カレンの日記

ジュディ・ブルーム:作
長田 敏子:訳 偕成社 1977

           
         
         
         
         
         
         
     
 いただいた課題が、「この一冊がおもしろい」 だった筈なのに、頭には「この一冊」だけが残って、おもしろくはない『カレンの日記』がひょいと浮上してしまい、とりついて離れてくれない。
 どうしてなのだろう。
 最近読んだ子どもの本の中で、とりわけ目だつのは、以前にもまして、「離婚」をテーマとしたものである。C・アドラー『銀の馬車』(原著出版1979)や、吉田とし『家族』にみられるように、あらためて、家族の中におばあさんの発見を行っている作品も出てきた。「おばあさんと子ども」の結びつきを描くというのは児童文学にこれまでもあった流れとはいえ、一時代前のおばあさんの姿とは違ってもっとも現実認識のしっかりした生活者として描かれている。くずれない価値の再認識といういささか時代を逆行させたがっている作家たちの時代を見る眼が、どうしようもなく、古びてみえる。
 離婚をテーマとした作品ということでは、忘れられないことがある。N・クラインの『私はちいさな小説家』(1975)が、はじめて日本に紹介された1976年のことだったと思う。当時書評欄をもっていた私には、随分新しい感覚の作品に思われ、読んだばかりのほやほやの感想を非常勤講師をしていたある短大で語ったことがあった。語った次の週、講義を終えて帰ろうとする私のところに興奮して涙をためた学生がやってきた。彼女は、話をきいているうちに、自分の体験と似ていることが作品に書いてあることを知り、その日、すぐ本屋に飛び込んで、むさぼり読んだのだと語った。そして、国も年齢も違うが、同じ苦労をして、それをのりこえた子どもがいることに感動し、こんなに心を動かされ、なぐさめられた本ははじめてだったといい、おかげで、たまりにたまり、つもっていたものをふっきることができたことを私にいいたかったのだとことばを結んだ。同じころ、アメリカの書評雑誌に「子どもたちからバイブルのように読まれている作品」をかく作家としてジュデイ・ブルームの記事がのり、文学の作品としては、また違った読まれ方をし、その切実生という点では、はるかにまさっ ている作品群への目を開かれたのである。読書セラピーといった分野も視野に入ってくることになった。
 離婚を語った作品にはもう一つの読み方もできる。親子分離の問題である。親から、子どもが精神的に自立することのむずかしさを語ることにもなるからである。自立するるということは、大人になるということでもあり、こうした作品が各国で続出している背景も気になるところである。現実に離婚が多いという以上の意味をもっているからである。
 『カレンの日記』(1972)が日本に紹介されたのは、77年で、”ヤング・アダルト”というレッテルを貼られた作品の主人公の年齢が15,6歳から12,3歳に下がっていることに気付き、愕然としたした年でもあった。(現在では10歳ぐらいのヤング・アダルトも出ている。)それ以後、非常にうまく書かれ、離婚家庭の子どもに支持され、人気の衰えることのなかったジュディ・ブルームの『カレンの日記』にひっかかったままいる。どこがひっかかるのだろうかと、再読してみた。おもしろいことに、ブルームについての、アメリカでの評価は、極端に違う。保守的な人々からはアメリカの良識や、守るべき価値を足げりにする因襲打破の旗手として毛嫌いされ、進歩的(特に、ウーマン・リブ)の人々からは、ステレオタイプの昔ながらの女性の価値を子どもにおしつけ、現状維持することをよしとする因襲を守る作家だといわれている。ブルーム自身は、「わたしの作品に登場するのは、どこにでもいる、ごく平凡な子どもたちです。わたしは、その子どもたちを描くとき、自分が子どものふりをするのではなく、子どもそのものになって書いているのです。」(『カレンの日記』扉より)と書き 、いわば、”子ども派”といった感覚をもっているようである。
 作品の中から具体的に投上人物のいったことばをあげることによって、ブルームの考え方が、その通り作品化されているかどうかみいみよう。
 おばさん……「このことでは、あなたよりもおかあさんのほうがずっとつらいのよ。おかあさんはとても苦しんでいるのに、もしあなたがこんなふうだったら、おかあさんはもっともっとつらい思いをするわ。」P56
 パパ……「おまえには気のどくだが、これはおまえのママとわたしだけの問題なんだ。」P74
 ママ……「あなたと関係がないのよ、カレン。どちらにしても、あなたの生活が変わるということはないわ。」P151「いつかは、あなたもジェフもエミーもおとなになって、家からはなれていくのよ。そうしたら、ママになにが残って?」
 兄……「そのことに、だんだんなれていかなきゃならないんだよ、カレン。」「ぼくたちにとっては、どうしようもないことなんだから。」P110
 妹……「あたし、ねむってしまうのがこわいの。」「ねむってしまったら、朝起きたときに、パパみたいにみんながいなくなっていやしないかと思って。」P78
 カレン……「今度こそ、ママには、自分のしていることがちゃんとわかっていますように――」P268「デビーは、自分の両親は離婚なんかしないというけれど、いろいろのことを知っているのは、悪いことじゃないわ。知っていればなにか起きたとき、その準備ができているということになるから」P269
 親たちは、離婚を自分たちだけの問題といいきり、子どもたちには、それに慣れる、あるいは、心の準備をする以外に道がないことを書いているのだ。
 巻頭で「わたしはぜったいに結婚なんかしない。どうしてしなきゃならないのだろう。結婚なんて、人をみじめにするばかりなのに。」」と大人のあり方への激しい、不信をあらわしていたカレンを、作者は、巧妙に、巧妙に、そうした大人の行為は、子どもにはかかわることのできないものだから、あるがままに受け入れるように導いていく。おばさんの弁のように、大人もつらいのだからと、説得していく。それでも、子どもの立場に立っているといえるだろうか。
 家庭と学校の役割分担をはっきりさせてきたアメリカの教育界も、さすがに現状に目をふさぐことができず、1980年あたりから、様々の小、中学校において、離婚家庭の子どもを対象にした授業をとり入れはじめている。そのプログラムの内容をみると『カレンの日記』と同じ構成なのだ――親の離婚は子どものせいではない。離婚しても、親は子供のことを考えている。二人でいるとうまくいかないだけで、一人一人はいい人である。親に対して腹立たしい思いや、やりきれなさを持つのは当然だし、離婚問題に悩んでいるのは、自分だけではなく、同じような悩みを持つ子どもが多数いる、等々である。十年近くも、文学作品が学校教育の先取りをしていたことになるのだ。
 マリー・ウィンの『子ども時代を失った子どもたち』をよむと、離婚前よりも、離婚後の方が状況がよくなったと感じている子どもの数は圧倒的に少ない、という。そして、両親の結婚生活がうまくいかないと、子どもに負担がかかり、親のパートナー、あるいは保護者にされてしまう。「離婚家庭の子どもたちには、成長に必要な時間をばっさり短縮されてしまったという気持ちが強い。ふつうならば数年かかるものを、親の離婚のためにせかされ、無理やり早々と自立させられ、遊びの時間もレジャーも奪われてしまったと思いこんでいる」のが実状だという。(マリー・ウィンは、結論として”子どもらしさ”や”無邪気な子ども時代”の復権をとなえているのだが、私には離婚家庭におばあさんの再認識をもち出した作家と似ている気がしてしまう。)
 一見、進歩的と思われ、一見、保守的と思われ、一見、子ども中心の立場に立っているように思われるジュディ・ブルームも、違った光をあてれば、大人の立場から、結果的に大人を弁護してしまっていることがはっきりしてしまったのである。
 まずは、病んでいる部分を、現状にあわせられるように戻していくというセラピーの必要性が高ければ高いだけ、どうしても気になってしかたがなかった『カレンの日記』という作品のはたしてきた役目を、年月をかけることで少しはクールにみられるようになったと思う。
 そう、児童文学では、その成立から、こうした大人の自己弁護を子どもの側に立つふりをして書いた作品の流れがあるのである。その時代の社会の価値そのままであれ、反体制であれ、宿命的にそうなのである。
 17世紀のジェイムス・ジェインウェイによる神に祈りながら、天国にいける歓喜のうちに死んでいく子どもたちの姿を描いた作品が思い出される。それは、幼くして死を迎えることの多かった子どもたちへの大人からの良心的な贈り物であった。
 年若く結婚したために、もう一度、やりたいことを探ろうしているカレンの母親と、カレンの精神的な年齢は近い。パートナーとなるのか、友だちとなるのか、はたまた、別の関係ができるのか、作品からは何も聞き出すことはできない。
 離婚というテーマは、今後も書かれ、新しい人間関係の模索は続いていくことだろう。そして、どの作品にもひっかかりながら、私の模索も続いていく。(島式子)

「児童文学1985」第13号/メリーゴーランド発行
テキストファイル化 妹尾良子