けがれなきいたずら

J.M.サンチェス=シルバ:作
江崎桂子:訳 講談社 1952/1968

           
         
         
         
         
         
         
    
 この物語は映画(1955)でまず知りました。おそらくTVで観たと思われます。小学六年生(1964)頃です。
 改めて原作を読んで見ると、これがなかなかすごいのです。
 スペインの小さな村の修道院に拾われた男の赤ん坊。その日の聖人にちなんでマルセリーノと名付けられます。すくすく元気に育ち、すっかり修道院のマスコットに。彼にとって、不思議なのは他の子どもたちには母親がいるのに、自分にはいないこと。質問するたびに坊さんは、空の上にいると言うのですが、いくら空を見上げても母親の姿はありません。
 屋根裏部屋に入るのは禁じられているけど、お坊さんのいない時彼は扉を開けます。と、そこには十字架にはり付けられた大男(実はキリスト)が。驚いて逃げるけれど、修道院には友達もいなくさみしいので、数日後もう一度屋根裏部屋へ。大男はとても痩せていて顔色も悪く、マルセリーノはこっそり食料を盗み出し、届けます。大男は十字架から手を伸ばします。こうして大男とマルセリーノの交流が始まります。いたずらざかりのマルセリーノが急におとなしくなったこと。いつも十三人分(この人数は説明不要ですね)用意してある食料が一人分なくなること。不審に思ったお坊さんたちはマルセリーノを監視し原因をつきとめます。マルセリーノがキリストと言葉を交わしている!
 マルセリーノはキリストから願い事を一つ叶えてあげると言われる。願いはただ一つ。母親と会いたい。こうしてマルセリーノは、母親がいる天に召されるのです。お坊さんたちはそれを奇跡と解釈し、感動します。
 なんだか、とんでもない物語ですよね。そんな願いを叶えるんじゃねえ、キリストさんよ、です。宗教物語としては、それはそれで、OKなんでしょうが・・・。
 けれどこれは映画化もされ、世界中で訳され、日本ではダイジェスト版ですが、1989年にまた出版された(『汚れなき悪戯』江崎桂子:訳 小学館)ほど。つまり、宗教と関わりなくマルセリーノは、読者に支持されている。
 彼のどこが? 何が?
 いたずらもやめ、亡くなった母親に会えるなら、天国に召されてもいいと思うほど親を慕っている子ども。大人にとってこんなに「いい子」は、そういないでしょう。
この、けなげで無垢な子ども像は、もちろん大人が勝手に、空想したものです。
 それに感動したからといって、現実の子どもたちにそれをあてはめるなんてことは、、、、ないよね。
 自分が子どもだったころを思い出してください。(hico
徳間書店「子どもの本だより」2003.03-04