鏡のなかのねこ

シュトルツ

中村妙子訳 偕成社 1980


           
         
         
         
         
         
         
         
     
 世の中には色々な信仰があるが、シュトルツ作の『鏡のなかのねこ』は、人間は死後最も下等な動物から次第に高等なものへと生まれ変わり三千年かかって再び人間になるという古代エジプトの伝説をもとにしたタイム・トラベル・ファンタジーである。第一部では現実のニューヨークで生活する主人公イリンが、第二部では古代エジプトに生きることとなり、終章だけから成る第三部でそのタイム・トラベルの種が明かされる。
 アメリカの裕福な家庭の一人娘でありながら母親からは全く愛されず学友からも常にのけ者にされているイリンは、常々このくだらない世の中や友達の意識から抜け出したいと思っていたが、ふとした事で軽い脳振盪を起こし、その間にイリンの意識は、やさしい最愛の父親と好きになれる唯一の学友であるセティが共に愛する古代エジプトの世界に入り込み、彼女はそこで自分の話し相手となり孤独を癒してくれるものとして念願していた猫を手に入れる。しかしそこでも母親とは馬が合わず友人ともうまくいかない。題名の一部となった「鏡」の意味は、作品中にも頻出する『鏡の国のアリス』から取られているようだが(原題ではTMirrorUとTLooking-glassUの違いはあるが)アリスの鏡の国では何もかもがあべこべであったのに対して、この世界では名前こそ多少変わってはいるが登場人物は同じだし、主人公をとりまく人間関係も変わらない。むしろ主人公の現実の悩み、孤独感はそのまま持ち込まれている。そういう意味では、失神状態から目ざめ現実の世界に戻った主人公にとって問題は何ら解決されておらず、今後彼女がそれにどう対処していくか読者に不安は残る。現実にも手に入る ことになった猫も、夢と現実をつなぐ設定としてはおもしろいが、彼女の問題解決の糸口としては心もとない。
 しかし主人公の心理描写や登場人物の性格描写は見事で、古代エジプトの風俗習慣なども細部までよく調べてあり、現代のニューヨークとの対比がおもしろい。また主人公と母親の関係が誠にクールで、児童文学に描かれる親子関係もここまで来たかと思わせる野心的な作品である。(南部英子
読書人 1981/01/09
テキストファイル化 大林えり子