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読み終わって、ドイツ占領軍によるユダヤ人迫害の凄さにしばし茫然とした。ゲットーに閉じ込められたウクライナのユダヤ人たちを待っていたのは、ヒトラーのユダヤ人撲滅作戦による死だった。人間の尊厳をことごとく奪われ、大量殺人が二度も行われるなかで、パルチザンの助けによってゲットーは蜂起し全滅する。 ナチによるユダヤ人迫害を扱った作品は、V.E.フランクルの『夜と霧』や『アンネ・フランク』の写真集など数多くあるが、ソビエト文学では本書が初めてである。本書には今迄ほとんどタブーとされてきた事実、ソ連におけるユダヤ人の二十世紀前半の歴史が語られている。 この作品は十年前ユダヤ人作家のルィバコフが発表したのだが、最初は二流文芸誌にしか掲載してもらえなかった。しかし、たちまち大反響をよび世界二十数カ国語に翻訳された。ペレストロイカが行われ少数民族の民族意識や要求が高まっている現在ならいざ知らず、十年前に勇気をもってこの作品を発表したルィバコフのユダヤ民族を思う気持ちには計り知れないものが感じられるが、彼は迫害の悲惨さを直接訴えることはしていない。 本書は、ヤコヴとラヒリの夫婦を中心とする家族の物語として描かれている。ヤコヴとラヒリの出会い、結婚、ウクライナの町に腰を落ち着けての生活、七人の子供と孫、そして戦争と死。この家族の年代記を、二人の次男のボリスが昔を思い起こす形で淡々と語っていく。 ヤコヴはスイス生れで、父はユダヤ人で医学教授、母はドイツ人である。ラヒリはユダヤ人の靴職人の娘。ブロンドの美青年のヤコヴと黒髪の美少女ラヒリは、ヤコヴの父の故郷のウクライナの町で出会いお互いにひと目惚れする。二人はヤコヴの母の反対を押し切って結婚する。言葉の問題からスイスで暮らすのを拒否したラヒリのために、ヤコヴは医者への道を捨ててウクライナの町に腰を落ち着ける。手に職のないヤコヴは、義父ラフレンコの靴工場で働かせてもらったりして生計を立てていく。 気が強く現実派のラヒリともの静かで繊細で夢想家のヤコヴとは天と地ほど違っているように思えるが、二人の愛情がこの隔たりを消し去った。 ラヒリと画家の恋愛事件、ヤコヴが「異分子」として逮捕された事件、長男夫婦の死など様々な家族の歴史を経て、二人は結婚三十年を祝う。お祝いは子供たちが計画し、町の人々も加わって盛大に行われた。義父母もまだまだ元気で、この日は家族にとって最高の日だった。 その二年後、第二次世界大戦が始まった。この戦争で生き残ったのは、町を離れていた次男、三男、長女の三人と、ゲットーから奇跡的に脱出した長男の養女だけである。町のユダヤ人は全員ゲットーに入れられた。ユダヤ人が虫けらのように殺されていくなかで、ヤコヴとラヒリの愛は民族のための愛へと変わっていく。 ヤコヴは無実の人々が殺されるのを見ているのは耐えられないと、パルチザンの機関庫襲撃に手をかしたことを白状し殺される。パルチザンの活動に関わって父、末息子、次女、孫、夫が次々に殺されていくのに耐えたラヒリは、ゲットー蜂起の際、民族の母となって人々を戦いへと誇り高い死へと導いた。ラヒリの死は伝説となっている。 「この作品を〈愛についてのロマン〉と受けとめてもらいたい」というルィバコフの言葉のように、本書はヤコヴとラヒリの愛に代表されるような様々な愛の物語ととれるかもしれない。しかし、二人の愛も最後には民族のための愛に変化していったし、ヤコヴとラヒリという名前も旧約聖書のユダヤ人の父祖ヤコブとラケルから採ったことを考えれば、やはり本書のテ−マはユダヤ人の迫害を明らかにすることにあるのではないだろうか。特に、結婚三十年をみんなの祝福のうちに祝った幸福な一家が戦争で悲惨な運命をたどることになる筋の暗転は、読者に迫害のひどさを強く印象づける。ボリスの淡々とした語り口も効果的である。 ヤコヴとラヒリについてばかり述べてきたが、物語にはラヒリの父ラフレンコや語り手であるボリスの生涯も語られ、本書は一族三代の年代記ともなっている。そしてこの年代記は戦争に焦点が合っていて、三代それぞれの人物が戦争に重要な役割を果たしているのである。 まがったことが大嫌いで豪快な大人物ラフレンコ老人は、ゲットーのために武器を入手していたのがばれて死ぬが、長男は私利私欲のためにドイツ軍に協力し、ゲットーを支配するユダヤ人代表会議議長になった。また三男は、ゲットーを蜂起させたパルチザンで指導的役割を果たした。軍隊にいたボリスは、戦後、ゲットーの様子や家族の最期をつぶさに調べて語っている。 表題の「重い砂」とはウクライナの町の砂を指しているが、この町に生きた人々の象徴であろう。つらい時代を精一杯生きたこの町の人々の物語として、本書は歴史小説としても優れた作品である。(森恵子)
図書新聞 1988年4月23日
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