弟の戦争

ロバート・ウェストール作
原田勝訳 徳間書店

           
         
         
         
         
         
         
    
 途方もない愛と想像力をもって遠く離れた、会ったこともない他者と同化してしまう子ども……。
一九九三年に世を去ったイギリスのすぐれた作家ウェストールは、その前年に仕上げたこの遺作で、まことに不思議なテーマをリアルタイムの現代に投げ込みました。
 原題の「湾(ガルフ)」は、九〇〜九一年のあの湾岸戦争の「湾」であり、また人間と人間、国と国のあいだを、ペルシャ湾のように深くえぐる亀裂をあらわします。
 思えばあの時私たちは、日本も巨額の戦費を拠出した戦争をテレビで眺め、画面の奥で苦しみ死んでいく人びとに想像が届かず、まして今イラクの子どもたちを苦しめている劣化ウランの被害など思いもよりませんでした。
語り手のトムの弟、フィギスは幼い頃から奇妙な傾向があります。新聞の写真で見ただけのアフリカの呪術師や、飢餓に苦しむ子どもに、とりつかれたように感情移入してしまうのです。彼には「湾」を越えることができるのでした。
 そして十二歳になったフィギスは、イラクのクウェート侵攻の当日、家族とともにウェールズの保養地にいながら、はるか離れたイラクの少年兵士ラティーフと<同化>します。アラビア語を話し、戦場にいるような行動をとるフィギスは、ラティーフの意識の一部となり、その目を通して戦争の現実を見るのでした。アラブ系の医師のラシードだけが、この現象を理解してくれます。ついに少年兵士は戦死し、フィギスは憑きが落ちたように普通の少年になってしまうのですが、彼がこうした不思議な方法で示したものを、兄のトムは心に深く刻むのでした。
イノセンスなものの持つ愛による極限の想像力を象徴的に描いたともいえるこの作品は、現在、ふたたび緊迫する世界状況の中で試練に立たされている私たちを、限りなく勇気づけてくれます。(きどのりこ
『こころの友』1999.07