銀のうでのオットー

ハワード・パイル 作・絵
渡辺茂男:訳 学習研究社 1967/1988

           
         
         
         
         
         
         
     
 「おお神よ! なんたることを!」
 だが、おさないオットーは、こたえることができなかった。
 「おう、おう!」 たかまる感情をおさえきれず、コンラッドのかなしみは言葉にならなかった。「このおさなき子を! このおさなき子を!」……
 「父上、そんなにかなしまないでください。」と、オットーはささやいた。「それほどのいたみは感じませんでした。」
 オットーは、父のほおに、そっと、くちづけした。

 おさなきオットーには、片うでがなかったのだ。
 時代は暗黒の中世である。場面はコンラッド(竜の館に住む、追いはぎ豪族)が、敵にさらわれた我が子オットーと再開する部分で、少年オットーは十二歳になったところである。片うでを切りおとされるという悲運に遭遇した少年の声の、異様なまでの静けさは、いったいどうしたことなのか。大人の争いに巻きこまれ、最大の犠牲者となったオットーは、号泣する父親をやさしくなぐさめようとすらしている。
 妻の突然の死によって、子どもの養育を考えあぐねたコンラッド男爵は、自身のすさんだ生活とは対照的な僧院へ、オットーの祖父にあたる院長をたよってゆく。子どもには平和と愛を与えたいおもいにかられたからであった。しかしそれも長くは続かず、十二歳になったある日、オットーは突然の父親の出現によりそれまでの隔離された僧院から、広い荒々しい現実の世界へとなげこまれる。オットーは自分にはかくもやさしい父親が、人を殺し略奪をくり返すことに愕然とするが、父を憎まずその世界を呪うのであった。やがて、片腕を失ったわが子を救ったコンラッド男爵は、追手から命をかけて子どもを守り、オットーを再び僧院にもどす。
 後年成人したオットーは、銀のうでをつけ生涯剣をぬかなかったといれる。
 ハワード・パイルは、一八五三年、アメリカのデラウエア州に生れ、一八七七年には天分豊かな挿絵画家として、当時アメリカで最もすぐれた児童雑誌『セント・ニコラス』誌に作品を発表した。彼の作品は実に力強く、荘厳な雰囲気をもち、人物像もそのキャラクターに象徴される要素をうまくひきだし、生命を与えることに成功していた。また彼は文学作品として、再話『塩と胡椒』 (一八六六)や、『ロビンフッドの愉快な冒険』(一八八三)などの冒険物語、及び『アーサー王伝説にまつわる物語』(一九〇三)など、実に膨大な数の作品を書いている。
 これらの世界をパイルはすべて拡張の高い文章と、正確な時代考証に基づいて築きあげたのである。アメリカの児童文学において、歴史物語が深く浸透したのは、南北戦争の後、アメリカに目をすえようという動きや建国以来の歴史に感心が払われはじめた、一八八〇年代であるといわれている。【注1】
 力強い歴史物語として名高い『銀のうでのオットー』の中で、パイルは主人公オットーを通してさまざまな人物を描き、巧みにプロットを構成した。ただ注目したいのは、パイルが描きたかった本来のテーマは、中世という時代であったということであろう。そのために、パイルは、追いはぎ豪族と僧院という両極端の社会を二本の柱にすえ、オットーをその両方の世界で生かすことによって時代とその雰囲気をいっそう鮮明にした。戦争と平和、行動と黙想、物質的欲望及び獲得と精神的真理の追求、やさしさと残忍、愛と憎しみ、などがくっきり対比され、罪と償い、善と悪とが永遠のテーマであることに立脚した一編である。「感傷的になるのではけっしてないが、心の奥深いところで感情を揺すぶられる本【注2】」と述べたボイエセンの言葉はその通りであろう。
 冒頭に引用した部分のオットー少年の姿は、宿命的悲劇を背負った生涯をそのままうつしだしているようにおもわれる。オットーはみずからが求めて冒険をしたのではなく、その時代の流れがオットーを運命的に巻きこんでいったのである。
 オットーは、過去または将来の自分の運命を知るが如くに、幼少時から一風かわったすなおな従順さを見につけた少年である。静かな僧院の生活の中で、彼は甘えをおさえ、時にはみださんとするエネルギーすら抑制する術を身体と心で覚えていったようである。
 十二年間を送った僧院を去る日に、オットーは老僧院長に「さようなら」とそれだけを静かに言う。激しい感情に身を没入させない態度を身につけた院長でさえ、そのあまりにもすなおな別れに胸をいためている。相手(大人)の心をよみとり、余分な気遣いをさせまいとするやさしさ、それは急に身についたものでなく、十二年の間の日々が培った、知恵と心から生じたものにちがいない。わずかな年月の間に大人へのあまりに性急な成長をうながされた少年の中に、年相応の子どもの部分が発見されるのは、オットーが皇帝とであうあたりであろうか。おのれが腕を切りおとした人間の娘を愛しているのだとつげた時、皇帝がとった寛大な措置を、少年は評価して言う「陛下はみたところとても立派な方のようですからよろこんで御命令に従います。」
 青白い顔に常に伏目がちであった少年の眼が、この時ばかりはいたずらっぽく光ったであろう。
 オットーが僧院で得た知識は人々の彼への尊敬度を増す。その時代にあって何が残っていたか作者はおもむろに我々に問うている。タウンゼンドは、パイルの実力を高く評価しながらも、アメリカにおけるパイルの作品に対する過度なる評判には反感を示し、パイルの歴史もの、中世ものには、パイルのオリジナルティ部分があまりにも少ない点を指摘している。オットーの人格づけが興味ある要素を含むだけに、ただ時代のみをテーマにしてキャラクターのふくらみに欠けたことが残念さを増す。(島 式子

注1『英米児童文学史』(研究社、一九七一年、二九三頁)
注2 The Critical History of Children's Literature(一九六九年、二八四頁)
世界児童文学100選(偕成社)
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