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これは、十八歳の「オレ」が、二八歳になったときの「オレ」宛に書いた手紙。「オレ」は回りの大人や社会に、毒づき続けている。でも、「オレ」自身がその毒づかれている大人になるかもしれないのも知っている。だから手紙を残して、十年後の「オレ」に、「お前、ちゃんとやってるかあー」と迫ろうというのだ。「んなことしても、どうにもならんかもしれへんでぇ。しょうがないやっちゃなあー」と、中年の私は苦笑しながら、言ってやりたくはなるけれど、そんな私の大人らしい仕草そのものが「オレ」に毒づかれていることの一つなのだ。 「オレ」は、書いていることが矛盾していようと気にせずに、起こったこと、考えたこと、感じたことのすべてを二八歳の「オレ」に向かって書く。へたに篩にかけたり、整理したりはしない。もちろんそんなことをしたら、書くことの意味が失われるから。 その結果、「オレ」はとてもリアルで、私は、とんでもなくアホだったり、とんでもなくマジだったりした自分の十八歳に何カ所かで出会い、これは二十年前の私が書いたのかもしれないと思った。 っても、タッチは全然深刻ではないのよ。毒づきのノリが関西人で、「おまえら、授業料取って、高校という店をやってるわけや。/客を大切にしない店が、この日本で通用した試しがあるか。/門の前で教師は、へい毎度いらっしゃいとか、寒い中ご苦労さんですとか、今日も楽しんでいって下さいとか、番頭みたいにペコペコ頭を下げて言うのが、商売の基本や」、やもんね。 笑える、モラル小説です。 (ひこ・田中 )
朝日新聞1992/02/07
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