大人のための偉人伝

木原武一

新潮社 1989


           
         
         
         
         
         
         
         
    
 「努力、勤勉、理想」と並べられると、普通の大人はまず笑ってしまうだろう。なにかしら気恥ずかしいのだと思う。だから大人は偉人伝を読まない。そのくせ、子どもには偉人伝を読ませようとする。そういう大人を「かわいそう」と思う若者もいれば、「いんちき」と思う若者もいるだろう。大人というのは、屈折した動物なのだ。 それにしても、偉人とはいったい何者なのだろう。それを考える手がかりになるのが『大人のための偉人伝』。これがめっぽう面白い。
 ここにはシュワイツァーやリンカーンから二宮尊徳まで十人の偉人たちの生涯が、多くの資料をもとに書かれている。たとえば野口英世は学問を一種の投機と考えていて、「医者としていちばん早く有名になる」ために細菌学を専攻した大の野心家であった。とまあ、こんなふうに偉人伝にまつわる多くの美化作用が取り除かれてから、それぞれの偉人の偉人たるゆえんに鋭いメスがいれられるのだが、そこに浮かびあがる偉人像というのが、不思議なほどに魅力的なのだ。
 天才でも神童もなく、一生涯を一日で生きる昆虫のように過ごした、記憶力と集中力の人ヘレン・ケラーを扱った章はとくに、人間の可能性を考えるうえで興味深い。彼女は「奇跡の人」というよりは、人間そのもののが奇跡的な可能性をひめているということを教えてくれている存在なのだ、というのが作者の主張である。(金原瑞人

朝日新聞 ヤングアダルト招待席89/08/27