おやゆび姫
――アンデルセン童話選I――

ハンス・クリスチャン・アンデルセン:作
大畑末吉:訳 初山滋:絵 岩波書店 1835-62/1967

           
         
         
         
         
         
         
         
    
 アンデルセン童話は、彼が『即興詩人』を出版した一八三五年に「小クラウスと大クラウス」「火打ち箱」「エンドウ豆の上のお姫さま」「イーダちゃんの花」の四編を発表して以来一八七二年まで一六八編に及んでいる。内容的には、私たちが<童話>とよぶeventyrつまりふしぎなことやおどろくべきことがおこるものと、historierつまり人間の行為・行動を追う物語の二種類に分かれている。
 彼の全作品を貫いて流れるテーマは、「人魚姫」「おやゆび姫」「雪の女王」などに代表される愛の優越性である。彼は親子の愛、友情などさまざまな愛をえがいているが、恋愛をもっとも美しく、くりかえして作品化している。これは彼が数人の女性に愛情をいだき、ついにむくいられなかった経験に由来するといわれている。このテーマを中心としてさらにいくつかの小さなテーマが多くの作品に共通してみいだされる。
 ノスタルジアも、彼の童話の基調を成す一つの要素である。ゲルダがカイを雪の女王からとりもどしてかえった「大きな町、それこそふたりの住んでいた町だったのです。」(『野の白鳥』大畑末吉訳、岩波書店、二六五頁)というこの町、そして、「そこのいなかはとてもすばらしいところでした。」(『おやゆび姫』大畑末吉訳、岩波書店、一一一頁)ではじまる「みにくいアヒルの子」のあの農園、また「さやからとびでた五つぶのエンドウ豆」の一つぶがおちて芽を出したまずしい母子の家など、どれも彼の育った故郷オーデンセの情景だといわれている。
 疎外されたものの意識も、また多くの作品に流れている。そのもっともよい例は小さな自叙伝といわれる「みにくいアヒルの子」であろう。彼は十七歳のとき王立劇場の支配人の援助でラテン語学校に入るのだが、そこの校長にひどいあつかいを受けて悪夢のような時間をすごす。また、若い頃の彼はやせていて背が異常に高く、けっしてハンサムとよべる姿ではなかった。若いときの屈辱の思いが彼の作品に、のけものにされた人たち、貧しさに苦しむ人たち、自由や独立のために苦闘する人たちなどに深い同情と共感を寄せたテーマを与えたのである。「マッチ売りの少女」「天使」など、彼のやさしさが心にしみ入るようにえがかれている。
 支配階級に対する批判もしばしば顔を見せるテーマの一つである。代表的なものは「皇帝の新しい着物」と、「エンドウ豆の上のお姫さま」であることはよく知られている。「皇帝の新しい着物」は、スペインのドン・マニエルによる「ルカノール伯爵」を翻案して新しい作品にしたものだが、一つには権力者のからっぽの栄光をこっぴどく諷刺し、一つには、既成のものすべてをうのみにする大人を皮肉った作品となっている。(アーシュラ・ル・グウィンは、「竜を恐れるアメリカ人」というエッセー中で、これを事実と空想の混同の例として、大人と子どもを対比させている。)「エンドウ豆の上のお姫さま」は、上流階級の女性観の不健康さを、突飛な発想で痛烈に皮肉って読者にあざやかな印象をのこす。(もっとも、時代を経た今日では、このテーマはつかみにくくなってはいる。)
 これはテーマといえるかどうかは疑問だが、母親に対する思慕の情も、彼を理解する上で見のがすことはできない。アル中で人びとに非難されながら死ぬ一人の母親をあつかった「あの女はろくでなし」のような作品には、自分をそだてるために苦労してくれた母への愛が強くながれている。
 子どもの心の動きをよく理解していたことも、彼の作品を不朽なものにしている魅力の一つであろう。彼の作品にはさまざまな子どもがあらわれる。「青銅のイノシシ」に夢の中でのってかけまわるものもらいの子どももいれば、「パンをふんだ娘」のように、パンを泥の中におとして足をよごさないようにする子どももいる。子どもの考え、子どもの喜怒哀楽が、読者である子どもに共感できるよう、あざやかにとらえられている。
 だが、彼は、読者が子どもであるからといって、子どもにわかるだけのことだけをあつかったのではなかった。子どもにはすぐに理解できない概念や感情をも過剰な配慮をすることなく作品の中で書いて、かえって深みを増した。
 だが、彼の作品全体がもっている魅力の最大のものは、想像力を駆使して、読者を天井から地の底、海の底にまでつれていってくれることだろう。読者は「人魚姫」を読むと神秘な海底の世界にいる思いがする。「パラダイスの園」や「古いカシノ木の最後の夢」などでは天の楽園にあそぶことができる。「空とぶトランク」にのればトルコの空をとぶことができる。こうした空間や時間の旅が歴史的地理的事実に合っているかどうかは問題ではない。大切なのは驚異の念を読む者の心におこさせて想像力を刺激してくれることである。
 アンデルセンは、読者に喜びを与えつづける一方、児童文学の流れにも大きな影響を与えている。一例をあげれば、イギリスでは一八四六年に三冊の翻訳が出版されたが、それをきっかけにしてファンタジー系列の作品が活気づいている。ラスキンの『黄金の川の王さま』はアンデルセンの出版に刺激されて出版されたものである。日本の童話へも主として大正期に大きな影響を与えているが、その点について、『アンデルセン研究』(日本児童文学学会編、小峰書店、一九六九)に「アンデルセンと宮沢賢治」(西田良子)、「アンデルセンと日本の三人の童話作家」(桑原三郎)などによって研究がすすめられたが、さらにくわしい研究が数多く出てほしいと思う。(神宮輝夫
世界児童文学100選(偕成社)
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