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『オズの魔法使い』は、各国のブックリストからほとんど姿を消したといわれるが、その反面誰もが大なり小なりの親しみを保ち続けている一冊である。 イギリスの批評家J・R・タウンゼンドはその著書"Written for Children"(1975)の中で、この『オズの魔法使い』がアメリカの児童文学においてあまりにも過小評価されているのではあるまいかと懸念している。そしてアーバスノットのあの"Children and Books"の最新版がオズについては一言もふれていないこと、あるいはコーネリア・メイグスらによる、"A Critical History of Children's Literature"(1969)では、決して高い評価が与えられず簡単な説明がなされているにすぎないこと、この二点を納得のゆかない様子で付け加えている。"A Critical History of Children's Literature"42ページには、『オズ』の作者フランク・ボームについて、「あの機知に富んだ想像力に匹敵する文才が彼に備わっていたなら、おそらくアメリカ人で子どものために最初のすばらしいファンタジーをおくった偉大な作家ということになるのだろう。だが全く残念なことに、『オズの魔法使い』の文章たるや、生気に乏しく美しい流れには遙か遠く、微妙なニュアンスを伝えるようなセンシティブなところもない……」とある。これに対応した形でタウンゼンドはその内容にふれ、オズにまつわる赤裸々な、ずばりアメリカともいえる面が独創的であり魅力的なのだと、肯定的にとらえようとする。また、マージェリー・フィッシャーは"Intent Upon Reading"(1964)の101ページで「省略のない本来のオズ王国の物語を読んだら、機械だとか化学実験のようなものを土台にして、不思議なこと、わくわくするようなすばらしいこと、とてつもなく愉快なことが、作者の想像力一つで生まれるってことに気付くでしょう」と、自分の経験を踏まえて自信を持って『オズ』を評価している。 『オズの魔法使い』の作者フランク・ボームは、1856年ニューヨークに生まれた。若くして種々な才能を発揮した彼は、演劇にかかわり数々の雑誌・新聞の編集を手がけ、1900年『オズの魔法使い』を発表した時にはすでに20冊余の子どもの本、及び大人の本を書いていた。この作品はすぐボーム自身の脚本で1902年にミュージカルとして上演され大ヒットし、『オズの魔法使い』の続編を待つ声がたかまった。その結果、ボームが死んだ時彼は14冊のオズ・ブックを残し、死後なお数人がその続編を手がけたといわれる。かくも多くのアメリカ人をまきこんだ『オズの魔法使い』は、アメリカ的、現実的なフェアリー・テールの代表ともよべるものである。 見渡すかぎりすべて灰色にくすんで見えるカンザスに少女ドロシーは住んでいる。おじとおばは生活に疲れはて、笑うことも忘れてしまったかのような毎日である。物語はまさにリアリティから出発する。その土地をおそうのがリアルなたつまきで、少女の家は宙に浮かび不思議な美しさにみちた国のまんなかに到着する。灰色の世界から、そこには一気に光り輝く緑の世界がひろがっている。人々があこがれた西の世界、カリフォルニアのイメージそのままの世界がドロシーをまっているのである。セルマ・レインズが"Down the Rabbit Hole"(1971)で書いているように、ドロシーは、カンサス子の持前の率直さでこの不思議な国を冒険することになる。ここでも情景は誠に現実的で、ドロシーはフェアリー・ランドを旅してまわるアメリカ人の旅行者なのである。何でもめずらしく、無知で楽しげな様子が好ましい。が終始一貫しているのは、ドロシーがホームシックにかかっていてカンサスにどうにかしてもどりたいと願っている点である。これを総括してレインズは「ボームの『オズ』ブックは、一種のアメリカン・ユートピアの子ども版と呼べる」と述べている。「オズの魔法使い」を求めてドロシーが旅する中で出会う、かかしにもブリキの人間にも臆病ライオンにも、一つずつ誠に実際的な目的物が提示されている。これらを求めひたすら進む彼らのあり方は、そのままアメリカの一面を呈している。加えて、各自の求めるものがかかしの脳ミソ(知識・思考)、ブリキの人間の心臓(愛・心)、臆病ライオンの勇気、そしてドロシーがあくまで願う故郷カンサスへかえりつく道であることに注目すれば、そうしたものがアメリカという国でてらいなく求めつづけられた価値につながってゆく。あくまでも正の 方向を一直線に前向きの姿勢で歩む姿である。しかもその中に、一種の微笑さえよぶ率直さと素直さが顔を出す点も興味深い。やっとつきとめたオズの魔法使いの正体が、実はにせ魔法使いであり、もとは気球のりであったことが判明する。 オズの魔法使いが使った魔法は、ただのすりかえ、その場しのぎのごまかしにすぎなかったわけである。魔法を極度に日常的な現実の段階にひきずりおろしたわけで、ふくらんだ夢はドロシーともどもしぼんでしまう。「魔法使い」としてまつりあげられた虚像が自称「ペテン師」のただの人間であった点は、深められれば興味深い皮肉な視点をもちうるところだろう。 "A Late Wanderer in Oz"と題してジョードン・ブロットマンは"Only Connect"(1969)にオズに関する小論文を寄せている。大人になって手にしたオズ・ブックを愉しんだというのだ。彼もオズが一つのユートピアであることを強調する。 「ただ恐れさせることだけを念頭に、きまりきった魔神や小人や妖精たちを登場させた、教訓のにおいのプンプンする昔ながらのお話は、過去のものになろうとしています。今や新しい形のワンダー・テールの時代が到来しています。……『オズの魔法使い』は、このような考えを基に、今日の子どもたちを喜ばせることのみを目標として書きました。驚嘆とよろこびは昔ながらのおとぎばなしからうけつぎ、心痛と悪夢とを取り去った現代のフェアリー・テールとしてこの本が読まれるように望んでいます。」ボームは、『オズの魔法使い』のまえがきでこのようにのべ、満足に足る成功を収めた。が、数十年を経て、アメリカの中で正当な評価を受けぬ憂き目をみている。緑色のめがねも腹話術もすっかり古ぼけて、功を奏しない時代になったのかもしれない。(島 式子)
世界児童文学100選(偕成社)
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