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舞台は、独立後まもない一七八十年のアメリカ。それは、独立革命の独立派と英国派との対立がまだ根強く残っている中で、東部に飽き足りない人々が西部にあこがれ、西へ西へと移住し、各地で白人とインディアンとの抗争が絶えなかった波乱多き時代である。この作品も、新天地を求めてひたすら西部をめざす一集団の物語である。 主人公の十六歳の少女ケティは、両親・兄姉と死に別れ、ロース・キャロライナのモラビア教徒の町ライラムで、修道僧たちがやっている宿場で働いていた。するとある晩、十四年前に家出し、行方不明になっていた、ケティの兄アンソンと名のる男が突然たずねてきた。アンソンは、カンパーランド川のフレンチ・リックという西部の新しい土地へ一緒に移住しようと強引にケティを誘う。ケティは気がすすまなかったが、生存する唯一の身寄りであり、今や彼女の保護者代わりとなる兄に素直に従うようにという修道僧たちのすすめで、兄の家族らとともに平底船で、長い旅に出ることになる。旅は、仲間の行方不明、インディアンとの戦い、同行船での天然痘の発生、とハプニングづくめである。しかしその中でケティは自らの堅い信念に基づき、戦いを拒み、傷ついたインディアンを助け、子供たちに文字を教える。そしてケティ自身も、その苦難の旅を通して大きく成長し、良き人生の伴侶を得ることとなる。 作品の魅力は、読者をどきどきはらはらさせる物語展開と、その中で示される主人公らの愛と勇気に満ちた行為、及びさまざまな人間的な弱さや強さを持った人物像の造形と言えよう。物語のプロットは、女の子を主人公にしているわりには、危険や冒険に富み力強い。それは、アンソンをはじめとするフロンティア精神旺盛な三人の男性がこの旅をぐいぐいひっぱっていくという設定によるためかもしれない。しかもその起伏に満ちた筋運びの中で、息子カルがバッファローに踏み倒されて骨折した時、さめざめと泣いて自分の軽率さを悔いるアンソンや、生まれたばかりで顔も見ていない息子を川にのみこまれて半狂乱になるバブティストを通して、彼らの弱さや身勝手さを巧みに描いている。彼らが雄々しい進取の気性の持ち主であるだけでなく、時には悲しみにうちのめされ、誰かに支えられ、憐れんでもらわなくては、とても生きてはいられないごく普通の人間であることに読者は共感と親近感を覚えるであろう。一方、これらの弱気男性群に対して、女性のなんと強く勇気あることか。新生児の愛児を亡くして「死にたい。」と言ってすすり泣くバプティストの妻レティスに、アンソンの妻ティシ ュは、 「そんなこというもんじゃないよ。いのちというものは、ちょっとしたきれいなものみたいに、もうあきたからといって、ぽいとすてられるものとは、わけがちがうんだから。生きていることがつらくなっても、あきらめちゃいけない。しがみついていることだよ。」 と諭す。また前述のとおり、武器を持たずにインディアンに近づき、傷の手当てをし、自らの食料を与えるというケティの愛と勇気あふれる行動。これらの言動が人の心を動かすのは、ケティの恋人ジョージが言うように、それらが「人間を愛する思想から生まれ、愛のうちに行われる行為」だからであり、生を愛し、人間を愛して苦しい人生を必死に生きている人の言葉だからである。 ケティの「はるかな旅」は、もちろん新天地を求めての物理的に「はるかな旅」であったが、それは同時に彼女の人間的な成長においても「はるかな旅」であったのだ。セイラムの宿場に兄が迎えにきた時は、ある種の抵抗を感じながらも、ほぼ従順に兄に従い、主体性はなかった。そして旅の途中においては、人間とくにインディアンに対する感じ方、考え方に関して兄との間に深遠な溝を感じ、兄たちのやり方や自分の荒野に連れて来られた意味に疑問をいだく。そして遂に独断で自分の強い信念に支えられた愛と勇気の行動をとる。そして最後に兄の気持ちを理解し、兄に感謝できる心境にまで達する。この人間的な成長がケティが「はるかな旅」で得たものだ。 人間は誰でも常に心のどこかで「はるかな旅」をめざしているのかもしれない。そこは、それがなければ生きていかれないものを得る場所だ。そして、それがなければ生きていかれないものとは、愛であり、勇気であり、優しさであるのかもしれない。(南部英子)
図書新聞 1989/11/11
テキストファイル化 妹尾良子
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