ゴースト・ドラム

スーザン・プライス

金原瑞人訳 福武書店刊 1991

           
         
         
         
         
         
         
     
 いつか反逆されることを恐れた皇帝は、生まれたばかりの王子を塔に幽閉する。跡を継いだ女帝も王子を殺そうと機会をうかがっている。なりたての魔法使いチンギスは王子を救うが、彼女の力に嫉妬する魔法使いが、女帝と手を結び‥‥、
 だれもがカウチポテトして読めるファンタジーに見えるが、そうではない。この物語は、架空の世界だから存在する事件や、人物像を描いてはいない。架空の世界を借り、辛うじて現実を描いたかに見えるエンデ的物語でもない。日頃私達が知りつつ目をそらしている、現実や真実を、かなりあからさまに描いた物語だ。
 例えば、王子が救い出され、女帝も死に、ハッピィエンドと見えた後、語り手の猫はこう述べる。「女帝のいなくなってしまった国は、どうなったのだろう?/なんのことはない、金と権力を持った者たちが争い、だれが次の皇帝になるかを決めただけのことだ/新しい支配者は冷酷で/理不尽な人間だった/国というものが、そういう人間を作ってしまうのだろう」
 「皇帝」を別の言葉に置き換えれば、これが現実世界そのものの姿であることが分かる。たとえ見たくなくとも。
 つまり、もしこれを架空の物語だとしりぞけた時、私達は自分のいるこの世界を否定することになるし、受け入れた時、目をそらしていた様々なことを直視する必要が生じてくるという、「ガリヴァー」的な仕掛け。
 でも、「われわれは皇帝を愛する必要はないし、われわれが皇帝になる必要もない」。その通り。(ひこ・田中 )
産経新聞91/05/27