おれの墓で踊れ

エイダン・チェンバーズ

浅羽莱子訳 徳間書店 1982/1997


           
         
         
         
         
         
         
         
         
     
 「心の友」を求めそれを失った少年の心の揺れを、これほど鮮やかに描き出した作品も珍しい。
 十六歳の少年ハルが、友人ハリーの墓を損壊したかどで逮捕された。なぜハルはそんなことをしたのか。ハルの手記と法廷に任命されたソシアルワーカーのレポ-トから、この謎が説き明かされていく。
 ハルはひとりっ子で、小さい頃から「心の友」を求めていた。将来の進路に悩んでいた夏の日、船が転覆したハルを助けてくれたのがバリーだった。バリーは十八歳で、父親が死んだ後母親二一人でC Dの店をやっている。バリー は店でアルバイ卜をしないかとハルを誘う。バリーこそが探し求めていた「心の友」だと、ハルはバリーに夢中になる。二人はお互いに恋をし、一緒に働き、一緒に遊び、一緒に語り合った。
 七週間が夢のように過ぎる。ハルはバリーしか目に入らないが、バリーの方は自分にべったりのハルが重荷になり始めていた。破局は突然に訪れた。ガールフレンドのことで二人は激しいロ論になり、ハルが店を飛び出す。後を追ったバリーは、そのままオートバイの事故で死んでしまう。ハルは自分を責める。バリーの死に、苦しみ混乱するなかで、ハルはバリーと交わした誓いを思い出し実行する。その誓いが「友の墓の上で踊ること」だったのだ。
 男同士の愛、友人の死、お墓でダンスを踊る誓いなど、本書は衝撃的な要素に事欠かないが、そのなかで独特の書き方と、「心の友」の意味に注目してみよう。
 この作品を書いた経緯について、チェンバーズは、友人の墓を損壊して逮捕された少年の記事を読んで発想を得、小説やテレビドラマの形式を経て九年後に主人公の手記を中心としたこのスタイルにたどりついたと言っている。「四つの部、百+七のビット、並行レポート六点、新聞記事二点より成り…」と作品にも記されている独特のスタイルはチェンバーズが苦心の末に見出したもので、そのこだわりは、事件の経過とハルの心の揺れを見事に伝える結果となっている。ハルの手記自体にもいくつも書き方の工夫がされている。例えばバリ-との出会いのところで、始めに客観的に出会いの経緯が語られ、次に「即時再生」としてハリーに引かれたハルの気持ちからその揚面を振り返り、二重に印象づけている。またハリーの死を語るところでは、「日曜 死んだ死んだ死んだ死んだ…」という当日の日記そのままを使い、ハルの気持ちの混乱をストレートにぶつけている。さらにこの手記を書いたことで、ハルはバリーの死を受け入れることができるのである。
 作品の中心にすえた「友の墓の上で踊る」という奇抜な誓いこそ実話に基づいたものだが、誓いの当事者のハルとバリーを結ぶキーワードは「心の友」である。ハルが求めていた、腹の底から親しくなれる「心の友」とは何だったのか。作品に引用されているカート・ヴォネガットの言葉、「我々はふりをしている通りのもの」が答えである。ハルがほしかったのは、バリーその人ではなく、ハルがバリーだと思いこんでいるものだったのだ。だからこそ、ハルの理想についていけなくなったバリーは離れていったのだし、ハルが少しおかしくなってバリ-のお墓を叩いたのは、寄りかかっていたバリ- がいなくなった悔しさと心細さからだった。「心の友」の真の意味に気づいたハルに、もう「心の友」に対する憧れは存在しない。
 一九八二年にイギリスで出版されて以来大きな反響を呼び、現在でもヨーロッパ各国で読み継がれている本書は、日本の若者の心をつかむことと思う。(森恵子
図書新聞 1998/02/14