家族さがしの夏

ニーナ・ボーデン作
西村醇子 訳
国土社 1998

           
         
         
         
         
         
         
     
 イギリスの作家ニーナ・ボーデンは、わが国ではカーネギー賞銀賞の「帰ってきたキャリー』やガーディアン賞受賞の『ペパーミント・ピッグのジョニー』などの児童文学作品で知られている。ボーデンの作品の特徴は、筋はこびのたくみなストーリー、存在感あふれる登場人物、現実の厳しさである。『家族さがしの夏』は、この三つの特徴を土台に、現代の家族のあり方を探っている。
 わたしこと主人公のジェーンは十三歳。母親の死後、船の機関士をしていて留守がちな父親にかわって、ソフィーとビルの二人のおばさんの養女として育てられている。ジェーンには、ひとつ年下の男の子でプレイトーという親友がいる。プレイトーの両親は離婚していて、プレイトーとジェーンはいわば「はみだしっ子」どうしである。ジェーンは父親の船室で、女の子と男の子の写真をみつけ、二人が自分の兄弟であることを知る。すぐにも二人に会いたいと思うジェーンに、おばさんは、母親のエイミーが子どもたちとジェーンを会わせたがらないのだと、告げる。しかし、妹と弟に会いたい気持ちは押さえがたく、ジェーンはプレイトーの助けをかり、父親の家族のことを探っていく。ここから物語は、家族の秘密の謎解きとなる。
 家族探しはプレイトー主導で行われ、大人が教えてくれないのなら頭を使えと、ジェーンの出生証明書を探し、そこから父親の家の住所、電話番号を調べていく。そして、ジェーンが実際に妹と弟そしてエイミーに会ったところで衝撃的な過去の事実が明らかになる。
 謎解きを含んだスリリングなストーリー展開に加え魅力的なのが、個性あふれる登場人物である。音楽家のソフィーおばさん、画家で植物好きのビルおばさん、いざとなると頼りになるプレイトーの母親などのわき役もさることながら(ジェーンの父親の影の薄さは気にかかるが)、注目すべきは、想像力ゆたかで感受性の強いジェーン、美しい外見に激しく怒りをぶつける「もうひとりの自分」をもつエイミー、ぜんそくの持病があり、背が低くやせっぽちで、大きなメガネをかけボーイフレンドにするには恥ずかしくなるときもあるが、論理的で冷静沈着なプレイトーの、三人の中心人物である。なかでもプレイトーは、『リアル・プレイトー・ジョーンズ』として作品が続くほど際立っている。プライバシーを守るために使われる小道具としての暗号もプレイトーにぴったりである。小道具といえばオルゴールの使い方はうまい。
 最後に現実の厳しさはどうか?『ペパーミント・ピッグのジョニー』では大きくなりすぎた豚の運命の常としての死が描かれるが、本書では、なぜエイミーがジェーンを遠ざけているかの答えがそれに当たる。ジェーンの家族に対するあわい期待を裏切ってつきつけられる、過去の事実である。ここには、言葉のもつ恐ろしさの要素が加わる。言葉がいかに人を傷つけるものであるか、いかに本音がでてしまうものであるか。思わずエイミーの言ったひと言は、現在でもジェーンの心の傷となって残っている。
 エイミーばかりではない。当のジェーンでさえ、言葉ではプレイトーを傷つけている。ボーイフレンドとしてのプレイトーに引け目を感じているジェーンは、やつあたりしてプレイトーに言う、「…あんたは、自分以外はみなまぬけ、みたいにふるまっている」「ソフィーおばさんは、あんたがわたしに悪い影響をあたえてるってさ!」 この言葉でプレイトーはジェーンの心の中を見抜いてしまう。プレイトーは捨て台詞を吐いて去っていく、「わるかったね。つまり、ぼくが十八歳じゃなくて、身長も六フィートなくて、脳みそのかわりに、もっと筋肉がないことがだよ…」
 以上の三つの特徴の上に、家族とはに対する答えが用意されている。「はみだしっ子」としてのジェーンが、エイミーの人となりを知って得た、ほんとうの家族とは、ビルおばさんとソフィーおばさんである。(森恵子)
図書新聞 1998/10/19