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「季刊ぱろる」八号の連載最終回で、書名をあげたものの、ほとんど言及できなかったD.キング=スミスの 『ゴッドハンガーの森』が翻訳で出版されたことは、わたしにとっては抜群のタイミングだった。そこで上半期に出た「気になる翻訳書」として、今回とりあげようと思う。 『ゴッドハンガーの森』では弱肉強食の掟どおり、さまざまな鳥や獣が暮らしていた。なかには森に住む人間(森番)の銃で殺されるものもいた。あるときスカイマスターという名の巨大な鳥がこの森にやってきた。大小の鳥たちはスカイマスターに懐疑的なもの、心酔するものなど、さまざまだった。スカイマスターは、森の生き物を団結させ、森番から守ろうとした。だがフクロウを救おうとしたスカイマスター自身が森番に殺されてしまう。 キリスト教について、多少の知識があるものには、この物語が、キリストの処刑から復活を下敷きにしていることは、すぐにわかる。また、夜明けの会合に集まる十二羽の鳥は、キリストの十二人の弟子になぞらえたことも、推測できるだろう。 キングスミスは動物を主人公にした物語では定評があり、人気も高い。今回の作品は、ユーモアのある従来の作品群と比べて、ややシリアスな動物物語に属する。そしてフクロウは夜光性、カケスは好奇心旺盛というように、それぞれの特性に合わせて描かれている。また動物の考えや会話は読者にわかるように、言葉で表現されている。 今わたしは「動物」といったが、ただひとり登場する人間もその中に含まれる。ところが、ほかの動物にはリッピン(切り裂く)とか、マイルズ(ほらふき)、ロフタス(堂々とした、高い)などの、寓意的な名前があるのに、人間は「森番」という職名に終始していることが、なにやらいわくありげだ。 動物を動物として描きながら、別の意味をもたせることには、危険があると思う。キングスミスは、キリストの偉大さを称えたかったのだろうか、それとも、人間の残酷さを訴えたかったのだろうか。両方が狙いだとするなら、ゴールデン・イーグルの生態と、キリストの生涯を重ねあわせたのは、はたしてふさわしい方法だったのか……? この本を読んでいて思いだしたのは、BBの『野うさぎのリーパス』(一九六二)だった。A・デヴィドソンの白黒の繊細な挿絵も、雰囲気が似ている。だが、BBは野ウサギの人生 (?)を描くことに専念し、感動を与えてくれた。キングスミスの作品は意欲的だと思うし、物語の完成度も高いと思うが、動物を素材として欲張りすぎた気もしてしまうのだ。(西村醇子)
ぱろる9号 1998/09/03
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