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『風のラブソング』は、「ふわりふわり」「なれてるお父さん」「みきちゃん」「あの日のラブソング」「ダイヤモンド・ダスト」「金の鈴」「バトン・タッチ」の七つの短編からなる一冊である。 最初の「ふわりふわり」は、遠い遠い日の父親や兄との別れの思い出を、きつね火、何百匹ものホタル、紙風船が描かれて夢の中の出来事のような気がして、父、兄、さよこみんながつらく淋しい別れを美しく描いている。一冊の始まりにふさわしい印象深い話である。 「なれてるお父ちゃん」は、夫婦喧嘩で幼い子は、両親の顔色を見ながら小さい胸を痛め、精一杯二人の間で気をつかっているのだ。おとなは、子どもだから何もわからないと思っているが、子どもは、とても敏感に感じている。おとなよりずっと感じているのだ。誰もがこんな経験を持つのでは、と思う作品であった。 子どもの視点で、子どもの心によりそって書かれていて、作者の子ども観が感じられた。 「みきちゃん」は、誰もが遊んではいけないと言う朝鮮人のみきちゃんと遊んだこと、またみきちゃんが家出をした悲しい思い出を書いている。「なぜ朝鮮人と遊んだらいかんのか、誰も教えてくれへん」とおとな批判はしているが、在日朝鮮人問題を扱うには掘り下げが足りない気がする。隠れ家のみきちゃんの木箱から何十匹もの白いちょうが飛び出して中の一匹の青いしじみちょうが飛んでいったとあり青いしじみちょうがみきちゃんなら、在日朝鮮人問題を取り上げるには美しく書きすぎではないかと思う。 「あの日のラブソング」では、クラスメ−トからきんかんどろぼうといじめられ、担任教師の心ない言葉に傷ついたことと、クラスメ−トに寄せる淡い初恋の思い出が書かれてる。 子どもは、心に傷を受けて成長していくものかもしれないが、教師による心ない言葉は、あまりにもひどいではないか。いつの時代においても教師は、子どもにたいしての言動に細心の心遣いをするべきだ。 主人公の篠原さんがいじめられて、うさぎ小屋の前で一人ひっそり過ごす休み時間の場面 子どもというものは つらく淋しいものだと思った。心の傷を成長の糧に出来る子どもは救われるが 深い心の傷が心の病を引き起こしはしないかと思われた。 「ダイヤモンド・ダスト」は 七つの作品の中で一番好きな作品だ。脳性マヒの遊子を見守る家族の温かい思いやりと深い愛が描かれている。 宇治川の花火大会の花火が、遊子の瞳の中に輝き 遊子が笑うそれに気ずく家族がいる幸せを思った。宇治に住む私に、文章で花火を観ることができて、とても印象に残る作品だが、遊子の話だけでも重いテ−マであるのに、高校生の妊娠のことにもふれてはいるが詳しく書かれず不満が残る。 「金の鈴」では、ユウコと同じ団地に住む老人とのふれあいを描き、ここでは、高齢者問題をあつかっている。一人住まいの老人が火事をおこし、それを機に息子と同居するとう結末であるが、老人介護をする年代であり、またいずれは自分自身の問題でもあるためか物足りなさを感じた。 最後の作品の「バトンタッチ」では、お姉ちゃんと浮浪者のおじいさんとの心の交流を描き、アゲハチョウを育てた命の誕生、命の大切さをしっているお姉ちゃんが交通事故で亡くなる。お姉ちゃんの作ったクリスマスツリ−があまりにも悲しい作品である。 「バトンタッチ」の題名とテ−マがどう一致するのか考えてみた。お姉ちゃんと浮浪者との心の交流から生と死を描いていると思う。アゲハチョウの生命の誕生とお姉ちゃんの交通事故死を対比させて、命の大切さを強調し、作者から読者への、おとなから子どもへのメッセ−ジだろうか。 そう考えると、「バトンタッチ」は最後の作品にふさわしい題名ではないだろうか。これで安心して『風のラブソング』を閉じることが出来る。 七つの作品のなかの子どもたちが、おとなの作った理不尽な社会の中で、小さな体の全身でつらさ、悲しさ、淋しさそして暖かさをも感じているのだ。 子どもというものは、感性がとぎすまされていておとな以上に傷つきやすいと改めて思った。 京都生まれの私には、背景が京都であり、京ことばも懐かしく親しみやすく、読みやすい本であった。また思い出を語るようなノスタルジックな作品でもあり読みすすむと、私の幼い頃のことが思い出された。 今おもえば、私自身、自分をどのように表現したらよいかわからなかったあのころ、話す言葉を持たず、じっと耐えていた幼い日を思い出した。そしてあの頃、私は、いろいろな事を敏感に感じ取っていたことを‥‥‥‥。 夢のような一つ一つの作品の中にも、障害者・高齢者・在日朝鮮人問題・生と死など多くの現代の社会問題を提起している。これらの問題を、子どもの視点で描いてるからであろうか、重い問題を軽く扱ってはいないだろうか。 七つの全作品を一つの作品として観ると、小さいころ、思春期、恋愛、結婚、出産、と自伝風に半生を描いた作品ともいえる。 短編集でありながら、全体を読めば一つの作品となり、上手く構成されているものと感心した。しかし、そのように読むなら、登場人物の名前が漢字であったりひらがなであったりと、よく似た名前であったりと、とてもややこしくて混乱してしまい一つの作品としてのまとまりを、悪くしていてその事が残念でならない。 七つのどの作品も、自然の美しさの中で人と人の絆を暖かく描きまた辛いことも、叙情的に、文字で絵を描いたような色彩豊かな作品となっていて、その上、数多くの美しい花が咲き乱れて、より一層美しさを増している。イラストレ−タ−でもある作者らしい作品といえる。 いろいろな社会問題とやら難しい事を考えるより、理屈抜きでこの作者の思いのあふれた『風のラブソング』を子どもたちへのラブソングとして子どもたちに届くことを願っている。(阪田憲子)
「たんぽぽ」16号1999/05/01
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