大型トラックにのって

ジャン・マーク

岡本浜江訳 大日本図書


           
         
         
         
         
         
         
     
 現在イギリスで最も活躍している女流児童文学家のひとりジャン・マークの作品が邦訳された。彼女の作品は、その年の優れた児童文学作品に贈られるイギリスで最も権威ある賞とされているカーネギー賞を、一九七六年に処女作で、さらに一九八三年に別の作品で再び受賞し、そのうえ一九八○年にも同賞の次点作に選ばれた。今回わが国に紹介されたこの作品も一九八六年の同賞次点作として推薦されたもので、なかなか読みごたえのある作品である。
といっても、彼女の作風の特徴といえるのかもしれないが、この作品においても取り立てて大きな事件や衝撃的なな出来事は起こらない。むしろ主人公らのごく日常的な生活や言動が淡々と、しかも詳細に描写される中に、読者はロンドンの街の様子や、イギリス庶民の生活を垣間見たり、あるいは巧みに描き出される登場人物の心理の変化を探ったりすることを楽しみとする種類の本である。
主人公である中学生の少女エミーは、二年余り前に実父を亡くし、母親が再婚したために、半年前から継父と暮らしているが、継父とはなかなかしっくりいかない。特にけんかをしたり、反抗したりするわけではないが、継父を何と呼んだらいいのかわからないし、二人だけでいると間が持てない。そんなある時、祖父が入院して緊急手術を受けることになり、母は二歳の妹を連れて祖父の様子を見に行ってしまう。残されたエミーと継父は、二日間ぎこちない間柄ながらも二人でどうにか留守を守った後、三日目に長距離トラックの運転手である継父の仕事にエミーもつき合って、二人で「大型トラックにのって」旅に出る。おむつにまでアイロンをかけるほど几帳面で清潔好きな母親に神経質に育てられたエミ -には、うす汚い簡易食堂で食事をしたり、寝袋にくるまって車内で寝たり、公衆便所で顔洗ったり、というようなことはもちろん想像を絶する経験であった。しかしこのような貴重な体験を通してエミーは成長し、また継父との心の交流も始まる。
先ほど述べたとおり、この物語のプロットには特別に大きな山はない。しかし強いて言うならば、物語の終盤で、トラックが故障したために、小心で臆病なエミーが勇気を出して一人で汽車に乗って、この旅の目的であった自分の名前のついた紡績工場を見にいく場面であろう。それまでに事故が起きたらどうしよう、エンジンが爆発したらどうしよう、などと取り越し苦労ばかりしていた心配性のエミーは、トラックの窓から知らない人に道をたずねることすら恐くてできない。そんなこわがりやのエミーを継父は励まし、自分を信頼し、勇気を出して一人で行動することの大切さを熱心に説く。またその説得の過程で、今までロにこそ出さなかったが、継父はずっとエミ- を愛し心配してきことをエミーは図らずも知る。継父の熱意と優しさに心を動かされ、彼の自分に対する愛情と信頼を感じたエミーは、勇気をふるいおこして一人で汽車に乗る。汽車の中では、他人恐怖症であったエミーの予想に反して、乗り合わせた乗客はみんな親切で、おかげでエミーという名の工場の写真も撮ることができた。またこの汽車の中でエミーは、今まで他人に対して「義理のお父さん」としか表現できなかった継父のことを初めて「お父さん」と呼んだ。
物語はこの後、エミーは一人で見知らぬ土地に行けたことで自信をつけ、ひとまわり大きく成長したことを示唆して終わる。エミーが継父に面と向かって「お父さん」と呼び、二人が抱き合うというような劇的なシーンはない。しかし二人の関係が良好な方向に向かうのは確実であろう。にもかかわらずそれをあえて言わない、そのさりげなさが何ともこの作品らしくリアリスティックで、好感が持てる。(南部英子)
図書新聞1989/08/05