現代児童文学作家対談

神宮 輝夫:インタビューア

           
         
         
         
         
         
         
    
 神宮輝夫が日本の現代作家三〇人とかわした対談集(全10巻)が昨年の一二月に完結した。一期(一〜六巻)はすでに八八年一〇月から九〇年にかけて出版されていたが、今回の七巻〜一〇巻を加え、全体の評価が定まるのはまだ先のことかもしれない。いずれにせよ、日本の児童文学史を語る上で欠かせない資料として、大きな価値を持つことはまちがいないだろう。雑誌『飛ぶ教室』や日本児童文学会の会報で、それぞれ小特集を予定しているそうだが、一足先に本紙面でも紹介したく思う。

作家による興味深い自筆年譜

 わたしが作家対談の醍醐味を味わったのは、七〇年代に『子どもの館』(福音館)に連載された「海外作家インタビューシリーズ」だった。これはイギリスのジャーナリストがおこなった対談を、同誌が翻訳して掲載したものだった。タウンゼンドやダール、プロイスラーといった著名な作家の生の声が聞けたことを嬉しがったのは、わたしだけではなかったと思う。神宮はこのシリーズについては「知りたいことが質問されていない」と漏らしたように覚えている。児童文学の翻訳・研究者として、海外の作家と数多くインタビューをおこなってきただけに、歯がゆいものがあったのであろう。その神宮が自ら聞き手となって、自分の聞きたいことを日本の作家にぶつけたのが今回の対談集である。

 英米の作家ではなく、日本の作家と対談したと知って、初めは意外な気もした。私事で恐縮だが、教え子であるわたしは英米文学の教師としての神宮輝夫に二〇年来接しているため、彼が日本の児童文学についてもさかんに評論をおこなっていることを、余技のように考える傾向があった。だが、神宮と日本の児童文学とのかかわりが非常に深かったことは、今回の仕事が如実に物語っている。

 対談集の特徴をいくつか挙げてみたい。
まず対談の「ゲスト」三〇人の平均年齢は五九歳で、聞き手の神宮と同世代が多い。また女性は三分の一だった。人選をどう見るかについては、英米を専門領域にしているわたしには断言できないが、主要な顔ぶれはほぼ揃っているように思う。また後述するように、文学にたいする神宮の考えが人選にも表れている。

 次に目立つことは、作家ごとに詳細な注、著者目録、研究文献目録がつけられていることである。恒人社が協力しているだけあって、書評紙から同人誌まで渉猟されていて、研究者には格好の資料になっている。但し、著者目録の対象は単行本だけなので、初出かどうかはこの目録では調べがつかない。また同じ本が文庫などに収録された場合の見分けもつけにくいように思う。

 作家による自筆年譜は、そこだけでも読む価値があるといえるほど興味深い。というのは、多くの作家が生まれや学歴・経歴といったデータに加え、あれこれの出来事とその印象を記しているからである。あたかも日記をのぞいているような趣がある。

 肝心の作家対談については、ぜひ直接本を見てもらいたい。そのとき、好きな作家のところだけでなく、できれば複数巻を読んでほしいものだ。というのは、聞き手によって浮き彫りにされているのは、ひとりひとりの作品世界の魅力だけではないからである。作家対談全体から、戦後児童文学が俯瞰できるし、また神宮が日本の児童文学に求めているものも、像を結んでくるであろう。

対話によって検証される時代の流れ

 周知のように、神宮は早稲田大学の童話会出身で、旧来の童話精神によるメルヘン・生活童話・無国籍童話などに反発して、一九五三年に宣言「『少年文学』の旗の下に!」を発表した一人である。今回の対談集でのひとつの面白さとは、この宣言前と後、つまり日本の児童文学に起こった変化が、さまざまな作家の言葉によって検証できることであろう。

 神宮自身は当時を振り返って、自分たちの宣言が時代の流れを変えたというより、たまたま早大の学生が全体の流れを言葉にした、という言い方をしている。だが、「ひところは石を投げれば、早稲田にあたった」と言われるほど、早稲田に児童文学の伝統があったことは、この対談集に八人の童話会出身者がいることにも表れている。また神宮より少し後には山元護久(一九三五〜一九七八)や小沢正がいて、幼年文学で新しい時代を拓いたことがわかる。逆に、終戦直後の「無国籍童話」時代のようすが筒井敬介とのやりとりから、また、生活童話リアリズムが盛んだったころの話は、竹崎有斐が伝えてくれている。

 眼を早稲田の外に転じれば、六〇年代に登場した佐藤さとるやいぬいとみこは、これまでとは違う新しいファンタジーを世に問うていった。また、いぬいたちが創造した長いお話の幼年文学は、七〇年代後半に転換点をむかえている。そして八〇年代ぐらいになると、まったく新しい文体をもった作家たちが出現しているという。

 今回のゲストは、一九五二年生まれの斎藤洋が最年少で二〇代・三〇代の作家は含まれていない。けれどもたとえば神宮と今江洋智との対談などは、新しい書き手にたいするふたりの印象を伝えてくれるので、おもわぬ拾いものをしたような感じであった。

問題意識偏重への疑問と「技」の重視

 さて、前述の宣言ともかかわることだが、「子どもの本には、物語性がなくてはならない」と考える神宮は、「問題意識偏重」の重苦しい児童文学に疑問をいだき、作家の技を重視する。神宮のこの考えかたは、舟崎克彦、那須正幹、斎藤洋をはじめ、おもしろい作品を提供しようとする多くの作家にも共通するであろう。事実、そのひとり舟崎は「涙=感動という図式」より、「笑うことの感動をとりたい」と語っているし、またほかの作家たちも、講談や落語あるいは時代小説などの影響に触れている。

 そのほか、おりにふれて神宮が語る海外の児童文学作家の文学観も、いわば隠し味の魅力となっている。また、対談で作家たちにくりかえし発している問いからも、神宮にとっての「あらまほしい」文学がうかがえる。それは、ひらかれた心と豊かな好奇心、そして才能をもつ書き手が、作品のテーマだけにこだわることなく、全体の内容やできばえを念頭において、自分の選び取った形式をうまく生かしてほしい、ということではなかろうか。

 『現代児童文学作家対談』は、英米に比べて遅れ気味の日本の作家・作品研究の向上に役立つようにという願いをこめて、神宮輝夫が児童文学界に送ったひとつのメッセージである。神宮自身は今回の仕事を踏まえ、日本の戦後児童文学史をまとめる予定だと聞いている。わたしたちもまた神宮のメッセージを、児童文学の発展に活かしたいものである。(にしむら・じゅんこ氏=児童文学研究者)
1993.04.05 週間読書人
★じんぐう・てるお氏は児童文学者、青山学院大学教授・英米児童文学専攻。早大大学院修了。著書に「世界児童文学案内」など。一九三二(昭和7)年生

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