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丘の麓のバーンズ屋敷は、高い石垣で囲まれた威風堂々とした洋館。戦前は、外国人の別荘だったが、今は、近隣の子ども達が塀の一部にあいた穴を通って庭へ遊びにくるほか、住む人もなく荒れ放題で、「おばけ屋敷」の異名をとっていた。 主人公の少女照美(十ニ歳) も、小さい頃よくその庭に遊びに行った。しかし六年前、双子で、知恵遅れの弟がその庭にある池に落ち、それが原因で亡くなった後は、足が遠のいていた。しかし友達のおじいさんからバーンズ屋敷についての話は聞いていた。おじいさんが子どもの頃、そこにはイギリス人の裕福な貿易商が住んでおり、レイチェルとレべッカという姉妹がいた。屋敷の玄関の廊下の突き当たりにある大鏡の向こう側には、秘密の裏庭があり、レべッカだけが出入りできた。裏庭は何百年もの間先祖が丹精してきたもので、一世代に一人だけ庭師として庭の世話をする者が出てくるからだ。この裏庭は、死の世界に非常に近い所、あるいは生と死の混沌のような場所で、訪れる者のエネルギーを吸い取るらしい。 照美はある日、ふとしたことからこの裏庭に入り込み、何十人もの人によって一眼竜の化石が解体され持ち去られる場面に遭遇する。直後に出会った、ムーミンに出てくるスナッフキン似の人物スナッフによると、それは、今まで一つの王国であった裏庭世界が、それぞれ独立した三つの藩に分かれることを意味し、そうなれば、それぞれ独白の「別の世界への渡の方」を主張し始めるので、照美が元の世界に戻るのも難しくなるだろうと言う。そこで照美は竜の骨を元に戻すべく、スナッフとともに旅に出る。 物語は裏庭世界でのテルミ ィ(翼は裏世界ではこう呼ばれる)の冒険を中心に、それに現実世界での動きを絡ませて展開する。構成はよく練られ、現実世界の現代の日本と帰国したレイチェルが住む英国、裏庭世界、そして登場人物それぞれの回想場面と、およそ六十年間、三世代にわたる様々な場面が、まるで歌舞伎の回り舞台のように展開するが、それらは過不足なく互いに捕っている。また各場面で丹念になされた自然描写は色鮮やかでヴイジュアルだし、人物描写・心理描写は、一人一人を心に傷を持ちながら、それに耐えて生きている人間として印象深く描き出している。このような作品だと往々にして、一人ぐらいフラットで影の薄い人物がいるものだが、この作品にはそれが見られない。 「傷つき」と「癒し」は、この作品の大事なテーマである。テルミィは、各藩に分散 した竜の骨を取り戻しに三つの藩を回った時に、各藩にいる三人の(礼砲の音の意味を読み解く)音読みの老婆から「傷を恐れるな」「傷に支配されるな」「傷を育め、そこからしか自分は生まれない」と諭される。また昭美の母の店の客であり、ダウン症の息子を七歳で亡くしている夏夜さんは、人生のある時期自分には鎧が必要だった、しかし鎧を着ているという自覚がない時は、自分でなく、鎧が人生を生きているようなものだった、とふりかえる。またレイチェルは、「傷つき」は「飛躍のチャンス……異質なものを取り入れてなお生きようとするときの、あなた自身の変化への準備ともいえる」と言う。 この作品中の人物たちは、前述のとおり、ほとんど皆、心に傷を抱えている。特に、照美と母の幸江と、おそらこ祖母の妙子は、両親の愛情に 対して飢餓状態のまま成長し、自分に肩が持てず、他人への愛情もうまく表現できないという意味では、広義のアダルト・チルドレンである。彼女らの「傷」が癒されるのは、その傷のなかに十分浸り、傷ついている自分を発見し受け入れること、つまり (語るに足るほどの自己を待たずという発見を含めての) 自己発見と自己受容あるいは白己肯定である。 思えば、大鏡の向こうに裏庭世界が開ける時の問答は、「フーアーユー?」「テル・ミー」「アイル・テル・ユー」であった。これはいかにも裏庭世界の本質を象徽的に表した問答ではあるまいか。 西欧ファンタジーの影響が随所に感じられる読みごたえのある作品である。(南部英子)
図書新聞1997/02/01
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