幻想物語の文法

私市保彦

晶文社 1987


           
         
         
         
         
         
         
     
「今の時代は、十八世紀のヨーロッパに似て、ある大きな秩序の解体を予感してはいないか.時代の権威と秩序が崩れ落ちようとする時あらゆる夢想と幻影が、あらゆる怪異と幻想がおどり出る-我々は今、暗い夜と魔術の世界に落ちこんで存在の不安におぴえながら、あるいは、妖精の魔力にとじこめられ日常を生きる力を剥奪され不能の烙印をおされながら、論理と抽象の層をはいで深奥にわけ入り到達する原像の世界から再び出発し、新しい論理と新しい世界像を組み立てようと模索しているようにみえる」と、著考は『ネモ船長と青ひげの中で述べている。そして、この模索の時代に原像の世界に回帰する力を与えてくれるものが児童文学であるとしてぺロー童話やヴェルヌの作品を論じたのが『ネモ船長と青ひげ』である。
本書でもぺロー童話やヴェルヌの作品がとりあげられているが、今回は幻想物語としての視点からである。著者は、世界最古の叙事詩『ギルガメシュ」から現代の『ゲド戦記』まで昔話やファンタジー、ゴシック・ロマンス、SF、海洋冒険小説など様々な領域の作品をとりあげ、共通のモチーフを通じて幻想物語を追っていく。幻想物語に共通のモチーフとは、「分身」、「迷路」 「冥界」 「太母との戦い」、「世界終末幻想」などである。アンデルセンの『影法師』は、人間と影法師の存在が逆転し自分の影法師によって殺されてしまう学者の物語であるが、ここには自分の分身によって破壊されるという、分身のモチーフが扱われている。
ぺローが再話した「親指小僧」は親からすてられた主人公が深い森で人喰いの家にさまよいこみそこから脱出する物語であるが、これは、無意識の暗い森からさすらいのはてに、太母の胎内に呑みこまれる原始的な恐怖と死の、そこからの再生が語られている。
太母に呑みこまれるのは、『海底二万里』のネモ船長も同じである。ネモ船長は、「ノーチラス号」に春みこまれ、海の深淵に呑みこまれ、極点に呑みこまれ、白い巨大な氷の塊に呑みこまれていく。
またヴェルヌの『地底旅行』は、主人公が伯父と共に地下深い広大な世界に下降し迷路をさまよい、地球の中心地点に到達しようとする物語てあるがここには地下迷路への落下の悪夢や、地下迷路(母胎)とそこからの脱出という死と再生の儀式が見られる。
さらに、地殻の大変動で全ての大陸が海中に没した後、生き残った人々がみつけだした大陸は古代の伝説の大陸アトランティスだったという、ヴェルヌの『永遠のアダム』には世界終末幻想と永遠回帰のモチーフが見られる。
ル・グィンの『ゲド戦記』では、ゲドの冒険は外なる冒険であると同時に内なる冒険である。そこには、「分身」 「地下迷路」 「冥界」のモチーフがはっきりと見られるが、特長的なのはテーマとして二つのものが統合される点である。『影との戦い』では、自分の分身である影とゲドが一体となる影との統合が語られ、地下にかくされた腕輪の片われをとりもどす『こわれた腕輪』では、光と闇、アニムスとアニマの統合が語られ、死の世界の扉を閉め世界の均衡を回復する『さいはての島へ』では、生と死の弁証法的統合が語られる。
以上、児童文学に対する興昧から、本書にとりあげられている作品のうち児童文学の範ちゅうに入ると思われるものを拾ってみたが作品のそれぞれに幻想物語としての側面が発見されて興昧深い。
本書の構成としては、大体モチーフごとに章が設けられ、その中でそれぞれに該当する作品が論じられているが、また、章を追って古代から現代までの幻想物語の流れがつかめるようになっている。
流れを追うと、『ギルガメシこやエジプト神話の古代には、分身のモチーフは双子伝承や二人兄弟伝承として現われ、対から生まれる豊饒な産出力でもって生活と文化を生みだす文化英雄となって語られていた。対として相補的な同化の対の要素と分裂と敵対の要素が両立していたのである。
しかし、古代の呪術的世界が語りとなった中世的な時代、魔術と怪奇を語るゴシック・ロマンスが生まれた十八世紀時代になると、分身のモチーフは、分裂と敵対の要素が非常に強くなる。(シャミッソーの『影を売った男』、ホフマン『悪魔の霊液』)そして、近代には精神の分裂の暗い悲劇にまで発展する。(ネルヴァル『オーレリア)
精神分裂の危機と黙示録的終末幻想の氾濫におびやかされ、現代われわれは冒頭に掲げた著者の言葉通りの模索の時代の真只中にいるのである。
本書は評論集ではあるが、このように幻想物語の流れを追っていくと、さながら本書も〃魂の冒険行〃を扱った一冊の幻想物語のょうに思えてく懸索の時代における著者の幻想物語である。ただし、最後の章に統合がテーマの『ゲド戦記』がとりあげられているので結末は明るいのではないだろうか。 (森恵子)
図書新聞1987/06/20

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