから、ぽかぽかと気持ちいいお日さまの下で二人は寄り添って昼寝を楽しみます。二人は、どんな夢を見たでしょうか。それぞれに幸せな夢を見ていたのは絵を見れば一目瞭然です。おじいちゃんは目覚めた時、山へとあんなに急いでいたわけさえ忘れるほどでした。反対に「いこうよ、おじいちゃん」とペピ−トに促されるほどでした。再び荷車に乗ると、朝出会った先生が生徒を連れて遠足に来ているのに出会います。子ども達にも荷車を押してもらって頂上に着くと、目の前には崖が大きな口を開けています。そのはるか先にはなつかしい、村の景色が広がっています。村にはおじいちゃんとペピ−トの家もあるのでしょう。怖いもの見たさで、寝転がったりしゃがんだりして崖下を覗く子ども、はるかかなたを見ているおじいちゃん。絵の中のおじいちゃんの表情からは、「ここまできてしまったがさてどうしたものか」と、決断しかねている様が読み取れます。先生たちが帰り、二人きりになると、荷車から身を乗り出して杖で自分の名前を書いてみます。「これで思い残すことはない」と言うおじいちゃんに向かって、ペピ−トは、はじめて朝からずっと言いたかったことを言葉にして泣きま す。「おじいちゃんといっしょじゃなきゃいやだ」と。
 もちろん最愛の孫の涙を見て、非情になれる筈がありません。おじいちゃんの朝からの決意はスーツと崩れていきます。孫はおじいちゃんを必要としています。村人の相談にも乗ってやらなくてはねりません。その上、自分の名前を書けるようにもなったのです。この先まだまだ面白いことが起こりそうな予感に、おじいさんの心は小躍りしそうになっていたのです。朝からのマイナス思考から夕方にはプラス思考に変わって、一気に坂道を下って帰っていくのでした。
 作者は言います、「生きるということは、どういうことでしょうか。年をとるということは、どういうことでしょう。そんなことを考えてもらいたくて、この話を書きました。年をとるなんて、まだまだ先のことと思う人もいるかもしれません。でも、年をとった時のことを考えるに、早過ぎることはありません。まだ子どもであるみなさんだって、いつか年をとります。そして、今なんでもなくできることができなくなるかもしれません。そんな時、この話を思い出してほしいのです」と。
 この物語を読んだ、子どもは老いをどのように捕らえたでしょうか。自分のこととして考えてみた子どもはごく少数ではないでしょうか。自分も老いるとはとても子どもには想像もつかないことなのですから。おじいちゃんの嘆きを受け入れつつも、老いを否定的に捕らえず肯定的に捕らえたことでしょう。いままで遠かった老人との距離が縮まったかもしれません。今まで知らなかった老人の内にある悲しみを感じとれる優しさが生まれたかもしれません。作者の問いかけに十分に応えられなくとも、子どもなりに感じることはいっぱいあったでしょう。社会の現実から生み出されるさまざまな問題をテ−マにした、作品を多く書いている作者が、老いを肯定的にほのぼのと描いています。少し甘えたい気持ちもあって、老いの辛さ惨めさを訴えたかったのでしょうが、ところが出会う人は、老いぼれとは思っていませんでした。そのギャップがユ−モアとなって、重い問題を明るくしています。また、作者の偏見のないまっすぐで暖かいな目は、老人のいこじなところと、すばらしさをみごとに対比させています。
 いき詰まった時は、救いの手が用意されていて、老いたりといえども生きていれば、このおじいちゃんのように「ヤッホ−」と叫びだしたくなるようなことにも巡り合える。
「年を取るのも悪くない」と、思えるような社会になって欲しいものです。 (植田 祥
「たんぽぽ」16号1999/05/01