からすが池の魔女

E・G・スピア:作
掛川恭子:訳 寺島龍一:絵
岩波書店 1958/1969

           
         
         
         
         
         
         
         
    
 E・G・スピアは二人の子どもが中学校に入ると、余裕のあるたっぷりした時間を著作活動に専念するようになり、作家として出発した。筆をとった最初の機会には、一番身近な家族生活を主に、思い出と経験を生かして文にまとめ、幸運な出だしをきった。やがて彼女は自分の生きている土地やその歴史に関心をむけはじめる。ニューイングランドの生活には、環境にも人にもそのコロニアル時代が生きており、スピアにとってそこは永遠の故郷であった。しかもその歴史が実にドラマチックで激動的なものであるため、スピアは徐々にしかし着実に資料を集め研究し、フィクションの底になる時代をさぐることに懸命になった。しかし彼女は、その中から話の下敷きになる事件を捜しあてたわけではなく、まさにエリザベス・グレイ・ヴァイニングの言う「歴史は人なり」を実感として感得したのであった。次第にイメージ・アップされた数人の人物は、かつての歴史のページにその像をあらわしたのではなく、まさにスピアの心の中で肉づけされ命がふきこまれるのを待っていた。その中には、孤独で不安な少女、友だちのいない子ども、やさしさと賢明さに溢れた年老いた女性、および二人の若き 男性−−一人は極度に内気でたよりない男、もう一人は陽気で自信過剰な男−−らの影がすでにうかんでいた。そしてお互いに行動し会話を始めようとすらしていたのである。スピアは魔法の虫めがねで過去に焦点をしぼり、拡大された場面に動めくその時代の人物を把握することにつとめたという。(注)たとえば、舟が港に着いた時の人々の様子はどうだろう。人々は親切でけんか好き、夢はでっかく、ひたむきで、あふれる善意は好ましく、失敗つづきでけんかもすれば、中からちょっこり愛が生まれる。スピアはこの虫めがねの中に、現代につながる人間像を確かな眼でキャッチして、『からすが池の魔女』を書きあげている。
 この作品の生まれた年、一九五八年あたりからを、アメリカの児童文学に新しい方向が根ざした頃と見る傾向が強い。作品で語られる偏見と憎しみ、人間性を踏みにじる行為は、深く人間を見つめる作者の姿勢と相まって、それまでの児童文学に見られぬ深さを残した。またこの物語は、ハワード・パイルを先駆者として発達した歴史物語の分野でも高い評価をうけるものである。
 物語は、バルバドス島生まれの開放的な少女、キット・テーラーが、独立直前の、ピューリタニズムにしばられたニューイングランドに渡り、人・宗教・土地等すべての面で衝突を生じながら一人の女性として成長する過程を追う。祖父の死とともにバルバドスを出、唯一人の身内としてたよってきた叔母の顔からは、かつての輝くような美しさも消えていた。頑固な叔父を中心に家族は厳しい生活を強いられている。教会も労働も自分に興味をもつ男性もキットには重苦しい負担にすぎず、毎日は傷ついたプライドと哀しみでやりきれない日々となる。そんな中でであった老婆が、からすが池のあやしい女……魔女のハンナ・タバーであった。焼印を押されて主人とともにマサチューセッツから追放されたクェーカー教徒ゆえに、一人の老婆を社会から追放し魔女として抹殺しようとしたのであった。ハンナの家は光に輝き、貝がらのようにみがきあげられており、室内は人々に静かなやすらぎを与えた。心からくつろぎ、安心感とともに暖かい人間の心を味わった。
 一方叔母の姉娘マーシイは、病身であったが忍耐強く、心も豊かでキットの助けを得て子どもたちの初等教育を始める決心をする。スピアは、当時のニューイングランド地方での初等教育に深い関心を持ち、ここでそれをとりあげた。教育者マーシーを描く際には、実の叔母をモデルにつかったという。時代を経ても変わらぬ人間性はスピアに印象深く残っていたのであろう。
 そのキットのもとへ、プルーデンスという女の子が知識と友を求めてやってくる。彼女の両親はよそ者のキットを信用せず、プルーデンスが学校に入ることさえ禁じていた。キットは自分の秘密の世界−−ハンナとであう−−にプルーデンスをいれ、ハンナと二人でこの少女に文字を教えるのであった。やがてかたいつぼみは、やさしい光と愛情につつまれて大きな花を咲かせたのである。
 その年、原因不明の伝染病がひとまった時、人々が呪った的はクェーカーの女、ハンナであった。魔女狩りが行われ、ハンナは脱出するが、キットはハンナとのかかわりから魔女容疑者として裁判にかけられる。絶体絶命に落ち入ったキットの危機を救ったのは、他でもないプルーデンスであった。凛として響くプルーデンスの聖書の講読はすべてを物語り、キットの無罪が証明された。そうしてこの話は終りをつげるのだが、最後に勝気なキットがとびこんでゆく力強い愛が描かれる。それはバルバドス島からキットを運んだ船乗りのナットである。彼はハンナの友人として、また、キットの自尊心をいらだたせながら全編に登場する。彼の存在が突然キットの心を占めるのは、かつてあれほどなつかしんだバルバドス島が遠くなり、ニューイングランドにその身を落ちつけることを決心した時であった。キットはその決心の根底に愛が潜んでいたことに気付くのである。
 物語の背景は、宗教・政治の自由を求めて新大陸に渡ったピューリタンたちが、その偏狭さからみずからを縛り、本来の自由な思考をも阻んだ時代であった。ヨーロッパで一三世紀の異端審問所に始まり一六−七世紀にかけて猛威をふるった魔女狩りは、新大陸のニューイングランドでピューリタン社会の統制を破るものとして当時急進的といわれたクェーカー教徒に及んだ。
 スピアは、この宗教的・歴史的背景に物語の一要素を完全にさきながら、そこに、時代性を超えた人間のドラマを巧みに織りこんでいった。幼少時より家族・親族関係のあり方に人一倍興味とうるおいを感じていた作家だけに、なにげなく語られる部分に誇張でないリアルな面と、論理でわりきれぬ人間関係が読みとれて興味深い。(島 式子

注 一九五九年、ニューベリー賞受賞記念論文。
世界児童文学100選(偕成社)
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